先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

【白老】ポロト湖畔にイオル2棟目のチセ建設へ

2009-11-25 | 日記
(苫小牧民報 2009年 11/25)
 白老町のポロト湖畔に、新しい伝統家屋「チセ」が建設されることになった。国が進めるイオル(アイヌ民族の伝統的生活空間)再生事業の2棟目。アイヌ文化の体験学習の場として活用する計画という。24日に地鎮祭に当たるカムイノミを行い、アイヌの神々にチセ建設を報告した。
 イオル事業の土地利用計画は、ポロト湖南岸をアイヌ民族博物館、体験学習、イオル自然体感の3エリアを整備し、チセが建設される体験学習エリアには3月に1棟目が完成している。教員のアイヌ文化研修に利用されている。
 建設は、アイヌ文化振興・研究推進機構(札幌市)と白老町のアイヌ民族博物館が事業主体になる。木造平屋建て約50平方メートル。外壁をかやぶきで覆い、屋根は、けたやはりの上で木を三脚に組む「ケトゥンニ」というアイヌ独特の工法を用いる。設計、施工は町内で30年以上にわたりチセの建設に携わる長屋明さん(60)が担当する。長屋さんは「チセの構造は現代建築にも通用するほど頑丈で精巧。多くの方々に満足してもらえるものを造りたい」と話している。
 カムイノミに、長屋さんも含め約30人が参加し、アイヌの伝統儀礼にならって自然の神々へ祈りをささげた。アイヌ民族の風習では、儀式の参加者が当日の夜に悪い夢を見たり、祭壇の木幣(イナウ)が翌日に不吉な倒れ方をしていた場合、その場所での建設は適さないと判断することもあるという。
 新しいチセは2010年3月完成予定。
http://www.tomamin.co.jp/2009s/s09112501.html

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【白老】シッタプ使ってアハ収獲 アイヌの暮らし体験

2009-11-25 | 日記
(苫小牧民報 2009年 11/24)
 アイヌ民族の有用植物「アハ」を採集する体験行事が23日、白老町内の山林で行われた。北海道アイヌ協会白老支部会員やアイヌ文化に関心を持つ若者など約20人が参加し、先人の食文化に触れた。
 アハは和名で「ヤブマメ」と呼ばれるマメ科の1年草。晩秋に地中の枝で結実し、直径1センチほどの小さな豆ができる。アイヌ民族が厳しい冬を乗り切る貴重な食料として、米や粟などと炊き込んで食べていた。成分はビタミンが多く含まれ、栗のような甘い味わい、という。
 採集体験は、アイヌ民族の暮らしを再現するイオル再生事業の一環。しらおいイオル事務所チキサニが企画した。
 町内飛生とポロト地区でアハ掘りをした。シカの角でできた「シッタプ」という道具やスコップを使い、茎の周囲の土を払うように数センチほど掘り起こした。小石と間違えないよう慎重に掘っていく。豆が見つかると、歓声が上がった。
 札幌市内から参加した岡田未奈子さん(30)は「アハを見つけるのは難しかったけれど、アイヌの生活に触れられるのは貴重な経験」と笑顔を見せていた。
http://www.tomamin.co.jp/2009s/s09112403.html

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家族で紡ぐアイヌ文化 浦河の遠山さんら13人「3世代展」 札幌できょうから

2009-11-25 | 日記
(北海道新聞 11/24 13:56)
 アイヌ文化の伝承に家族ぐるみで取り組んできた日高管内浦河町の遠山サキさん(81)が、息子、娘や孫と共に自作の着物などを出展する「親子孫3世代展」を24日から札幌市中央区の趣味の郷ギャラリー(南3西2、KT三条ビル)で開く。23日に展示作業を行った遠山さんは「励まして、励まされてここまでやって来れた」と感慨を込めた。
 3世代展は2003年に名古屋市で、05年に新潟県佐渡島で開き、道内では初めて。アイヌ語で「一つの懐」の意味を込めて「シネウプソロ展」と名付けた。
 農業と子供6人の子育てに追われてきた遠山さんが刺しゅうや織物などに本格的に取り組み始めたのは40歳ごろから。1998年には次女の床みどりさん(58)=釧路市阿寒町=、三女の堀悦子さん(56)=浦河町=と共にオーストリアの世界口琴(こうきん)大会で伝統楽器ムックリを演奏するなど、家族一緒の活動も大事にしてきた。
 3世代展には、遠山さんがサケの皮で作った陣羽織やアツシ織りの着物を出すほか、道内外に暮らす子供と孫12人が衣類や木彫り、敷物など約200点を出展する。三女の悦子さんは「母の懐の中からこれだけたくさんの作品が生まれたのを見て知ってほしい」。孫の堀一行(いっこお)さん(29)=札幌市=は「こんなイベントを実現してしまうおばあちゃんや母たちの世代のエネルギーを感じる」と話す。入場無料。29日まで。(小坂洋右)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sapporo/201754.html

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アイヌの生活用具・工芸品227点

2009-11-25 | 日記
(朝日新聞 2009年11月23日)
■きょうから文化博物館
 アイヌ民族の古式舞踊が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産の代表リストへの登録が決まったことを記念し、アイヌ資料を紹介する「アイヌの美 カムイと創造する世界」が23日、京都文化博物館(中京区三条高倉)で始まる。ロシアの博物館にある227点を通じ、アイヌ文化と芸術を紹介する。
 ロシアを中心に欧米の博物館には、19~20世紀初頭に収集されたアイヌ資料が残る。今回はロシア民族学博物館の資料約2600点の中から、アイヌ民族の生活用具や工芸品を紹介する。1912年から2年間に北海道平取やサハリンで収集された貴重な資料で、国内には残っていない病気平癒を祈った帽子や帯なども展示される。
 ロシアのオムスク造形美術館で新たに発見されたアイヌ絵師・平沢屏山(びょうざん)(1822~76)の12枚の絵画も展示される。ロシア人の土産として制作されたとみられ、狩猟する姿などが描かれている。
 来年1月11日まで。月曜、年末年始(12月28日~1月4日)は休館。一般1千円、高校・大学生700円、小中学生400円。問い合わせは、同博物館(075・222・0888)へ。
http://mytown.asahi.com/kyoto/news.php?k_id=27000000911240007

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千客万来:日高・胆振 ぬくもり手みやげ 貴泉堂 /北海道

2009-11-25 | 日記
(毎日新聞 2009年11月24日 地方版)
 ◇女性客に人気、鬼グッズ
 「貴泉堂」は、登別温泉の観光土産物店や食事処(どころ)など約50店舗が軒を連ねるメーンストリート「極楽通り」のほぼ中間にある、大正5(1916)年創業の老舗で、北欧風を思わせる建物外観にアイヌ文様を施し、北海道という地域性の特徴を表現している。
 約148平方メートルの店内に3000種類の土産物品が並ぶ。その中に、数々の鬼に関するキャラクター商品。鬼人形の土鈴や貯金箱、金棒の形をした栓抜き・キーホルダー・ライター。Tシャツやクッキーなどの包装紙にも鬼がデザインされている。経営者の吉田光雄さん(70)は「鬼は可愛らしいほど、女性客に喜ばれる」。
 登別温泉は、吉田さんが店を引き継ぐ64~65(昭和39~40)年以前、まだ自前の土産物品が少なかった。その後に人気を集める北海道観光の定番土産・木彫りのクマなど木工芸品の売れ行きに陰りが見え始めると、吉田さんら同業5人は登別らしいオリジナル商品の開発に乗り出す。24年前のことだ。
 鬼は毎年8月、エンマ大王に引き連れられて名所地獄谷から温泉街に現れるとする「地獄まつり」の主役。吉田さんらは、この温泉地を代表するキャラクターに目を留めた。今では他にも鬼グッズを製造する所があり、ホテルや旅館、各種施設で扱われ、「ブランド品になった」。
 「鉄輪(かんなわ)地獄めぐり」で知られる別府温泉(大分県)とは昨年から商品交換を始めた。「鬼づきあい」と吉田さん。地場産品を扱う観光施設が増える中、「登別温泉ももっと商品開発をしないと魅力を失う。企業努力を怠らないこと」と話す。【新庄順一】
==============
★登別市登別温泉町46 ★電話0143・84・2460 ★午前8時半~午後10時半、無休
http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20091124ddlk01070154000c.html

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平和・人権つづり25年

2009-11-25 | 日記
(朝日新聞 2009年11月24日)
~憤り伝え200号で終刊~ 倉吉の池原さん(64)
 平和や人権をテーマに池原正雄さん(64)=倉吉市湊町=が25年にわたって発行したミニコミ誌「てぃんさぐ通信」が、200号を一区切りに終刊を迎えた。友人に近況を伝える傍ら、被爆地の広島や長崎で感じた思い、差別されてきたハンセン病の元患者の姿などをつづった。「すべて大切な友人の問題だったからこそ真剣になり、続けて来られた」と振り返る。(佐藤建仁)
◆ミニコミ誌「てぃんさぐ通信」
 85年に創刊した。当時自宅の一角で家庭文庫を開いていて、そこでの出来事を友人に報告する目的だった。沖縄が好きで関連する蔵書も多く、文庫に沖縄で耳にしたわらべ歌「てぃんさぐの花」の名を付けていた。通信も愛着がある同じ名前にした。
 創刊当初は近況報告が中心だったが、号を重ねるにしたがって平和や人権に関する文章が増えていった。
 原体験がある。大学生の時、仲の良い友人が突然、長崎の原爆で母が被爆し、自身も胎内被爆者だと告げた。生まれが数日しか違わない友が結婚や就職の差別を恐れる現実に、「同じ時代を生きながら全く違う体験を強いられている」と衝撃を受けた。
 勤めていた県庁を90年に退職すると、広島の被爆者やハンセン病療養所の元患者らを訪ねて歩いた。いわれのない差別に苦しむ姿、社会の理解が進まない現状をつづった。編集方針は「常識を疑う視点」とした。
 99~01年には沖縄で暮らし、沖縄国際大学と沖縄大学に聴講生として通った。現地に残る戦争のつめ跡や基地問題を目の当たりにし、肌で感じたままを発信した。郷土芸能や祭りの体験も新鮮な感動とともに伝えた。
 04年8月、沖縄国際大の校舎脇に、訓練飛行中の米海兵隊の大型輸送ヘリコプターが墜落した。当時、アテネ五輪などに衆目が集まり、事故の報道が思いの外、小さかった。世話になった教職員らの顔を思い浮かべ、「沖縄に起こったことは現代の戦争体験だ。もし東京大学で起こっていたら、このような扱いだったのだろうか」と通信に憤りをぶつけ、「これこそ沖縄問題の本質」と批判した。
 通信を通して、アイヌの人たちや在日韓国人ら「マイノリティー(少数派)」との親交も深めた。「出会った人々の苦悩を受け止め、抱えている思いを大事にしようと心がけてきた」と話す。
 最近は約20ページの通信を年10回ほどのペースで128人の知人に発行した。「手紙を出すようなつもりで楽しんでいた」と池原さん。「切りがいい」と200号でいったんペンを置くが、今後も年1回程度は友人に近況報告を出し、来年3月にはこれまでの文章をまとめた本も出版する。
 「自ら終刊を決めたのに、何も書かないでいることがこんなにも苦痛だとは思わなかった。これからも社会への疑問や思いを、自分なりに書きとどめていきたい」
http://mytown.asahi.com/tottori/news.php?k_id=32000000911240002

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