梅雨になると蝸牛の句を思い出す。
「行き先に わが家ありけり 蝸牛」(山岡鉄舟?)
「かたつむり どこで死んでも わが家かな」(小林一茶)
自分がいて自分を中心にして自分の周りに自分の世界が展開していること。
どこへ行っても自分の影のように世界が付いて来るのだが、それを自覚している人は案外少ないのではないのではないかと思う。
皆、元々出来上がった世界があってその中に生れその中で生きて死ぬと考えている考えていて自分の世界だと思っていない。
「行き先に わが家ありけり 蝸牛」は山岡鉄舟の作としているが、どこかで見かけた気がしていてそう思っているだけである。
山岡は禅をやっていた人らしいのでいかにもと思うが、残念ながら確信があるわけではない。ご存じの方がおられたらお教え願いたい。