■2020.04.04.16 初めての高砂山公園へ。
ここは大谷三等三角点のある場所です。でも標高は86.95m。
県内の一等三角点は10ヶ所、二等は88ヶ所、三等は448ヶ所、四等は1,083。
ちなみに富士山頂の三角点は二等三角点です。
この公園、東屋と展望台があり伊勢湾と三河湾が望める。
そして御嶽神社がありますが御嶽講やお稲荷さん、地蔵さんなど神仏習合の状態です。
東屋の軒に「雨乞いの面」と言う昔話を書いた額がありました。
「むかし日照りが続くとお百姓さんたちは、この高砂山山頂で雨乞いの儀式を行いました。その儀式に使用されたのが「雨乞いの面」です。
その雨乞いのの面にまつわる言い伝えといいますのは、むかし春のうららかなある日、伊勢の海の龍神様がこの山に遊びに来て、松の枝にかけておいた翁の面のことをすっかり忘れて、うとうとと寝入ってしまいました。そこへ通りかかった村人がその面を持ち去ってしまったから大変。龍神様は気を落として海に戻っていきました。この面を持ち去った村人たちは、日照りが続いて困ったときに、この高砂山の山頂で、火をたき、太鼓をたたきながらお面をかむって踊りを踊りました。すると、伊勢の海の龍神様が、そのお面を取り戻そうと、雲を呼び嵐を巻き起こして大雨を降らせたそうです。
現在、雨乞いの面は常滑市熊野町の熊野神社の神殿の奥に安置されています。
熊野神社の歴史は非常に古く、奈良時代後期宝亀2年(西暦771年)からつづく神社です。」
元は熊野神社だった様です。
※麓の熊野神社由緒には
御祭神:伊弉册尊、速玉之男神、事解之男神、素盞嗚尊
社伝によるば、宝亀2年(771)紀州熊野より大谷村東高坂山に勧請し、高三御社と称え奉り
枳豆志庄(きずししょう:現在の武豊町一帯)十六村の 総社であったといわれている。
もと高坂山に鎮座していたが宝徳元年(1449)西枳豆志庄の中央にあたる現在地に鎮座され、西枳豆志九ヶ村の総社となった。
この枳豆志庄を調べて見ると面白い昔話が見つかりました。
麓に遷座した理由かもしれません。
色々武豊町の昔話を読むと
伊勢神宮の贄代郷になった土地は、①静岡県浜名湖の北岸、②三重県多度山のふもとと、③この知多郡の三か所だったことが倭名鈔に書かれているみたいですね。
花も少し楽しめます。
東屋で軽くお茶をして短い遊歩道を歩きます。(周回で10分)
公園の一角には「アートの森」として木に彫り物。
家からここまで走ってくるのは流石に大変なので車で来て、ウォーキングと体操で体を動かしました。
公園にはツツジやサツキの木が多く、これからも楽しみですね。