水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「母のこと・118」

2011-11-20 20:59:47 | Weblog



毎晩、数人が勝手に泊まっていった。
この10年間は日本中が結構忙しかった。
日本列島改造論などと土建業界が特に活気があった。
三次産業の銀行、証券会社なども活気があった。
私の仕事も、とても忙しかった。
歯科医院の予約は三ヶ月先まで入っている状態だった。
だから私がアパートに帰るより先に、誰かが来ていた。

適当に食べ物なども気を使って置いてある。
気の良い連中だった。
私はボス的でも兄貴的でもない。
基本的に指図はしない。
むしろ、世話を焼かれている方だ。
休日に皆で出かける時も、私の分まで諸々の用意をしてくれた。

乗り物に弱い母だったが、年に二回くらいはアパートに来た。
そして、庭の草むしりをしてくれていた。
私のところにいた仲間達とも、良い感じで交流してくれた。
職人系は、母とも相性が合ったようだ。
後に、私がいなくても、年取った母の家にも顔をだすようになる。
作った野菜などを持ってきてくれるようになる。
実に気の良い連中だった。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
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「母のこと・117」

2011-11-19 19:02:18 | Weblog



就職するにあたり、すぐ近くにアパートを借りた。
私は父親が嫌いだった。
自分で働くようになったなら、一緒には住めない。
とはいえ、同じ町内だ。
たまには実家に帰った。
帰っても、決して泊まりはしなかった。
実家には、高校三年生の末の妹が一緒にいた。

どういうわけか、私には仲間がいた。
年下の連中が、常時5・6人いた。
引越しも、何かを用意するのも手伝ってくれた。
アパートは鍵もかけず、誰でも勝手に使えるようにオープンにした。
連中は、次第に数が増え、やがて20人近くになった。
アパートが狭くなったので、別の一軒家を借りるようになった。

皆、職人系で、学校も行かなかったり中退したりの連中だった。
その分、腹の中に何も無く、気持ちのいい連中だった。
私が少しだけ年上なので、いろいろ慕ってくれていた。
私は、次第に彼等のまとめ役のような位置になったいた。
毎日、数人が来ていた一軒家のアパートだった。


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「母のこと・116」

2011-11-18 18:56:09 | Weblog



東京にいた、二年の間。
思い出してみると、学生の合間に結構飛び回っていた。
関西方面には、夜行列車で何度も行った。
名古屋、三重、奈良、大阪に僅かな金だけで往復した。
都内や近郊の怪しいグループにも出かけた。
そういえば、丹沢にも登ったなぁ・・・
後に地元山岳会に入って、数年間山登りするが・・・

ラーメンとキャベツだけ。
パンだけ。
玄米おにぎりだけ。
それでも、特に不満は無かった。

そして、一応、ケリをつけたつもりで、地元に就職した。
自分の道なんて、わからない。
とにかく、なるようになるまで、働く。
新築した歯科医院には、新設された技工室があった。
そこの初代の技工士として、以後10年間勤める。
見当がつかない末息子が一応戻ってきたので、母は一安心したようだ。


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「母のこと・115」

2011-11-17 19:49:29 | Weblog



この年も歌謡曲は盛り上がっていた。
ちあきなおみの「喝采」が日本レコード大賞。
ずっと後に、この芸名の生みの親を治療することとなる。
山本リンダ「もうどうにもとまらない」
ずっと後に、バイトでスポットライトを浴びせたのは私だ。

テレビに出るようになった、吉田拓郎。
橋幸夫「子連れ狼」
ずっと後に、漫画家の小島剛夕氏と会う機会があった。
柳生烈堂が大五郎を抱き上げ「我が孫よ・・・」
謎だった最後のページの台詞の意味を聞いた。
その時に、直接描いた大五郎の絵をいただいた。
故小島氏は、ペンでなく筆で絵を描く劇画家だった。

アグネス・チャン、チェリッシュ、トアエ・モア。
ガロ、ビリー・バンバン、ペドロ&カプリシャス。
私と同世代なら、涙が出てくるような名前ばかりだ。
多分、誰でも知っていたくらい歌が普通に流れていた。
そして、私は、20歳になった。
母は、56歳だった。


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「母のこと・114」

2011-11-16 20:49:49 | Weblog


今日の独善つぶやき・・・

今日はみなかみオンパクの樹木気功と温泉ヨガセミナー。
ところが今季一番の冷え込み。
目の前の谷川岳は雪化粧。
浅間神社境内でする予定を旅館の広間に変更した。
ともかく、参加者は喜んでくれたようだ。

「母のこと・114」

東大生、大学院生、御茶ノ水女子大生を含むグループだった。
今なら、何となくわかる。
そこそこ勉強してきたのだろう。
だから、頭が悪いというか、やわらかくないというか・・・
理屈でモノを食べようとしているグループだ。
ヒネクレてはいないが(私のほうがヒネクレている)固かった。

無知な私には親切に、いろいろ教えてくれた。
だから三ヶ月間、玄米だけで過ごしてみた。
三ヶ月目に目が回った。
ちょうど関西の宝塚のグループに行った時だ。
初めて、実際に天井が回る感覚を味わった。
本当にグルグル回っている・・・
当然、立っていられなくて、その場で寝ていた。
玄米で体質が変わったのか、栄養失調だったのか・・・

インドに行き、瞑想をするグループも知り合った。
山谷で立ちんぼ(日雇い)しながら、日本を祭りにするグループ。
彼らは、毎日夜は泡盛を飲んでいた。
安い(からなのだが)泡盛はキツかった・・・
基本的に陽気で、最後は「一緒に沖縄に行こう」と口説かれた。
沖縄で毎日踊って暮らすのだという。
私は彼等と気が合った。
サッパリとガハハと笑って酒を飲むタイプだ。
心が、(結構)揺れ動いたが・・・結局行かなかった。


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「母のこと・113」

2011-11-15 19:40:47 | Weblog



アンポ闘争に影響受けた人達や学生達。
自分の求める道や場所を、いろいろな方面に探していった。
当時ヒッピーなど精神世界へ向かう人達も多かった。
心を押し殺して、通常の企業に就職する人も多かった。
放浪の旅に、世界に飛び立つ人もいた。

今なら、それぞれの個性だと思える。
どれでもいい。
方向や種類じゃないのだ。
歩いている、本人なのだ。
だが、当時は道が本人を変えるのだと思っていた。
変える、変わる、ということに、こだわっていた。

そんな中の一つに「食」にこだわるグループと知り合った。
玄米菜食を軸にした、マクロビオテックのグループだった。
食物を陰陽という見方で区別し、自分とバランスをとる方法だ。
またまた、違うモノサシと出会った。
桜沢如一氏という巨匠の本は、理解しきれなかったが、面白かった。


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「母のこと・112」

2011-11-14 21:21:28 | Weblog



二年生になると、学校はほとんど実技専門になっていた。
学校と併設されている技工所の各科に配属。
技工は種類があり、自分で希望の科を幾つが回るのだ。
本物の受注した仕事をチェックされながら仕上げる。
実践の実技になっていた。

夏休みは、ある関西の共同体のセミナーに参加していた。
精神世界を彷徨うキッカケになった。
良否はともかく、カルチャーショックがあった。
事実と、事実だと思っているのは別世界だと知った。
以後、自分の考えや思いや感覚さえもアテにならぬと知った。
まぁ、自分(人間)は信じる対象じゃない。
欠陥品だもの・・・
(だから、愛する対象となる、と言いきれるのは後)

自分の内外部に気をとられていて、母のことの記憶がほとんどない。
おそらく、母なりに、不安定な私を心配していたのかも。
だが、そういう事は口に出さない母だった。
東京は刺激が多い場所だが、基本的には私は好きになれなかった。
それでも、多くの人達と知り合いになった。


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「母のこと・111」

2011-11-13 18:48:08 | Weblog



畑氏が、本来したかったのは動物王国。
作家も本気だが、動物王国が主体のようだ。
初期の作家活動時期は全力で「いのち溢れる文章」だった。
本人の若さと生命力も旺盛の時期だ。
数倍の人生を歩む人もいるのだ、と心酔した。

私はオナゴと恋愛的な夢中になれない。
恋愛はメンドウになり、苦手なのだ。
といって、オトコ好き(同性愛)ではない。
だが、時々、夢中で追いかける人はオトコだ。
しかも、オジサン・・・
二人の御師匠もそうだし、畑氏もそうだった。

夢中になると、結構情熱的?
二年生のゴールデンウィークに北海道に追いかけていった。
当時、畑氏はある無人島に暮らしていた。
前後の見境無く、追いかけるクセがある私だ。
一応会いたいとの手紙は出したが、アポは無しだ。

今の自分の立場(スポンサー付きの学生)も忘れて対岸の港まで。
そこにあった、小さな畑氏の船を見つけ現実に戻った。
勝手な行動で心配かけた事を謝ったメモだけ置いてきた。
後に畑氏からの丁寧な手紙を受け取ったが、それは宝物の一つだ。

私の後にも同じような若者が幾人もいたらしい。
その中から、後の動物王国のスタッフになった人もいる。
もし、私が強引に居座ったら、どういう人生になっていたろう。
そんな事を、十数年は(時々だが)思っていたりした。
人生に、もし、たら、れば、は意味無いのにねぇ・・・



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「母のこと・110」

2011-11-12 19:21:09 | Weblog


今日の独善つぶやき・・・

今日も下諏訪神社秋宮と、その周辺。
ズーラ委員の人が案内してくれた。
オンパクをどう活かしているか。
諏訪中心の地区をどうしたいのか。
いろいろ勉強になりました。


「母のこと・110」

単行本は高いけど、何としても欲しかった。
同じく「天然記念物の動物たち」も買った。
当時の本代としては、高かった記憶がある。
私は本に関しては勘が当たる。
何の予備知識が無くても、ピンと感じる。

のめり込んでいく。
この作者は、やばい!
魂を引き寄せられてしまう。
同じ本を何度も読み返しながら傾倒していった。

社会のあり方などには、興味が無くなっていった。
人間が作る社会には、気が乗らなかった。
だが、自然界の「いのち」には心躍った。
畑氏の文章には「いのち」が溢れていた。
生き方は独自で「いのち」が謳歌していた。
そうか、私は「いのち」に強く惹かれる性質なんだ・・・


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「母のこと・109」

2011-11-12 17:47:30 | Weblog


今日の独善つぶやき・・・

みなかみオンパクの関係で長野に。
諏訪大社があるところだ。
ズーラという信州オンパクとの交流会
すでに4年間の実績がある。
太鼓工場見学と打つ体験プログラムを。

「母のこと・109」

70年アンポ闘争では、少し遅れた年代だ。
田舎の高校生では、係わりも幼い。
それでも安保締結以後の各派の真似事のように、虚無感があった。
社会をイジケた見方でするようになっていた。

それが、死を感じた以後、少しだけ変わったのだろう。
明るい方向に行くのに抵抗が薄れた。
少し、素直に見られるようになった。
少し、素直に行動ができるようになった。
基本的に、楽しもうと思うようになった。

故北杜夫氏や、なだ・いなだ氏の影響もあったのだろう。
やがて、同じく北氏の影響を受けた畑正憲氏の本に出会う。
ある日、電車の中刷りだった。
日本エッセイスト・クラブ賞「われら動物みな兄弟」
何だかわからないけど、心が躍った。
作者も題名もエッセイストという言葉も知らなかったのに。
別の世界に触れたという感覚だけがあった。


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