読売新聞 2018年09月14日
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「北海道」の名付け親として知られる松阪市出身の探検家・松浦武四郎を紹介する企画展「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎―見る、集める、伝える―」が15日、津市の県総合博物館(みえむ)で開幕する。生涯を旅にささげた好奇心と情熱、アイヌの実情を伝える使命感など、生誕200年を迎えた武四郎の多様な顔を明らかにする。北海道は6日の地震で大きな被害を受けた。展示の担当者は「武四郎が第一人者として自負した北海道にも思いをはせてほしい」と願いを込める。
今回の企画展では、本人の著作や収集品など計約430点(うち国重要文化財約180点)を展示する。
探検家の業績として有名な「東西蝦夷えぞ山川さんせん地理取調図とりしらべず」は計26枚の大地図で、並べると縦2・4メートル、横3・6メートルになる。北海道全域の緻密ちみつな地形と共に、約9800のアイヌ語の地名が記されている。
武四郎の踏査はアイヌ民族の協力がなければ不可能だったとされ、寝食を共にする中で親近感が強まった。著作には、巧みな狩猟術や首長のカリスマ性といった生き生きとしたアイヌが登場する。
一方、商人や松前藩から搾取されるアイヌの窮状を告発した書物もある。太田光俊学芸員(40)は「現地主義に徹し、情報を伝えることに力を注いだ武四郎はルポライターのようだ」と話す。
「収集家」としての武四郎を物語るのは、晩年、絵師に描かせた「武四郎涅槃図ねはんず」(国重文)。仏教絵画の涅槃図は最期を迎えた釈迦を取り巻くように菩薩ぼさつや動物が配置されるが、武四郎の場合は、幸せそうに横たわる本人の周りに収集した郷土玩具などが並ぶ。
武四郎は北海道にとどまらず、九州、四国、東北などほぼ全国を歩いた。展示では、黒船来航に右往左往する幕末維新期の激動の中、情報収集に奔走した「志士」の顔も浮き彫りにする。
武四郎が手紙を残し、突然旅に出たのは16歳の時。実家前の参宮街道を伊勢参りの旅人が行き交い、東海道が通る三重は東西交流の結節点だった。太田学芸員は「全国の人や情報をつないだ『旅の巨人』は、三重という土地だからこそ生まれた」と語る。企画展は11月11日まで。休館日あり。観覧料は一般800円、学生480円、高校生以下無料。問い合わせは同館(059・228・2283)。
まつうら・たけしろう(1818~88年) 江戸末期から明治期の探検家、役人。6度にわたり蝦夷地えぞち(北海道)を踏査した。明治政府に提案した蝦夷地に代わる六つの名称案の一つが「北加伊道ほっかいどう」で、「この土地に生まれた者」を意味するアイヌ語「カイ」を込めた。1869年、「北海道」と命名された。晩年は三重、奈良県境の大台ヶ原に登り、東京神田の書斎「一畳敷」で旅人生を振り返った。(菊池宏一郎)
研究者、10月松阪に…フォーラムで小中学生も発表
「松浦武四郎フォーラム 武四郎の道は未来へとつづく」が10月13日、松阪市川井町のクラギ文化ホールで開かれる。実行委員会主催。
作家で明治学院大教授の高橋源一郎さんが「未来から来た人」と題して基調講演。小中学生は武四郎を学習した成果を発表する。武四郎の書斎「一畳敷」を研究したコロンビア大学名誉教授のヘンリー・スミスさん、北海道大学アイヌ・先住民研究センター客員教授佐々木利和さん、松浦武四郎記念館の主任学芸員山本命さんが「知れば知るほど武四郎が識しりたくなる」をテーマにトークセッションする。
午後1時半開会。定員1200人で入場無料。フォーラム事務局のホームページ(https://business.form-mailer.jp/fms/dd55969c76075)から申し込む(10月5日締め切り)か、松阪市役所などで配布している入場整理券が必要(どちらも先着順)。問い合わせは市文化課(0598・53・4393)。
https://www.yomiuri.co.jp/local/mie/news/20180914-OYTNT50037.html