先住民族関連ニュース

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アイヌ民族を撮り続ける写真家 池田宏(いけだ・ひろし)さん

2022-04-21 | アイヌ民族関連
北海道新聞04/20 09:22

 道内のアイヌ民族のポートレート(肖像写真)を10年以上、撮り続けている東京在住の写真家。作品展「現代アイヌの肖像」を東京都人権プラザ(港区)で開いている。
 時間をかけて信頼関係を築き、「ここぞという時」にシャッターを切る。陰影の表現が持ち味で、フィルムにこだわる。「仕事ではなく、アイヌの人たちと関わる中で続けていること。彼らの思いを届けたい」
 佐賀県出身。北海道に縁はなかったが、都内の写真スタジオに勤務していた2008年、撮影テーマを模索する中で立ち寄った日高管内平取町二風谷で忘れられない出来事があった。アイヌ民族の女性に「純粋なアイヌの方はいるんですか?」と尋ねたところ「じゃあ、純粋な日本人って何ですか?」と聞き返された。答えられず、女性が憤慨した理由も分からなかった。
 理解したくて、北海道通いを始めた。2カ月おきに道内各地のアイヌ民族を訪ね、半生を聞いた。カメラの前に立ってくれるまで、時には何年もかけて1枚を撮った。「以前は『アイヌ民族はこうだ』という思い込みがあった。今は一人一人が違う個の集まりだと実感している」
 大阪外国語大在学中、中国からポルトガルまで約1年間、旅をしながら出会った人を撮影した。その経験が原点という。3年前に写真集「AINU」(リトルモア)を発刊。開催中の作品展ではアイヌ民族へのインタビューをパネル展示し、写真と組み合わせた本作りも進める。「かっこいいから、美しいから、知りたいから、撮りたい」。作品展は28日まで。無料。41歳。(大沢祥子)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/671676

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<ウポポイ オルシペ>37 アイヌ民族の衣服 白老で見る文化の変遷

2022-04-21 | アイヌ民族関連
北海道新聞04/20 05:00

会場に展示されているアイヌ民族のさまざまな衣装
 国立アイヌ民族博物館では、アイヌ文化の地域性に注目した展覧会を定期的に企画することを計画しています。現在開催しているテーマ展示「地域からみたアイヌ文化展 白老の衣服文化」は、その1回目となる取り組みです。
 19世紀ごろまでのアイヌ民族は、北海道、樺太、千島、東北北部などに住んできました。現在、多くのアイヌ民族は北海道に住んでいますが、北海道を離れて関東圏などの日本国内、そして海外にも居住しています。
 アイヌ文化が持つ独自性は、地域に根差した文化ひとつひとつがつくり出しています。地域によって異なる地形や自然環境などが、その地域の文化をはぐくみます。それと同時に、地域の文化は孤立することなく、地域を超えてその時々のさまざまな文化と結びつきながら変化を繰り返してきました。地域に住む人たちが、文化を担い創造し受け継いできたことも忘れてはいけません。
 今回の展覧会では、北海道南西部に位置する白老でみられるアイヌ民族の衣服が、19世紀後半ごろから現在へ至るまでの間、白老に住む人たちとともにどのように変遷してきたのかを3部に分けて紹介しています。
 第1部は、明治から昭和初期までの白老コタンでの「家系で受け継がれてきた衣服」、第2部は、観光の拠点をポロトコタンへ移した昭和40年代ごろの「舞踊や博物館展示のために製作された衣服」、第3部は、ポロトコタンで観光が本格化していく昭和50年代ごろから平成へ至る「衣装としてユニフォーム化していく衣服」と、現在の白老町で「文化伝承される衣服」を展示しています。
 白老のアイヌ民族の衣服を通じ、「地域からみたアイヌ文化」を視覚的に感じる展覧会となっています。5月15日まで開催していますので、是非ご覧ください。(文・鈴木建治=国立アイヌ民族博物館研究主査、写真・赤田昌倫=同研究員)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/671580

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グアテマラ最大の祝祭セマナ・サンタ、コロナ禍を経て3年ぶりに復活

2022-04-21 | 先住民族関連
ナショナルジオグラフィック4/20(水) 7:32配信

グアテマラの街アンティグアで、聖週間の始まりである「枝の主日」の行列に参加する人々。グアテマラのセマナ・サンタ(聖週間)は、華やかなパレードや儀式で有名だ。新型コロナの流行によって中止されていたが、今年、3年ぶりに復活した。(Saul Martinez)
 復活祭までの数週間、中米の国グアテマラは姿を変える。
 首都グアテマラ市の中心部から、先住民が暮らす高地の町にいたるまで、国中が人とさまざまな色彩であふれる。広場は花々や手の込んだ装飾で飾られ、色鮮やかなマヤの織物をまとった男女がカトリックの伝統に従ってイエス・キリストの死を表す重い木の棺をかつぐ。
 グアテマラの人類学者フアン・マヌエル・カスティージョ氏は、「セマナ・サンタ(聖週間)」または「セマナ・マヨール(大週)」と呼ばれるこの行事は、クリスマスよりも大きな行事になっていると説明する。聖週間は1週間だけだが、小さな祭りは2月から始まっていて、キリストの受難を記念する聖金曜日から復活祭の日曜日にかけてクライマックスを迎える。
 根深い不平等や文化の不一致の問題を抱えるグアテマラでは、セマナ・サンタは宗教行事をはるかに超えた意味をもつ。16世紀初頭にスペインの入植者によってもたらされた聖週間は、長い時間をかけ、グアテマラを構成する多様な先住民文化を取り込んできた。その結果、カトリックの信仰と、マヤの伝統が混在する祝祭が生まれた。
 セマナ・サンタは、社会階層や文化的伝統を異にする人々が肩を並べて集う祝日でもある。昨年と一昨年は新型コロナの流行により行事が中止になったため、今年のセマナ・サンタにはいつも以上に大きな意味がある。パンデミックの状況を考慮して、マスクも衣装の一部になっている。
「セマナ・サンタは、富める者と貧しい者、学業を修めた者とそうでない者、会社員、露天商など、あらゆる人が集まる空間です」とカスティージョ氏は言う。「だからこそ、この祭りはグアテマラ国民のアイデンティティーにとって非常に重要なのです。年に一度、みんなが集まる公共の場のようなものだと言えます」
一体感を記録する
 かつて10年間、グアテマラで報道写真家として活動したサウル・マルティネス氏がセマナ・サンタを記録し続けているのは、この一体感が理由だった。祝祭の間の信者たちの献身的な姿、国中の一体感、そして、葬列を模した行列に参加する人々の熱心な表情は、この国の厳しい現実を一時だけ忘れさせてくれるのだ。
 マルティネス氏は、「彼らの表情を見ていると、この1週間、この瞬間は、セマナ・サンタ以外のことはどうでもいいと思っていることがよくわかります」と言う。「祝祭に没頭する人々の姿が、美しい写真を生み出します」
「首都などは物騒で、普段はおちおち街歩きもできませんが、セマナ・サンタの間は犯罪が減り、安心して街を歩けるようになります」と彼は言う。「その週は祝祭の雰囲気に満ちていて、誰もが日常から離れることができます。グアテマラは多くの問題を抱える国ですが、聖週間は誰もが悩みを忘れてしまうのです」
 59歳のクリスティー・トージさんは、今年の祭りに参加できたことで、元の生活に戻れたと感じている。
 彼女はマヤ系の先住民であるキチェ族で、グアテマラ西部の高地にある街ケツァルテナンゴに住んでいる。コロナ禍以前は、出身地である小さな町サンタクルス・デル・キチェに何時間もかけて帰省し、家族や地域の人々とともに聖週間を祝っていた。
 彼女は毎年、伝統的なはちみつパン「パン・デ・イエマス」を焼き、親戚や友人、近所の人たちと一緒に食べる。このパンの歴史は、キリストがパンを割って群衆に分け与えたという聖書の物語から始まっている。干した魚も食べるが、これも同じ物語に由来する伝統だ。
 トージさんは、故郷の街路が、花やおがくずや果物を敷き詰めた「アルフォンブラ(絨毯)」で埋め尽くされていたのを覚えている。ときに家ほどの広さになるアルフォンブラには、聖書やマヤの伝承の一場面、動物、果物などが色鮮やかに描かれている。グアテマラには24の先住民族がいて、都市部には多くのメスティーソ(白人と先住民との子孫の人々)が住んでいるため、地域ごとに異なる伝統や食べ物がある。
いたずら好きな聖人
 湖畔の小さな町サンティアゴ・アティトランでは、聖週間にまつわる風習のなかでも一風変わったものが見られる。カトリックの信者たちがリラッハ・マム(マシモン)にも敬意を払っているのだ。マシモンとは先住民とスペインの両方の文化にルーツを持ついたずら好きな聖人で、しばしばタバコ好きの大酒飲みとして描かれる。
 伝説によると、商売のため頻繁に旅に出る夫たちは、マシモンに妻の貞操を守ってくれるように頼んでいた。しかし、マシモンは夫になりすまして、全員の妻と寝ていた。帰ってきた夫たちが留守中に起こったことを知ると、マシモンを追いかけて、手足を切り落としたという。
 グアテマラの人々がマシモンを崇拝するようになった経緯は不明だが、人間の光と闇を象徴する存在として、先住民とカトリックの風習が混在する「フォーク・カトリシズム」を表している。
 聖週間には、マシモンの像が街を練り歩き、幸運と健康と愛を求める人々が、その祭壇にトルティーヤ、葉巻、酒、お金などを供えている。
街を取り戻す
 100万の人口を抱えるグアテマラ市は、多発する犯罪が市民の日常生活に影を落とし、普段は日没後に通りを歩く人などいない。しかし、聖週間の祝祭中だけは、市民が街を取り戻すことができる。
「グアテマラ人にとって、セマナ・サンタは1年で最大のパーティーです。この祝祭を、キリストの受難と復活に結びつけることに、矛盾さえ感じるほどです」とカスティージョ氏は言う。「なぜそこまで大々的に祝うのだと思いますか? 私たちがグアテマラ市の公共空間を取り戻せる、年に一度だけの機会だからです」
 今年、久しぶりに祭りに参加した人々にとって、大々的に聖週間を祝うことは、多くの日常生活が奪われたコロナ禍を経て、もとの暮らしが戻ってきたのを歓迎することを意味する。宗教、文化、平等、人生の美しさを再び抱きしめる時なのだ。
「私にとっては、伝統を楽しみ、家族、友人、隣人と過ごすことがすべてです」とトージさんは言う。「私たちは新型コロナにより大きな打撃を受けました。聖週間を祝うことは、『すばらしい。私は生きている』と感じることなのです」
文=Megan Janetsky/訳=三枝小夜子
https://news.yahoo.co.jp/articles/fa7575e2a933c038a2eb38d85eeaa57d879e8a1b

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