私は美しい花を愛でるのは大好きだが、中でも桜に特別郷愁を覚える。縁を感じるところを書き出してみる。
1 我が家の家紋が桜であること。
2 実家の庭に桜の木が植わっていたこと。
3 私の結婚式が4月8日花祭りの日。
4 父親の葬式が4月6日、菩提寺で執り行ったが桜が満開、後からどなたからも「桜が満開で最高のお葬式でした」と言われたこと。
西行法師の「願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃」の歌を思い出し、親父はいい時に死んだなと思ったものだった。
4 この度、与謝蕪村の句碑から歌碑を連想することになった。
まずは筆頭に挙げなければならないのは、吉野山の勝手神社にある折口信夫の歌碑である。
「吉野山 さくらさく日に もうで来てかなしむ心 人しらめやも」
折口信夫は父方の祖父と従弟、私とは6親等、法律上の親戚に引っかかってる。吉野の桜は見たかったが出不精で混雑嫌いだから見に行けてない。
https://ameblo.jp/yoshimizushrine/entry-12493853516.html
5 桜を詠んだ和歌と言えば本居宣長のこの歌が一番と心得る。この歌を見聞きすると「ああ、俺は日本人だな~。日本に生まれてよかった」とつくづく思うのである。
「敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」
https://www.kankomie.or.jp/report/1686
6 死期の近づきつつある私にとって西行のこの歌に心惹かれる。
「願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃」
如月の 望月とは2月15日、つまり、釈尊の亡くなった日、入涅槃の日である。今の2月15日には寒中真っ盛り、桜花を望むべくもないが旧暦に当てはめると年によって日が変わるが今年は3月24日となる。
https://iesiat.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-8011.html
注:写真はURLの記事から引用させていただいて表示した。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます