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今を大事に生きるアマゾンの森の暮らし ~先住民族の自主的な保護活動を手助け~

2022-04-29 | 先住民族関連
時事メディカル(2022/04/29 05:00)
 NHK「ひょっこりひょうたん島」「おかあさんといっしょ」などの番組で美術を担当していた南研子さんは1989年、英国の歌手スティングが「アマゾンを守ろう」という世界ツアーで来日した際、同行していたアマゾン先住民の長老、ラオーニ・メトゥティレさんに出会い、それを機に「熱帯森林保護団体(RFJ)」を立ち上げ支援活動を開始しました。コロナ以後、今アマゾンはどうなっているのかなど最近の状況をうかがいます。
(聞き手・文 海原純子)

熱帯雨林の中をうねるように流れるアマゾン川
 ◇森が消え、進む気候変動
 南 この2年はブラジルに行けていないんですよね。新型コロナで先住民保護区は2020年から昨年12月終わりまで外部から入れないように封鎖されているんです。私は1989年から自然保護とアマゾンの先住民の存続支援ということで34回、通算2千日以上現地に滞在してきました。支援というのはちょっと視察して伝えるということではなく、自分がそこで体験して、それを伝えることが責任だと思っているんです。
 今の大統領になってからは経済優先になっているのですね。森があると、どれくらいの金になるか、というような。昨年は日本の本州の10分の1くらいのアマゾンの森が消えました。
 海原 アマゾンの森は、木が伐採されて牧場や大豆畑、サトウキビ畑、鉱物採掘場などに変わるんですよね。サトウキビを原料とするエタノールを得るため、大豆の殻は鶏のえさにするために、こうした伐採が行われていると聞きました。これにより気候変動が進んでいるわけですよね。

アマゾン川流域では開発が進んでいる
 南 アマゾンの大豆畑で取れた大豆の殻をえさにした鶏がアメリカ経由で加工食品の原料として日本に輸入されたりしているわけです。実際、私が行くたびに、前は森だった所が、「えっ、ここが大豆畑に」ということが何度もあります。
 海原 気候の変化を感じられることも多いでしょうね。
 南 最近は、温度を測ると昼間は50度くらいです。夜は10度くらいになります。湿度は10%くらいです。乾燥化が急に進んでいます。そんなふうになったのは、ここ5~6年ですね。その前はそんなことはなかったですね。前は日陰に行くと、じめっとしていたから。地球上の酸素の供給減であるアマゾンの森が消えているということです。これは地球規模の問題ですね。
 これにより火災が起こりやすくなり、一度火が付くと手が付けられなくなります。火が燃えて、またCO2が発生します。日本と2万キロ離れているから関係ないと思いがちですが、関係が深いのですね。次世代にとって大きな問題ですよね。いずれ酸素を買うような時代になるかもしれないと思ったりしています。

乾燥化が進み、火災が起こりやすくなった
 ◇「うつ」も「寝たきり」もない暮らし方
 海原 そこで暮らす人は大変ですよね。適応するのが。
 南 たくましいです。
 海原 以前、南さんが大学の講義で自然保護とアマゾンについてお話しされた時、「アマゾンには、うつもがんも心臓病も寝たきりも自殺もないですよ」とおっしゃったのが強く印象に残っています。
 南 それは今も同じですよ。ただ、最近は町に行って町の食べ物を食べる人に変化が出てきています。食べる物は大事ですね。もともとは自給自足していたわけですが、最近は状況も変わり、外からの食べ物が入るのですね。でも寝たきりはないし、だからと言って早く死んでいるわけではないですね。ラオーニさんは、もう100歳を超えていると思うけれど元気ですね。それは多分、年を数えるということがないからかもしれないと思っています。
 海原 なるほど。数を数えるとそれに縛られますよね。
 南 数字というのは管理ですね。管理しやすい。幾つになったら学校に行くとか、幾つだからこうしようとか。年に縛られて老けていくということがありますよね。潜在意識になる。あとは、リタイアがないんです。幾つになっても役割があるんです。文字がないので、みんな自分の脳に記憶しないといけないんですね。
 海原 役割や自分が社会参加することで寝たきりにならないんでしょうね。
 南 あとは緊張感ですね。ボケてる暇がないですね。夜、外のトイレに行く時、「気を付けて行けよ。ヒョウに襲われないように」とか。(笑)
 海原 それは怖いですね。緊張を超えて怖くて眠れなくなりそう。

地元の若者たちによる消防団
 ◇押し付けではない支援の形
 南 あとは、子どもを私物化していないですね。個の確立がされていて、10歳くらいの子どもが小さな子どもに教えたりするんですね。大人になるための通過儀礼もあります。男の子は13、14歳くらいの時、呪術師が作った毒性の強い飲み物を飲むんですね。女の子は初潮があると1年間、昼間は1人で部屋に閉じこもり、自分と向き合う時間を作るわけです。それを通過したものが大人というわけです。
 海原 それは命を落とすこともあるでしょうね。親は手助けできないんですか?
 南 男の子はそこで死ぬことがあります。女の子は、食事を外から差し入れするんですね。ただ、それ以外は何もできないです。でもこうした通過儀礼を通ると、みんな顔が変わりますね。過酷な中で生きて行くための個が確立されたという感じですね。
 海原 成人になるための通過儀礼は厳しいですね。でもそれを通過したことで生きて行く自覚が生まれるのでしょうね。
 しかし南さんのアマゾン支援、すごいエネルギーだなあと感嘆します。言葉も通じず、トイレもお風呂もない中で2千日過ごすとは。先住民族の方たちとの生活を本で読ませていただくと、「本当にすごいなあ」と何度もつぶやいています。

採取したはちみつを持つ養蜂士
 南 特別に自分ですごいとは思わないのですが、自然に縁を大事にしながらやってきました。こちらの価値観を押し付けるのではなく、自分たちが自主的にしたいということを手助けするのが支援だと思っています。今、二つのプロジェクトがあります。一つは火事が大きくなるのを防ぐために地元の若者たちが消防団を作って頑張っていることへの支援。もう一つは、いずれ貨幣制度が入ってきた時に大きな企業に土地を買い占められたりしないように、はちみつを作り始めました。
 海原 はちみつ、すてきですね。
 南 ここには、ここにしか生えていない植物があるんです。その植物から取れるはちみつを流通させることを計画しています。
 海原 はちみつ、楽しみです。
 ◇南研子(みなみ・けんこ)さんプロフィル
 特定非営利活動法人「熱帯森林保護団体(Rainforest Foundation Japan:RFJ)」代表。1970年、女子美術大学卒業。89年5月、RFJを設立。92年から2019年まで34回にわたりアマゾンのジャングルで先住民と共に暮らし、さまざまな支援活動を行っている。著書に「アマゾン、インディオからの伝言」「アマゾン、森の精霊からの声」(共に、ほんの木刊)がある。

アマゾン流域の暮らしを守る活動を続ける南研子さん(中央)
 ◇取材後記
 以前、南さんにお会いした時、「アマゾンでは、一日が小さな一生なんですよ」とおっしゃったのが心に残っています。
 日が昇ると始まり、日が沈むと終わる、この一日、この一日を大事に過ごすことの積み重ねが人生。あす何があるか分からない。でも今生きているこの命を大事にして、今を大事に生きる。これが過酷な自然を生きるアマゾンのおきてなのだと思います。そしてそれは私たちも同じなのに、それに気が付いていないだけなのでしょう。(了)
https://medical.jiji.com/topics/2560

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アイヌ民族伝承の絵本完成 森の中高生協力し300部 繊細な絵、現代と過去つなぐ文

2022-04-29 | アイヌ民族関連
北海道新聞04/28 19:22 更新

森町の中高生がアイヌ民族の伝承を絵本にした「伝説絵本 茅部栗物語」
 【森】埋もれた存在になっていたアイヌ民族の伝承を、地元の中高生らが絵本化した「伝説絵本 茅部栗物語」が完成した。中高生らの思いが詰まった美しい絵と、躍動感あふれる内容で、活動を支援してきた道立青少年体験活動支援施設「ネイパル森」が300部製作。町内の小学校や図書館などに寄贈し、郷土学習に役立ててもらう。
 「茅部栗物語」は天然記念物の指定を受けた森町の「茅部の栗林」にまつわるアイヌ民族の伝承。かつては道内に存在しなかった栗が本州から渡った経緯を、アイヌ民族の神の血を引く青年ヤムポウの波乱に満ちた人生とともに伝える。
 昭和初期に町内の郷土史研究家が物語の全容を町広報誌に公表したが、その後は忘れられた存在になっていた。昨年になって町民有志から物語を託されたネイパル森が地元の学校に絵本化への協力を呼びかけたところ、快諾を受け昨秋から製作作業が本格化していた。
 絵本はA4判54ページでカラー印刷。森高の生徒48人が原文を絵本用に要約したほか、登場人物のデザインをつくるなど基本構想をまとめた。その後、森中の生徒11人が文章を、砂原中の生徒14人が絵をそれぞれ担当し絵本を仕上げた。
 衣服や化粧など当時の風習を研究した絵は、生き生きとした登場人物の表情や繊細に描かれた風景が印象に残る。文章は現代と過去をつなぐ構成にするなど、物語を身近に感じさせる工夫が凝らされている。
 ネイパル森を指定管理するNPO法人「森の仲間たち」(吉川満春理事長)は当初、デジタルデータ化する予定だったが「地域の物語を文化として残したい」と絵本として印刷することを決定。一部はネイパル森に保管し、希望する利用者に館内で閲覧してもらう方針だ。吉川理事長は「故郷の誇りになる内容で最高の出来。多くの人に読んでもらいたい」と話している。(中村公美)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/675437

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札幌五輪招致「プロモーション委」 5月に初会合 最高顧問に麻生氏

2022-04-29 | アイヌ民族関連
北海道新聞04/28 21:08 更新
 2030年冬季五輪・パラリンピックの招致を目指す札幌市は28日、全国的な機運醸成に取り組む「プロモーション委員会」の第1回の会議を5月10日に札幌市内のホテルでオンラインを併用して開催すると発表した。顧問や委員37人の構成も合わせて公表した。
 初の会議は約2時間を予定。大会概要案や今後の市民理解に向けた手法などについて議論する。
 委員の選考理由ついて、札幌市は「オリンピアン、パラリンピアンなどのスポーツ界、経済界、次代を担う若者世代など、各方面で活躍されている方々」と説明した。顧問4人、会長1人、会長代行2人、副会長2人、委員27人、参与1人で構成。顧問には北海道オール・オリンピアンズの橋本聖子代表、委員はアイヌ文化演出家の秋辺日出男さん、オリンピアンの岡崎朋美さん、開催自治体の各首長らを選んだ。日本勢初の冬季五輪メダリストとなった猪谷千春さん(国後島出身)が参与を務める。
メンバーは次の通り。
 ▽最高顧問 麻生太郎(スポーツ議員連盟会長)▽特別顧問 遠藤利明(スポーツ議員連盟会長代行)、橋本聖子(北海道オールオリンピアンズ代表)▽顧問 室伏広治(スポーツ庁長官)▽会長 岩田圭剛(北海道商工会議所会頭)▽会長代行 秋元克広(札幌市長)、山下泰裕(日本オリンピック委員会=JOC=会長)▽副会長 鈴木直道(道知事)、森和之(日本パラリンピック委員会=JPC=会長)▽委員 秋辺日出男(アイヌ文化演出家)、芦立訓(日本スポーツ振興センター理事長)、荒井ゆたか(スポーツ議員連盟)、伊藤雅俊(日本スポーツ協会会長)、井本直歩子(SDGsインスポーツ代表)、太田渉子(パラリンピアン)、太田雄貴(国際オリンピック委員会=IOC=委員)、岡崎朋美(オリンピアン)、荻原健司(長野市長)、片山健也(ニセコ町長)、狩野亮(パラリンピアン)、河合純一(JPC委員長)、木村麻子(日本商工会議所青年部)、菅谷とも子(ANAあきんど社長)、高橋はるみ(スポーツ議員連盟)、竹中仁美(全国商工会連合会理事)、伊達美和子(経済同友会副代表幹事)、永瀬充(パラリンピアン)、原田雅彦(オリンピアン)、日比野暢子(桐蔭横浜学園教授)、牧野准子(環工房代表)、マセソン美季(国際パラリンピック委員会=JPC=理事)、三屋裕子(JOC副会長)、文字一志(倶知安町長)、本橋麻里(オリンピアン)、米沢則寿(帯広市長)、渡辺守成(IOC委員)▽参与 猪谷千春(IOC名誉委員)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/675381

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漫画「ゴールデンカムイ」連載終了 世界にアイヌ文化広めた8年

2022-04-29 | アイヌ民族関連
毎日新聞2022/04/28 06:30

「ゴールデンカムイ」のファンを工房で迎えている木彫家の貝澤徹さん=北海道平取町で2022年4月24日午後0時37分、谷口拓未撮影
(毎日新聞)
 単行本29巻で累計発行部数1900万部を突破した野田サトルさん原作の人気漫画「ゴールデンカムイ」(集英社)が、28日発売の週刊ヤングジャンプ22・23合併号で約8年間にわたる連載に終止符を打つ。魅力的なキャラクターによる冒険活劇が先住民アイヌへの関心を高めた功績は、各方面で評価されている。
 ◇高い画力 スリルとアクション
 連載は2014年8月に始まり、明治末期の北海道や樺太(サハリン)が舞台。日露戦争の帰還兵である「不死身の杉元」こと杉元佐一とアイヌの少女「アシリパ(リは小文字)」が、敵対勢力と戦いながら金塊を探し求めるストーリーだ。書店員など漫画ファンの投票で決まる16年の「マンガ大賞2016」で1位に輝いて一層人気が高まり、アニメ化にとどまらず、実写映画化も発表された。
 高い画力で描かれた個性的な登場人物が織りなす、息もつかせぬスリルとアクション。躍動感ある展開はファンを増やし、アイヌが主題ではないにもかかわらず、コメディー要素を織り交ぜながらアイヌの風習やグルメ、言葉などを随所にちりばめたことで、振興が課題となっているアイヌ文化への関心を飛躍的に高めた。作品に登場する土地などを巡るスタンプラリーが実施されたこともあり、アイヌや作品ゆかりの地を巡る「聖地巡礼」が読者の間で広まった。
 ◇ふらり訪れた男性、「野田サトル」のサイン
 アイヌ文化を受け継ぎ、文化施設などが点在する北海道平取町二風谷(にぶたに)も聖地の一つ。伝統的な技法や文様を取り入れて斬新な作品を生む木彫家、貝澤徹さん(63)の「北の工房つとむ」にも全国からファンが訪れる。貝澤さんは「漫画の影響で若い人や家族連れのお客さんが多くなった。ゴールデンカムイに携われてうれしかった」と話し、作品との縁に思い出を巡らせた。
 15年6月、野球帽にリュックを背負った男性が、タクシーでふらりと工房を訪れた。聞くとアイヌが登場する漫画を描いていると言い、彼らの暮らしに欠かせない細かな文様の入った木彫のマキリ(小刀)を「作ってください」と依頼された。「サインを送ってくれたらね」と気さくに返すと、注文書に「野田サトル」のサインを書いて、立ち去った。
 後日、改めてサインを添えたイラストがすぐに届いた。貝澤さんがお返しに彫ったマキリは、ゴールデンカムイの登場人物の所持品として作中で描かれ、単行本の表紙にもなった。野田さんからは礼状が届き、その後は「同じ物を」と注文するファンが続いた。反響は大きかった。
 ◇アシリパ、ロンドンに立つ
 アイヌ文化の発信で、貝澤さんには忘れられない光景がある。英国・ロンドンの大英博物館で「マンガ展」が19年に開かれ、貝澤さんも野田さんに誘われて現地を訪れた。荘厳な建物の正面に、展覧会の象徴に選ばれた巨大なアシリパのイラストが飾られていた。マキリを腰に下げ、装束をまとうアシリパの姿を見て、「このマンガがアイヌ文化を世界中に広めることになった」と心が震えた。
 大英博物館には貝澤さんの木彫も収蔵されており、二重の喜びだった。「野田さんは『命を削って描いている』と言っていた。僕は木を削るが命は削っていない。漫画の世界や力は本当にすごいと感じた」。サイン色紙やグッズが並んだ工房で、目を細めた。
 ◇専門家「正確な描写、魅力的なキャラクター」
 アイヌ文化に詳しく、ゴールデンカムイの監修を担当した千葉大名誉教授の中川裕さん(66)もこれまでになかった波及効果に目を見張る。アイヌに対する差別や偏見の歴史を背景に「映画もテレビも漫画も、批判を浴びる可能性などからアイヌを真っ向から扱うのを危ぶむ傾向があった」と指摘しつつ、連載を契機にアイヌ書籍の出版や特集番組の放送などが相次いだ点に触れ「エンターテインメントでアイヌの存在を意識したことがない人たちに興味を抱かせ、身近なものに引き寄せた」と評価する。
 中川さんは連載開始直前の14年6月に野田さんから監修を依頼された。第1話の原稿を読み、「アシリパの絵を見たらアイヌの描写が正確だった。こんなに魅力的なキャラクターが登場するのは喜ばしいし面白そうだから、ぜひ一役買いたい」と快諾。言葉や生活様式などに助言し、登場人物の名前のアイデアも出した。中川さんは「ものすごい量の情報を選別して作品に仕上げていた。それを8年間、週刊連載で続けたのは大変だったと思う。普通の人はできない」と、野田さんや編集者をたたえた。
 大学での授業や講演会などで、作品の人気とともにアイヌへの関心が高まる様子を肌で感じた中川さん。アイヌの文化振興や権利保護に向け「関心を持った人をこれからどう引っ張っていくか。アイヌに関わる全員が考える必要がある。私自身も情報を発信し続けたい」と話した。【谷口拓未】
https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20220427k0000m040218000c.html

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ヘレン・ケラーとアイヌの人たちが交流 函館で手紙など公開へ

2022-04-29 | アイヌ民族関連
NHK04月28日 20時52分
視力や聴力を失い、話すこともできないという3つの障害を乗り越えたヘレン・ケラーが道南地方でアイヌの人たちと交流していたことを示す写真や手紙が見つかり、函館市で29日から一般公開されます。
ヘレン・ケラーは1937年に初来日した際、道南地方も訪れ、列車で小樽に向かう途中に長万部駅でアイヌの人たちや村民と交流していました。
函館市の北方民族資料館では29日から、このときの写真とともにヘレン・ケラーがアイヌの人たちへの気持ちをしたためた手紙が公開されます。
手紙には、アイヌの人たちが、ヘレン・ケラーの障害について同情してくれたことに感謝することばなどがつづられています。
写真と手紙は去年9月に八雲町出身の人から寄贈されたということで、市立函館博物館によりますと、この手紙が公開されるのは初めてだということです。
函館市北方民族資料館の木戸忍館長は「ヘレン・ケラーがアイヌ民族との交流を望んでたことが分かる貴重な資料で、ぜひ見ていただきたい」と話しています。
写真と手紙は函館市北方民族資料館で29日から10月末まで公開されます。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20220428/7000046034.html

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社説:琉球遺骨の返還 京大は世界の潮流見よ

2022-04-29 | ウチナー・沖縄
京都新聞4/28(木) 16:01配信
 旧京都帝国大が戦前、沖縄県の墓から持ち出した琉球人遺骨の返還を子孫の住民らが求めた訴訟の判決で、京都地裁は原告の「所有権」を認めず、請求を棄却した。
 研究目的とされる遺骨の返還訴訟で初の判決だが、先住民の権利を尊重する世界の流れを踏まえた司法判断といえまい。不満が残る。
 原告住民は今帰仁(なきじん)村の「百按司(むむじゃな)墓」を祭っているが、他にも多数の子孫が参拝していることを棄却理由とした。しかし、14~15世紀の墓であり、現代の所有権で判断するのは違和感がある。
 世界の遺骨返還事例に詳しい考古学者は、遺骨との関係が不明でも返還を受ける個人や団体は幅広く想定すべきとしている。
 そもそも先住民族の遺骨返還問題は、18世紀以降の植民地時代に先住民弾圧や墓の盗掘で人骨を集めたことに起因する。人類学の人骨研究のためというが、大学や博物館のコレクションに隠された問題も知っておくべきだろう。
 先住民による返還運動は、ニュージーランドのマオリが先駆けで、1980年代に活発化した。90年に米国が返還法を制定、2007年には国連が先住民族の権利宣言を採択、遺骨返還を求める権利を明記した。日本も賛成した。
 目を向けたいのは、多くの博物館や大学、研究機関が独自に方針や制度を整え、研究倫理に基づいて返還を進めたことだ。
 日本では08年に「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が衆参両院で採択された。政府は遺骨の返還を進め、返還先が不明な場合は北海道内の国立慰霊施設に集約している。北海道大は返還訴訟で和解し、アイヌ団体や子孫に返還している。
 一方、京都大は琉球遺骨の返還を拒み、子孫の質問に回答もしていない。戦前、人類学者が沖縄などで多くの遺骨を持ち出し、今も所蔵しているが、情報開示は十分といえない。百按司墓での採取は県の許可を得たと正当化するが、子孫が承諾した記録はない。京大はかたくなな姿勢を改めるべきだ。
 研究者は、遺骨を「学術的資料」とみなし、返還によって資料価値が損なわれるというが、子孫が祖先の遺骨利用に反発するのは当然ではないか。研究者は学問の倫理を自覚してもらいたい。
 海外の遺骨返還事例をみると、過去の反省と謝罪、和解の機会をつくり、当事者が協力することが重要な課題とされる。京大はもっと世界の潮流に目を向け、政府も積極的に関わる必要がある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/179e16c1d40dda8a64f86752e3f8b1c5044e267e

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ネイティブアメリカンが県知事を表敬

2022-04-29 | 先住民族関連
RKB毎日放送2022-04-29

アメリカの先住民族の男性2人が、28日、福岡県知事を表敬訪問しました。
福岡県庁を訪れたのは、ネイティブアメリカンのトニー・ダンケンさんとラウリー・ビゲーさんです。
この表敬訪問は、今年10月に添田町の英彦山神宮で行われるネイティブアメリカン伝統の踊り・「パウワウ」と和太鼓などを融合させるイベントを紹介するために実現したものです。
服部知事は、「異文化の相互理解の促進につなげてほしい」と期待感を示しています。
https://rkb.jp/news-rkb/202204281527/

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ミャンマーで拷問を受けて日本に逃げてきたロヒンギャ男性 帰る場所がないのに「難民」になれない苦悩

2022-04-29 | 先住民族関連
アエラドット2022/04/28 08:00

© AERA dot. 提供 ロヒンギャのミョーチョーチョーさん(撮影/岩下明日香)
 ロシアに侵攻されたウクライナから国外に逃れた難民が500万人を超えた。岸田文雄首相は16日、ウクライナからの避難民受け入れを踏まえ、紛争地からの「準難民」制度の創設を検討していると明らかにした。だが条約上は「難民」に当たらないという姿勢は崩しておらず、難民認定のハードルは依然として高い。2020年の日本の難民認定率はわずか1.2%。ウクライナに限らず、日本で難民に認められる日を待ち続けている外国人が大勢いる。入管施設における死亡事件なども問題になるなか、祖国に帰りたくても帰ることのできない当事者たちは、どのような思いでいるのか。「前編」ではミャンマーの少数民族ロヒンギャの男性のケースを紹介する。
*  *  *
「これはミャンマーで民主化活動をやっていたときにできた傷。右手で刀を持って、左手でガードするから体の左側に傷が多い。この傷は一生消えない」
 ミャンマー西部、ラカイン州出身のミョーチョーチョーさん(36)。ミャンマー軍が迫害の対象としてきた、イスラム系少数民族のロヒンギャである。2006年に祖国を逃れ、日本にたどり着いた。日本で難民申請をしたが、16年たった今でも難民とは認められず、在留資格のない状態が続いている。
 ミョーさんが2歳のとき、ミャンマー国軍がロヒンギャの村々を襲撃してきた。一家で親戚のいる最大都市・ヤンゴンへ逃げた。ミャンマーでは仏教徒が約9割を占め、キリスト教徒やイスラム教徒は少数派だ。都会にまぎれて暮らしていたが、顔立ちからしてイスラム教徒であることは、周囲から一目瞭然だったという。
「ミャンマー人は仏教系のアジア顔が9割。イスラム教徒はインド寄りの顔が多いので、私がイスラム教徒であることは隠せない。さらに、イスラム教徒の中でもロヒンギャは仲間外れにされる。だから、ヤンゴンにいたときは、ロヒンギャだとは名乗らなかった」
■警察当局から受けた「拷問」
 2004年、18歳だったミョーさんは、周囲の若者と同じようにミャンマーの民主化活動に参加した。刀を握って、武力でデモを鎮圧しようとする警察や治安部隊と対峙した。その時にできた傷は、冒頭で語ったように「一生消えない傷」となり、今もミョーさんの左腕には深く刻まれた無数の切り傷の痕が残っている。
 民主化活動を続けたミョーさんは、警察当局に計4回拘束された。
 4回目に拘束される直前の夜――ミョーさんを含む22人の民主化活動メンバーは喫茶店で集会を開いていた。そこに国軍と警察がトラック4台で乗り込んできた。
「動くな、頭を下に向けて上を向くな!」
 銃口を突きつけられ、トラックに乗せられた。それまでは警察署への連行だったが、このときは、刑務所に直行だった。
「ミャンマーの刑務所は、すごく汚い。食事は1日1食で、おかずはない。硬く炊いた米に塩とお湯をかけて出される。石みたいな米で食べられないようなもの」
 夜になると3人1組で尋問部屋に連れていかれ、そこで全裸にされ、こん棒で打たれた。国軍からは「なぜ軍の反対活動をするのか」「誰の指示なのか」と拷問された。
 14日間の拷問の末、国軍はメンバーの親たちに連絡してワイロを要求。22人のうち7人が解放されることになった。そのとき、ミョーさんも解放された。
「親は民主化活動を止めませんでした。気をつけてやりなさいと、応援してくれていた。父は、自分の息子が間違っていることをしているわけではないと、わかってくれていたから……」
 ただ、拘束されるたびにワイロを要求され、家計は苦しくなっていた。国軍に目をつけられたことで、「もう海外に逃げるしかない」と決心し、ミョーさんは06年に親戚のいる日本を目指した。
■日本に来て知った「難民」の現実
 ミャンマーでは1982年、軍事政権下で国籍法が改正され、135の先住民族にはミャンマー国籍が与えられた。先住民族は、第1次英緬(えいめん)戦争が始まる1824年より前に住んでいた民族とされた。そこにロヒンギャは含まれないとされ、先住民族の枠組みから除外されてきた(注1)。
 それゆえ、ロヒンギャであるミョーさんには国籍がない。日本へ渡ろうにもパスポートを発行することができず、密航ブローカーを利用して偽造パスポートで出国せざるを得なかった。当時、偽造パスポート代は日本円で10万~15万円。他にも、短期滞在のビザ代や航空券代などの費用が必要だった。
「空港にも軍がいるから、ブローカーと一緒に行って、通してもらえるように事前にワイロを払った」
 ワイロを渡しても計画の途中で国軍に捕まるかもしれない。空港を突破してミャンマーを出国できても、日本に到着したときに入国できるのか。不安と緊張でいっぱいだった。
 日本に到着し、入国審査を通過したときは、「もう家族を苦しめることがなくなるんだ」と安堵した。ミャンマーに残してきた家族を、いつか安全な日本に呼び寄せて平穏に暮らせる日が来ることを願っていた。
 だが、「現実は違った」とミョーさんは肩を落とす。
「日本は国連で難民を受け入れると発表していたのに……。ここに来てわかったことは、難民は全然認められないということ」
 2006年8月に短期滞在ビザで入国してから約1週間後、東京入国管理局に出向いて難民申請をした。そして、役所で外国人登録証と、3カ月働ける「特定活動」の在留資格を得た。在留資格は、3カ月ごとに役所に申請していたが、11年ごろからは申請先が入管に変わったという。
 12年、難民申請の1回目の審査結果が出た。入管からは「難民に該当しない」と、却下された。「なぜか」と理由を問うと、入管から「理由を知りたいなら裁判をしてください」という答えが返ってきた。
「異議申し立てをしたら、それもダメだという結果が出て、収容された」
■入管職員の「常套手段」
 12年1月から東京入国管理局に3カ月、茨城県牛久市にある東日本入国管理センターに9カ月、計1年間収容された。
 牛久の収容施設には、外国人から「チケット」と呼ばれる入管の担当者がいたという。「チケット」は外国人を国に帰らせる手続きをする担当で、月2回の頻度で外国人に対して「あなたはいつ国に帰るの?」「あなたのビザは下りないよ」「日本は難民申請を認めていないから、あなたもわかるでしょ。だから、早く国に帰りなさい」と詰め寄っていたという。
「その言い方は、心を痛めつけるようだった。こっちが落ち込むようなことを言い続けて、外国人の口から『国に帰ります』と言わせようとしていた。それで、結構、他の外国人はキレて、その場でけんかになってしまうから、暴力は頻繁にあった。(担当者は)あたかも外国人が悪いかのように仕向けて、手を出してくるのを待っている。そして、7人くらいの職員がパーッと入ってきて、外国人を縛って、別の部屋に連れていく」
 ミョーさんには、それが外国人への制圧を正当化するための常套手段に思えたという。収容施設には監視カメラも設置されているが、これまでその映像は明るみに出なかった。ただ、21年3月、スリランカ人女性のウィシュマ・サンダマリさん(当時33)が収容中に死亡した事件を機に、少しずつ映像などの物証が出てくるようになり、入管の在り方が問われるようになってきた。
「日本社会で、ふつうに出会う日本人はみんな優しい。でも、入管の中はどうしてあんなにひどいんだろう。考えても答えが出ない。日本は労働力が足りないから外国から労働者を入れようとしているのに、すでに日本にいる外国人には、ビザを与えない。真面目に生きようとしているだけなのに……」
 13年1月、ミョーさんは「仮放免者」として牛久から出所した。だがあくまで「仮放免」であり、在留資格がないという扱いは変わらない。就労は許可されず、移動の自由も制限される。
 ミョーさんが移動できるのは、東京、神奈川、埼玉の3都県のみ。所在を証明するために、ミャンマーの軍事クーデターへの反対活動をしている様子を撮影、印刷して、写真にある自分の顔にマル印と場所などを記入して、2カ月半ごとに入管に提出しなければならないという。
「移動の理由を、『民主化活動のため』と書いただけでは許可してもらえない。ちゃんと証拠も見せないといけないんです。もしミャンマーでクーデターがなかったら、『活動のため』という理由も通らない」
■ロヒンギャ大虐殺で家族はバングラデシュに避難 
 17年、ミョーさんの出身地であるミャンマー西部のラカイン州では、国軍の掃討作戦によってロヒンギャの虐殺が起きていた。9000人以上が殺害され、74万人以上ものロヒンギャが隣国バングラデシュに逃げて難民になった。ミョーさんの家族は、18年にバングラデシュに避難していた。
 自分名義の携帯電話を契約することができないミョーさんは、周囲の手を借りながらやっとの思いで弟とフェイスブックでつながった。弟と話をすると「もう手遅れだよ」と泣いていた。ミョーさんの父親は、がんに侵されていたのだ。
「お父さんは、元気なときだけビデオ通話に出てくれた。でも、わかるんですよ。痩せてきて、顔色が悪くなっているのが見えるから。本当につらかった……」
 ミョーさんは19年12月から21年4月まで、再び出入国在留管理局に収容された。弟によると、この間に父親は、せきをすると血が出るほど病状が悪化していた。だが、就労することが許されないミョーさんに、できることはなかった。
 22年2月6日、弟から連絡が入った。「お父さんは今朝亡くなった」と。
「長男として何もできなかった。助けたいけど、日本で働けないから、治療費を送金することもできなかった。私はこんなに安全な国にいて、こんなに丈夫な体なのに。働けるんだったらなんでもしますよ。ちゃんと働いて日本の税金だって納めたい。せめて、お父さんの葬儀代を送りたかった……」
 入管からは何度も「ミャンマーに帰りなさい」と言われてきた。だが、ミャンマーは、ロヒンギャを国民として認めていない。ミョーさんは途方に暮れる。
「ミャンマーのどこに帰る場所があるのか。私のような難民は、帰りたくても帰る場所がない。どうしたらいいんでしょうか……」
【後編】に続く。
(AERA dot.編集部 岩下明日香)
※注1『ミャンマー政変 ――クーデターの深層を探る』北川成史著 (ちくま新書)を参照
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/e3-83-9f-e3-83-a3-e3-83-b3-e3-83-9e-e3-83-bc-e3-81-a7-e6-8b-b7-e5-95-8f-e3-82-92-e5-8f-97-e3-81-91-e3-81-a6-e6-97-a5-e6-9c-ac-e3-81-ab-e9-80-83-e3-81-92-e3-81-a6-e3-81-8d-e3-81-9f-e3-83-ad-e3-83-92-e3-83-b3-e3-82-ae-e3-83-a3-e7-94-b7-e6-80-a7-e5-b8-b0-e3-82/ar-AAWFP4P?ocid=BingNewsSearch

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最終回迎えた『ゴールデンカムイ』の展覧会に潜入! 笑いあり、涙ありの“闇鍋”のような空間は必見

2022-04-29 | アイヌ民族関連
クランクイン4/28(木) 12:40配信

「ゴールデンカムイ展」の様子
 野田サトルによるコミック『ゴールデンカムイ』(集英社)の魅力に迫る展覧会「ゴールデンカムイ展」が、4月28日(木)から、東京ドームシティ内にあるギャラリー「Gallery AaMo(ギャラリー アーモ)」で開催。ついに本日最終回を迎え、8年の連載に幕を降ろす本作の展覧会ということもあり、チケットは一部日程を除き完売続出。そんな本展に、クランクイン!トレンドが、一足お先にお邪魔してきました。思わず目頭が熱くなる“胸熱”な展示から、本作ならではの“くすり”と笑える展示まで、魅力たっぷりな本展の様子をピックアップしてご紹介します。(取材・文・写真=河内香奈子) ※なお、本展はコミック最新刊までの展示があるため、ネタバレを含みます。ご注意ください
■迫力満点! ヒグマの剥製に驚がく
 今回開催される「ゴールデンカムイ展」は、『ゴールデンカムイ』の笑い、涙、過去、未来を全部煮込んだ“超特盛闇鍋展覧会”。6つのゾーンで構成されており、120点を超えるイラストや作中に登場したアイテムの展示を通して、本作の魅力に迫ることができます。
 まずエントランスから足を踏み入れると、第1ゾーン「金塊争奪戦の開幕」に到着。ここでは、本作の核となる“金塊争奪戦”に参加した杉元一行、第七師団、土方一派など、主要キャラクターが集結するゾーンで、彼らのグラフィックや印象的なシーンの原画、そしてモデルとなった実物資料が飾られています。
 原画はもちろん、実物資料の展示はレア! 各キャラクターが作中で身に着けている衣装や武器のモデルとなった資料が展示されており、激しい金塊争奪戦の中で、食らいつくように生きていた彼らの姿をありありと感じられます。また、野田先生のコメントが掲載されているのですが、「杉元(佐一)の所持品は少ない」「尾形(百之助)が最後の方で使っていた銃」といった一言が合わさることで、まるで彼らが私たちと同じ世界で生きているかのようなリアリティーを感じられました。
 早くも目頭が熱くなりながら歩みを進めると、目の前に大きなヒグマの剥製が! 作中で何度も登場するヒグマですが、実際に目の前に現れると、本物ではないと分かっていても恐怖心を覚えるものです。ヒグマと何度も敵対し、勝利を収めている杉元たちは、とんでもない精神力&戦闘力の持ち主だ…と再確認できたゾーンでした。

「ゴールデンカムイ展」の様子
■ヤバイ奴ら全員集合! 網走監獄を再現
 そして、個人的に1番テンションが上がったのが、第2ゾーンの「24人の刺青(いれずみ)囚人」の展示! 金塊の在りかを示す暗号の刺青が彫られた24人の囚人たちが、網走監獄をイメージした空間の中で、今にも脱獄しようとにらみを利かせています。
 縦長の通路に展示ゾーンがあり、壁には囚人たちの人相手配書と原画がずらりと掲載。そして、“不敗の牛山”こと牛山辰馬は壁を破り、“脱獄王”の白石由竹は手配書から脱獄しているなど、囚人たちの強烈すぎる個性がありありと再現されています。何より作中で登場する網走監獄に潜入した気分になり、思わずテンションが上がってしまうゾーンとなっていました。
 ちなみに、上を見上げると、いままさに網走監獄に潜入しようとしている杉元&白石&アシ(リ)パたちの姿が! 果たして彼らは、無事に潜入できるのでしょうか…?
■バーニャ! 笑って学べる展示ゾーンは必見
 それから、本作で欠かせない北の大地に息づく暮らし、食事、歴史背景など、多様な文化に触れられる第3ゾーン「命を繋ぐものたち」も必見! 作中で実際に登場したアイヌ民族の食事「チタタ(プ)」のサンプルや、アシ(リ)パがしばしば手にする制裁棒「ストゥ」など、さまざまな文化的資料が飾られています。
 こちらのゾーンの最後には、本誌掲載時にラッコ回を超える衝撃回と話題を集めた“バーニャ”シーンの大型展示、そして宙を舞う谷垣源次郎の姿が! 思わずくすりと笑ってしまう展示が畳みかけられているのも、本展ならではの魅力といえるかもしれません。
 このほかにも本展では、網走決戦、樺太ゲリラ戦、札幌大激戦から成る3つの戦いを迫力満点の展示で振り返れるゾーンや、美麗なカラーイラストの展示ゾーンなどが登場。さらに、展示の最終コーナーとなる第6ゾーンは、1歩、また1歩と歩く度に目頭が熱くなり、最後はなんだかほっこりしてしまうゾーンとなっていました。気になる詳細は、ぜひとも会場でチェックしてみてください。
 そして、4月28日(木)発売の「週間ヤングジャンプ」(集英社)掲載号で、ついに最終回を迎えた『ゴールデンカムイ』。楽しみである反面、「本当に終わるの?」「鶴見中尉の劇場はもう見られないの?」と終わってほしくない寂しさでいっぱいです。名残惜しみながらも、最後まで彼らの生きた証をしかと見届けたいと思います。
※アシ(リ)パの「リ」は小文字が正式表記
※チタタ(プ)の「プ」は小文字が正式表記
【「ゴールデンカムイ展」概要】
日程:4月28日(木)~6月26日(日)
場所:東京ドームシティ Gallery AaMo(ギャラリー アーモ)
https://news.yahoo.co.jp/articles/9ac392bf4d34cd257ac826e121a835641a135030

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