国連が世界人権宣言を採択して今年で70周年。世界人権宣言は、第二次世界大戦がもたらした悲劇・破壊への深い反省から生み出されたもので、人権や自由を尊重するために定めた世界的な基準です。
この宣言が採択された12月10日の「人権デー」を最終日とする1週間(12月4日~12月10日)を人権週間と定め、各自治体で人権に関するさまざまなイベントが行われます。
今年は性的少数者をテーマにする市町村が多いようです。今週末、12月8日(土)、島本町・高槻市の取り組みをご紹介します。
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島本町
歌手の悠以さんを招いて「JGBT」をテーマにしたトーク&コンサートを開催
島本ふれあいセンター ケリヤホール
14時~16時 ※開場13時半~
第1部:人権標語表彰式(約15分)
第2部:悠以さんのお話&コンサート 「自分らしく生きる」
主催:島本町・島本町人権啓発推進協議会
入所無料。申込不要。手話通訳
パソコンによる文字同時通訳
車での来場ご遠慮ください
満員の場合入場制限あり
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高槻市
講演会「性的マイノリティって何?~楽しく学ぶ、ジェンダー、セクシュアリティ~」
弁護士の仲岡しゅんさんを講師に迎えての講演会を開催
高槻市生涯学習センター 多目的ホール
午後2時~午後4時
講師の仲岡しゅんさんは、大阪生まれの大阪育ち。
知的障がい者ヘルパーと学童保育の指導員を経て弁護士に。
戸籍上の性別は男性、女性として弁護士登録
民事・刑事事件のほか、セクシュアルマイノリティからの相談に
■
11月1日、八幡市文化センターで行われた人権講演会で、仲岡弁護士のお話を聴きました。これまで聴いてきた数々の講演会のなかで、もっとも信頼できるお話のひとつでした。しかも、明るく、わかりやすい。
人権という確かな軸のない啓発は、むやみにLGBTというカテゴリーに人を閉じ込めたり、用語の知識のみで理解したつもりになったりで、結局、そっとしておいてもらった方がありがたいということになりがち。
わたしには、なにを尋ねてもらってもかまいませんが、と、かなり失礼な質問、疑問にも誠実に応える一方、どうぞ素朴な質問で人を傷つけないでくださいね、と(ある意味辛辣な)ジョークで笑いをとっておられました。
わたしは、ある日、ある方から、人権意識があると自負している人ほど間違うと指摘されました。道で倒れている人がいたら、そっと着るものをかけて隠し、大騒ぎすることなく京都の人は振る舞うでしょう。
わたしやってます!わたし理解あります!とことさらに言わないでしょう。それが無関心という優しさなのよ、と言われて目が覚めました。
僕たちは支援を求めているのではない、性的少数派でない多数派の人にあるあたりまえの権利(結婚、社会保障、医療手続、相続など)を求めているのです、とも。これにも目が覚めました。
「LGBTトイレ」という摩訶不思議なものに対するGIDトランスジェンダー当事者(性同一性障害:gender identity disorderの頭文字を略してGID)の怒りと哀しみは凄まじく、そもそも同性愛者にはトイレの不都合などまずありません。
LGBTブーム、LGBTビジネス、その反動で傷ついている人が少なくないことを忘れないでいたい。特別な人「ふつう」ではない人として、同性愛や性別適合を「認める」という発想がすでに歪んでいると思えるこの頃です。
この宣言が採択された12月10日の「人権デー」を最終日とする1週間(12月4日~12月10日)を人権週間と定め、各自治体で人権に関するさまざまなイベントが行われます。
今年は性的少数者をテーマにする市町村が多いようです。今週末、12月8日(土)、島本町・高槻市の取り組みをご紹介します。
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島本町
歌手の悠以さんを招いて「JGBT」をテーマにしたトーク&コンサートを開催
島本ふれあいセンター ケリヤホール
14時~16時 ※開場13時半~
第1部:人権標語表彰式(約15分)
第2部:悠以さんのお話&コンサート 「自分らしく生きる」
主催:島本町・島本町人権啓発推進協議会
入所無料。申込不要。手話通訳
パソコンによる文字同時通訳
車での来場ご遠慮ください
満員の場合入場制限あり
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高槻市
講演会「性的マイノリティって何?~楽しく学ぶ、ジェンダー、セクシュアリティ~」
弁護士の仲岡しゅんさんを講師に迎えての講演会を開催
高槻市生涯学習センター 多目的ホール
午後2時~午後4時
講師の仲岡しゅんさんは、大阪生まれの大阪育ち。
知的障がい者ヘルパーと学童保育の指導員を経て弁護士に。
戸籍上の性別は男性、女性として弁護士登録
民事・刑事事件のほか、セクシュアルマイノリティからの相談に
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11月1日、八幡市文化センターで行われた人権講演会で、仲岡弁護士のお話を聴きました。これまで聴いてきた数々の講演会のなかで、もっとも信頼できるお話のひとつでした。しかも、明るく、わかりやすい。
人権という確かな軸のない啓発は、むやみにLGBTというカテゴリーに人を閉じ込めたり、用語の知識のみで理解したつもりになったりで、結局、そっとしておいてもらった方がありがたいということになりがち。
わたしには、なにを尋ねてもらってもかまいませんが、と、かなり失礼な質問、疑問にも誠実に応える一方、どうぞ素朴な質問で人を傷つけないでくださいね、と(ある意味辛辣な)ジョークで笑いをとっておられました。
わたしは、ある日、ある方から、人権意識があると自負している人ほど間違うと指摘されました。道で倒れている人がいたら、そっと着るものをかけて隠し、大騒ぎすることなく京都の人は振る舞うでしょう。
わたしやってます!わたし理解あります!とことさらに言わないでしょう。それが無関心という優しさなのよ、と言われて目が覚めました。
僕たちは支援を求めているのではない、性的少数派でない多数派の人にあるあたりまえの権利(結婚、社会保障、医療手続、相続など)を求めているのです、とも。これにも目が覚めました。
「LGBTトイレ」という摩訶不思議なものに対するGIDトランスジェンダー当事者(性同一性障害:gender identity disorderの頭文字を略してGID)の怒りと哀しみは凄まじく、そもそも同性愛者にはトイレの不都合などまずありません。
LGBTブーム、LGBTビジネス、その反動で傷ついている人が少なくないことを忘れないでいたい。特別な人「ふつう」ではない人として、同性愛や性別適合を「認める」という発想がすでに歪んでいると思えるこの頃です。