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アイヌ地位向上の好機 ウルリッヒ・デリウス ドイツの人権擁護団体「脅かされた人々のための協会」アジア担当

2016-10-16 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年10月16日 東京朝刊
 ドイツで日本の先住民族アイヌの遺骨が収蔵されていることは、人間の尊厳という点で大きな問題だ。遺骨は速やかに返還されるべきだ。一方で、遺骨問題の解決で、アイヌに関する全問題が解消するわけではない。返還問題で高まる国際的な関心を、日本で暮らすアイヌの人たちの生活改善や、社会での機会均等の進展につなげるべきだ。
 私はドイツの人権擁護団体で長年、先住民の遺骨返還問題にも関わってきた。我々は「同意なく持ち去られた遺骨を返してほしい」という先住民の意向が優先されるべきだと考える。だが、収蔵する博物館や研究機関は遺骨の所有が合法であるかを重視し、返還したがらないのが普通だ。
 収蔵機関を返還に向け動かすためには、世論の後押しが重要だ。12年前、私がドイツの旧植民地ナミビアから持ち出された先住民の遺骨を調べた際、独研究機関の反応は鈍かった。だがその後、ナミビアが返還を要請し世論の関心を集めたことで動きが加速し、返還が実現した。アイヌの場合も日本政府が動き、今も返還を求めるアイヌの子孫がいることが伝われば、返還は加速するはずだ。
 日本では今、東京五輪が開かれる2020年までに北海道内に慰霊施設を整備し、身元不明のアイヌの遺骨を集約する計画が進む。五輪という国際的なイベントは、世界が日本の先住民族に注目する好機になるはずだ。私が注目しているのは、遺骨返還はもちろん、今を生きるアイヌの人たちの生活だ。
 アイヌを巡っては、1997年にアイヌ文化振興法が施行され、08年には衆参両院がアイヌを先住民とする決議を行った。だが、独自の文化への理解の浸透や差別の撤廃がどのように実現されたのか、国民的議論が重要だ。こうした議論を進める上で、ドイツからの遺骨返還実現は非常に大きな後押しになる。【聞き手・中西啓介】
 ■ことば
ドイツにあるアイヌの遺骨問題
 19世紀後半のドイツでは、人種の特徴を調べる人類学研究のため、世界各地から人骨が集められた。研究拠点だったベルリンには現在も1万体以上の人骨があり、少なくとも17体のアイヌ民族の遺骨が含まれている。一部はドイツ人が北海道内で盗掘したことが、当時の文献から明らかになっている。北海道アイヌ協会は遺骨の早期返還を要求し、日本政府は返還要請に向け、情報収集を進めている。
http://mainichi.jp/articles/20161016/ddm/007/070/137000c


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アイヌ頭骨 露の大学博物館に8個 館長、返還否定的

2016-10-16 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年10月15日
 【モスクワ杉尾直哉】帝政ロシア時代の1888年に極東のサハリン(樺太)からモスクワに持ち込まれた「アイヌ民族」とされる8人の頭骨を含む遺骨がモスクワ大学の「人類学博物館」に保管されていることが分かった。博物館側が毎日新聞に明らかにした。サハリンにいたロシア人医師2人がモスクワ大の研究者に寄贈し、博物館の保管庫で保存されているという。
 博物館に残る記録によると、頭骨8個と細かい遺骨は「アイヌ」と記述され、うち頭骨6個をロジェストベンスキー医師、残る頭骨2個とほかの遺骨をトローピン医師がサハリン島で入手した。トローピンは遺骨をサハリン南部コルサコフ(日本名・大泊)付近のサビナパジ(現在のネチャエフカ)で入手したとされる。
 トローピンは1887年から1895年までサハリンに滞在した軍医で、アイヌの遺骨を収集していたことが知られている。博物館のブジロワ館長は「アイヌだと断定できる研究手法もなく、確認できない」という。北海道アイヌ協会は、国内外に散らばる遺骨返還を求めている。ブジロワ館長は「当時のサハリンはロシア領だった。ロシアの法律では古い遺物の保管が義務づけられており、8個の頭骨を将来に伝える責任がある」と、否定的な見方を示した。
http://mainichi.jp/articles/20161015/ddm/041/040/143000c


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イマドキのクマには昔の方法は効かない!? 出会ってからでは遅い! アイヌ直伝のクマから身を守る知識

2016-10-16 | アイヌ民族関連
ダ・ヴィンチニュース 2016.10.15

 春の山菜採りや秋のキノコ狩りなどで山に入った人がクマに襲われたというニュースが毎年のようにある。昔は、クマが人里近くまで下りてくることは珍しかったが、最近は人間の生活圏がクマの生活圏に近づいてしまったせいもあり、意外とクマに出くわすケースが増えているようだ。そこで、『クマにあったらどうするか』(姉崎 等・片山龍峯/筑摩書房)という本を紹介したい。
アイヌ民族最後の狩人が語るクマの生態
 この本の著者はアイヌ民族最後の狩人といわれる姉崎 等氏。アイヌ最強のクマ撃ちともいわれる人だ。彼がどうやってクマ撃ちになったかというところから始まり、体験の中で知り得たクマの生態について語られていく。ところどころ、聞き手の片山龍峯氏が質問をし、それに姉崎氏が答えるという形式で話が進められる部分がある。クマに組み伏せられても絶対に生き延びられるという興味深い内容だ。
 例えば、姉崎氏が丸腰で山に入った際にクマに出会ったエピソードは、一般の人でも参考になるかもしれない。普段狩人として山に入るときは鉄砲を持っている姉崎氏だが、キノコを採りに入る際は丸腰で入る。そんなときにばったりクマに遭遇したことがあった。経験として背中を見せてはいけないことと、むやみやたらと大声を出さずに対応した。いくら大声でも焦ったような声を出すとクマが手を出してくる。腹の底から「ウォー」という声を出しながらクマの目をじっと見て動かないようにしていた。そうすることで、クマも適度な距離を取り、去っていったのだ。クマに出会ったときは、クマに自分の方が強いと思わせてはいけない。クマよりも優位に立たなければならないのだ。
大きいクマの方が安心
 アイヌ民族独特の考え方かもしれないが、姉崎氏は大きいクマの方が安心だという。大きくなるまで悪さをせずに育ってきたから、人のことも襲わないと考えるものらしい。しかも、彼の体験上、人を襲うクマに大型のものは意外と少ないというのだ。クマが立ち上がると、人間は今から自分を襲おうとしているのだと思って、とっさに動こうとしてしまう。しかし、立ち上がったクマは、本当は自分の安全を確認しているだけらしい。クマの方がびくびくしているときに、人間が動いてしまうから、クマも慌てて反応する。大きいクマよりも小さいクマが危険なのはそのせいでもある。
イマドキのクマには昔の方法は効かない
 昔の人の言い伝えは正しいこともあるが、時代に合わなくなっていることもある。例えば、山に入るとき、クマよけのために笛を吹いたり、空き缶を鳴らしたりして入ることがあるが、最近のクマには効き目がないと姉崎氏はいう。人間が進化するように、クマも進化するというのだ。体験として大丈夫だということがわかってしまうと、クマも音を怖がらなくなるためだ。
 また、アイヌの狩人の言い伝えとして、昔はクマの頭は狙ってはいけないといわれていたそうだが、鉄砲の時代になったらその言い伝えは合わなくなってしまった。鉄砲の場合、一発で仕留められる可能性が高いため、頭を狙って動きを止めた方が確実なのだ。もちろん今は、アイヌ民族のクマ狩りも禁止されているため、クマを鉄砲で撃つことはなくなったが、弓矢で仕留めていた時代の言い伝えは鉄砲には合わないということだ。
 姉崎氏は、2013年に他界している。この本は生前のインタビューを本にしたものだ。クマを自分の師匠だと言っていた姉崎氏は、クマ狩りが禁止されたことにより2001年には鉄砲を手放した。しかしそれまで何十年とクマ狩りのために山に入り、何度もクマに遭遇しながら、一度もケガをしたことがない。クマの行動を知り尽くしているからだ。アイヌは親グマを捕まえたせいで一人ぼっちになった子グマの世話をし、一緒に生活するという。子グマと相撲をとるときは、たまに負けてやって子グマのストレスが溜まらないように気を遣うというのだから、クマの気持ちが手に取るようにわかるのだろう。クマの生態を記した生物学の本としても、アイヌ民族の文化を記した民俗学の本としても興味深い、内容の濃い1冊だった。
文=大石みずき
http://ddnavi.com/news/328375/a/

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