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先住民族関連ニュース

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秋サケの豊漁祈る ウヨロ・白老川河口で「ペッカムイノミ」

2018-09-16 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2018/9/15配信

神々に豊漁を祈願した職員たち
 アイヌ民族文化財団は13日、白老町内のウヨロ・白老川河口で秋サケの豊漁を祈る伝統儀式「ペッカムイノミ」を執り行った。河口には水源の神など5神が祭られた祭壇が設けられ、新鮮な秋サケを備えるとともに、自然の恵みへの感謝と本格化した秋サケ漁の豊漁などを祈った。
 サケはアイヌ語で「シペ」「カムイ チェプ」と呼ばれ、アイヌの人々は本格的な冬を迎える前に食料を確保する必要があり、保存に適したサケは貴重な食料とされてきた。このため、アイヌの人々はサケが遡上(そじょう)する時期に豊漁と安全を祈願するペッカムイノミを行ってきた。ただ、自由にサケを取ることができなくなり、伝統儀式は廃止されたが、旧アイヌ民族博物館では、毎年9月に儀式を行っており、同財団に合併された今年も儀式を継承している。
 この日は、毎年実施している河口にトマリオルンカムイ(船着き場の神)、チワシコロカムイ(波立ちの神)、ペテトクンカムイ(水源の神)、ペットウンカムイ(河口の神)、ケマコシネカムイ(キツネの神)のヌサ5神を祭る祭壇が設けられ、伝統作法にのっとってサケの豊漁と神々への感謝、そして相次ぐ自然災害を受けてこれ以上、試練を与えないよう神々に祈りをささげた。
https://www.tomamin.co.jp/news/area2/14673/

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北海道から武四郎の直筆地図 MieMuで生誕200年企画展

2018-09-16 | アイヌ民族関連
中日新聞 2018年9月16日

武四郎の直筆の北海道地図などが並ぶ展示=津市の県総合博物館で
 北海道の名付け親として知られる松阪市出身の探検家・松浦武四郎の生誕二百年を記念する企画展「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎」が十五日、津市の県総合博物館MieMuで始まった。北海道からも武四郎が描いた地図や探検の記録など、国重要文化財を含む資料が貸し出され、同館は「県内でこれほど資料が多く集まった武四郎の展示は初めて」とアピールする。十一月十一日まで。
 武四郎は六度にわたって北海道を探検した。今年は北海道命名から百五十年にもあたる。展示は節目の年を記念して北海道博物館とMieMuを巡回し、三重展では国重文百八十三点を含む四百三十四が並ぶ。
 武四郎が三度目の北海道探検後に描いた直筆の北海道の地図「蝦夷新図」は縦四メートル、横二・六メートル。入り組んだ海岸線や地名を細かく書き込み、巧みな描画で山脈の凹凸も伝わる。松浦武四郎記念館の山本命学芸員は「まだ調査途中なので、北海道の形が少しいびつなのも面白い」と話す。樺太を描いた長さ約四メートルの直筆図も展示しており「ロシアとの外交関係を気にした幕府が出版を許さなかったため、武四郎の樺太地図は特に珍しい」という。

武四郎涅槃図=津市の県総合博物館で
 武四郎は探検の途中、アイヌ民族の人々と交流し、その生活を詳細に記録した。展示では、アイヌの人々の食事風景、狩猟、祭事などを描いた蝦夷漫画も並び、生き生きとした表情や動きを感じられる。
 晩年の武四郎はさまざまな工芸品やおもちゃ、仏像などの収集家でもあった。展示されている「武四郎涅槃(ねはん)図」は、武四郎と交流があった絵師・河鍋暁斎に描かせた。昼寝する武四郎の周りに、お気に入りのコレクションが所狭しと描かれた奇想天外な作品。暁斎の圧倒的なな画力と、武四郎のユーモアが詰まっている。(森耕一)
http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20180916/CK2018091602000019.html

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カースト制度最下層出身 日本で研修生活送る女性

2018-09-16 | 先住民族関連
神戸新聞NEXT2018/9/15 11:50

「日本で学べば、私の言葉に耳を傾けてくれる人も増えるはず」と話すサビナさん=神戸市中央区山本通4、PHD協会事務所
 祖国に残る身分差別の根絶と女性の地位向上に尽くしたい-。そんな思いを胸に、日本で研修生活を送るネパール人女性がいる。サビナ・ビスンケ・ラムテルさん(20)。出自によって人を隔てるカースト制度の最下層出身だ。(小川 晶)
 「サルキは触るな」
 サビナさんが初めて差別を実感したのは、小学校に入った直後、同級生から投げ掛けられた言葉だった。祖母に尋ねると「私たちサルキは、他の人に触っちゃいけない身分なの」と言われた。
 ネパールで「サルキ」とは、かつて皮革製品を担っていた人たちを指す。鍛冶の「カミ」、縫製の「ダマイ」などとともに、最下層のカーストとされている。
 約20人のクラスメートの大半は、司祭の「バフン」、軍人や王族の「チェトリ」といった第1階層の子どもたち。サビナさんは「バフンやチェトリの家に入ってはいけない」と教えられた。レストランでも、彼らが普通に店に入る一方で、サルキは店側が認めない限り、外で食事をとる。
 2015年のネパール大地震では、サビナさんの暮らす集落も大きな被害を受けた。上位カーストの家は真っ先に建て替えられ、サルキは後回しにされた。
 ネパールの差別問題に取り組む伊丹市の市民グループ「サマンタ」共同代表の山本愛さん(45)によると、カースト制度は、隣接するインドから、民族の流入とともに持ち込まれた。サビナさんら丘陵地帯のヒンドゥー教徒▽北インド系のヒンドゥー教徒▽先住民族-の3グループが、別々のピラミッド型の身分階層を持ち、複雑に絡み合って社会を形作っている。
 1990年憲法で、法の下の平等が保障されたが、井戸の使い分けや公共の場への立ち入り、賃金格差など、差別は端々に残る。結婚が特に顕著で、異なるカースト同士で結ばれても、周囲の風当たりなどにより9割が離婚するとのデータがある。
 性差別も根強く、「女性が勉強する必要はない」との考え方が農村部を中心に広がる。男性はどこに行くのも自由だが、女性は外出すらままならない家庭もあるという。
 90年代以降、民主化の流れが進みつつあるが、サビナさんが実情を訴える。「身分差別の撤廃を主張するのは低いカーストの男性で、女性差別の問題に取り組むのは身分の高い女性。私たちのような最下層女性の声は届きにくい」
 今春、草の根の国際交流を続けるPHD協会(神戸市)の研修生に選ばれて来日した。1年間の予定で、日本語を学びながら、農業や保健衛生をテーマに実地研修を続けている。
 日本での生活で、祖国ほどの差別を実感したことはないが、「女性が働いている家は女性に敬意を払い、主婦の家はそうでもない」との印象を抱いたそう。日本の被差別の問題についても学ぶつもりだ。
 帰国したら、研修の成果を生かし、同じような境遇の女性に読み書きを教えたり、畜産で収入を得る方法を考えたりしたいというサビナさん。思い描く将来の夢は? はにかみながら継いだ言葉は、簡潔で、素朴だった。
 「普通に、生きたい」
https://kobe-np.co.jp/news/sougou/201809/0011641960.shtml

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あたらしくしろ

2018-09-16 | アイヌ民族関連
北海道新聞 09/15 17:00
 「あたらしくしろ。もっと世の中を、おもしろくしろ」。釧路市を、当代一流の文化人たちが駄じゃれで応援する。
 作家の林真理子さんら各界の第一線で活躍する105人が11月2~4日に釧路に集まる「エンジン01(ゼロワン)in釧路」の大会テーマだ。その心は「カムイの国の自然、伝説、文化、知恵を新しい形で伝えよう」。
 メインの3日は林さんや評論家の勝間和代さん、文筆家の乙武洋匡さんらメンバーのほぼ全員が、釧路公立大の各教室を使い4時限の時間割で110講座を開く。
 中身は日本文化や人工知能、スポーツなどに加え、お金の稼ぎ方やエロスの話題も。釧路と演歌など地元にちなむ講座もある。
 仲の良い講師陣が年1回、地方都市を選んで集うボランティアなので、受講料は1講座500円と喫茶店代程度で済む。
 最先端の文化と地域の魅力を語る試みは、2001年に始まり釧路が17都市目。これまで一過性ではない遺産も残した。
 3年前に開かれた宮崎県の工業都市・延岡市では、名物意識もなかった郷土の味が多くの文化人に評価されたことが自信となり「食のまちづくりが始まった」(市企画課)という。道内初開催の今回は何を生むだろう。
 地元側の講師となる阿寒アイヌ工芸協同組合専務理事の秋辺日出男さんは「大物たちから何をどれだけ吸収できるか。まちづくりにかける市民力も問われそう」と刺激の強さに期待する。受講チケットは9月15日からセブン―イレブンで販売中。(平山栄嗣)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/228676

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世界文化遺産・天草で食べるべきは、寿司とシモン芋のうどん!?

2018-09-16 | 先住民族関連
食べログ9/15(土) 6:30配信
〈おいしい歴史を訪ねて〉
歴史があるところには、城跡や建造物や信仰への思いなど人が集まり生活した痕跡が数多くある。訪れた土地の、史跡・酒蔵・陶芸・食を通して、その土地の歴史を感じる。そんな歴史の偶然(必然?)から生まれた美味が交差する場所を、気鋭のフォトグラファー小平尚典が切り取り、届ける。モットーは、「歴史あるところに、おいしいものあり」。
世界文化遺産・天草で、「白身魚の寿司」と「シモン芋のうどん」を味わう
天草は蒼い海に囲まれ、大小120余の島々からなる熊本県の諸島。福岡空港から飛行機でひとっ飛びで30分強。それに毎日3便も運行している。東京からでもうまくアクセスするといつの間にか誰にも邪魔されない“孤島”に到着である。
九州本土とは、天草五橋と呼ばれる5つの橋で結ばれている。日本最大級の肉食恐竜の化石が発見された恐竜の島に、南蛮文化やキリシタンの歴史を伝える建物もある。海に囲まれた自然と日本独特の南九州文化に育まれたのんびりした島だ。 気候も安定しており一年通していつでも海の幸や山の幸の旬の食を楽しめる、食いしん坊にとってパラダイスのような島。
ここ天草は、禁教下に仏教、神道、キリスト教と共存しながら信仰を続けた集落として評価され「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の1つとして世界文化遺産に認定された。この類まれな歴史観をいつまでも天草に暮らす人々が大切にしてきたことが決め手になったことは間違いない。
ちょっと天草四郎(あまくさ しろう)についてふれてみよう。本名を益田四郎時貞といい、元和7年(1621)江部村に生まれた(大矢野島、長崎で出生したとの諸説あり)。父益田甚兵衛はキリシタン(切支丹)大名小西行長の元家臣で、小西家没落後、江部村で農業を営んでいた。家族ともに敬虔なキリシタン信徒だったそうだ。
当時の天草は、飢きんや重税とキリシタン弾圧に苦しみ、民衆の不満は頂点に達していた。寛永14年(1637)、長崎留学から帰った四郎が様々な奇跡を起こし、神の子の再来と噂される。四郎の熱心な説教は人々の心をとらえ、評判は天草・島原一帯に広まり、遂には一揆の総大将に押し立てられ、島原の乱での一揆軍の最高指導者となった。
聞けば、ほとんどの宗教が食に対する違和感をもつといわれている。例えば、仏教のように慈悲の精神から肉食を禁じるものもあり、キリスト教のような一神教は人々に強い拠り所を与えたと思う。キリシタンの歴史が天草の食文化にどのような影響を与えたのか。興味深いテーマだ。
さて、天草といえば寿司の名店がひしめく。
今回は見栄を張って、こちらの名店へお邪魔した。
新鮮な白身魚と天然天草塩の、絶品コンビネーション「奴寿司」
ここは天草でも有名なお店。僕らは頑張ってランチをいただいた。夜は予約が2カ月待ちらしい。まあ、旅に来たら少しの贅沢は良いだろう。知らない土地でのおいしいもの探しに食べログは欠かせない。検索が便利なのはもちろん情報をしっかりリサーチすると思わぬ収穫がある。
天草の寿司は白身魚が中心。
これが新鮮で天然天草塩との相性バッチリ、実にうまいのなんの。
濃厚な魚のダシが染みいる。お椀ももれなく最高の味わいだった。
名物シモン芋で作ったうどん
少し散歩すると今や名物になったシモン芋を見つけた。
シモン芋は、1972年に原産国ブラジルから日本に持ち込まれた、白サツマイモの一種で、なんと2000年前から中南米先住民インディオの民間薬として重宝がられ、葉酸・ビタミンA・E・Kが豊富でパントテン酸など身体に必要な栄養素が含まれており、成人病予防や健康維持に効果的だそうだ。主産地の倉岳では町をあげて土から自然農法を試み、自然栽培に取り組んでいる。
ぶらりと入ったお店で食べたシモン芋のうどんも実にうまかった。シモン芋の焼酎などもあるらしく、次回はたしなんでみたい。
多くの戦国武将や民衆の信仰を集めながら、徳川幕府の禁教令によって潜伏を余儀なくされたキリスト教。天草は日本が新しい時代を最初に感じた地域でもあり、生きていくことが大変な時代を乗り越えた場所ではある。そこには、天草ならではの、食はもちろんあらゆる分野の生活基盤が存在していたはず。その奥深さは一度のみでは到底つかめず、何度か足を運びたいと(そしておいしいものをもっと食べたいと)強く思った。
写真・文:小平尚典
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180915-00010002-tabelog-life&p=1

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国歌斉唱の起立拒んだ9歳女児、政治家が集中非難 オーストラリア

2018-09-16 | 先住民族関連
CNN 2018.09.13 Thu posted at 13:02 JST

国歌斉唱の起立拒んだ9歳女児が政治家らから集中非難/Nine Network Australia
(CNN) オーストラリア東部クィーンズランド州の公立学校に通う9歳の女子児童が、先住民に敬意を表して国歌斉唱時の起立を拒み、大物政治家らの集中非難を浴びている。
渦中の児童、ハーパー・ニールセンさん(9)はCNN系列局ナインニュースの取材に対し、オーストラリア先住民に対して礼を欠くとの考えから、国歌斉唱の際に起立しなかったと説明した。
同国の国歌「アドバンス・オーストラリア・フェア」には、「オーストラリア国民よ、皆で喜ぼう、我々は若く、自由なのだから」という一節がある。
しかしニールセンさんは、「国歌のアドバンス(「前進」の意味)は白人のこと」「我々は若い、という一節は、私たちより前に5万年もこの地にいた先住民のオーストラリア人を完全に無視している」と訴える。
オーストラリアの人口の約2%を占める先住民は、平均寿命が短く、乳児の死亡率は2倍にも上る。
過激な発言で知られる右派のポーリン・ハンソン上院議員は、12日にビデオ声明を発表し、学校が子どもたちを「洗脳している」と主張。ニールセンさんを学校から「追い出せ」とかみついた。
トニー・アボット元首相はシドニーのラジオ局2GBに対して11日、「国歌斉唱の際に起立するのはマナーの良さと礼儀の表れ」とコメント。
クィーンズランド州の影の内閣の教育大臣でもある自由国民のジャロッド・ブリージー議員は、ニールセンさんを「悪がき」呼ばわりし、両親にも矛先を向けた。
こうした批判に対し、父のマーク・ニールセンさんは、娘の行動を「非常に勇敢」と評価。学校長と面談したが、まだ合意には至っていないと話している。
https://www.cnn.co.jp/world/35125571.html?ref=fb

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