先住民族関連ニュース

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<卓上四季>マスの分け前

2022-04-12 | アイヌ民族関連
北海道新聞04/12 05:00
 アイヌ民族の言葉でマスのことを「サキペ」という。「サッ=夏」「イペ=食べる」の通り、産卵の準備のため川を遡上(そじょう)する夏マスは貴重な食料だった▼待ち構えるのは人間ばかりではない。クマやシマフクロウにとってもごちそうである。クマは頭の部分ばかりを口にするが、弱ったものだけを捕食したので資源量が減ることはなかったそうだ▼船や漁具の改良によりサケ・マスの沖取りが行われるようになったのは明治初期のこと。1907年には日露漁業協約が締結され、ロシア領での沿岸漁業も始まり、公海での母船式漁業とともに北洋サケ・マス漁業は最盛期を迎えた▼92年に公海の漁が全面的に禁じられて以降も排他的経済水域内での流し網漁は北海道の主要産業の一つ。にもかかわらず、操業条件を協議する日ロ政府間交渉開始が遅れたため、例年10日解禁の出漁に待ったがかかってしまった▼ロシア軍のウクライナ侵攻の影響で道内の漁業者からはすでに出漁を諦める声も出ていた。貝殻島周辺のコンブ漁や北方四島周辺水域での安全操業の行方も見通せない。関係者の落胆は大きく焦りも募る一方だ▼戦時中、日高管内の沙流川で測量の仕事に携わったことがある萱野茂さんは自著で「クマと一緒に獲って食べながら仕事をした」と記していた。動物とも共存は可能である。交わす言葉を持つ人間同士であれば、なおさらであろう。2022・4・12
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/668335

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京極さん「深く感謝」吉川賞贈呈式 木村さんも喜び

2022-04-12 | アイヌ民族関連
北海道新聞04/11 22:11
 2022年度の吉川英治賞(吉川英治国民文化振興会主催)の贈呈式が11日、東京都内のホテルで開かれ、吉川英治文学賞に輝いた小樽出身の作家・京極夏彦さん(59)と、同文化賞を受けた帯広市在住の木村マサヱさん(73)らに賞状と副賞の記念品が贈られた。
 化け物を題材にした人気時代小説シリーズの最新作で、岩手県遠野市を舞台にした「遠(とおくの)巷説(こう せつ)百物語」で受賞した京極さんは、「デビューしてから一度も感謝の言葉を述べたことがない相手。それがお化け」と笑わせ、「すべての関係者や読者と共に深く感謝したい」と語った。
 また、アイヌ民族の子供の教育支援を30年以上続けてきたことが評価された木村さんは「『アイヌってかっこいい』と言える子が出てきたのはびっくり」と近年の教え子の変化を明かし、家族や活動を支える多くの人に謝意を述べた。(大原智也)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/668302

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<デジタル発>かめばかむほど甘い 幻の食材 浜益の「ルッツ」を追う

2022-04-12 | アイヌ民族関連
北海道新聞04/11 21:25 更新

 北海道の日本海沿岸の石狩市浜益区。みなさんはこの地域でしか食べられていないという「ルッツ」をご存じですか?ルッツは年に1、2回程度、大しけの後にだけ姿を現します。北海道に住んでいても、多くの人が知らない幻の食材です。浜益の住民が冬の訪れを待ちわびるほど魅了されているルッツはどんな味がするのでしょうか。浜で追いました。(報道センター 伊藤駿)
 「ルッツ寄ってます(浜に打ち上げられています)」。昨年12月上旬の朝、石狩市浜益支所の職員からメールを受け取りました。浜益区の中心部の北側に位置する群別漁港近くの浜にルッツが打ち上げられたのです。早朝にも関わらず、住民たちの間には「ルッツが寄った」という情報が、口コミや会員制交流サイト(SNS)などを通じて瞬く間に広がりました。
 それまで、ルッツが浜益区民に愛されるソウルフードであると聞いてはいましたが、見たことはありませんでした。「ようやくルッツを見られる」とはやる思いを胸に車を走らせました。午前11時ごろ浜に到着。しぶきを上げ、「ゴォー」と音を立てて波が寄せる浜には丸い石がゴロゴロと並び、昆布が一面に漂着していました。前日の暴風雪の激しさを感じさせました。寒風が吹き付ける中、高波に注意しながら、ヌルヌルした昆布の上を一歩一歩、慎重に歩きました。ルッツを追う道のりはなかなか過酷です。
 浜では、防寒着をしっかりと着込んだ住民6人がビニール袋やバケツを手に、ルッツを求めて足元や石の下を注意深く探していました。ルッツは石の隙間で見つけることができるそうです。住民の周囲には、かき分けた石が積まれていて、まるで石垣のよう。この朝は、最も多い時で20人ほどが浜に集まったそうです。
 足元にじっと目をこらすと、目当てのものを見つけることができました。
 オレンジ色の円筒形。触るとプニプニとした感触です。よく見ると、毛のようなものもついています。なかなかグロテスクに感じました。「これ食べるのか」。思わずつぶやいてしまいました。
 ルッツは海底に生息する無脊椎動物です。正式名称は「ユムシ」。市によると、アイヌ語でミミズに似るという意味の「ルッチ」に由来すると言われています。普段は海底の砂や泥の下に穴を掘って生息しています。体長は大きいもので20センチほどです。
 「ルッツっていつ寄るか分からないから、シケたら見に来るのさ。早く来ないとなくなっちゃうから」。午前7時半ごろから浜に来ていたという地元在住の50代の女性はルッツを手に話してくれました。「今日は少ないかな。浜来たら、真っ赤になっている時もある。それを拾うのが面白いんだ」。女性のクーラーボックスには大小さまざまな大きさのルッツが入っていました。
 ルッツを拾いに石狩市街地や札幌から訪れる人もいます。浜益出身の石狩市花畔地区在住の50代の主婦は、浜益の住民からの連絡で駆けつけました。「あんまり採れないから、吹雪でない限りは来ます」。ルッツを狙うのは人間だけではありません。カラスやカモメも、石の隙間から器用にルッツを探し出していました。
 市浜益支所によると、浜益では西風が吹き、波の高さが6メートル以上になると群別や幌の浜でルッツが打ち上がることがあるそうです。住民によると、防波堤を整備するまでは浜益漁港付近で上がったこともあったそうです。ただ、シケた後に必ず打ち上がるわけではありません。全く採れない年もあるそうです。
 いしかり砂丘の風資料館の志賀健司学芸員は「海底の砂がかき混ぜられて、打ち上がるのでしょう。食用にするのは日本では浜益以外、あまり聞いたことがありません」と言います。いつ頃から浜益で食べられていたかなどの記録はないそうです。
 住民になぜ、ルッツを食べるのか、その理由を尋ねてみました。でも、答えは「なんでって、小さいころから食べているからな」。家庭では刺し身にするほか、サッと焼いてしょうゆやジンギスカンのたれを付けたり、しゃぶしゃぶにしたりして食べるそうです。
 ルッツを食べる時は、両端を切り、内臓を取り除いて塩水で洗って短冊や輪切りにします。調理済みのルッツを食べられても、実物を見て苦手になった人もいるそうです。移住して浜益で暮らす植村幸里さん(39)は「実物を初めて見た時はちょっと引きました。でも食べてみたらおいしかった」と笑顔で話しました。
 地元の居酒屋「小銭(だらせん)」の店主、安保美佐子さん(69)はルッツを自分で拾い、料理を提供しています。3月下旬、店を訪ねました。
 「きたきた、るっつだよ~」「あがったぜ るっつ」。
 故ポール牧さんや岸恵子さんら有名人のサイン色紙が目を引く店内の壁には、ルッツが打ち上がった年月日とコメントを書き込んだ紙が何枚も張り出されています。「なんとなく勘でいつ(ルッツが)寄るかは分かるかな」と安保さんは少し自慢げです。50年以上ルッツを拾うベテランです。
 店では1989年の開店当初からルッツを扱っています。現在は刺し身、しゃぶしゃぶ、フライパンで炒める「フライパンるっつ」、三升漬けをまぶす「ピリ辛るっつ」の4種を時価で提供しています。安保さんが今冬、ルッツを拾えたのは12月の1回のみ。12月は深夜11時から約4時間かけてバケツ4杯分採ったそうです。安保さんによると、過去には台風の影響で9、10月の秋にルッツが上がったこともあったそうです。
 「今年は量が少なくてね。もう小さいのしかないけど」と言いながら、安保さんは冷凍したルッツを取り出しました。今年、提供できるルッツは少なく貴重品です。安保さんは刺し身と「フライパンるっつ」を調理してくれました。「かめばかむほど甘みが出る。取れたてのプリプリとした食感が良いのよ」と安保さん。冷凍物だが、刺し身はコリコリとした食感で、味は赤貝のよう。新鮮なものだと、ほのかに磯の香りがするそうです。サッと炒めた「フライパンー」は、ホルモンのような食感。確かに、かむほどに甘みが増します。いずれも酒やご飯が欲しくなる味わいです。安保さんは「三升漬けは酒飲みには最高のおつまみ。しゃぶしゃぶもいくらでも食べられます」と話してくれました。
 北海道東部の白糠町出身で、結婚を機に浜益に住んだ安保さん。「あの姿見ると、なかなか食べづらいよね。最初に食べようと思った人はすごいなと思う。ただクセがなくておいしいから。黙って食べてみてほしい」と言います。ルッツ目当てに、北海道外から訪れる客もいるそうです。店にはテレビ局からも取材が訪れます。今冬はテレビ局2社が取材に訪れました。取材は極力受けるようにしているといいます。安保さんは、取材の際には必ず「石狩市」ではなく「石狩市浜益」と紹介してほしいと伝えるそうです。旧浜益村は、2005年に旧石狩市、旧厚田村と合併しました。地区の人口は最盛期の9千人から1145人(2月末現在)にまで減少し、少子高齢化が進んでいます。安保さんの自宅の周辺にも空き家が増えているそうです。
 「私はルッツで浜益を売りたいの。こんなに住みやすくて良いところはないよ。もっと人が来てくれるといいな」と安保さん。「ルッツを待っているお客さんがいるからね。これからも提供したい」と考えているそうです。
 最後に質問してみました。安保さんにとってルッツとは―。「海からの贈り物かな。いつ食べられるか分からない。でも、それが面白い」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/666864

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アイヌ文化学ぶ環境充実 美術博物館常設展のリニューアル進む 資料解説をデジタル化 苫小牧市

2022-04-12 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2022/4/11配信
 苫小牧市は、市民がアイヌ文化を学べる環境の充実へ、2020年度以降、刺しゅうや木彫りなど体験型の講座を増やしたり、美術博物館の常設展のリニューアルを進めてきた。22年度は同館所蔵で、道の指定文化財になっている丸木舟を解説するデジタルコンテ…
この続き:937文字
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https://www.tomamin.co.jp/article/news/main/74398/

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アイヌの個々の姿見て 写真家の池田宏さん企画展 東京で28日まで

2022-04-12 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2022/4/12 北海道朝刊 有料記事 1311文字
 今を生きるアイヌの人々を取材、撮影してきた写真家の池田宏さん(東京都在住)が、写真企画展「現代アイヌの肖像」を28日まで、都人権プラザ(港区)で開いている。池田さんに企画展で伝えたいことを聞いた。【加藤昌平】
 ――なぜアイヌをテーマにしようと考えたのですか。
 大学卒業後、目黒区にあった写真スタジオに勤め始めた時、自分の作品を撮りたいと思い、興味がある民族的なテーマを調べてみました。調べた中から、2008年に(アイヌの人が多く住む)平取町二風谷(にぶたに)に行ってみました。
 ――二風谷で写真をいろいろ撮ったのですか。
この記事は有料記事です。 残り1050文字(全文1311文字)
https://mainichi.jp/articles/20220412/ddr/018/040/005000c

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先住民の土地と権利の保護を、ブラジル首都でデモ

2022-04-12 | 先住民族関連
AFP2022年4月11日 9:30 発信地:ブラジリア/ブラジル

【4月11日 AFP】ブラジルの首都ブラジリアで行われた先住民の土地と権利の保護を求めるデモ「テラリブレ(Terra Livre、自由の土地)キャンプ」の参加者ら。
 昨年と一昨年は新型コロナウイルスの感染拡大を受けて中止された。今年は10日間の日程で行われ、ブラジル全土から集まった先住民が、自分たちの土地と権利を守るため声を上げた。
 先住民は、政府は環境破壊につながる開発プロジェクトを加速し、先住民居留地での資源開発を認める法律の制定を目指していると批判している。(c)AFP
https://www.afpbb.com/articles/-/3399202

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マクシミリアン皇帝のお気に入りのメキシコ人歌手は誰ですか

2022-04-12 | 先住民族関連
彼女はオペラ史上最も重要なソプラノの一人でした
Infobae2022/04/11

マリア・デ・ロサンゼルスマヌエラ・トランキリーナ・シリラ・エフレーナ・ペラルタ(当時はアンジェラ・ペラルタだけ)は、19世紀で最も有名なメキシコのオペラ歌手であり、驚いたハプスブルク家とシャーロットのマクシミリアン皇帝は、この参加の後、帝国の室内歌手と名付けられました。彼女は1845年7月6日にメキシコシティで生まれ、彼女の信者には「メキシカンナイチンゲール」として知られていました。イタリアでは、その壮大な声からアンジェリカ・ディ・ヴォーチェ・エ・ディ・ノーム(声と名前でアンジェリカ)と呼ばれました。
彼女は先住民族の出身で、幼い頃から音楽への関心とソプラノ歌手としての素晴らしい才能を示しました。彼女は子供の頃、家族の経済を助けるために召使いとして働いていました。彼の最初の公演は、8歳の時にイタリアの作曲家Donizettiの歌で演奏されました。
彼は国立音楽院で学び、15歳でヴェルディのイル・トロヴァトーレ、メキシコシティの国立劇場で「ルーノア」というキャラクターを演奏してオペラデビューを果たしました。一年後、彼はイタリアでの歌の勉強を完璧にするためにヨーロッパに初めて旅行しました。外国では1862年5月13日にミラノのスカラ座でデビューし、イタリアのヴィクトル・エマニュエル2世のために歌い、ローマ、ナポリ、フィレンツェ、マドリード、バルセロナなどで3年間ツアーを続けた。
1865年の終わりに、彼はマクシミリアン皇帝の個人的な招待でメキシコに戻りました。フランスの侵略。皇帝の公演の後、彼はメキシコをツアーし、現在グアダラハラのデゴジャド劇場と呼ばれるフアンルイスデアラルコン劇場を開設しました。
メキシコ帝国の崩壊に伴い、彼はわずか21歳の1867年にハバナとニューヨークでヨーロッパに立ち寄り、当時の最も重要なステージで演奏しました。マドリードで、彼は最初のいとこであるエウジェニオ・カステラと結婚し、ツアーをやめ、小さな作品の作曲に専念しました。
4年後の1871年、故郷に戻り、メキシコの国立劇場で、アニセト・オルテガ・デ・ビジャールのオペラ「グアテモーツィン」を上演しました。そこで彼は自分のオペラ会社を設立しました。一年後、彼女は3度目のヨーロッパツアーを行い、1876年まで続き、数か月後に亡くなった夫の病気によって中断されました。
1877年に彼女はメキシコに戻り、管理者であり作家のジュリアンモンティエルドゥアルテとの恋愛関係が知られるようになりました。これは、最初の夫が亡くなる前に始まり、一般の人々が彼女を支援するのをやめることになっていました。アンジェラは彼女の死の床で、彼女の人生で二度目のドゥアルテと結婚しました。
1883年、彼女は「メキシカン・ナイチンゲール」の会社に出演する予定でしたが、アンジェラは到着した船で黄熱病にかかったため、歌うことができませんでした。その数日後の8月30日、マサトラン・シナロアで38歳で死去し、遺骨は1937年4月に著名人のロタンダに移された。
現在、彼女はメキシコでオペラの扉を開いた最初の女性であり、音楽ジャンルの歴史の中で最も有名なソプラノの1つであるため、全国のいくつかの劇場に彼女の名前が付けられています。
https://www.infobae.com/jp/2022/04/11/who-was-emperor-maximilians-favorite-mexican-singer/

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クルーズ船の北海道寄港、2年4カ月ぶり再開 観光振興に期待

2022-04-12 | アイヌ民族関連
毎日新聞4/11(月) 19:19
 新型コロナウイルスの影響で長く見送られていた豪華なクルーズ船の北海道内への寄港が3月28日の函館港を皮切りに再開した。2年4カ月ぶり。クルーズ船の寄港は近年、増加の傾向にあったが、新型コロナが水を差した。函館港は8月までにあと6回の寄港がある。クルーズ船の乗客は多く、寄港地は一度に多数の観光客がやってくるだけに観光振興効果に期待を寄せている。【三沢邦彦】
 JR函館駅に近い函館港若松ふ頭に着岸したのはクルーズ船・にっぽん丸(商船三井客船・2万2472トン)だ。3月26日に横浜港を出港。28日に函館、29日に室蘭、30日に大船渡港に立ち寄り、31日に横浜港に帰港した。函館市を訪れた乗客は近くの函館朝市のほか、五稜郭公園などで観光を楽しんだ。
 函館港に続いて入港した室蘭港は2年7カ月ぶりのにぎわいになった。コロナ禍前の19年は6隻のクルーズ船が入港したが、その後は途絶えていた。乗客たちはバスに乗り換え、白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」や昭和新山などで観光を楽しんだという。室蘭港は7月までに3回の入港がある。市の担当者は「地域経済の活性化につながってほしい」と話した。
 道内は03年に客船の誘致を目指す「北海道クルーズ振興協議会」が設立された。取り組みが実を結び、14年は米国の大型客船が道内ツアーを組むなどして道内に計157回の寄港があった。外国人観光客の増加を背景に、寄港はその後も増えていたが、世界的な新型コロナの流行のために中断。20、21年は寄港がゼロになった。
 函館港は新型コロナによる中断前の19年に国内外のクルーズ船47隻が寄港した。国内で新型コロナの感染の拡大が落ち着いたことなどから22年はにっぽん丸や「飛鳥Ⅱ」(郵船クルーズ・5万444トン)、「ぱしふぃっくびいなす」(日本クルーズ客船・2万6594トン)が寄港を計画する。ただし、これらのクルーズ船はいずれも日本船だ。これまで寄港するクルーズ船の7~8割を占めていた外国船の再開は見通せない。
 コロナ禍前のにぎわいに及ばずとも、函館市港湾空港振興課の細越清朗課長は「受け入れが再開できてうれしい」と話す。「入港の条件の新型コロナの感染症対策を守ってもらい、観光の活性化を期待したい」と言う。
 道内は各地に港が点在する。道内有数の観光地・小樽市は7月9日、小樽港でぱしふぃっくびいなすの入港を控えている。19年は29隻が入港したものの、22年は7隻の日本船の入港しか予定がない。市の担当者は「新型コロナなどの状況もあるが、観光面での活性化を期待したい」と語った。
 ◇2022年に函館港に入港を予定するクルーズ船
入港・出港日時…船名
5月6日(午前10時半~午後5時)…にっぽん丸
6月9日(午前8時~午後5時)…にっぽん丸
6月15日(正午~午後10時)…にっぽん丸
7月10日(午前9時~午後10時)…ぱしふぃっくびいなす
7月30日(午前11時半~午後10時)…飛鳥Ⅱ
8月23日(午前7時~午後9時)…にっぽん丸
https://news.yahoo.co.jp/articles/91664e40e9d44f38d2a1c634f39c889b13098e82

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