とだ*やすこの「いまここ@島本」

暮らしの豊かさ最優先!
ひとが主役のまちづくり!

大阪府島本町議会議員
とだ*やすこの活動報告

懐妊の聖母・ゆりの礼拝堂で

2012年10月28日 | とだ*やすこの活動日記
tomoko.Kさんのチャリティコンサートinゆりの礼拝堂も今年が3回目。tomoko.Kさんのピアノの弾き語りは、日常の言葉でシンプルに綴られているのにスケールが大きくて、胸の奥の奥に届きます。それはきっと、飾らないお人柄と声の魅力と、伝えたいメッセージの深さがあるから。年々ファンが増えて、会場は満席でした。

確か、昨年のコンサートの後だったと思います。家族への思いを綴った名曲を媚びない声で歌うtomokoさん、美しい歌声と華やかなドレス&トークでスペインの太陽みたいな藤田由紀さん、地域で活躍される女性に元気をもらい、ひとつ詞を書きました。勇気を出してtomokoさんにメールで送信。曲をつけてくださることになりました。そして、昨日、礼拝堂のコンサートで、みなさんといっしょにはじめて聴かせていただきました。綺麗なメロディーの素敵な曲になりました。

わが子が生きづらいとき、無条件に抱きしめる強さを母親が見失わないよう、生まれたときに授かった、それぞれの力で、母も子も生き抜けるよう、懐妊の聖母の礼拝堂で捧げる「君の翼」♪(なんか、紅白歌合戦ぽい、笑)


君の翼

水色の空 春へ春へと 青を足している
レースの光が 君を包むよ
生まれたままの 命が ここに
輝いている 今を生きよう 
MY CRYSTAL ANGEL

瞳を閉じて 宙(そら)へ宙へと 月を見上げて
地球の音が 君を呼んでいる
生まれた瞬間(とき)の 記憶を そっと
たどるように 明日を生きよう
MY CRYSTAL ANGEL

銀河を渡る 時の流れは 煌めいている
君の翼は 他人にはみえない
君の信じる 風に 乗って
夢の翼を 広げてごらん
MY CRYSTAL ANGEL 

はじめて泣いた あの日のように 
大きく息を吸えば 気づく
君は背中に 翼があるよ 
他人にはみえない 君だけの
神さまからのGIFTがあるよ
CRYSTAL ANGELS 
FOR LOVE


TOMOKOさんの声は神様からのギフトです。その声にのって、この歌に込めたメッセージが、どこかで、だれかの胸に届くと嬉しい。音楽は素敵ですね。わたしはなんの楽器も弾けないうえに音痴だけれど、自分にないモノを数えて生きるほど残りの人生は長くはない。神様からのギフト、それがなにか、今だに自分ではわからないけれど、いま、ここで、わたしにできることがあると信じて、明日を生きたい。そういう人たちとともに生きていたい。
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ゆりの礼拝堂でK.tomokoさんが歌う

2012年10月23日 | とだ*やすこの活動日記
お知らせ

チャリティコンサートinゆりの礼拝堂2012
2012.10.28(日)
開場13:30 開演14:00

場所:大阪水上隣保館 
ゆりの礼拝堂

前売り・当日 ともに¥1,000
収益金は大阪水上隣保館に寄付されます

お車でのご来場はご遠慮ください


島本町にある児童養護施設、大阪水上隣保館の「ゆりの礼拝堂」をご存知ですか?ここには、ピエロ・デッラ・フランチェスカ(Piero della Francesca15世紀イタリア・ルネッサンス期の画家)の「懐妊の聖母(マドンナ・デル・パルト)」の模写が納められてています。

ピエロ・デッラ・フランチェスカは、イタリアのルネサンス期を代表する芸術家「モナ・リザ」のレオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci15~16世紀)の少し先輩。ピエロの描いた「マドンナ・デル・パルト」がある礼拝堂は、イタリアのモンテルキという村にあり、そこにはフランチェスカの母親が埋葬されているそうです。「マドンナ・デル・パルト」は、イタリアが誇る国宝級の美術遺産で、現在は美術館に収納されていると聞き及びます。

壁画が村の礼拝堂にあったとき、日本画家・野村義照氏が現地で特別に許可を受けて模写されたのが、島本町にある「懐妊の聖母」。いうならば、日本国の許可を受けて、現代のイタリア人画家が奈良の高松塚古墳を研究模写したその作品に匹敵するものです。野村画伯の模写がなぜここ島本町にあるのか・・・実は、あまり知られていません。

野村画伯が山肌に浮かぶキリスト教の十字架(水上隣保館)を眺望し、縁あって、ここに「懐妊の聖母」を納めたいと強く希望され、自ら奔走され、建てられたのが「ゆりの礼拝堂」。地域交流センターとして地域住民も利用できます。野村画伯は、現地で模写を続けているうちに、村人との交流を通じて、模写はお金に替えないと決めらておられ、「懐妊の聖母」にふさわしい場所を探しておられたのです。

島本町とイタリア・モンテルキ、そのご縁を偶然にも紡がれた油彩画家が、現在島本町山崎地区にお住まいです。いつか、講演会というカタチで「懐妊の聖母」のエピソードをもっと深く、語っていただきたい、地域のみなさんにお伝えしたい、そう思いながら今なお実現していません。来年、春以降の課題とします。

で、今日は「ゆりの礼拝堂」でのチャリティコンサートのお知らせ。気恥ずかしいくてみなさんにお知らせしていませんでしたが、主催者のK.TOMOKOさんが、わたしが書いた詞に曲をつけてくださった「君の翼」を発表されます。TOMOKOさんの曲にはいつも胸が、目頭が熱くなり、ある日、ふと自分にも書けそうな気がした。そして一気に書きあげたのが「君の翼」

彼女とメールでやりとりするうち、一つの曲が出来上がるまでに注がれるエネルギーの深さを垣間見ました。水上隣保館の礼拝堂にふさわしく、ひとりにひとつずつ授かった命を歌った曲です。わが子を無条件に抱きしめる強さを母親が見失わないよう、生まれたときに授かったそれぞれの力で、母も子も生き抜けるよう「懐妊の聖母」の礼拝堂で捧げる曲。みなさん、ぜひ、聴きにいらしてください。わたしも、みなさんといっしょに、はじめて聴きます。

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子育て支援につき、フェイスブックで対話

2012年10月19日 | やります!子ども・子育て・人びと支援


はじめたばかりのフェイスブックで、保育のことが話題になりました。町内外からコメントが寄せられ、関心の深さを痛感しました。島本町にもうひとつ保育所整備は必要、とわたしは考えています。少子化、少子化と言われますが、未就学児の保育ニーズは高まっています。「預り」ではなく、ゆったりした環境で育つことが大事。

一方、核家族の在宅子育ても実は想像以上にたいへんです。10月から試行的に導入された、第一幼稚園の「預り保育拡充(就労支援型幼稚園)」は、保育所の過密状況を改善しようとするためで、幼稚園に子どもを預ける家庭の利便性を考えて導入されたものとは言い難いものでした。が、在宅育児を応援するものとして、有難い存在であることは確かです。実際、過日登園時の門前で確認したところ、4名の園児が早朝の預り保育を利用しました。

このままでは遂に待機児童が発生するという危機感と意地とプライドからか、預り保育拡充に際しては「緊急対策」という表現が頻繁に、意図的に使われています。緊急というのならいつまでの緊急措置なのか?と幼稚園に通う子どもたちの保護者から声も寄せられています。第一幼稚園だけが預り保育を行うことへの不満、より充足率の低い第2幼稚園への入園児がさらに減るのではないかという動揺もあります。

そもそも島本町議会定例会、七月会議(通年議会試行中でなければ「臨時議会」と呼ばれるものであった)において唐突に出された議案であって、町長の施政方針にも当初予算にもなかった施策です。専用部屋の確保がままならず(これが最大の問題)、保育所の保護者も、幼稚園の保護者も現場の先生方も、誰ひとり、納得できるものではありませんでした。

もうひとつ、この問題を複雑にしているのは文書改ざんの疑いです。6月5日に自公民三会派の要望が出されたと町長は発言しましたが、実際には6月15日に出されたものを6月5日に出したことにしようとして、文書処理番号の欠番に自公民3会派からの要望書を差し込んだ疑いがあります。結果、以降複数の要望書番号(通し番号)の書き換えが必要になる事態を招いています。わたしは即座に質問状を出して、整合性のない点、疑いがもたれる点を指摘しました。

すると、回答文書では、副町長の思い違いで、控えと思って手元に10日間置いたままになっていたと回答してきました。7月会議の議場で、欠番になった(6月15日の文書の処理番号)文書は「要望苦情の類ではない」と民生部長が明言、副町長はこれを否定しなかったにもかかわらず、自分の思い違いによるミスだったというのです。自公民からの、しかも保育の過密状況改善を求める要望書の取り扱いとしては、異例の杜撰さです。

ちなみに7月会議の議場では、戸田が問うてもいないのに、民生部長が用意されていた原稿をうっかり読みあげ、自ら欠番となった文書番号を特定する答弁をしています。ある時点で、要望書を扱う自治防災課と子ども支援課の文書処理簿が4月から6月までそっくり丸ごとファイルから消えていたのも、戸田は確認しています。不可解がいっぱい!の就労支援型幼稚園・預り保育導入。

にわかには信じがたい話ですが、議員から出された要望書の日付が意図的に変更された可能性は大。状況証拠を述べ、質問状で詰め寄った結果、副町長が勘違いして手元に10日間も置いていた(!?)ことが「判明」したのです。これに関して自公民3会派の怒りの声はなにひとつなく沈黙、実に寛大なものです。

いずれにしても、上記の指摘は、現在、総務部が着手している「文書取扱規定」の見直しに新たな視点を加えることになりました。

3月の委員会で追求した「設計図書等の保存年限の問題」も深刻ですが(し尿処理施設・設備の設計図書が保存年限経過により不存在であるのは不服として、戸田・平野議員がそれぞれに情報公開につき異議申し立てを行いました)、今回のような曖昧で不当と思える作為を避けるためにも、文書処理の見直しは必須です。副町長が見直しの必要性を認める答弁をしています。

話は戻って、現在、島本行政は3年保育にはまったく積極的ではありません。公立幼稚園の3年保育が実現しない理由のひとつとして、民業圧迫を避ける意図、すなわち私立幼稚園への暗黙の配慮があるのではないか、といわれたりします。これは島本町だけの問題ではなく、一般的にそういう傾向、暗黙の取り決めがあるのでしょうか。少子化は既に起こっている現象、これが問題なのではなく、適切な対策、洞察力のある施策をとらないことが問題!引き続き関心をお寄せください。


画像は、10月の山崎十日市
子どもを連れて参加される方が多い

出店者が各自のブログで広報、それぞれのお店のファンが集まる
継続する力と根性とセンスのある「人」が山崎十日市を支えている

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フェイスブックをはじめました

2012年10月18日 | とだ*やすこの活動日記
お詫びとご報告です。9月下旬にフェイスブックをはじめました。SNS(ソーシャルネットワーキングサイト・ Social Networking Site)にはあまり興味をもてなかったのですが、お伝えしたいことが山積なのに滞りがちなブログ、正確さが求められるブログ、一旦書きはじめたら長文になってしまうブログ(笑)との使い分けができると思い、匿名ではないフェイスブックに参加することを決めました。

過日、自分では思い当たるような操作をした覚えがないのに、複数の方に一斉に「戸田靖子がフェイスブックをはじめました、お友だちを探しています」というメールが配送されてしまっています。全員に送られたわけではないので、なぜ送信されたのかがわかりかねていますが、不快な思いをされた方もあるかと思います。たいへん申し訳けなく、お詫びいたします。

フェイスブックをトータルに理解できていないまま使うことには躊躇もあります。便利な反面、負の部分があるのは間違いないですが、良識ある運用であれば、普段会えない人とつながって交流、意見交換できる楽しい空間ということがわかりました。ブログをリンクするなど多面的な使い方もできるようです。なにより双方向性で対話が可能。嘉田知事の未来政治塾でも話題になりました。

今後は、日々の活動報告など徒然なるもの、島本町の文化・歴史・景観、まちかどニュースなどをフェイスブックにUPし、議会報告など硬派の発信はブログにUPしたいと思います。みなさんのお声もお寄せください。引き続き、よろしくお願いします。


画像は、水無瀬橋から水無瀬川上流を望む
水無瀬川左岸、名神高速高架下で行われた
消防団のポンプ放水大会の帰路に撮影

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学生さんと歩いた大山崎・島本

2012年10月13日 | とだ*やすこの活動日記
秋晴れの朝、JR山崎駅前に集合。5月にJIAM議員研修で講義を聴き、以来、わがまち島本にお招きしたいと思っていた願いがこの度実現、「松藤保孝先生と歩くジャパニーズウイスキーのふるさと・山崎」を企画しました。

「松藤先生の誘いなら面白いと思ったから」と、はじめて島本町に来てくれた若者たちがほとんどでした。公共政策や地方自治、まちづくりに感心がある関西学院大学・法学部、松藤ゼミの学生さん11人。みなさんの期待に応えられたかどうか・・・

松藤先生の飾らないお人柄。議員研修でのお話もたいへん面白かったですが、講義も学生に人気があるということがよくわかりました。JR山崎駅・島本駅&阪急水無瀬駅・大山崎駅を移動、終日まちを周遊しました。素直な感想から町の課題を拾いました。大山崎町、島本町の都市間共創への一歩、わたしのなかでまた前進です。

朝の駅前は、まち歩き、観光客のみなさんで賑わっていました。閉鎖されたキオスクの跡に6日、観光案内書がオープンしています。開設翌日の午前に100人の方が来訪されたという意味がわかりました、ひとの集まりが凄いです。島本町の観光マップも置かせていただきており、たいへん感謝しています。多くの方が水無瀬神宮の場所を尋ねられるそうです。

さて、今日の街歩きは、まず聴竹居から。一般非公開、申込み可能な日でもない今日の聴竹居は場所だけを紹介する計画でした。ところが隣人のご主人(聴竹居倶楽部のボランティアさん)から、庭までならばご案内してもよいですよ、と特別にお声をかけていただくという幸運に恵まれ、お庭まで入ることができました。

しかも、地域の住民の方から、周辺のまちづくりに対する先人の思いを引き継ぐ覚悟、非常によいお話をきくことができたのです。加賀正太郎に建築された「大山崎山荘」本館(登録有形文化財)、建築家・藤井厚二の実験的住宅、鳥井信治郎の日本初のモルトウイスキー蒸溜所。どれもみな昭和初期の日本人の挑戦でした。街区の景観を形成するのは「ひと」であると心に沁みる名案内でした。

サントリーウイスキー館では、日本人がどんな思いで洋酒づくりに挑戦したかを再確認。島本町、山崎の地がスコットランドの気候風土に似ているという理由で1923年に蒸留所を。今日、サントリー山崎、響は、世界的な賞をいっぱい受賞し、チーフブレンダー輿水精一さんは世界の輿水さんです。輿水さんの「ウイスキーは日本の酒である」(新潮新書)をぜひ読んでいただきたい。惚れますよ。キーワードはやっぱり「ひと」です。

JR山崎駅の大阪行きホームの西寄りには、大阪・京都の府境があります。これが学生さんに意外に受け、Vサインで写真を撮り合ったり、境界線上で「自分は今どこのいるのだろう」と哲学的に呟く若者がいたりで楽しかったです。若いみんなは、歴史案内だけではない街の面白さを軽快に発見する力があり、新鮮でした。

JR島本駅に移動。今日歓声があがった唯一の場所、それが島本駅ホームでした。農風景をバックにその場で写真を撮り合う学生たちはサントリーオールドCM小林亜星作曲「夜が来る」(電車接近音)を知りません。みんなすべて平成生まれ。豊かさの価値観がバブル期以前、右肩上がりの時代とはまったく違うのではないか・・・「青葉茂れる桜井の」の価値観で将来像を描いてしまうのはどうなのだろう。

自分がいつもこうしたいと思っている島本町のイメージと、と若い人たちが住んでみたいと思う都市像には大きなギャップがある・・・考えさせられ、充実した一日でした。松藤先生、学生のみなさん、サポートしてくださった島本住民のみなさん、ありがとうございました。


画像は、藤井厚二氏設計、聴竹居のお庭
まもなく美しく紅葉します
築80年の住宅建築は必見(事前申込必要)
これを保存したいと思われたすべての方に感謝!
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都市計画決定の過程がいかに重要か

2012年10月11日 | JR島本駅西まちづくり
8月4日、「住民の視点での土地区画整理事業とは何か」というタイトルで学習会を主催しました。講師は、中山徹先生(奈良女子大学大学院人間文化研究科教授)中山徹先生は奈良市商工会議所・奈良市中心地活性化協議会委員など多数の行政関係委員を務められ、自治体のまちづくりに関わっておられます。

中山先生のお話はたいへんわかりやすく、人びとの新しい歩み(戸田・平野)が主張していることが決して間違っていなかったと確認できる点がいくつかありました。都市計画決定の過程で市民の議論が必要なのはなぜか。

ひとつは将来にわたる、未来の都市像を決定する公共事業であること(=地権者だけの問題ではない)。もうひとつは、基本的に自治体の財政負担が発生する公共事業が含まれているので、町税の使い道として議会の、すなわち町民の一定の合意がいること。それには情報の公開による情報共有が必須であることが理解できました。

さて、現在、JR島本駅西側は、組合施行の土地区画整理事業で開発することになっています。準備組合が設立され、事業協力者を募集、説明会を経て2社が審査会においてプレゼンテーションを行うという段階です(プレゼンは10月10日に1回行われ、継続して再度行うことになった。内容は非公開)。

(学)西大和学園が希望される平成27年4月の中高一貫校開校は、都市計画決定の手続き上がスケジュール的に困難で半年ほど当初の計画が遅れる見込みと町の見解です(先の委員会で自民党議員=地権者の質問に答えました)。

市街化調整区域である駅西地区は、都市計画上は当面開発せずにこのまま残しておこうと決めている区域です。都市計画決定という法手続きを経て市街化区域に変えないと土地区画整理事業はできません。

非常に大きな意味があり、島本町が将来的にまちづくりをしていくうえでの計画的な決定です。工場跡地を買って開発業者がマンションを建てる事業とは異なります。市民的に議論していく必要があり、民と民で成立する事業ではありません。

特に駅前の一等地ということで本来は市民的に議論して進めないといけない。従って、都市計画決定をする場合は町民がこの決定に対して意見を言うことが法律上できます(予定ではおそらく来年の2月頃。ここで意見を述べないと町民の願いは正式に届きません)。

区域の中に土地を所有しているかどうかは一切関係なく、市民が市民の立場から意見を言う機会が法律上保障されているのです。市民が自ら行動する権利が保障されています。難しいことではなく、今のままが良いという思いを素直に伝えることが大事です。

もうひとつ、市町村の財政負担が全く発生しない区画整理というのは極めて例外とのことです。行政の財政負担がゼロになるということは基本的にあり得ず、町民のみなさんの税金(数億、数十億規模)が使われることになります。税金の使い道として妥当かどうか、本来であれば市民が議論すべき対象なのです。

地権者の方が組合員として事業に主体的に関わっていくのは当然ですが、都市計画決定を経てる、税金が使われるというふたつの点で、広く市民的に議論をして、ある程度の合意を得てから事業を進めていくのが基本です。

50年、100年後の将来像を描くのですから計画的な面整備が必要。市民的に議論していくべき課題なのです。そのことを、しっかりふまえて、JR島本駅西側のまちづくりの問題を理解していただきたいと思います。引き続き、関心をお寄せください。


画像は、JR島本駅西地区の風景(10月6日)
第3小学校の子どもたちの学習田もあります
案山子は児童がつくったそうです

日程的に来年の作付は行わないということが考えられ
そうすれば、この風景は今年が最後になります
景観に関するワークショップ(町主催)に参加した帰路、撮影
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町に反対ばかりしているわけじゃなく・・・

2012年10月04日 | とだ*やすこの町政報告
昨日、平成24年第1回定例会9月会議が終わりました。8月下旬の助走から、残暑もなんのそので乗りきってきましたが、ひととき議会審議から解放される瞬間です。帰路、月がとても大きくて、美しかった。心配した強力な台風も過ぎ去り、もうすっかり秋ですね。季節の変わり目は体調のバランスを壊しやすい時期、首にスカーフ一枚、シャツの下に下着を追加するなど、身体を芯から冷やさないようにしましょう。

さて、昨日の本会議で、平成23年度一般会計歳入歳出決算に戸田は反対、不認定としました。平野議員に建設・水道、民生・消防所委員会所管部分のまとめをお願いし、最終的に戸田がまとめて、人びとの新しい歩みを代表して討論を行いました。特別会計など他の多くの歳入歳出決算については、平野議員が担当しました。一年間、行政職員が精一杯行った事務事業を個々に、あるいは総括的に評価する決算審議は重要。

なぜ反対するのか、島本町にとって平成23年度はどようような年だったのか、住民のみなさんに理解していただける討論に努めました。短くはありませんが全部を掲載(実際の発言とは異なる部分もあります)、追って折に触れ、読みやすいように分割してお知らせしたいと思います。

平成23年度一般会計歳入歳出決算を、人びとの新しい歩みは、以下に述べる理由で不認定としました。(本議会での討論より)

2011年3月11日、東日本大震災・原発震災を経験してはじまった2011年度。避けられない自然災害にいかに備えるか、防災・減災対策の重要性と地域のつながりの尊さを再認識した年でした。福島原子力発電事故による放射能汚染の拡大によって、今なお生活再見の見通しが立たない日々を過ごしておられる多くの被災者のみなさんの無念を思います。我が国が原子力発電に頼れない地震列島である事実を受け止め、次世代に廃炉の技術を継承しなければなりません。電力の恩恵を日々受けている我々国民ひとりひとりの課題であると考えます。

島本町においては、住民自治を理念に掲げた、まちづくり基本条例が施行された年でありました。しかしながら具体的な成果があったとはいえません。7月、同志社大学の新川(にいかわ)達郎教授を講師に招いた講演会が行われましたが、本来ならば基本条例を定める過程で開催されるべき内容でした。住民の町政への関心は深まっており、主権者としての意識も高まりつつあり、町執行部はもっと住民ひとりひとりを信頼し、異なる意見や考えをもった人々の対話から生まれる方向性に価値を見出していただきたいと思います。

1999年5月に策定した都市計画マスタープランは、本来ならば2018年度を目標年次とするものでした。近年、少子高齢化の進展、人口減少社会の到来、住民の価値観やニーズの多様化など、地域社会を取り巻く状況は大きく変化している、地域特性や実情に的確に対応した都市計画マスタープランとするとして、改訂時期をはやめたものです。にもかかわらず、住民意向調査は行わず、地区別懇談会も開かれませんでした。

町の将来像を大きく左右するJR島本駅西側の課題を含んだ改訂でありながら、「まちづくりの基本原則」として条例に定められた「住民、議会及び町は、互いに情報を共有し、町はその保有する情報を積極的に提供すること」が守られていない。結果、各地域の課題が住民に十分に認識されないだけでなく、把握している情報量に委員間で大きな格差があるまま審議は進められました。「住民、議会及び町が信頼関係に基づき対話を重ねて進めるまちづくり」という基本原則に、ほど遠いものでした。

高槻市・島本町広域行政勉強会の中間報告書に基づき、6月11日、住民説明会を開催されました。入口としてし尿処理の問題を掲げながら、結論の部分で、高槻市・島本町が「合併を重要な課題と認識」と結論づけているという指摘が参加された住民の方からありました。島本町としては「広域連携を重要な課題と認識」とするべきでした。その後、9月12日には、2009年12月川口町長名で高槻市長に提出した依頼文「将来のまちづくり構想(広域による事務委託)について(依頼)」の回答といえる文書を受け取りました。

そこには、合併を将来的課題と認識、現時点でし尿受け入れは困難、東上牧からの撤退を要望、と高槻市新市長の方針がはっきりと示されています。し尿処理問題が解決しなかったこと、町内新設を方針に掲げながら未だ候補地の確定ができず、東上牧からの撤退の目途が立たないという現状を重く受け止めていただきたい。議会での議論、合意を経ることなく、「合併の議論も含めて」勉強会の再開依頼を行ったことが、この問題の出発点。

本来、し尿の事務処理委託は特段包み隠す必要があるものではなく、「合併議論も含めて」というところがこの問題の重要箇所であったのは間違いありません。2元代表制の一翼を担う首長ならびに執行部に、また、同席した当時の議長に、議会という合議制の機関そのものを尊重する姿勢が欠けていたといわざるをえません。

保育の過密状況について何ら対策をとらなかった2011年度でした。島本町は就学前の人口の微増に加え、保育ニーズの増加により、保育所定員のおよそ150%という超過密化を招いています。しかし町は面積の保育所最低基準をクリアできれば良いと判断し、保育環境の悪化の深刻さを認めようとしませんでした。大阪府内43市町村の保育所の定員の弾力化状況を大阪府資料に基づいて調査したところ、多くの自治体では就学前の人口は減少していながら、保育需要は増加していることから、保育所整備を行っておられます。

一方、島本町では、子どもの安全や保育の質を低下させないよう現場の保育士の一方ならぬ努力で支えられています。「限界に近い」と訴える現場の声や保護者の声は執行部のみなさんの心に届かなかったのでしょうか。副町長は「保育所整備は安易な提案」と答弁していますが、数十億単位の公共工事をするにあたって、財政が困難と言ったでしょうか。命に係る事故が起きてもおかしくない、ということの認識が乏しいといわざるをえない。緊急対策の預かり保育を実施する第1幼稚園の保護者は「子どもにお金をかけることは未来への投資でもあることを町はわからないのでしょうか」とおっしゃっていました。

子どもの最善の利益を考えて保育環境を整えることなく、島本町の誇る保育の質の高さを維持することはできません。若年層の転入定住を促し、税収増を図るというのならば、保育のニーズの高まりにいちはやく対応しなければなりません。保育の過密状況は、すなわち、数年後の学童保育の姿であるという認識をもって、働く若年層の暮らしを支えていただきたい。

昭和時代の高度成長期には、企業が自ら社宅を用意し、保養施設やレジャー施設をも建設、従業員とその家族の福祉に供することができる財政的余裕と瞬発力があり、立地を決めた土地で企業城下町を形成していました。今は違います。自治体が施策の魅力で従業員家族の暮らしを支えることができなければ企業立地は実現しない、また行う意味がないと考えます。保育・教育の質、子育て支援の充実が鍵になるのは明白です。

難病者・障害者・ひとり親家庭等遺児福祉金の削減が行われました。ひとり親家庭等遺児については児童扶養手当の削減、障害者については就労の場がないという切実な声、生きることに困難を抱えておられる住民の支援のとなる福祉金は削減すべきではありませんでした。第5次行革プランでは廃止の方向ですが、「一人ひとりを包摂する社会」、誰も排除しない社会の構築ができるまでは存続を求めます。

若山台調整池雨水等影響調査が実施されましたが、調整池廃止ありきで行われた調査でなかったか。時間雨量100ミリを超える豪雨による浸水被害が現実のものとなった今、雨水を貯留し、下流への流出を調整する必要性は増しています。調整池埋立・売却計画は見直していただかなければなりません。10haにも及ぶ緑地一帯の開発が災害の際に下流に影響を与えないとは断言できない。

町は、調整池は2012年8月14日の大雨に対し、一定の貯留の役割を果たしたものと推測される、調整池と浸水被害との関連を検証する、と答弁しています。調整池は広瀬地区の農業用水にも重要な役割をしています。若山台住民のみなさんからは、「若山台調整池を埋立てたら水無瀬・青葉などの浸水被害はもっと拡大していたものと思われる」という意見がだされています。農業者のみなさん、周辺住民のみなさんからも調整池を埋立・売却することに賛意は得られていません。土地活用ありきで、関係住民の理解は得られておらず、防災上の有用性を再認識するよう強く求めます。

JR島本駅西地区まちづくり活動支援業務を、大阪府都市整備推進センターに委託にして西側開発を進められています。まちづくり活動支援内容や土地区画整理事業で実施することをまちづくり協議会で決められたことについて、正式に議会への説明、報告がありませんでした。土地区画整理事業の事業計画案が作成されており、補助金の試算もされています。しかし、議会にも住民にもその存在さえ公表されませんでした。行政と一部の関係住民だけですすめられるとすれば、当該地区のまちづくりに、広く住民の理解を得ることが難しくなるのは自明のことです。

西側の風景を大きく変える市街化編入など、都市計画の変更や土地区画整理事業への財政支出は、主権者である住民の合意なくして進めてはなりません。そもそも誰もが歓迎する開発はあり得ない、しかし、町の将来像を大きく左右する駅前開発のあり方、多くの住民が利用する町の玄関口のあり方を決める都市計画の手続として、執行部の姿勢は非常に問題。疑義があります。

し尿処理施設については、中間処理施設の町内新設の方針を示されました。本来ならば市町村固有の義務ですが、処理量が著しく減少しているという事実を踏まえて、広域連携による処理を実現できるよう、最大限の努力をする必要がありました。ポスト「平成の大合併」のもと、再び注目されるべきは合併ではなく広域連携。一部事務組合、事務の委託、応援協定などは従来からあったものですが、平成の大合併を阻害しかねないものとして議論が避けられてきたように思います。

し尿の事務委託については政治的に非常に難しいと承知していますが、5億円の仕事として、積極的に向き合っていただきますよう要望します。

衛生化学処理場の処理水については水質汚濁防止法を遵守して河川を汚染することのないようにしなくてはなりません。処理場では法の濃度規制・総量規制に対応するため、希釈することにより、窒素含有物を濃度基準の基準値内に納めるよう対応している実態が明らかになりました。町は水質汚濁防止法による届出の範囲内640tで放流しているため問題なし、と説明していますが、水質基準は排水中に含まれるチッソ分を規制値まで除くことを目的としており、基準を超える状況があるのは、濃度規制を遵守する処理ができていないためと、人びとの新しい歩みは指摘しています。

「適正に行っている」という町の認識の正当性は乏しいのではないか、今後も、引き続き調査していく所存です。建設水道委員会において、環境保全審議会について事例をあげ、設置に法的根拠のない審議会については条例で定めるべきと指摘しました。速やかな対応を求めます。

阪急水無瀬駅前の交通広場及びJR島本駅前広場の駐車場対策検討業務について、整備費用、維持管理費用、運営のあり方等を含めて町営で設置する必要があるのか、慎重な検討を求めます。隣接する大山崎町では、現在、管理を業者に委託しておられる阪急・JRそれぞれの駅前にある町営駐車場の土地を民間に貸出し、土地の賃借料を得る方針を公表されています。

料金システムの老朽化による入れ替えに多額の費用を要すること、近隣に民間駐車場がオープンし駐車台数が激変したこと、業務委託している現在は町職員がクレーム処理を担当しているなど、が検討の理由です。多くの自治体で縮小傾向にある公営駐車場の新設は、町に新たな課題をもたらす可能性があります。民間駐車場、駐車場を完備した大型スーパーの改修など、周辺の事情を考慮して、鋭意、検討していただきたい。

文書取扱規程の見直しについて、積極的なご答弁をいただきましたが、その具体的な中身が示されたわけではありません。2011年4月1日には公文書管理法「公文書等の管理に関する法律」が全面施行されました。島本町においても、現状の事務処理に則して文書取扱規程の見直しが必要です。

加圧浮上装置の設計図書等、不存在の通知について異議申し立てを行いました。施設の維持管理を適正に合理的に行うために、設計図書等は担当課において保管されるべきものであり、各担当課長の主観的な判断で保存年限を定めて廃棄される類のものではないはずです。情報公開審査会・情報閲覧等審査結果報告書の付帯意見には、「「保存年限の経過によるもの」を不存在の理由とすることは不適切である」、「住民参加の町政を推進する重要な手段である情報公開制度をより充実した制度へとするためには、適切な文書管理が必要である」「保存年限の種類について適切な判断を図られたい」と明記されました。

適正かつ円滑な公文書の取扱は、住民の財産である情報や施設を適正に管理するだけでなく、職員ひとりひとりの働く環境を改善するものです。文書管理簿の取扱についても、廃棄した文書はその理由を記載して欠番にする、訂正が生じた場合はみえ消しにする、枝番も記載するなど、不正、不当な事務処理を可能にしないよう処理方法を整理し、庁内で統一する必要があります。

また、現状の規程では電子文書の管理についての取決めがなく、急ぎ慎重に整理する必要があります。働く意欲の湧く職場は、人事制度だけでは実現しません。職員ひとりひとりが町政に携わる者として、業務に誇りと使命感をもてる環境を、職員自らの手で選びとっていただきたい。

補助金制度の見直しは、住民の行政への信頼を獲得するために、非常に重要な改革と認識しています。財政的視点だけではなく、住民活動の活性化、住民参画の実現という視点から検討していただく必要があります。2010年度、総務文教委員会で視察研修に行った長泉町では、各種団体への補助金について、地域のしがらみはすべて廃止、類似団体の統合、受益者負担の考え方の導入など、指標を示して積極的に取り組まれたと説明を受けました。

財政的削減効果への期待より、公平・公正性を求めることを主な目的として、人びとの新しい歩みは、公募型補助金制度の創設を提案します。引き続き、現状の分析を行い、早期に見直しが行われるよう求めておきます。

防災に関する出前主張講座を試行的に行われました。危険箇所をあらかじめ把握し、避難場所への経路を確認するなど、地区ごとの課題に沿った取り組みが可能であり、評価しています。今後は一定のしくみをつくり、活用しやすいものに進化させていただきたい。自治防災課の現在の多様多彩な職務範囲制では、地域防災計画の見直しをはじめとする防災関係の課題にじっくり取り組みことができないと危惧しており、改善を求めます。

高度成長期に整備された施設が一斉に老朽化の時期を迎え、補修・補強対策や維持管理問題が表面化しています。公共施設を自治体の資産ととらえて維持管理、長寿命化していくという国の方針、施設維持管理の考え方には、施設を取捨選択、賢く縮小していくという考えも含まれます。現状把握、情報提供を行ったうえで、中長期的な方針を示し、住民参画の議論を経て、全体構想・グランドデザインを描く必要があります。

第5次行財政改革のもと、各種施設の使用料が見直されました。受益者負担、税の公正な配分、維持管理補修費への充当という点で、一定、評価できるものです。しかしながら、テニスコート、町立プール、体育館などスポーツ施設については、使用料見直し提案の前に、施設の老朽化を精査して現状把握し、その結果を情報提供されるべきではなかったか。現況調査が行われることなく利用料値上げの議論に終始したのは計画性に欠けました。

維持管理補修に多額の費用が費やされ、体育館・プールをあわせて毎年1千万円以上の土地賃借料が固定的に支払われ続けています。補正予算計上で町立プールの現況調査が行われましたが、給排水管の老朽化が著しく、これ以上の長寿命化は不可能という印象です。排水設備に関しても、水無瀬神宮内の側溝や林の中に放水されているとの指摘があり、下水道法上、衛生管理上問題がないとの町の答弁ですが、大阪で唯一名水百選に選ばれている離宮の水を誇る水無瀬神宮の社に、プールの排水を流し続けるのはいかがなものか、今後の課題といえます。

公共プールにおける子どもの死亡事故が続いていますが、町立プール運営については、朝昼夕、職員による監視員数のチェックが行われていると認識しており、安全性についての配慮、努力を評価しています。引き続き、安全対策を最優先したスポーツ施設運営に努めていただきたい。

最後に、島本町の歴史文化施策について意見を述べます。「水無瀬駒」による地域伝統文化活性化事業について、水無瀬駒の調査研究、中将棋の存在とルールを周知する活動、小学生将棋指導と将棋大会、すべてに継続性が求められます。地味でも着実に地域伝統文化を次世代に継承できるものであり、2013年度以降も国庫補助金が得られるよう最大の努力をお願いしたい。

また、委員会では言及できませんでしたが、離宮八幡宮社家・松田家の古文書寄贈により、町の歴史文化施策は新たに大きく前進しました。島本町の歴史的調査には京都文化圏の学芸員との広域的な交流が必須になります。また、専門性が多岐にわたり細分化されているため、学芸員の豊富な人脈が求められます。嘱託学芸員を正規職員にするなど、中長期的な人材の確保と育成について早急に検討されるよう求めておきます。

以上です。みなさんがもし、議場におられたら認定されたか、されなかったか。議会での討論をこのような視点で聴いていただくとわかりやすいのではないのでしょうか。反対の討論のナカミ、内容が大事です。なんでもかんでも賛成するより、反対する理由は問題点の提起であり、それこそが現状を改善していく原動力!わたしは日々そのことを実感して議会活動を行っています。引き続き、町政に関心をお寄せください。


画像は、広瀬地区の田園風景から天王山方面を臨む
後鳥羽上皇の水無瀬離宮があったと思われる区域です
実紫のびて表札飾りをり  靖子

実は「水路がもれている」と聞き及び、過日
改修の必要があるかと過日現場を確認しました

担当課長に電話でヒアリングすると、即日、これから調査しますと述べました
わかったことは「公図から、もれている」という要望だったということ
思い違いにビックリ・・・日々、いろいろなことが、次々に起こります


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