先住民族関連ニュース

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【政権交代@北海道】 鳩山内閣 2カ月 

2009-11-17 | 日記
(朝日新聞 2009年11月17日)
■民主何目指す
■自民再建策は
 鳩山政権が発足してから、ちょうど2カ月たった。念願の政権交代を果たした民主党が目指すものは何か。有権者から下野を迫られた自民党の再建策は――。いずれも8月の総選挙後に道連のトップとなった民主・三井辨雄氏と自民・伊東良孝氏に話を聞いた。
(天野みすず、平間真太郎)
   ◇
■三井辨雄・民主党北海道代表
 みつい・わきお 医療法人理事長を経て、00年の衆院選で初当選。民主党の国会対策副委員長などを歴任した。現在4期目(道2区)で、党国対委員長代理も務める。
■参院選は独自に2人擁立
 ――来年の参院選道選挙区では、現在3期目の峰崎直樹氏(65)を公認するのでしょうか。
 「参院選の候補者については、まだ協議していない。民主党北海道(道連)と連合北海道、北海道農民政治力会議の3者で決めることになるだろう」
 ――新党大地との協力は。
 「鈴木宗男代表からは、大地は選挙区では候補者を出さず、民主党を支援すると聞いている。党として2人擁立するが、具体的には決まっていない。大地とはしっかり相談して選挙協力する」
 ――北海道戦略会議の準備会が発足しましたが、何をやるのでしょうか。
 「道や地方自治体、各種団体の陳情をまず戦略会議で受けることと、北海道の将来像をまとめるという機能がある。戦略会議は47都道府県でつくり、陳情や請願を党幹事長室に伝える」
 ――自民党の支持団体とも10月に懇談会を開きました。意義や成果はありましたか。
 「政策が一致する団体とはしっかり組んでいく。個人的には初めて会った団体がほとんど。これまで接触がなかった分、勉強になったし、抱える問題が多いとも感じた」
 ――道議会では野党ですが、道政運営への対応は。
 「再来年は統一地方選、知事選がある。知事選では独自候補を立てる。中央では政権与党になった。道議会でも第一党にならないといけない」
 ――自公両党が推薦する高橋はるみ知事との関係は。
 「知事から申し出があり、9月末に会った。新幹線延伸、道路、丘珠空港、北方領土、アイヌの問題をぜひ陳情したいということだった。いずれの政策も我々の考えとはそんなに違いがないが、知事には『知事選とは別の話だ』とはっきり伝えた」
   ◇
■伊東良孝・自民党道連会長
 いとう・よしたか 釧路市議や道議を経て、02年から08年まで同市長。今年8月、衆院選の道7区で初当選した。道内12選挙区のうち、自民党では唯一の議席となった。
■政治主導の大きさ気づく
 ――来年の参院選では現在2期目の現職・中川義雄氏(71)の去就を含め、どう対応しますか。
 「現職だからということではなく、党員や地域の声を幅広く聴いて年内には候補者を決めたい。今までのような密室型の選考ではなく、みんなが関与し、一緒になって戦う体制を築きたい」
 ――新鮮な候補者を望む意見も多いようですが。
 「これまでの実績や経験を重視する声もある。ただ、これまでと違って、野党として戦わねばならない。候補者には、地域で後援会を組織したり支持団体を固めたりするなど、資金や組織を構築する力がないといけない。政治活動の経験や、一定の知名度も必要だ」
 ――中川氏の意向はどうなんでしょうか。
 「意欲は持っているだろう。しかし、別の候補者が選ばれれば、その人とけんかしてでも出るということは難しいのではないか」
 ――公明党との関係はどう考えていますか。
 「関係が壊れたわけではない。これまでのいい関係を維持し、頼りにするところはしていきたい」
 ――衆院選惨敗の痛手から、党をどう立て直しますか。
 「国民目線を忘れていた部分や、長年の惰性、硬直化したものがあったと受け止めている。民主党政権の誕生で、これだけ政治が本気を出せば変えられるという政治主導の大きさに自民党も気づいた。ただ、鳩山政権の政策については、将来的な危うさがある」
 ――次の衆院選への対応は。
 「参院選が終わってからだが、候補者を決められる地域では早めに決めたい」
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000760911170001

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【あの日あの時−十勝ひと物語−】 郷土史研究家 井上壽さん(5)

2009-11-17 | 日記
(十勝毎日新聞 2009年11月16日 15時18分)
地方史の研究スタート
正確な歴史へ「挑戦」
 1983年(昭和58年)に58歳で道立農業試験場を退職してから3年間、非常勤の嘱託職員として試験場の古い公文書や古書籍の整理を任されました。その傍ら、待ってましたとばかりに本格的に郷土史研究に取り組み始めました。帯広農業専門学校(現帯広畜産大学)の学生時代に、いずれ郷土史をやろうと計画してから35年。この時までに集めた文献を並べると、厚さ90〜100メートルくらいに達したので、自宅に「十勝地方史研究所」の看板を掲げて文献の公開を始めました。
 最初に取り組んだテーマは依田勉三について。家のすぐ近くに建つ「帯広発祥之地」の碑を毎日のように見ていたので、この先覚者について調べたいと思ったのです。調べてみると、どうも依田勉三に対する評価に疑問を持ちました。それまでは精神面の開拓者魂が強調され、実際の農業面での実績について正しい評価がなされていないのではないかと。
 依田勉三は農業の面では失敗の連続で、失敗の検証が何もなされていなかったのです。依田は入植者を1人として地主にできませんでした。それに対し、二宮尊親は連れてきた農民すべてを自作農にしました。研究の成果は85年(昭和60年)、月刊誌「北方農業」で「栄光と悲劇の開拓者 依田勉三」と題して16回にわたって連載。続けて同誌に「報徳仕法の実践者 二宮尊親」と題して12回連載し、依田と二宮の大きな違いを浮き彫りにすることができました。
 84年(昭和59年)からは帯広市教委の依頼で「吉田巌日記」の編集に10年間携わりました。同時に、学生時代から計画していた「コタン昆虫記」を5冊自費出版しました。このころは各町村から毎月のように郷土史に関する講演依頼があり、陸別町史の編さんも引き受けました。ほかにも町内会史編さんの手伝いなどもあり、多忙を極めた時期です。
 当時はまだ昆虫にも興味があり、文献も買い集めていたのですが、経済的に郷土史研究と両立できなくなりました。そこで96年に昆虫の研究はあきらめ、昆虫に関する書籍40メートルをひがし大雪博物館(上士幌町)に、昆虫標本8万点を帯広畜産大に寄贈しました。75歳を過ぎると、今まで通り研究を続けるには体力面での不安が高まってきました。そこで2003年、町史の編さんを依頼されていた足寄町に郷土史関連の資料180メートル分を寄付しました。
 これまでに寄贈した書籍を合わせると245メートルほどに上るでしょうか。現在も約80メートルの文献を所蔵しているので、合わせると優に300メートルを超えます。「本は300メートル持っていないと持っているうちに入らない」と言われるので、それなりの研究はできたかと思っています。
 郷土史研究の醍醐味(だいごみ)は「定説への挑戦」です。膨大な資料の中から事実を探し出し、正確な歴史に書き換えていく。その事実を見つけた時の喜びは何ものにも代え難いものです。考えてみると、文献を読み込んで新たな事実を発見するというのは、農業試験場での研究態度にも通じるものがありますね。
 06年に釧路アイヌ文化懇話会から「アイヌと虫の生活誌」を出版してもらい、大きな研究には一区切り付けました。現在は毎月7〜8冊の古書目録を通じ、年間約25万冊の書籍に目を通し、その中から気に入った本を買って読んでいます。まだまだ十勝管内の歴史にも事実と異なる定説がたくさんありますよ−。
(聞き手・丹羽恭太)
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 −二宮尊親−
 豊頃町開拓の祖。1855年現在の栃木県今市市に生まれる。本名は「たかちか」だが、尊敬と親しみの念を込め一般に「そんしん」と呼ばれている。祖父は二宮尊徳。96年興復社再建のため渡道し、同町二宮地区に入植。尊徳の思想「報徳精神」に基づき、小作制ではなく移住者に農地を譲渡。1903年までに160戸の移住を導き、574町歩を開墾した。22年死去。
http://www.tokachi.co.jp/feature/200911/20091116-0003342.php

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