我が家の玄関には、年から年中南瓜が転がっており、思い出したように食卓に上ってきます。
私が子供の頃、大家族だったため大きな円形の食卓に、時々、母の作ったかぼちゃの煮物がドーンと出されたものです。
甘くて美味しく、おかずと云うよりお腹の足しにもなるから、兄弟が先を争って食べ、あっと云う間に大きな皿が空っぽになっていた記憶があります。
今でもかぼちゃの煮物が出る度に、103歳で先年逝った、母の顔が思い出され、その歳を思うと、「自分はまだまだ若い鼻たれ小僧」と、元気と勇気が湧いてくるのです。
そう云えば私は、その母が怒ったところを一度も見たことがありません。
そして103歳になっても、新聞を、毎日隅から隅まで日課にして読み、世の中の動きを本当によく良く知っていました。
母は、「人はこの世に生まれ、日々精一杯生きること、それ自体に生まれて来た価値がある。」と教えてくれたと思っています。
本当に母には脱帽だ。