北海道新聞 09/02 05:00
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/76/7dd259aa37034a8187caddc1775915e1.jpg)
松前の武家屋敷跡地付近から見つかったガラス玉(関根達人教授提供)
【松前】弘前大の関根達人教授(考古学)は、渡島管内松前町の武家屋敷跡近くで昨年8月に発掘したアイヌ民族の装身用ガラス玉14点を分析し、松前で製造された可能性が高いとの調査結果をまとめた。ガラス玉の製造地は従来、松前藩が交易を中継した本州や中国大陸とみられていたが、関根教授は、素材や製法が同一であることから、松前藩の武家がガラス玉を製造していたとみている。
関根教授によると、道内でガラス玉製造の可能性が指摘されるのは初めて。
発掘したガラス玉14点は、いずれも直径7~8ミリ、高さ5~6ミリの丸い形で、青などの色がつき、ひもなどを通す穴が開いていた。北前船の交易で運ばれた伊万里焼などと一緒に出土し、19世紀の幕末期のものとみられる。
関根教授は昨年秋、東京理科大の中井泉教授(分析化学)に蛍光エックス線分析装置などによる調査を依頼。14点は、いずれも素材が「カリ石灰ガラス」だった。ガラスの気泡の筋が、中央の穴と直交する方向に見られるため、製法は金属棒にガラスをまきつける「巻き付け技法」と判明した。
関根教授は「他から仕入れたガラス玉ならば材質や製法は多種多様になるはず。出土地近くの武家がまとまった量を製造していたと考えられる」として、和人とアイヌ民族の交易の解明につながると期待する。
松前藩は19世紀、当時の蝦夷地(えぞち)の警備を幕府から任され、財政難に苦しんだという。関根教授は、武家がしちりんなどの日常品を使い、アイヌ民族と高価に物々交換できるガラス玉を内職で作った可能性があるとみている。
道埋蔵文化財センター(江別)調査部の三浦正人主任は「ガラス玉を松前の城下で製造していたのであれば、他にもアイヌ民族向けに刀装具などの装飾品を作っていた可能性もある。城下町の発掘は始まったばかり。今後に期待したい」。
松前町教委の前田正憲学芸員は「武家がガラス玉を作ったという文献記録は確認されていない。さらに発掘を重ね、慎重に検証を重ねる必要がある」と述べた。(高野渡)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/224113
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松前の武家屋敷跡地付近から見つかったガラス玉(関根達人教授提供)
【松前】弘前大の関根達人教授(考古学)は、渡島管内松前町の武家屋敷跡近くで昨年8月に発掘したアイヌ民族の装身用ガラス玉14点を分析し、松前で製造された可能性が高いとの調査結果をまとめた。ガラス玉の製造地は従来、松前藩が交易を中継した本州や中国大陸とみられていたが、関根教授は、素材や製法が同一であることから、松前藩の武家がガラス玉を製造していたとみている。
関根教授によると、道内でガラス玉製造の可能性が指摘されるのは初めて。
発掘したガラス玉14点は、いずれも直径7~8ミリ、高さ5~6ミリの丸い形で、青などの色がつき、ひもなどを通す穴が開いていた。北前船の交易で運ばれた伊万里焼などと一緒に出土し、19世紀の幕末期のものとみられる。
関根教授は昨年秋、東京理科大の中井泉教授(分析化学)に蛍光エックス線分析装置などによる調査を依頼。14点は、いずれも素材が「カリ石灰ガラス」だった。ガラスの気泡の筋が、中央の穴と直交する方向に見られるため、製法は金属棒にガラスをまきつける「巻き付け技法」と判明した。
関根教授は「他から仕入れたガラス玉ならば材質や製法は多種多様になるはず。出土地近くの武家がまとまった量を製造していたと考えられる」として、和人とアイヌ民族の交易の解明につながると期待する。
松前藩は19世紀、当時の蝦夷地(えぞち)の警備を幕府から任され、財政難に苦しんだという。関根教授は、武家がしちりんなどの日常品を使い、アイヌ民族と高価に物々交換できるガラス玉を内職で作った可能性があるとみている。
道埋蔵文化財センター(江別)調査部の三浦正人主任は「ガラス玉を松前の城下で製造していたのであれば、他にもアイヌ民族向けに刀装具などの装飾品を作っていた可能性もある。城下町の発掘は始まったばかり。今後に期待したい」。
松前町教委の前田正憲学芸員は「武家がガラス玉を作ったという文献記録は確認されていない。さらに発掘を重ね、慎重に検証を重ねる必要がある」と述べた。(高野渡)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/224113