漢字の音符

漢字の字形には発音を表す部分が含まれています。それが漢字音符です。漢字音符および漢字に関する本を取り上げます。

落合淳思著『漢字の構造 古代中国の社会と文化』

2020年08月12日 | 書評
 私は最近、漢字の音符を調べる時に、まず落合淳思氏の『甲骨文字辞典』(朋友書店・2016年)を引いてみる。ここに載っている文字なら、その文字の成り立ち、当時の意味から始まり、その後の変遷をへて現在の字にいたるまで簡潔な説明があるからである。
 この辞典が出るまえは同氏の『甲骨文字小字典』(筑摩書房・2011年)を使っていた。この字典の解説は懇切丁寧で、しかも白川静・藤堂明保・加藤常賢各氏の説を比較してどの説がすぐれているかまで書いているので大変面白かった。しかし、この字典は350字しか掲載していないのが不満で、早くもっと大きな甲骨文字辞典が出ないかなあ、と心待ちにしていたものである。それが遂に2016年、親文字数1777字という600ぺージの字典が刊行された。落合氏は甲骨文字を出発点にして文字の変遷をたどる力量には定評がある。

 その落合淳思氏が昨年(2019年3月)同時に2冊の本を刊行した。一冊は『漢字の字形』(中公新書・113字収録)、もう一冊は『漢字字形史小字典』(東方書店・433字収録)である。いずれも『甲骨文字小字典』で文章で用いた文字の変遷をたどる方法をさらに進化させ、個々の字形の変遷を甲骨文字から始まり、金文・篆文・隷書・楷書まで図表でたどる方式にしている。一目見て大変分かりやすい。しかも『漢字字形史小字典』のほうは小学校3年までの漢字すべてについて解説しているから、甲骨文字以後に発生した文字についてもその変遷をたどることができる。甲骨文字の落合氏がもともと甲骨文字にない文字についても解説してくれるのである。

 以後の私は、音符を調べるとき『甲骨文字辞典』の次に『漢字字形史小字典』を調べるようになっている。しかし、この小字典は小学校3年までの漢字だから全体で433字しかない。従って見つからない漢字も多い。『甲骨文字小字典』と同じような不満が募っている。高学年からは形声文字が多くなるので全部の字形史を明らかにする必要はないが、小学校4~6年で各50字、中学1~3年で各50字、それに新常用漢字で50字、合計約350字を収録した続編を出版してほしいものである。

 さて、こんななか今年(2020年)7月、『漢字の構造 古代中国の社会と文化』(中央公論新社)が刊行された。書名だけでは内容がわからないので取り寄せて確認したところ、『漢字の字形』の系譜につながる漢字字形史の本であることが分った。内容は古代中国社会を反映する文字をテーマ別にその字形史をまとめている。大きな区分と中に含まれる字は以下のとおり。
(1) 原始社会の生活 利と年、農と協、牧と半、春と秋など。
(2) 古代王朝の文明 倉と庫、建と庭、夫と妻、徳と義など。
(3) 信仰と祭祀儀礼 祖と宗、聖と禁、告と若、区と器など。
(4) 古代の制度や戦争 学と教、令と使、正と成、国と図など。
(5) 複雑な変化をした文字 葉と円、終と芸、熊と夢、無と翌など。
p95「好」の字形変遷図
 収録字数は171字である。個々の解説は字形史だけでなく、字形に含まれる当時の社会についてまで言及していることが特徴である。なお、字形の解説に入るまでに、「古代中国と漢字の歴史」「漢字の成り立ちと字源研究」の章があり、漢字に対する予備知識を得られるようになっている。
 個人的には(2)「廷と庭」の字形変遷が参考になった。また、庭は建物に囲まれる中庭が本来の形であるとし、建築の復元図もつけて説明しているのが参考になった。また、(5)の熊の成り立ちについても納得することができた。これらはいずれも金文以降の変化である。甲骨文字の専門家から、さらに字形史へと大きく範囲を広げる落合氏に今後とも期待したい。当面、『漢字字形史小字典』を調べて無い字形は、『漢字の構造』の索引を調べて対応したいと考えている。(本来は落合先生とすべきですが、敢えて落合氏と書かせていただきました。)
(『漢字の構造 古代中国の社会と文化』中央公論新社 2020年7月発行 325P 1800円+税)

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