(毎日新聞 2009年11月18日 東京朝刊)
◇SOH KURAMOTO
<ニッポン放送を経て63年に独立。東京での仕事は順調だったが、74年、NHKの大河ドラマ「勝海舟」の脚本を途中降板する>
テレビや映画のシナリオと、舞台をしている時とを比べると、数段に舞台の方が楽しい。テレビや映画は脚本を渡したら、現場への口出しは基本的にできませんから。それをしようとしたのでNHKとトラブったんです。
<勝海舟が放送中の74年6月、週刊誌「ヤングレディ」の新聞広告に「倉本聰氏、『勝海舟』を内部から爆弾発言」の見出しが躍る>
NHKは当時、組合が強かった。脚本を勝手に直したりするディレクターともめていた。上の連中は僕を支持してくれましたが、すると管理職が外部の人間の肩を持った、となる。その前に主演の渡哲也さんが病気で降板し、松方弘樹さんへの交代劇もありました。
ヤングレディの記事はNHKが宣伝のために持ってきた話で、記事は3回くらいチェックしました。自分で未明に車を運転し、最後の校正刷りも見に行きました。NHKを攻撃する文章に変わっていたので、赤線を入れて直させたが、広告の見出しまでは気がつかなかった。僕はNHKに行き、川口幹夫制作局長(後のNHK会長)に軽率をわびました。川口さんは分かってくれたが、みんなにもあいさつを、ということになった。そしたら20~30人いて、“つるし上げ”が始まりました。
僕をかばったのは2人だけ。NHKの西口を出てから記憶がなく、気がついたら千歳空港(北海道千歳市)にいた。頭の中が怒りで真っ白になっていました。
<札幌に3年間住んだ>
本当によく飲み、どんどん知り合いができた。やくざ、風俗の社長、銀行の支店長、利害関係がない人と付き合って、いろいろ吸収できた。ある時、ススキノの女は大みそかから正月の三が日に自殺者がすごく多いと言われて「へー」と思った。ススキノは単身赴任者「サッチョン族」のまち。そこで愛人関係ができるが、正月は家に戻るので、ホステスは孤独になる。それで自殺者が多い。この話は「駅」という映画に出しました。板前さんとも深く付き合い、テレビドラマの「前略おふくろ様」が書けた。東京で付き合ってたのは利害関係がある業界人ばかり。よくものが書けたものです。
<そのまま北海道に定住すると決めた>
場所には条件がありました。四季が激しいところ、それから自然林があり、沢があるところ。1年半ぐらい道内を歩き回りました。札幌の居酒屋で話してたら、隣にいた人が、富良野っていう土地があると言う。翌朝、今僕が住んでいる森を案内してもらい、いっぺんで気に入った。77年夏から生活を始めました。妻(女優の平木久子さん)も抵抗なくついてきた。トイレがあふれかけ、僕だけ野糞(のぐそ)しましたが、マイナス30度だとそれが瞬間冷凍し、シューッと粉を吹く。それを放るとキツネが持って行く。感動的でした。
<富良野での暮らしは32年になる>
「当たり前の暮らしとは何か」をずっと考えてました。英語ならナチュラル、自然の掟(おきて)に従うことと思い至った。アイヌの萱野茂先生(元参院議員、二風谷(にぶたに)アイヌ資料館創設者、06年死去)は「アイヌはその年の自然の“利子”の一部で、食うことも住むことも、着ることも全部やってきた。今の人間は自然という“元本”に手をつけている。“元本”に手をつけたら“利子”がどんどん減ることを、これだけ経済観念が発達した日本人がなぜ分からないのか」と言っています。そうしたことが皮膚感覚として分かり、発信できるようになった。北海道に来なかったらと思うとぞっとしますよ。だからNHKには今、本当に感謝しています。
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聞き手・鴨志田公男/「時代を駆ける」次回は23日掲載です。
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■人物略歴
◇くらもと・そう
本名・山谷馨。脚本家・演出家。東京都出身。東大文学部美学科卒。「北の国から」などテレビドラマを世に送り出す傍ら俳優・脚本家を養成する富良野塾と環境教育などの富良野自然塾を主宰。74歳。
http://mainichi.jp/select/opinion/kakeru/news/20091118ddm004070152000c.html
◇SOH KURAMOTO
<ニッポン放送を経て63年に独立。東京での仕事は順調だったが、74年、NHKの大河ドラマ「勝海舟」の脚本を途中降板する>
テレビや映画のシナリオと、舞台をしている時とを比べると、数段に舞台の方が楽しい。テレビや映画は脚本を渡したら、現場への口出しは基本的にできませんから。それをしようとしたのでNHKとトラブったんです。
<勝海舟が放送中の74年6月、週刊誌「ヤングレディ」の新聞広告に「倉本聰氏、『勝海舟』を内部から爆弾発言」の見出しが躍る>
NHKは当時、組合が強かった。脚本を勝手に直したりするディレクターともめていた。上の連中は僕を支持してくれましたが、すると管理職が外部の人間の肩を持った、となる。その前に主演の渡哲也さんが病気で降板し、松方弘樹さんへの交代劇もありました。
ヤングレディの記事はNHKが宣伝のために持ってきた話で、記事は3回くらいチェックしました。自分で未明に車を運転し、最後の校正刷りも見に行きました。NHKを攻撃する文章に変わっていたので、赤線を入れて直させたが、広告の見出しまでは気がつかなかった。僕はNHKに行き、川口幹夫制作局長(後のNHK会長)に軽率をわびました。川口さんは分かってくれたが、みんなにもあいさつを、ということになった。そしたら20~30人いて、“つるし上げ”が始まりました。
僕をかばったのは2人だけ。NHKの西口を出てから記憶がなく、気がついたら千歳空港(北海道千歳市)にいた。頭の中が怒りで真っ白になっていました。
<札幌に3年間住んだ>
本当によく飲み、どんどん知り合いができた。やくざ、風俗の社長、銀行の支店長、利害関係がない人と付き合って、いろいろ吸収できた。ある時、ススキノの女は大みそかから正月の三が日に自殺者がすごく多いと言われて「へー」と思った。ススキノは単身赴任者「サッチョン族」のまち。そこで愛人関係ができるが、正月は家に戻るので、ホステスは孤独になる。それで自殺者が多い。この話は「駅」という映画に出しました。板前さんとも深く付き合い、テレビドラマの「前略おふくろ様」が書けた。東京で付き合ってたのは利害関係がある業界人ばかり。よくものが書けたものです。
<そのまま北海道に定住すると決めた>
場所には条件がありました。四季が激しいところ、それから自然林があり、沢があるところ。1年半ぐらい道内を歩き回りました。札幌の居酒屋で話してたら、隣にいた人が、富良野っていう土地があると言う。翌朝、今僕が住んでいる森を案内してもらい、いっぺんで気に入った。77年夏から生活を始めました。妻(女優の平木久子さん)も抵抗なくついてきた。トイレがあふれかけ、僕だけ野糞(のぐそ)しましたが、マイナス30度だとそれが瞬間冷凍し、シューッと粉を吹く。それを放るとキツネが持って行く。感動的でした。
<富良野での暮らしは32年になる>
「当たり前の暮らしとは何か」をずっと考えてました。英語ならナチュラル、自然の掟(おきて)に従うことと思い至った。アイヌの萱野茂先生(元参院議員、二風谷(にぶたに)アイヌ資料館創設者、06年死去)は「アイヌはその年の自然の“利子”の一部で、食うことも住むことも、着ることも全部やってきた。今の人間は自然という“元本”に手をつけている。“元本”に手をつけたら“利子”がどんどん減ることを、これだけ経済観念が発達した日本人がなぜ分からないのか」と言っています。そうしたことが皮膚感覚として分かり、発信できるようになった。北海道に来なかったらと思うとぞっとしますよ。だからNHKには今、本当に感謝しています。
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聞き手・鴨志田公男/「時代を駆ける」次回は23日掲載です。
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■人物略歴
◇くらもと・そう
本名・山谷馨。脚本家・演出家。東京都出身。東大文学部美学科卒。「北の国から」などテレビドラマを世に送り出す傍ら俳優・脚本家を養成する富良野塾と環境教育などの富良野自然塾を主宰。74歳。
http://mainichi.jp/select/opinion/kakeru/news/20091118ddm004070152000c.html