タカちゃんの絵日記

何気ない日々の感動を、スケッチと好きな音楽と、そして野鳥写真を。。。

陽を惜しむ、野菊の花に、香り立つ。

2011-11-15 | 風景

 散歩道の脇に、白や紫色の野菊が咲き乱れています。

 野菊と云えば、人里離れた場所にひっそりと、清く美しく忍んで咲く花のイメージですが、ここの花は堂々と、道沿いに一面に咲き誇っています。

 帰宅後、若い頃読んだ伊藤左千夫の短編「野菊の墓」が、書棚に有ることを思い出し再読して見ました。

 

現代との時代背景の大きな違いから、今の若い人たちにこの作品が共感されるのかと思うのですが、聞けば以外に、良く読まれている様です。

 

「慎ましく哀しきものは美しい」と感じる、日本人の感性に訴える作品が若者に愛読されることに、むしろ私はホッとする思いです。

  

 

それはともかく、野菊の花は、これからもしばらくの間、寂しくなる野山を、美しく飾ってくれます。                                

 

 


玄関に、転がる南瓜、母の顔。

2011-11-15 | 風景

我が家の玄関には、年から年中南瓜が転がっており、思い出したように食卓に上ってきます。

私が子供の頃、大家族だったため大きな円形の食卓に、時々、母の作ったかぼちゃの煮物がドーンと出されたものです。

甘くて美味しく、おかずと云うよりお腹の足しにもなるから、兄弟が先を争って食べ、あっと云う間に大きな皿が空っぽになっていた記憶があります。

今でもかぼちゃの煮物が出る度に、103歳で先年逝った、母の顔が思い出され、その歳を思うと、「自分はまだまだ若い鼻たれ小僧」と、元気と勇気が湧いてくるのです。

そう云えば私は、その母が怒ったところを一度も見たことがありません。

そして103歳になっても、新聞を、毎日隅から隅まで日課にして読み、世の中の動きを本当によく良く知っていました。 

母は、「人はこの世に生まれ、日々精一杯生きること、それ自体に生まれて来た価値がある。」と教えてくれたと思っています。

本当に母には脱帽だ。