ラリーのグループは私より4・5歳年上だ。
私は一番年下に近い。
基本的にドライバーではないから、気は楽だった。
また、瞬時のナビゲーターが少ないので重宝された。
下りダートで車が滑りながら曲がるのも、怖くなかった。
やがて、計算は自動でできる計算機が普及する。
各クラス分けや、細かい条件がつくようになる。
大らかなラリー大会から、シビアなオフィシャルになる。
金をかけた車が圧倒的に強いレースになった頃、手をひいた。
その後、地元山岳会に入る。
どこかスリルを求めていたわけでもないが・・・
ここでも、全て私より年上の人達との付き合いだった。
夢中になるほどではないが、山に惹かれたのは間違いない。
やがてスキーが原因で膝の半月板の手術をする。
その時には前十字靭帯が吸収されて失ってしまっていた。
その後は、山岳会としての山登りは無理になって辞めた。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
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