ふろしき王子のブログ◎
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無事に墨田区の講座を終えました。
2時間あり、色んな結びやお話をすることができました。

お昼は結果的に、通りがかったインドカレー屋に入りました。
ネパールのルンビニ出身の方が親戚と共に運営しており、
親戚を意味する「アーファンタ」が屋号。

色色お話ししていたら、デザート(ルンビニの郷土菓子で、
コーン粉を蒸したセモリナケーキという)をサービスしてくださった。
それで、帰り際に新品の手作り小風呂敷を「奥さんにどうぞ」と
プレゼントし、結び方をいくつかお見せした。

しかしまあ、浅草はスカイツリーからの勢いか、外国人バブルで
平日を問わず熱烈に混んでいる。

自撮り棒を持ちながら歩く人をよく見受ける。たいてい海外の方だろう。
批判ではないが、日本人は周りの障りとならない距離感を
無意識にも重んずるから、混み合う道で長い棒を前方にかざすことは
躊躇するであろう。

浅草は、通り毎といえる程にゆるキャラが増えていた。
確かにゆるかったが、もはやゆるいだけでは魅力と映らない状況だろうから、
手を抜いたり詰めの甘いのを、ままよと進行させて、
在庫を生んだり、付き合いで買ってもらったり、予算を当てるのは
なんだかなあとも思うが、そんなのも既に一般論であろう。

100年の使用に耐え得るキャラへと、もっと産みを苦しんで
いただきたいもの。
道程が各々ことなるのは承知だが、余りに安直さが目立つと、
食べたものをほとんど消化せずに出してしまったようなものだ。

よく吸収して、それでも残った養分が便となり、さらにその堆肥から
生じた芽が樹となって、ようやく実った果実を、町の象徴としていただきたい。
元来、真面目に作り込んだはずが報われず
アサッテの印象を成しているのがゆるキャラの魅力だったはず。
現在は「ゆるい」という一義の物差しに2,3の情報を当てたキャラばかりで、浅くなって当然。

しかし、こういうのはゆるキャラに限ったことではない。
コンセプトやテーマや情報ありきで、言葉先導で
当てはめた成果物は、意味は分かるけど魅力はう~ん、となりやすい。

たとえば浅草のキャラを作ろうとして、浅草といえば
浅草寺、雷門、神輿、ハッピだからと
雷門のちょうちんがハッピを着て、手足付けて
つぶらな瞳を入れたからと言って、その切り貼りだけで
ステキとは限らず、
そこから、目くるめく配置やサイズや色のバランスをとって
いくデザイナーの集中力こそが、まずは初めの命を吹き込む。
そしてそれに共鳴した、偽りなき素の応援の集合が
キャラの皮膚からしみ渡っていくことで、ナマモノ化してひとり歩き
して行けるのではないか。

ただ個人的に偶像崇拝という記号化は佳しとしないので、
街のキャラを作る必要はなく、実地に魅力ある人、
物、店、道、環境を発掘して、ただそのままを指し示して
紹介するだけでよいのではとも考える。

世の中の、会議や打ち合わせの介在するほとんどの物事が、
コンセプトや理屈ありきになっている。
何も決めずに創造したものは無意味と言はむばかりに。

誰かが好き勝手に蒐集したものであれ、しぜん、否応なく
その人の世界そのものを現してしまうものだ。

アタシは可愛いのが好きだから、かあい~漫画だけを揃えよう、
と漫画を買っている方はいない。しかしその本棚を見れば、
紛れもない世界観が醸し出されてくるはず。

もっと身体の細胞の反射を信じ、アタマで枠を設営しない
物創りがのぞましい。

スポンサーに対する言語的な説明は、後づけサクサク、
物は言い様でどうとでもなるから。
そして結果や反響がよければ、スポンサーにも利となる。

同じ美女の写真であれ、コピーひとつで
クッキーのチラシにも「例:私の特効薬、○○クッキー」
戦闘機のポスターに「例:私の守護神、△×式戦闘機」も使えるのだから。
あえて美味しそうなクッキーや壮麗な戦闘機の写真を使わずとも。

僕の12年前の卒業制作は、そんな思いを作品化したものでした。

(長文失礼しました)

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今日は昼過ぎより、浅草のすぐ真向かいの墨田区役所で
エコライフ講座という風呂敷実習があるので向かっています。

息子を幼稚園へ送った足なので、少し早く着きますから、
浅草のどこかでお昼するかもしれません。

候補は
・ざるラーメン「与ろゐ屋」
・たぬき通り、カレー「コルマ」
・かっぱ橋道具街に近いカレーと生パスタ「きままなキッチン」
・浅草中央通り「餃子の王さま」
・田原町駅近く「つけ麺大王」
・すしや横町のインドカレー屋

まあ、足に任せよう。暖かいし、あっさりがよい。
来集軒のラーメンもよいが、並ぶならやめる。
結局、浅草では絶対ここ!というお店を知らないようだ。

逆に、吾妻橋を渡り、川向こうを歩きながら探すのもあり。
たくさん歩くほどに、しあわせの感受性は増すと感じている。
そして疲れてお腹がすくから、もっと美味しくなる。
余裕持って考えられる状況では、何を食べても平均値だろう。

今この日記を書いている、PHSのガラケイのバッテリーが減っているため、
知り合いの店に行って充電も頼んでみる道もある。

三ノ輪にもっと近ければ、ぷらっと「オオムラ」で
コロッケパンとサンドイッチを迷わないけれど。

話題を変えて、昨日は妻が出かけた為下の子たちと留守番し、
久しぶりに庭いじりができた。うさぎの糞で育っている
かぶと虫の幼虫に水分を補充したり、枯れ尾花(ススキ)を折り採って
手は傷だらけ、メダカとヌマエビの池にあふれた藻を間引いた。
ヤゴも結構いた。
夜は髪をセルフカット。

そんなさっぱりした髪で、風呂敷講座に臨む。
今日は着物ではなくハッピを羽織る。

去年もお呼びいただきましたが、新たしく発掘した
便利な結び方もお伝えしよう。

あれこれ書いてるうちに、もう四ツ谷。江戸である。
昔はもっとしっとり潤っていた江戸の街。

雨のしみる舗装にして、その分水はけを高めるために
江戸城外堀を再生する。
そして、夜の潮風も復活させたいが、汐留の高層ビル群を
撤去するわけにも行かないので、そこは未来の計画。

ヨシ、今日は環境の話もしてほしいとの事だから、
墨田区に水路をふやしたいと言うかな。

日々ちいさくも水の流れを見、そこに至る生活排水を省みる。
水路には豊かな生態系ができるよう、掘って
粘土で固めただけにして、葭やガマやまこもが生え、
エビや小魚や貝が暮らせるように。
ここからの意識変化が、東京湾の浄化にもきっとつながる。

ともあれ、そこに潤いのある暮らしと、
乾きやすい風呂敷は相性よいことでしょう。

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