例年のごとく、原爆ドームの前で原爆忌が営まれている。
亡くなった人を悼む、それはそれでいいのだろうが、原爆許すまじとか、核廃絶とか、そんな唱えごとを80年近くやって来ている。
それで何かなったのか?
こういうことを考えてみたことはないのだろうか。
戦後生まれた人は、原爆の影響によって生まれてきて、原爆によって戦後の日本が生成された。
原爆はけしからんと叫んでいる人、原爆のお陰で生まれてきているんだ。
そしたら、原爆はありがたいのかというと、そうとは言えない。
悪いことは原爆のせい、善いことは原爆のお陰、よくよく考えてみる時に至っていると思う。