とだ*やすこの「いまここ@島本」

暮らしの豊かさ最優先!
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大阪府島本町議会議員
とだ*やすこの活動報告

凡庸さの脅威について

2014年01月31日 | 日本国憲法と立憲民主主義
2014年・平成26年、最初の議会報告、とだ*やすこのいまここ✽島本14号の印刷があがってきました。たくさんの方に協力していただき、全戸配布をめざしています。2月中には、島本町(約12700世帯)のみなさんにお届けできる予定です。

紙面にも書きましたが、「リアルな現実と夢をみよう」それが今年の議員活動のキーワードです。これは関西学院大学・松藤保孝先生の最終講演のタイトルからいただきました。さまざまな活動を通じて、住民がみずから幸福力を高める地域力の再生をめざしたいと思います。

先週末、わたしは映画「ハンナ・アーレント」を観ました。ハンナ・アーレントは、第2次世界大戦中にナチスの強制収容所から脱出し、アメリカへ亡命したドイツ系ユダヤ人です。アメリカ合衆国で、主に政治哲学、政治思想の分野で活躍した女性。映画を通じてはじめて知りました。

世間から激しい非難を浴びながら、何百万ものユダヤ人を収容所へ移送したナチス戦犯アドルフ・アイヒマンの「悪の凡庸さ」を主張し続けました。1960年代、わたしが生まれた頃のことです。戦争やファシズムは、平凡で善良な市民を凶悪に変える力があることを、この映画は伝えています。会場は男女を問わず多くの若者でいっぱい、密かな話題作でした。

日本版NSC(国家安全保障会議)、特定秘密保護法などは、憲法を変えずに戦争ができる環境を整えるものといわれています。アメリカと足並みを揃え、民族、宗教が複雑に絡まり合った戦争において日本と日本人がまさかの当事者になることが「日本をとり戻す」ことなのか、政治家の存在の軽さが危ぶまれます。

平和憲法のもと、戦後約70年戦争で人を殺めていないという事実。これによって日本人が国際的に、とりわけアジア諸国においてどれほどに信頼を得ているか、わたしたち日本人はなかなか気づくことができません。

かつてわたしはアジア最後の植民地といわれた国際都市香港で、さまざまなアジアの人々と日々暮らしました。1997年7月1日、英国植民地から中華人民共和国香港特別行政区となる歴史的瞬間、この日突然に歴史が動いたわけではありません。歴史はゆっくりと、着実に動いています。あっ、戦争もきっとこういうふうに起こる、そう思いました。

1945年8月の終戦時までの3年8か月間、日本が香港を統治し、香港軍政庁をザ・ペニンシュラ香港に設置していたことを多くの日本人は知りません。知らないまま、ロビーでアフターヌーンティとコンサート、そして買い物を楽しんでいます。

すっかり日本人の人気観光地となっていた香港。けれども、暮らしていた1992年から1999年の間にも、日本の敗戦によって価値を失ってしまった日本軍政府発行の軍票をめぐって経済的補償を要求する運動は続いていました。わたしには忘れられない個人的な経験があります。

住みはじめて間もない頃、日本語を学ぶ友人に招かれた席で刺すように厳しい視線を浴びました。友人の親族が当時わたしが住んでいた集合住宅のフラットを購入され、そのオープンハウスと後の宴席に招かれて香港人の素顔に触れた日でした。居合わせた人びとの冷たい対応。なにより彼女の祖母の瞳の奥にある悲しみと憎しみの深さは底がないように思え、今なお忘れることができません。

まったく英語を話せないご両親が凍りつく場の雰囲気からわたしをなんとかして救おうと、慈しみのある笑顔で接してくださり、そのご好意に甘え平常心を保ちました。後日、友人の祖母が日本軍による拷問の席に居合わせた女性だったということを知りました。妊娠しておられたため、ある軍人がそっと彼女を逃がしてくれたというのです。なおかつ、その日は香港人にとって日本との屈辱的な関係を思い起こす特別な記念日だったらしく「なぜこの日、この席に日本人がいるのだ」と従兄弟に叱られたそうです。その従兄弟は学校の先生でした。

友人は日本企業で現地スタッフとして働いている20代の女性。ご両親はあなたの就職に反対しなかったのか、と問うと「かつて両親は日本で働いていました。日本人は本当はとても優しいと知っています。だから反対はしなかった。ただ母は、もしも軍票が補償されたら悔しくてたまらないと言っています。だって、泣きながら全部火にくべてご飯を炊いちゃったからね」と笑いました。淡々と朗らかに。

「多くのアジアの人びとが忘れてはいない」「許してもらっている」ということを知っておく必要があると、わたしは思うようになりました。日本人観光客が増えたことによる「お金の力」もあったでしょう。しかし、ひとたび紛争や戦争が起これば、民と民とのつながり、絶え間ない努力でようやく手にできた信頼は引き裂かれ、お金でつながっていた「信頼のようなもの」は一瞬で壊れます。

アジア諸国に住んでいる日本人に外出を控えるよう通告が出され(実際、わたしは経験している)、日本人学校の校門前に旭日旗が描かれて生徒はこれを踏まないと帰宅できないというようなこと(そういう出来事が駐在中にありました)が起こります。平成のファシズムの足音を感じる、と鳥越俊太郎さんの発言が新聞に掲載されていましたが、大げさな表現ではないと、わたしは思います。


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学習会のお知らせ

一から学ぶ「集団的自衛権」
2月2日(日)14:00~16:00
高槻市立総合市民交流センター5階・視聴覚室

JR高槻駅南すぐ
資料代500円
講師:武村二三夫さん(弁護士)
主催:変えたらあかん!平和憲法in高槻・島本

ご参加をお待ちしています

4月から組織機構が変わります

2014年01月11日 | とだ*やすこの町政報告
お陰さまで今年も精力的に活動をはじめています。一昨日、関西学院大学に行き、議員研修でお世話になった松藤保孝先生の最終講義を拝聴しました。「自分にしかできないことが絶対にみつかる」「あなたの能力を待っている人が必ずいる」「ライバル、仲間、お客様は世界の70億人」。

学生にもわたしにも一人の有権者同志として対等に向きあってくださいます。また、お会いしたいと思っていたら、それは叶うもので、ともに創造する仲間として交流を深めて行けることを願っています。

さて、1月7日に本会議で、役場の組織機構の改革が議決されました。議案として示された案には、総務・危機管理室、都市創造部・にぎわい創造課などの設置など、歓迎すべきもの、評価できる機構改革が多々ありました。

都市創造部・にぎわい創造課は、人と人、町と町、文化と産業をつなげる力になるとおおいに期待します。将棋の水無瀬駒やジャパニーズウイスキーのふるさととしての魅力を観光事業や地域振興につなげ、育てていくにも有効と考えます。

一方、「人権推進課」を廃止し、「人権文化センター」にその機能を集約することは遺憾に思います。「子ども」「女性」の人権を軸にした総合的な共生社会への道は遠く、「多文化、多国籍、多民族」への理解も十分ではありません。

たとえば国際社会で活躍するにも、目の前の女性をひとりの人間として尊重すること、異文化を理解し違いを認めることは言語以前、言語以上に重要です。男女共同参画、ひとりひとりの子どもの権利と尊厳を守るため、するべきこと、できることは多く、広い視野で自発的に学び、この問題に取り組める人材の起用を求めました。

さて、保育をはじめとする「子育て支援課」の事務事業を「教育子ども部」と名称を改める教育委員会に移すことには、多くの議員が疑問を投げかけました。福祉と密接に係っている未就学児の保育を「教育」を軸にして一本化することにより、保育と福祉を分断しかねないという懸念があるからです。

心身ともに母子の健康を見守り、プロの目で見抜かないと見過ごしてしまいがちな子どもの発達の様子、家庭の経済状況や養育環境、虐待の早期発見などは福祉事業を通じて機能している、また関係者の不断の努力によって培われてきた島本町の歴史であると、保育の現場におられる方から切実なお声をいただきました。

しかしながら、保育と福祉が切り離せないように、教育と福祉も切り離すことができません。今回の組織機構の見直しは、子ども・子育て支援を「教育」という軸で連携するのか、「福祉」を軸にして連携するのかの選択であってはいけないとわたしは考えました。

むしろ今、必要とされているのは、教育の分野に福祉の視点が活かされることです。幼保小中学校の連携を密にして、教育現場に福祉の視点をいれていくことが重要であり、それこそが教育委員会における課題と考えました。子どもに寄り添う姿勢を求めたい。

保育所の過密状態、施設の老朽化、これらは問題を先送りにしてきた町執行部に責任があります。もちろん議会にも責任がある。保育所の民営化や幼保一元化に固執し、若年層が抱えている課題、保育ニーズの高まりに対応できなかった。そういう状況で教育委員会に委任し、権限ならびに責任までも移すことを忘れてはいけません。

「島本町子ども子育て会議」の位置づけについて、町長ならびに教育委員会双方に関連する事務事業について精査、権限と責任の所在を明確にされることを求めて、戸田は今回の組織機構改革に賛成しました。

同じ会派の平野議員は反対でしたが、反対の理由として指摘された内容はみなどれも重要で、賛成した戸田も見解は概ね同じです。組織機構の見直しによって福祉と保育が分断されることがないよう、ともに見守りたいと思います。