下の文章は仏教学者 佐々木閑氏が著書「真理の探究」という本に書かれたものですが、私と考え方が逆なので長くなるが引用させてもらった。まず、それを読んでもらいたい。なるほど、大概の人は納得できる文章である。
さて、天動説と地動説については、地動説が正しいというものではないと前に書いた。
仏教は自己が根本。宇宙があってもそれを認識する自己の存在がなければそんな宇宙は意味がない。自己が生まれて宇宙の意味のあるものになる。
もっと、端的に言えば私が生まれて宇宙も存在するのである。私の誕生以前の宇宙は過去であり既になくなってしまっている。私が生まれることによってそこから宇宙も新しく存在することになるのである。私あっての宇宙なのである。
私は宇宙の中にあってはその中の一かけら、しかし、その一かけらがないと宇宙は崩壊、存在しえないのである。部分と全体、どちらも欠くことはできないのである。
さて、そんな宇宙はどうなのか。私の周りに展開しているというほかはない。宇宙の外に視点を持っていくことはできない。それは頭の中で考えた宇宙でしかない。
私の周りに宇宙が展開して以上私がその中心にいるのが理の当然である。
仏教世界は自己を中心とする世界である。六根があって六境があって六識がある、つまり、十八界が仏教世界である。禅仏教はそれを尽十方界真実人体とかいう。
内山興正老師の図を参考に見てもらうと理解し易いと思う。
ーーー(引用文)ーーー
「宇宙の真ん中に自分がいる」という思い込み
それでは、人間には生まれつきどんな偏見や先入観が刷り込まれているのか。
いちばん根っこの部分にあるのは、「宇宙の真ん中に自分がいる」という思い込みです。自分が宇宙の中心にいて、そのまわりに世界が同心円状に広がっている。目に見えるのはそういう風景ですから、この発想はごく自然なものでしょう。そのため私たちは、自分のいる中心部分がいちばん濃密な世界で、遠くへ離れるほどそれが薄まっていくようなイメージを抱きがちです。「世界は自分を中心に動いている」という世界観です。
しかし、この世界をよく見れば、そんなイメージは錯覚にすぎないことが分かります。自分が中心に存在する宇宙などありえないのに、どういうわけか私たちは勝手に自分が真ん中にいるように思ってしまう。そして、そういう偏見に基づく形で自分の世界観を構築し、そこから苦しみを生み出しているのです。
そんな刷り込みを自力で外すためのトレーニング方法を説いてくれるのが、仏教にほかなりません。そこに、科学との接点があります。
自分を宇宙の中心に置く世界観と言えば、誰でもすぐに天動説を思い出すでしょう。夜空を見上げれば、無数の天体が回転しているように見えるのですから、天動説はごく自然なものの見方でした。現代人だって、何の知識もなしに夜空を見れば、私たちの住む地球が宇宙の中心にあると思うでしょう。
しかし、科学はそういう思い込みを引きはがして、地動説に到達しました。もちろん地動説にも、当初は、惑星の軌道を「完全なる円である」と見なすような思い込みがありましたが、それものちの研究によってあらためられています。
そうやって、科学は私たち人間が当たり前のものとして信じ込んできた世界観を次々と書き換えてきました。とりわけアイザック・ニュートン以降の近代科学は、人間が錯覚や思い込みを一枚ずつ引きはがし、想像もつかなかったこの世の真の姿を明らかにしてくれています。
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