ふろしき王子のブログ◎
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・タマゴが好きだ。
 が、好き過ぎて買いたいタマゴが無い。
 2ヶ月に1度くらい、手が伸びる卵に出逢える。
 庭付きの家を建てたら、名古屋コーチンを買いたい。
 床下のアオダイショウ、きっと共存してくれるさ。
 ヘビの通れない金網の小屋があればよいが、
 放し飼いしたいので、多少のおすそわけは止むを得ない。
 庭の樹の枝に立派なオンドリが止まっているのを仰ぎ見るのが理想。

・雄の老鶏は、10代の女性がお客に来たときにシチューになってもらう。
 毎日一緒に暮らしている鶏の命をもらうのは時の止まる出来事だが、
 数日前から向き合って、声なき会話を続ける。
 すると客の訪れる前夜の夢におんどりが現れる。
 「今日までありがとう。明日、歓んで人の一部となり、
  これからも共に歩んでいきます。」
 恐怖の殺生ではなく、互いの理解の上でのフュージョン。
 生きていく為に動物の命を頂戴する上では、
 たとえ自己満足の思い込みであったにせよ、謙虚を貫きたい。

・植物も動物も微生物も、同じ食物連鎖を循環する命を抱いている。
 野菜も動物(鳥のフンや虫の死骸が分解したもの)を食べて生きている。
 地球の生態系のはじまりのはじまりは、北極の氷の下、
 通過したお陽さまのひかる海中で発生する植物プランクトンと、
 海底から沸き上がるマグマ周りのお湯に発生する動物プランクトン。
 後者が前者を捕食し(結ばれ)て、その栄養エネルギー環境に
 新たしき生命出現。
 そんな組み合わせが、進化論的に新しい種を生むのではなく、
 栄養摂取も含めたある環境が整ったとき、そこにフィットする者が
 姿を現す。もともと様々な生命情報は存在していて、あとは
 ラジオの周波数が合ったときのように、場所、器の準備ができると
 突然変異の形で降臨する。

・タマゴの殻がいぱーい貯まったら、粉状にして漆喰材料に使ってみたい。

・ジュウシマツの巣材に使うシュロ(ヤシみたいな風情の樹)の幹の毛と、
 放射状の葉っぱを組み合わせた、面白いカゴを編んでみたい。

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ザクロに行ったときの写真。

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小学生のとき、家の前でたき火をした。
実家は合羽橋の菓子道具屋なので、
銅製のさわり鍋(ボール型)の古いのに
木片を入れて焼いた。

かなり大ぶりで、周りは黒くすすけている。
菓子屋がアンコなどを煮るものだが、
買い換時に古いのを引き取ったのだろう。

たき火といえば焼き芋で、さつま芋を焼くことにした。
本当は、濡れ新聞紙とホイルでくるんで焼くと
焦げにくくて成功しやすいが、
当時は知らずに漫画みたいにそのまま焼いた。

ほっこらするまでに時間がかかるし
周りは焦げていく。
たぶんまだ塾にも行っていない頃で、
暗くなる直前の4時台をたたずんでいた。
母も一緒に。

母は北区の田端出身。
たき火が最も似合う町の一つと思う。
駅南口から台地になっていて、坂道と樹木が多く
落ち葉がたっぷりと舞い込むのだ。

母は昭和29年生まれで僕と25才しか変わらないが、
子どもの頃は庭に座ってナタで薪割りしたという。
今と違って、オレンジ色の炎を見つめる機会が多かったのは
うらやましくもある。

一方こちらは、上野の山を降りた下町浅草のみち。
銅のさわりで木を燃やし、お芋を置いて
2人で暖をとっていると、そのうち
リヤカーとたくさんのダンボールを引いた
おじさんがやって来た。

すれ違うころ、たき火を向いて
彼は小氣味よく叫んだ。
「ヤキイモだっ!」

おイモは真っ黒なのに、
よく分かったなあと思った。
大きい荷を引いて過ぎ去る姿、
とっても焼き芋をおすそわけしたかったが、
こんなに焦げてて、そしてあまり美味しくなかったら
申し訳ないと思って渡せなかった。

その後、火も縮みいよいよ芋を取り出す。
炭化した周囲をはがすと、中は熱くきいろかった。
夕飯前だけど、出来たてを美味しく食べて、
家に入って牛乳でも飲んだと思う。

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