きょう、自宅で撮影がありました。
ふろしき関係で。
部屋も風呂敷のように、
寝る、食べる、縫う、描く、撮る
と一つを様々に使い回している。
それでも、もちょいと広い家だと
嬉しいな~という氣持ちがあるので、
やはりそのうち引っ越すかもしれない。
今年のキャベツはレタスのように
軽くて水ぽいのが多い。
すると、自分で作りたくなるから
そういうことができる所がよい。
こんど奥多摩にも行ってみよう。
せっかく生き物たちが来てくれる
庭になっても、一時の借り家だから
タナ子が変われば庭も変わって
生き物は去るかもしれない。
それでも、生き物たちは
過去の後悔も未来の不安もなく
今いる環境で精一杯燃える。
鶏に食われる直前も
ミミズは元氣にくねり、
片脚のハトも悩むことなく
ぴょんぴょんと我が道を行く。
虫や鳥、魚たちは、
いつ死んでも、死ぬときまでは
明るく命を燃やしつづける太陽の子。
与えられた環境を受け入れ、
しがみつくわけでもなく、
風に水に乗っていく。
いのちも風呂敷と同じく
使い捨てではなく使い回し。
体は朽ちても新たな宇宙のしずくにふくらみ、
心は人から人へ、言葉や形、無意識でつながっている。
いつもどこまでも、品よくありたい。
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