なぜ最近になって、また急に妻のことを想い出すようになったのだろう。
確かに納骨後、毎週(といっても2度)お墓に通い、妻に語りかけたりしていることもあるだろう。
それと、最近仕事で全国の契約者の書類に目を通し、その中に札幌赴任時代の懐かしい地名や銀行の支店名を目にすることが多くあるため、当時のことをいろいろ想い出してしまうことも影響しているのかもしれない。
「あぁ~、懐かしい地名だな」「これウチで使っていた銀行の支店じゃない!」
札幌では、妻は全く知らない土地で子供を入学させ、幼稚園に通わせ、随分大変だったろうと思う。
休みのたびにいろいろなところに出掛け、それなりに家族孝行はしたつもりだ。
スキーにも、キャンプにも、温泉にもよく行った。
でも、果たして妻や子供は本当に心から楽しんだのだろうか。
日帰り温泉にあまりにしょっちゅう行くものだから、息子たちは最後の方は嫌がった。
キャンプだって、結局僕が自分の満足のためにやったのではないか。
子供は別としても、妻が楽しんだかどうかはよく分からない。
札幌では、僕は散々呑み歩いた。
最初の職場は、社宅のマンションから歩いて5~6分のところだった。
でもまっすぐ家に帰れず、わざわざ繁華街に出て行ったり、家の目の前で呑んだりなんて日常茶飯事。
そして会社の同僚とのマージャン。
僕は「ヘタの横好き」で、結構負けていた。
そんなことだから、妻に十分な給料も渡さず、「呑む・打つ」に随分金を遣ったものだ。
今時信じられないような有様だ。
だから妻には随分苦労を掛けたと思う。
オヤジが呑んだくれている間に、大雪の中子供の手を引いて1円でも安いスーパー目指してトボトボ歩く妻の姿が目に浮かぶようだ。
妻がこんなことになったから、想像逞しく思い浮かべるのかもしれないが、多分そんなことも間違いなくあったと思う。
札幌の懐かしい住所や地名を見ていると、そんなことを思わず考えてしまい、仕事の手が止まってしまうことがある。
これって、やっぱり軽い鬱状態だろうか。
まあ、これ以上悶々と悩み、落ち込むこともないとは思うが、僕の後悔の日々はまだまだ続きそうだ。
よく夫婦のどちらかが亡くなった時、妻が残った場合と夫が残った場合で、どちらが落ち込むか、立ち直りが早いか、と言う話がある。
一般的には、間違いなく例外なく(?)、妻が残った方が立ち直りが早く元気に過ごすと言われる。
前はなぜだろうと思ったが、今回自分がその立場になってよく分かった。
夫に先立たれた場合、妻は勿論嘆き悲しむのだが、基本的に毎日の暮らしはそう変わらない。
夫がいなくても、今まで通り炊事洗濯を行い、ショッピングや趣味の集まりに出かけ、仲間とお喋りをする。
却って夫が居ない分、いろいろ手間が省けて楽になるのだろう。
場合によっては、厄介ごとがなくなって清々する奥さんも多いかもしれない。
しかしこれが妻に先立たれた夫の場合は、生活が一変する。
妻がいた時は、炊事洗濯はおろか子供の教育まで妻任せだったのに、急に全てをやらなくてはならなくなる。
想像しただけでもうんざりするだろうが、それが現実になったとき、目の前は真っ暗になる。
ただでさえ妻が亡くなって落ち込んでいるのに、家事は否が応でも迫ってくる。
年齢によっては子供の世話もある。
特に一定の年齢になってから妻を亡くした人は、何十年と何もやってこなかったので、途方に暮れてしまうだろう。
そして妻の偉大さを身に染みて理解し、今まで妻に何もしてこなかった自分を責め、落ち込んでしまう。
自分で家事が出来ない人ほど、後悔と落ち込みが激しいのではないだろうか。
僕はそれ程落ち込んではいないが、それでも後悔ばかりしている。
後悔というものは、人間の活力を削いでしまう。
後悔していると元気が出ない。
だからしょぼくれてしまうんだろう。
何とかこれ以上しょぼくれずに、これからの人生を歩んで行きたいものだ。
僕の場合、「妻にああすればよかった、こうすればよかった」の後悔が大きく、それがしょぼくれの原因になっているが、果たして亡くなったのが逆に僕だったらどうなっていただろうと考えることがある。
妻は、僕が50歳で死んでしまったら、いろいろ後悔しただろうか。
20年以上連れ添った伴侶を亡くした悲しみと、子供たちに父親がいなくなった不憫さに涙するかもしれないが、「後悔」はないと思う。
勿論妻がどう思っていたか、今となっては確認する術もないが、少なくても相当家族に尽くしてきたと思っているに違いない。
僕も、妻には本当に世話になったと感謝している。
だからこそ、僕の悔恨の念は尽きないのだが、世の中の大半の夫婦関係も大なり小なり似たようなものではないか。
世の夫たちは、家の外であまり好き勝手な振る舞いを行わず、妻や子供にもっと尽くすべき、と声を大にして言いたい。
まあ今更言っても、僕の後悔が消え去る訳ではないのだけれど、そうとでも考えなければ、やっていられない。
妻には、僕がこんなに後悔していることが少しでも伝わるだろうか。
せめて毎日仏壇の遺影に向かって語りかけてあげたいと考える、今日のこの頃だ。
確かに納骨後、毎週(といっても2度)お墓に通い、妻に語りかけたりしていることもあるだろう。
それと、最近仕事で全国の契約者の書類に目を通し、その中に札幌赴任時代の懐かしい地名や銀行の支店名を目にすることが多くあるため、当時のことをいろいろ想い出してしまうことも影響しているのかもしれない。
「あぁ~、懐かしい地名だな」「これウチで使っていた銀行の支店じゃない!」
札幌では、妻は全く知らない土地で子供を入学させ、幼稚園に通わせ、随分大変だったろうと思う。
休みのたびにいろいろなところに出掛け、それなりに家族孝行はしたつもりだ。
スキーにも、キャンプにも、温泉にもよく行った。
でも、果たして妻や子供は本当に心から楽しんだのだろうか。
日帰り温泉にあまりにしょっちゅう行くものだから、息子たちは最後の方は嫌がった。
キャンプだって、結局僕が自分の満足のためにやったのではないか。
子供は別としても、妻が楽しんだかどうかはよく分からない。
札幌では、僕は散々呑み歩いた。
最初の職場は、社宅のマンションから歩いて5~6分のところだった。
でもまっすぐ家に帰れず、わざわざ繁華街に出て行ったり、家の目の前で呑んだりなんて日常茶飯事。
そして会社の同僚とのマージャン。
僕は「ヘタの横好き」で、結構負けていた。
そんなことだから、妻に十分な給料も渡さず、「呑む・打つ」に随分金を遣ったものだ。
今時信じられないような有様だ。
だから妻には随分苦労を掛けたと思う。
オヤジが呑んだくれている間に、大雪の中子供の手を引いて1円でも安いスーパー目指してトボトボ歩く妻の姿が目に浮かぶようだ。
妻がこんなことになったから、想像逞しく思い浮かべるのかもしれないが、多分そんなことも間違いなくあったと思う。
札幌の懐かしい住所や地名を見ていると、そんなことを思わず考えてしまい、仕事の手が止まってしまうことがある。
これって、やっぱり軽い鬱状態だろうか。
まあ、これ以上悶々と悩み、落ち込むこともないとは思うが、僕の後悔の日々はまだまだ続きそうだ。
よく夫婦のどちらかが亡くなった時、妻が残った場合と夫が残った場合で、どちらが落ち込むか、立ち直りが早いか、と言う話がある。
一般的には、間違いなく例外なく(?)、妻が残った方が立ち直りが早く元気に過ごすと言われる。
前はなぜだろうと思ったが、今回自分がその立場になってよく分かった。
夫に先立たれた場合、妻は勿論嘆き悲しむのだが、基本的に毎日の暮らしはそう変わらない。
夫がいなくても、今まで通り炊事洗濯を行い、ショッピングや趣味の集まりに出かけ、仲間とお喋りをする。
却って夫が居ない分、いろいろ手間が省けて楽になるのだろう。
場合によっては、厄介ごとがなくなって清々する奥さんも多いかもしれない。
しかしこれが妻に先立たれた夫の場合は、生活が一変する。
妻がいた時は、炊事洗濯はおろか子供の教育まで妻任せだったのに、急に全てをやらなくてはならなくなる。
想像しただけでもうんざりするだろうが、それが現実になったとき、目の前は真っ暗になる。
ただでさえ妻が亡くなって落ち込んでいるのに、家事は否が応でも迫ってくる。
年齢によっては子供の世話もある。
特に一定の年齢になってから妻を亡くした人は、何十年と何もやってこなかったので、途方に暮れてしまうだろう。
そして妻の偉大さを身に染みて理解し、今まで妻に何もしてこなかった自分を責め、落ち込んでしまう。
自分で家事が出来ない人ほど、後悔と落ち込みが激しいのではないだろうか。
僕はそれ程落ち込んではいないが、それでも後悔ばかりしている。
後悔というものは、人間の活力を削いでしまう。
後悔していると元気が出ない。
だからしょぼくれてしまうんだろう。
何とかこれ以上しょぼくれずに、これからの人生を歩んで行きたいものだ。
僕の場合、「妻にああすればよかった、こうすればよかった」の後悔が大きく、それがしょぼくれの原因になっているが、果たして亡くなったのが逆に僕だったらどうなっていただろうと考えることがある。
妻は、僕が50歳で死んでしまったら、いろいろ後悔しただろうか。
20年以上連れ添った伴侶を亡くした悲しみと、子供たちに父親がいなくなった不憫さに涙するかもしれないが、「後悔」はないと思う。
勿論妻がどう思っていたか、今となっては確認する術もないが、少なくても相当家族に尽くしてきたと思っているに違いない。
僕も、妻には本当に世話になったと感謝している。
だからこそ、僕の悔恨の念は尽きないのだが、世の中の大半の夫婦関係も大なり小なり似たようなものではないか。
世の夫たちは、家の外であまり好き勝手な振る舞いを行わず、妻や子供にもっと尽くすべき、と声を大にして言いたい。
まあ今更言っても、僕の後悔が消え去る訳ではないのだけれど、そうとでも考えなければ、やっていられない。
妻には、僕がこんなに後悔していることが少しでも伝わるだろうか。
せめて毎日仏壇の遺影に向かって語りかけてあげたいと考える、今日のこの頃だ。