5月末、亡くなった弟の満中陰の法要の日付が決まったと連絡があった。7月13日の土曜日である。実際には49日は7月15日(月)なるが、子、孫が勤め人であったり生徒であったりしたので2日早めたようである。
そこで前に予告したように、仏式の弔いについて書いてみよう。実家が浄土宗だったので弟も浄土宗式で行われた。
まず、仏式の弔いは、輪廻思想、つまり、生まれ変わり思想に基づいて行われる。
1.最も、シンプルなのは東南アジアの上座部仏教(テーラワーダ)です。亡くなってすぐ五道(地獄、餓鬼、畜生、人間、天上)に生まれ変わるというので、通夜、葬式をして火葬して散骨してお終い。中陰とか回忌とかはない。どこかに生まれ変わってしまっているのだから、拝んでみてもしようがないということである。
生まれ変わり先は六道ではなく、五道。後に五道に阿修羅が追加されて六道になったものである。
(動画:タイの葬式)
https://www.youtube.com/watch?v=GcMSiDfI238
2.中陰(中有)という考えは、釈尊の死後、100年~数百年の部派仏教の一派に考えられ広まったものである。中陰(中有)は死後次の生を受けるまでの期間をいい、一般には49日、期間中に審判があり閻魔大王によって生前の罪が裁かれる。
この期間中、遺族等による追善供養が行われる。その功徳の一部を亡者に回向することで亡者が善行ポイントがアップして少しでも良いところへ逝けると言うわけである。
3.その後、仏教がシナ大陸に伝わると、土着の儒教・道教等と習合して、十王経というお経が作られた。冥土の王10名、仏教の仏・菩薩が10名、ペアになって10回の審判を行うというのである。例えば、五七日は閻魔大王と地蔵菩薩がペアになっている。7日毎の追善法要の後の最後の審判で生まれ変わることになる。
そうすると、3ペアの審判が残ることになる。それが100か日、1周忌、3回忌に行われることになる。生まれ変わってからの再審である。十王経ではここで生まれ変わりは終了。
この十王経は日本に平安時代末期に導入されて、以降徐々に行われるようになっていく。
4.室町時代になると、なんと三王、三仏が追加されるのである。忌日は7回忌、13回忌、33回忌。これを十三仏信仰という。13回忌と33回忌の間が20年も空くのである。ケリがつくまで引っ張れるだけ引っ張ろうという坊さんの浅知恵としか考えられない。その間に17回忌とかの回忌を挟んでお布施稼ぎとしか思えない。
それで33回忌に弔い上げとなる。亡者はどこへ行き着いたことだろうか。
それが近頃では弔い上げを50回忌にまで引っ張ろうというのである。
5.そもそも、シナ産のお経は偽経というのである。もうじきお盆だが盂蘭盆経もまた偽経だという説がある。
(下表はウィキペディアからの転写である)
6.浄土宗、浄土真宗には、即得往生という考えがある。浄土宗では五重相伝という修行を受けた者は満中陰に極楽往生できる。浄土真宗は臨終即往生、亡くなると同時に極楽往生できるというのである。
結論、結局坊さんのお布施稼ぎの舞台というしかありませんね。