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祝「札幌市制100年」盛大に 誕生ケーキに漫才、アイヌ舞踊も

2022-08-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞2022/08/01 05:00
 札幌市内で31日に開かれた市制100周年記念式典では、道内ゆかりのお笑いコンビ「タカアンドトシ」や「錦鯉(にしきごい)」による軽快な漫才や、市民団体らによるダンスや音楽のパフォーマンスが披露され、節目を盛り上げた。さっぽろ時計台をモチーフにしたバースデーケーキもお目見えし、関係者たちが盛大に祝った。
 漫才ステージでは「錦鯉」の長谷川雅紀さん(51)=札幌出身=が「こーんにーちはー」と叫ぶおなじみのあいさつで登場。「100周年、めでてえな~」と歌う一発ギャグを披露し、観客の笑いを誘った。タカアンドトシの2人は「コロナが収束したら大勢でジンギスカンを食べたい」などと語り、北海道にちなんだ話題で会場を沸かせた。
https://news.goo.ne.jp/article/hokkaido/region/hokkaido-712409.html

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<平取>アイヌ文化学習を広めるには 平取町教委の初代担当係長・関根健司さん(51)

2022-08-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞07/31 12:02 更新

せきね・けんじ 兵庫県尼崎市生まれ。1998年に平取町に移住。同年からアイヌ民族の妻が講師を務める二風谷アイヌ語教室の手伝いを始め、昨年から正式に講師に。15年から二風谷アイヌ文化博物館の学芸員補などを務め、21年から現職。
 平取町教委は昨年度、生涯学習課にアイヌ文化学習係を新設した。小中学校でアイヌ文化学習が取り入れられ、地域のアイヌ語学習も盛んな平取で、アイヌ文化の学びの場をさらに充実、発展させるのが目的だ。初代係長で、アイヌ語教室の講師も務める関根健司さん(51)に、現状や課題を聞いた。(聞き手・杉崎萌)
 ――アイヌ文化を多くの人に学んでもらうため、何を大切にしていますか。
 「とにかく楽しいと思ってもらうことです。まずは、子どものころにアイヌ文化をおもしろいと感じてもらうこと。それによってアイヌ文化に興味を持ち、その後も学んでいくきっかけになるかもしれません」
 ――町内では、アイヌ民族文化財団(札幌)のアドバイザー派遣事業を利用する学校もあるようですね。
 「講師として登録されたアイヌ文化を伝承する人たちが、申請のあった学校でアイヌ刺しゅうなどの伝統技術や知識を児童、生徒に教える事業です。平取町でも、二風谷民芸組合や平取アイヌ文化保存会に所属する約25人が講師として登録しており、町内で子どもたちに教えていますよ」
 ――アイヌ文化学習係は、どのようにサポートをしているのでしょう。
 「アドバイザー派遣事業を利用したい学校があれば、学校に代わって財団に提出する書類の申請手続きを行います。また、町内にはアドバイザーとして登録していなくても(伝統技術などを)教えられる人がいます。そうした人材も含め、学校で教えられる体験内容を一覧にして学校に配布したりもしています。アイヌ語の授業などは、私が教えているんです」
 ――どのようにしてアイヌ語を学んだのですか。
 「妻が講師を務める二風谷アイヌ語教室を手伝うようになってから、テキストを見たり昔の音源などを聞いたりして勉強しました」
 ――町内の全7小中学校では、体験活動などでアイヌ文化を学んでいます。
 「体験活動では、木彫りやアイヌ刺しゅうなどを町内の工芸家が教えています。授業時間数は学校によって違いますが、一番多い二風谷小では年間10時間行い、アイヌ民族の伝統楽器ムックリ(口琴)や踊りの練習、アイヌ語の授業にも取り組んでいます」
 ――課題はありますか。
 「小学校と中学校で体験活動の内容が重なっている部分もあり、9年間で異なる内容を学べるカリキュラムを昨年、作りました。活用してもらえたらうれしいです。また、道内の学校でアイヌ語の授業が増えるといいのですが、授業のコマ数の制限もあり、国語や英語のようにはならず、なかなか難しい。まずは、総合的な学習の時間で、アドバイザー派遣事業を取り入れる学校が増えてくれたらと思っています」
 ――町内ではアイヌ語学習もさかんです。
 「平取では学校の授業以外に、年齢やレベルに合わせて、さまざまな団体による計六つのアイヌ語教室が開かれています。幅広い学習の場が用意されていることで、アイヌ語が学びたい言語の一つの選択肢となり、興味を持つ人の裾野が広がれば…。今後はアイヌ語の絵本やイラストを用いた辞書など、楽しみながら学べる教材を作り、多くの人が手軽にアイヌ語を学べるようになればと思います」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/712287

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ゲノム論文を不当切り張り 「先住民族でない」アイヌへのヘイト拡散

2022-08-01 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2022/7/31 06:00(最終更新 7/31 06:00) 2184文字

日本列島に住んでいた人々の頭骨を比較した展示=東京都台東区の国立科学博物館で、千葉紀和撮影
 過去を生きた人々の遺骨に、技術革新が新たな価値をもたらしている。骨のゲノムを調べる最先端の人類学研究は、従来の考古学や歴史学に基づく定説を続々と書き換える一方、国内外で民族や先住性を巡る新たな争いも引き起こし、研究倫理や成果の悪用が問題化している。遺骨を巡る「ゲノム革命」の光と影を追う。
「日本人の起源」再考
 「日本人の起源」を示す、最も有力な仮説とされる「二重構造モデル」。まず南方系の縄文人が日本列島にいて、弥生時代に北方系の集団が渡来し、徐々に混血して成立したとする考え方だ。人類学者の埴原(はにはら)和郎博士(1927~2004年)が説を発表して30周年となる2021年11月、博士が生前在籍した国際日本文化研究センター(京都市)で、モデルを問い直す会合が開かれた。
 主催したのは「ヤポネシアゲノム」プロジェクト。ゲノム解析で日本列島(ヤポネシア)の人々の成り立ちを解明するとの目標を掲げ、18年度から5カ年計画で始まった。5億円を超す文部科学省の予算が付き、有力研究者が参加する8班構成の大型研究事業だ。
 古代人のゲノムを調べる班は、北海道・礼文島の船泊(ふなどまり)遺跡で出た女性の骨から、約3800年前の縄文人の全ゲノムを初めて高精度で解読した。現代人のゲノムを調べる班は、国内各地の人々から唾液や血液を採取し、一般消費者向けの遺伝子検査大手・ジェネシスヘルスケア社(東京)とも提携。集めた遺伝データを分析した。すると、新たな事実が次々に見えてきたという。
 プロジェクト代表の斎藤成也・国立遺伝学研究所特任教授(遺伝学)は、縄文人から現代人に受け継がれたゲノムの割合に大きな地域差が出た点を重視する。
 「従来は北のアイヌ民族と南の沖縄人に縄文人のゲノムが残り、中央のヤマト人は稲作農耕を伝えたアジア大陸の人々のゲノムが大部分と考えられてきた。だが実際は、近畿地方の人は大陸に近く、東北地方の人とも差があるなど、ヤマト人の中にも『内なる二重構造』が明確に出てきた」
 斎藤さんはさらに意義を熱弁した。「沖縄人のゲノムはヤマト人に近かった。二重構造モデルはアイヌと沖縄の人が縄文人の直系の子孫のように単純化されており、修正が必要だ」
研究手法に波紋も
 古代史に新たな光を当てる研究者たち。だが、その手法は波紋も広げてきた。
 古代人のゲノムを調べる班の代表を務める篠田謙一・国立科学博物館長らは17年、アイヌ遺骨94体のミトコンドリアDNAを解析した成果を米科学誌に発表した。遺骨の一部は北海道浦河町の東栄遺跡で札幌医科大が発掘調査した江戸期のものとされたが、年代や来歴に疑惑が浮上。遺骨返還を求めるアイヌ団体から「先祖の遺骨を無断で研究材料に使い、損傷した」と批判が高まり、保管していた遺骨の利用を許可した札幌医大は落ち度を認めた。
 この一件は、海外の研究者からも懸念が示された。北海道大の加藤博文教授(先住民考古学)は「世界の研究倫理基準に合わない論文が国際誌で公開されて問題になることは、日本の研究水準の国際的評価にとって深刻な問題だ」と指摘。日本でも研究倫理指針の作成が急務だと語る。
 さらに深刻なのが、「科学的」と称してアイヌ民族を否定するヘイトスピーチの広がりだ。保守系雑誌などで活動する元北海道議や医師が中心となり、インターネット動画や著書、講演会などで「DNA分析の結果、アイヌは先住民族ではない」「先住民族を語るのは特権が目当てだ」などと主張を繰り広げている。
 ゲノム研究の専門家ではない彼らが依拠するのは篠田さんらの論文だが、結論ありきの自説が目立つ。そもそも民族とは、共有する歴史文化や帰属意識などが重視され、DNAでは決まらない。しかし「科学的アイヌ否定論」は、真に受けた人々による拡散が続く。
科学者の社会責任問う
 ヘイトに立ち向かう科学者は、意外な所から現れた。固体物理学が専門の稲垣克彦・旭川医科大准教授は22年3月、「歴史修正主義者による先住民族史への干渉」などと題する論文を発表。アイヌ否定論者の言説を原典の論文と詳細に見比べ、学術成果を不当に引用する手口で本来とは逆の結論に改変している実態を明らかにした。
 「例えば引用箇所を数カ所省くだけで、縄文人とアイヌとの共通性の説明が、共通性がないように読めてしまう。原典まで調べる読者は少なく、悪質だ」
 稲垣さんは北大出身で、学生時代はアイヌ語も学んだ。専門外の分野に関わることにはためらいもあったが、「人権問題であり、科学者の一人として看過できない。科学のルールを逸脱している点に絞って反論することにした」と、本業と平行して作業を進めた。その上で「成果を歪曲(わいきょく)された専門の研究者は、見ないふりをしていいのか」と、科学者の社会的責任を問いかける。
 ヤポネシアゲノムの研究者はどう考えているのか。斎藤さんに尋ねると、実はヘイト本や動画をチェックして、心を痛めていたという。「言論の自由もあり、我々がどこまで対応すべきか迷いがあった。でも、もっと正確な情報発信に努めなければ」
 斎藤さんは「この機会にはっきり伝えたい」として、こう訴えた。「研究で明確になったのは、アイヌの人々が縄文人のゲノムを最も受け継いでいるということ。アイヌ否定論は完全に誤りだ」【千葉紀和】
https://mainichi.jp/articles/20220728/k00/00m/040/062000c

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(6)日本・北海道 文化で差別をはね返す 多彩な舞踊で歴史を伝える  自然と共存、アイヌの誇り

2022-08-01 | アイヌ民族関連
共同通信2022.8.1 0:01
2021年7月23日、東京五輪の開会式をテレビで見ていて秋辺日出男(あきべ・ひでお)(62)は、むなしさにさいなまれた。「歴史と文化を表現する場だと思っていたら、演出の基本はゲームとアニメ。出なくてよかった」
 通称・デボ。アイヌ民族の古式舞踊を開会式で披露しようと、総監督として準備を進めたが、大会組織委員会は採用しなかった。「日本が多民族国家であることを世界の舞台で表現できるチャンスだったのに」。デボの失望は大きかった。
 競技期間中の8月、札幌・大通公園のステージで、無観客ながら公式プログラムとして舞踊が演じられた。「差別を訴えるのではなく、アートでアイヌの考え方を知ってもらう」。多彩な舞踊には、デボの思いが凝縮されていた。
▽怒りと気付き

(写真:広い空にどこまで行ってもこの景色。ここに来ると自然に守られてるって感じないか?」。結氷し、雪に覆われた北海道・阿寒湖のほとりで、秋辺日出男(通称・デボ)は笑った。アイヌコタン(集落)で生まれ育ち、雄大な自然の中で生きてきた=2022年1月)
 北海道の阿寒湖畔にあるアイヌコタン(集落)で生まれ育ち、アイヌであることを理由に中学までいじめを受けた。アイヌの文化や土地が明治政府の同化政策で奪われ、祖先が貧困を余儀なくされてきた歴史も知った。自らの経験に歴史を重ねると、憤りが増した。差別を通してしか、アイヌを語れなくなっていた。
 「被害者意識や権利意識が強くなり、自分は特別な存在とすら思っていた。攻撃的で、逆に和人(アイヌ以外の日本人)を差別していたんだ」
 突っ張っていたデボの気持ちに変化を与えたのが、高校を卒業して訪れたカナダでの先住民との出会いだった。「差別ばかりを訴えても解決にはならない。文化の力ではね返せばいい」。アイヌと同じく収奪された歴史を持つ先住民。歌や踊りは美しくて力強く、その言葉が胸に刺さった。
 ふと、自分の足元を見つめた。差別抜きでアイヌを考えてみると、自然と共存する魅力的な文化と伝統が浮かび上がってきた。「頭の中でパチンと音がして、このままじゃいけないと気付いた」。父が営んでいた民芸店で木彫りに励むとともに、アイヌの口承文芸を演劇にする阿寒ユーカラで脚本や演出を担うようになった。
  「アイヌらしい自己表現が踊り。理屈抜きで民族性を示すことができる」。舞台での表現と木彫りを通してアイヌの伝統や考えを知ってもらい、そこから歴史や現状について語っていく。「文化を発信するプロのアイヌ」。デボは自らを、そう表した。
 ▽ハイブリッド文化
 阿寒アイヌ工芸協同組合の理事になった30歳代後半から、民族衣装を着て地元を歩くようになった。アイヌの自覚が深まる一方で、アイヌコタンの民芸店主たちに呼びかけた。「和人のことを『シャモ』ではなく『シサム』(隣人)と呼ぼう」
 「シャモ」は、和人をさげすむ言葉として使われていた。年配のアイヌたちには「和人にだまされる」との意識が強く、地元温泉街の和人社会との交流はほとんどなかった。「見えない壁で分断されていた」。そんな中、ホテルの経営者から「舞踊を披露してほしい」との相談を受けた。
 「アイヌとシサムは、相棒のような関係。手を携えれば互いにプラスとなる」。猛反発するアイヌたちを説得し、1998年に「イオマンテの火まつり」の開催にこぎつけ、阿寒を代表する人気イベントに発展させた。
観光業と関わることに「伝統を売り物にしている」と批判されることもある。だが、デボは「自分たちが大切にしてきた文化や表現を、遠くから来た人たちに見せるのは尊いことだ」と意に介さない。一つの枠の中に収まらず、さまざまな文化が混ざり合う「ハイブリッドな文化」。それはデボの理想でもある。
 ▽共生の思想
 新型コロナウイルスの感染拡大により、阿寒湖畔を訪れる観光客が激減し、デボが営むアイヌコタンの民芸店も一時閉店を余儀なくされた。
 だが、そうした災いも「事情があって神がもたらした」と受け止め、ウイルスの撲滅ではなく、早期退散を祈る。「人間に不都合だからといって、悪いとは決めつけられない」。一方的に善悪を判断しない考えは、アイヌに根付く共生の思想に基づく。
 「カント オロワ ヤク サクノ アランケプ シネプ カ イサム(天から役目なしに下ろされたものはない)」。デボは、アイヌ語のことわざを口にした。「生物多様性の考えは、昔からアイヌにあった。時代がやっと、アイヌの言葉に耳を傾けるようになってきた気がする」
 そうした自負があるだけに、五輪開会式の出演見送りは納得できなかった。アイヌの権利回復の動きが進み、注目される機会が増えたと感じるが、まだ十分ではないとも思う。
「アイヌ文化の魅力を知って、それから負の歴史を学んでいけばいい。だからこそ、まず入り口で面白いと感じてもらわないとね」
 自ら脚本を手掛けたアイヌの映画を製作する。「それが次の目標だ」。デボは、はにかみながら笑顔を見せた。(敬称略、文・佐藤大介、写真・深井洋平)
 ◎取材後記「記者ノートから」 
 アイヌの社会では、争い事が起こった際、武力に訴えることなく徹底的に話し合う「チャランケ」という紛争解決の文化が根付いていた。
 「談判する」という意味で、村の長老たちを前に、双方が納得するまで意見を述べあう。弁論は時に何日にも及ぶこともあったという。双方の代理人が雄弁に主張を述べるやり方は、米国の陪審制度に通じる。
 「いろんな人がいて当然。決して排除はしない」。舞台づくりで、デボはチャランケの思想を大切にしている。個々の意見を尊重し、議論を尽くす。それは民主主義そのものでもある。
 インターネット上では、匿名による言葉の暴力が増幅し、人々の心を傷つけている。そうした時代にこそ、言葉を尽くすチャランケの大切さに学びたい。(敬称略)
 筆者は共同通信編集委員、写真は共同通信写真映像記者。年齢は2022年8月1日現在
https://www.47news.jp/news/8108964.html

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MBS発 映像’22 骨は誰のものか~返還を求める琉球・アイヌの人たち きょう深夜0時50分

2022-08-01 | ウチナー・沖縄
毎日新聞 2022/7/31 大阪朝刊 565文字
墓を暴いて持ち出し 研究に用いた人類学者 保管したままの京都大は
 もし自分の先祖の墓が誰かに暴かれ、遺骨が研究に使われたら……。そんな、あってはならないことが、日本で行われていた時代があった。明治から昭和にかけて、日本が植民地政策を進めていた時代に、日本の人類学者たちが、沖縄の琉球王国時代の墓や、北海道のアイヌの墓から遺骨を持ち出した。「民族のルーツを解明する」というのが目的だった。それらの遺骨は現在も、日本の大学や博物館に保管されている。しかし「先祖の遺骨を返せ」という声が、沖縄やアイヌの人たちから上がり始めた。はたして大学や博物館は、遺骨を返還するのか?
 番組では、地元の京都大のケースを1年以上にわたって取材した。京都大は、琉球王国時代の遺骨をめぐっては沖縄の人たちから裁判を起こされ、現在係争中だ。4月にあった京都地裁判決では、どのような判断が示されたのだろうか?
 また、アイヌの遺骨をめぐっては、北海道にできた「民族共生象徴空間(ウポポイ)」の慰霊施設におよそ20体が移管されたものの、まだ京都大は60体ほどを保管したままだ。
 海外では、植民地時代に持ち出された先住民族の遺骨などを、もとに戻す流れが作られつつある。世界レベルで「問い直し」が行われている問題の最前線をいち早く伝える。(ディレクター 津村健夫)
https://mainichi.jp/articles/20220731/ddn/018/200/005000c

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「あいち2022」注目作品を巡る。コロナ禍のいま考えたい「STILL ALIVE」

2022-08-01 | 先住民族関連
美術手帖7/31(日) 12:04配信

一宮会場より、塩田千春《糸をたどって》(2022)
 「あいち2022」の現代美術プログラムは、愛知県美術館が入る愛知芸術文化センターのほか、一宮市、常滑市、名古屋市有松地区といったエリアが会場として設定されている。ここではそのエリア別に、注目作品を紹介していく。
愛知芸術文化センター会場
 あいち2022のメイン会場であり、もっとも多くの作家(42組)を見られるのが、栄にある愛知芸術文化センターだ。展示は地下2階と8階・10階の3フロアにわたる。
 地下2階には本芸術祭参加作家では最年少の小野澤峻がインスタレーションを展示。6つの振り子が当たりそうで当たらない絶妙な距離を保ちながら揺れている。ジャグリングパフォーマーの感覚から出発したこの作品は、接触を避けるというコロナ禍における人々の動き方を示唆するようだ。
 10階に上がると、河原温を起点とするコンセプチュアル・アートの世界、文字や言葉の表現、絵画や彫刻を再考するような作品が並ぶ。
 河原温は「I AM STILL ALIVE」というメッセージだけを電報で送る「I AM STILL
ALIVE」シリーズを1970年から2000年にかけて制作。膨大な数のメッセージが河原のもとから送り出された。本展では、その作品を世界中から集めてケースで展示。「あいち2022」の始まりを告げる。
 この河原温と強いつながりを持つのが奥村雄樹だ。奥村は、
河原温との出会いに着想を得て制作したサウンドインスタレーション《グリニッジの光りを離れて―河名温編》(2016)
でも知られる作家。本展で奥村は、批評家ルーシー・リパードが1969年に行い、河原温も参加した展覧会「557,087」をたったひとりで再現した。当時、作家の大半が指示書を送ることで展示をつくった同展は、リパードの個展のようだと批判されたという。同展の制作手順をほぼ独りで再演することで、参加作家とリパード両方の立場に自らを置くという見事なアウトプットを見せている。
 ローマン・オンダックもまた河原温を引き合いに出すことができるだろう。パフォーマンスと造形美術の両方を感じさせるオンダックの作品。展示室には巨大な丸太が横たわり、壁にはスライスされた丸太が掛けられている。河原温が「TODAY」シリーズ(1枚の絵画を1日で完成させるというもので約3000枚の単色絵画を手がけた)によって1日という時間を表したのに対し、オンダックの《イベント・ホライズン》(2016)は、1917年から2016年までの出来事をモチーフにしたもの。1本のオークの木をスライスし、年輪をなぞるように1枚毎に各年の出来事が記されている。スライスは会期中、1日1枚壁にかけられ、最終的には100枚が壁に並ぶという。
 10階から8階へ降りよう。8階のエントランスにはヤシの木の鉢植えが並ぶが、こちらはマルセル・ブロータースの作品《美術館の入口》なので見逃さないようにしたい。
 8階には身体性やジェンダーの再考、また生きることの意味や死生観などの根源的なテーマをメンタルヘルスやヒーリングといった観点から考える作品が並ぶ。
 ニューヨークを拠点に国際的に活躍する笹本晃
は、個人が持つ習慣や所作を作品に取り入れてきた。新作の《リスの手法:境界線の幅》(2022)は、実用品としての建具によって構成されたインスタレーションであり、パフォーマンスの舞台装置。美術館の展示室という閉鎖空間のなかに、「向こう側」のないシャッターや障子を置くことで、「内と外」の境界線を問いかける。
 近年、映像によってセクシュアリティやジェンダーへの問いかけを行う百瀬文
は、『サロメ』をモチーフにした映像インスタレーション《Jokanaan》(2019)を展示。2チャンネルヴィデオの左側には実在する男性が、右側にはCGの女性が映し出され、向かい合わせに歌っているように見えるが、女性像は男性のモーションキャプチャーでつくられたデータでしかない。しかしながら、そのあいだに生じさせたズレによって、主体の在りかの不確実性を投げかけている。
 コロナ禍において意識されるようになった「呼吸」。7名からなるコレクティブ「ミルク倉庫+ココナッツ」が呼吸をテーマに制作したインスタレーション《魂の錬成》(2022)は、愛知芸術文化センターでも突出した作品のひとつだろう。愛知芸術文化センター全体を「呼吸器官」に見立てた彼らは、建物屋上か取り込んだ雨水が館内8階から12階を貫く吹き抜けで濾過されながら循環するインスタレーションを構想。巨大な吹き抜けが「肺」と見なされ、鑑賞者はさながら体内を循環する「血液」のような存在となる。
 河原温の「デイト・ペンディング」からも影響を受けているバイロン・キムの《サンデー・ペインティング》(2020-2021)はその名の通り、「日曜絵画」だ。キムはコロナが始まった2020年2月から21年2月にかけ、毎週日曜日の空を描いた。そこにはその時々の状況や心情を示すテキストが記録されており、非常にパーソナルな行いがキャンバスに留められている。
  引きこもりの経験を基点に、生きづらさを抱えた人々との協働制作を行う渡辺篤は、「アイムヒア
プロジェクト」を主宰するアーティストだ。壁面に並ぶ様々な月の写真《Your Moon》(2021)は、2020年4月の緊急事態宣言直後に「孤立感を感じていること」を条件に、匿名の人々が寄せたもの。また天井から吊るされた照明《ここに居ない人の灯り》(2021)は、なんらかの理由で美術館には来ることができない遠方の参加者が操作しており、明滅の瞬間に、見ぬ誰かの存在を強く感じさせる。「I'M
HERE」という言葉から「STILL ALIVE」を照射する、芸文センターの最後を飾るにふさわしい作品となっている。
 その他の芸文センターの主要作品は画像で紹介したい。
一宮市会場
 古くから繊維業の街として知られる一宮市。真清田神社を中心としたエリアが会場となっており、祈りやケア、死生観をテーマにした作品が点在する。
 閉校した旧一宮市立中央看護専門学校は5フロアすべてが使用されており、このエリアでもっとも多くの作家が集まる会場だ。
 ヴィヴィッドな生命を感じさせる近藤亜樹の巨大な絵画《ともだちになるためにぼくらはここにいるんだよ》(2022)。同じフロアの看護実習室ではノルウェー在住の小杉大介によるインスタレーション《赤い森と青い雲》(2022)が展開され、医療従事者などの心の動きを想起させる。
 一宮市にかつて存在していたイチイガシの巨木を3Dプリンタで再生した石黒健一。文化財指定の解除を受けて伐採されたこの巨木を最新技術によって蘇らせることで、人工物と自然物の関係性を探る。
 2017年に再発した卵巣癌のために抗がん剤治療を受け、死に直面した経験を持つ塩田千春
。その経験からいくつも生まれた作品のうちのひとつが、ここに並ぶガラス作品「Cell(細胞)」シリーズだ。内蔵や細胞などを想起させる繊細な作品が、まるで標本のように一室にびっしりと並ぶ。静謐でありながら脈動を感じさせる力強さが部屋に充満している。
 看護学校のすぐ裏手にある旧一宮市スケート場。広大なスペースを、いま世界でもっとも注目されているアーティストのひとりであるアンネ・イムホムが作品へと変貌させた。日本で初展示となる《道化師》(2022)は2チャンネルの映像、サウンド、照明など複数の要素からなるインスタレーション。映像には2人のパフォーマーとそれを見る鑑賞者の姿が映し出されており、強い身体性をもって、先を読むことができない不確実性やそれに抗おうとする力を暗示するようだ。
 一宮エリアの中心となるオリナス一宮(旧名古屋銀行一宮支店)では、奈良美智
の大きな彫刻とペインティング・ドローイングが展示。会場全体を貫くケア、祈りといったテーマと呼応する、静かな空間に身を置いてほしい。
 一宮は羊毛による毛織物で国内最大の生産量を誇る。歴史的な織機を多数収蔵・展示する豊島記念資料館では、遠藤薫が羊をテーマに2フロアにまたがる大規模なインスタレーション《羊と眠る》(2021-2022)を展開する。
 まるで深海のような照明に彩られた1階では、多数の織機のあいだを縫うように、写真や映像などを設置。また2階では自ら糸を縒った巨大なパラシュートが存在感を放つ。「神の子羊」とも呼ばれながら、人間の都合によって品種改良が重ねられてきた羊。その両義性が、人を救うものであり軍事的なものであるパラシュートで表現されている。
 なお一宮会場では少し離れてはいるが尾西エリアも見逃さないようにしたい。のこぎり屋根が特徴的な旧毛織物工場を転用したスタジオ・ギャラリー「のこぎり二」では、塩田千春が大規模なインスタレーション《糸をたどって》(2022)を見せる。
 塩田を象徴する、毛細血管や人と人の縁などを想起させる赤い糸。工場の名残を残す毛織物の機械や糸巻きの芯などと一宮市の毛糸とを融合させることで、かつてここで営まれていた人々の活動やその記憶を呼び覚ます。
常滑市会場
 やきものの街として全国的に知られる常滑市。多くの陶芸作家や職人が住み、観光地でもある「やきもの散歩道」が会場となり、「土」や「大地」を直接的に扱う作家が集まる。
 1970年代まで大きな土管を製造していた旧丸利陶管工場跡地はこのエリアでもっとも多くの作家が集まる場所。敷地内にある複数の建物でデルシー・モレロス、ティエリー・ウッス、グレンダ・レオン、服部文祥+石川竜一、シアスター・ゲイツが参加している。
 コロンビア出身のデルシー・モレロスは、南米アンデス山脈の一部にいまも伝わる儀式にある、豊穣のしるしとしてクッキーを土に埋めて感謝を捧げるという風習に着想を得て、大量の土のクッキーを用いたインスタレーションを展開。ここでは常滑焼に用いられる数種類の粘土を材料に、膨大な数のクッキーをつくりあげた。シナモンやクローブなどが混ぜ合わされたクッキーからはほのかに香りが漂い、嗅覚を刺激する。
 常滑で陶芸を学んだ経験を持つシアスター・ゲイツは、旧丸利陶管の住宅を音楽、ウェルネス、陶芸研究のためのプラットフォーム「ザ・リスニン
グ・ハウス」に生まれ変わらせた。芸術祭の期間のみならず、会期後も市民と共に文化活動できる場となることを目指すという。
 服部文祥+石川竜一は、2021年10月9日から11月7日まで行った北海道無銭旅行の記録を展示。鹿の頭骨標本や皮、石川が撮影した写真、服部のテキストなど複数の要素がインスタレーションとして組み込まれている。
 旧丸利陶管工場跡地から「やきもの散歩道」を南下した場所にあるギャラリーカフェ「常々」では、田村友一郎
が建物2階を舞台の奈落に見立てた映像インスタレーション《見えざる手》(2022)を展示する。
 常滑ではかつて陶製人形(ノベルティ)が製造され、花形の輸出産業だった。しかしこれらはプラザ合意による円高によって衰退してしまう。田村はこの歴史背景をモチーフに、プラザ合意に参加していた5ヶ国(日米英仏西独)の蔵相を、頭部だけ製作。経済学の巨人であるメイナード・ケインズ、カール・マルクス、アダム・スミスの3人がプラザ合意の黒幕であったという架空のストーリーを、人形浄瑠璃のように展開する。
 常滑エリアでは、「VOCA展 2021」でのVOCA賞受賞が記憶に新しい尾花賢一
にも注目したい。尾花の展示会場は、かつて急須の原型をつくっていた店舗。店主の個人誌をリサーチし、それをストーリーとしてマンガ的な表現によって展開する。建物内には急須をつくるための様々な道具が置かれており、いまなおこの場所が現役で使われていることがうかがえる。
有松地区会場
 有松・鳴海絞りの伝統が受け継がれる東海道沿いの町並み保存地区である有松地区。歴史を感じさせるこのエリアでは、8つの家々の軒先がミット・ジャイインの作品《ピープルズ・
ウォール(人々の壁)2022》(2022)で彩られる。リボン状の絵画は、絞り染めの反物が屋外で風にたなびく様子や店先の暖簾に着想を得たもの。地域の歴史や伝統文化、生活のなかに絵画を共存させるとともに、西洋的ではないキャンバスの使い方によって、権威主義に抗う市井の人々の力を象徴する。
 伝統的な日本家屋も会場となる。有松を代表する建物のひとつである竹田家住宅では、プリンツ・ゴラームとガブリエル・オロスコが共演。ゴラームは部屋の壁や欄間に奇妙な顔の仮面(マスク)19点と映像によるインスタレーション《見られている》(2022)を展示する。コロナ禍によって仮面が様々な意味を持つようになったこの時代について、あらためて考える機会を提示する。
 一棟の建物としては最大規模を誇る岡家住宅。人間界を超えた生命との関わりや、そこから生まれるものを探求する作品で高い評価を受けるAKI INOMATA
は、職人の技と虫の生態を融合させた映像作品《彼女に布をわたしてみる》(2021)を発表。括られた布がミノムシの蓑に似ていると考えたINOMATAは、有松絞りの生地をミノムシに与え、ミノムシは蓑(巣筒)をつくりあげた。映像には有松・鳴海絞りの蓑を纏いながら葉を食べるミノムシの様子が映し出されている。
 また座敷では、100種類以上ある有松絞りにおいて、INOMATAはミノムシが羽化したミノガの翅に見られる模様をモチーフに、新しい絞り染めの技法を考案。団扇に仕立てた絞りを見ることができる。人と虫のあいだの与える/与えられる関係が構築されている。
 明治30年創業の「豆絞り」の老舗である株式会社張正では、イワニ・スケースによる約1000個のガラス玉《オーフォード・ネス》(2022)が吊るされている。
 オーストラリアの先住民族コカタとヌクヌに母方の祖父母をもつこの作家は、同国の負の歴史を吹きガラスによって表現した。ガラスは先住民族の主食であるヤマイモのかたちを模しており、涼やかな青は放射線の色を意味している。イギリスによる複数回の核実験によって傷ついたオーストラリアの大地と、失われた多くの先住民族の命をいまに伝えるとともに、「メメント・モリ(死を想え)」の重要性を投げかける。
 宝暦年間以来の絞問屋「亀屋」の歴史をいまに伝える旧加藤呉服店では、人々が集うための敷物をモチーフに、イー・イランが新作2点を発表。地域住民と協働して布を編んだり、地勢的に離れた人々をつなぐプロジェクトを行っているイラン。天井から吊るされている《ティカ・レーベン》(2020)は、多言語、多世代で受け継がれてきた編む技法のインデックスとしての作品だ。また宮田明日鹿はここで「有松手芸部」を毎週木曜日に開催する。

 「あいち2022」では公式サイト
でガイドマップが無料公開されている。すべての会場を回るには最低限1泊2日が必要だ(映像作品鑑賞なども含めると2泊3日が望ましい)。また有松地区、常滑市会場は屋外を歩く時間が長いので、熱中症対策も万全にして展示を鑑賞してほしい。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8471adee5a9cb6fee42eea3c49bcde30a1fe5a00

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なぜ「日本人だから嫌いだ」と言われる留学体験は貴重なのか?

2022-08-01 | 先住民族関連
幻冬舎7/31(日) 10:01配信
日本の教育はどのように変わっていくのか、自分で考える力をつけさせるのに、親は子どもに何をしてあげるころができるでしょうか。歯科医師の成田信一氏が行動科学マネジメント研究所所長の石田淳氏と特別対談で語ります。
英語はコミュニケーションのツール
2020年、日本の教育界にとって戦後最大といわれる「教育改革」がスタートしました。大学入試は従来の「知識・技能」偏重から、「思考力・判断力・表現力」「主体性・多様性・協働性」を加えた「学力の3要素」を多面的・総合的に評価する選抜方法へと改革されます。小学校では英語やプログラミングの授業が必修となり、アクティブラーニング(人に教えたり、体験したり、グループディスカッションをするといった、主体的・対話的で深い学び)が重視されるようになります。
日本の教育はどのように変わっていくのか、親は子どもに何をしてあげるべきかについて、行動科学マネジメント提唱者の石田淳さんと対談を行いました。
■教養・マナー・身だしなみ、留学
石田 今後、「考える力」を問う傾向は、中学受験でも強まっていくと思います。社会の動きを見ても、2019年から働き方改革によって労働基準法が大きく変わり、基本的に残業ができなくなり、全社員が年5日の完全有休を取らなければならなくなりました。そうはいっても仕事自体は減りませんから、企業側は機械化を促進したり新たに人を雇ったりすることで、人材不足を補う必要があります。
それがAIの導入であり、今後解禁されていくであろう外国人の労働者です。そうなった時に必要になるのが、AIを扱える人材や、外国人労働者と上手に付き合い、マネジメントできる人材です。2020年の教育改革には、そうした力を身につけさせていくことも盛り込まれているのでしょう。
成田 おっしゃる通りですね。今の子どもたちは生まれた時からパソコンが身近にある世代ですから、プログラミングに関しては、教えていけば大人よりも抵抗感なく学んでいけるように感じますが、問題は「考える力」や「多様な人たちともうまくやっていく力」をどう養っていくかです。日本以外の国の人たちと仕事をすることも、競っていく機会も増えますから、グローバルな視点で活躍する子どもを育てていかなくてはなりませんよね。
以前、オリエンタルランドで全スタッフの教育担当を務めた鎌田洋さんと、元ザ・リッツ・カールトン・ホテル日本支社長の高野登さんにお会いした際も、同じような話題になりました。その時に二人がおっしゃったのが、「英語」「集団スポーツ」「歯科矯正」の必要性です。
石田 確かに、英語はもうできて当たり前の時代ですよね。英語は多くの海外の人たちとのコミュニケーションのツールですから。
成田 高野さんはアメリカで数々の有名ホテルでお勤めでしたし、鎌田さんはアメリカ本国のディズニーの担当者から指導を受けた経験がありますから、「英語でストレスを感じずに普通に会話ができるように、中高で身につけるべき」と。ただし、英語はツールでしかありません。
ディズニーリゾートしかり有名ホテルしかり、組織で働く時にバランスが取れない人がいるとチームで一丸となって動けませんから協調性が必要です。子どもの頃に小中学校の集団教育はしていきますが、「目的意識を持って一丸となる」という意味で最も適しているのは「集団で行うスポーツか文化活動」だろうと。
「歯科矯正」は、多くの海外の方々と接してきた二人が、見た目の信頼感の必要性を実感したからこそ出てきた言葉です。鎌田さんはアメリカの本社の人から「なぜ日本人はみな、歯並びが悪いのか」と質問されたそうです。私もアメリカの学会によく行きますが、欧米では歯並びの悪さを忌み嫌う文化がありますから、歯科矯正には身だしなみ以上の意味があることがよくわかります。
小さいころから本を読む習慣を身につけさせる
石田 身だしなみというのは見た目だけでなく、マナーや教養も含まれますね。私自身、海外に行くと日本人というだけで禅や宗教、文化など、日本という国は何を大事にしているかについて質問されます。
成田 確かに大事ですね。長男の同級生で、小学校の途中からスイスのボーディングスクールに転入し、イギリスの大学に進学した子がいます。その子が一時帰国した時に、ホームパーティに招待されて3年ぶりに会ったのですが、料理の手伝いや配膳など、率先してやれる子になっていて感心しました。
18歳くらいですから難しい年頃なのに、堂々と大人との会話もできて、自分のことは自分でやるのはもちろん、おもてなしの精神も身についている。海外で学ぶことは、英語を身につけるだけじゃないと実感しました。
石田 留学もいいですね。とりあえず2週間だけとか1カ月だけでもいいので、小さいうちから海外を体験する機会を設けてあげられるなら、留学したほうがいいと思います。
成田 私の次男は中3の夏から高1の夏まで、1年間ニュージーランドに留学して寮生活をしていました。ニュージーランドは、先住民族のマオリが2~3割、ほかにヨーロッパ系やアジア系の人も多く、人種のるつぼです。だから街を歩いていてもいろいろな人がいます。そういう国に行くと当然、常識も考え方も違う人に出会います。
中でも次男が一番驚いていたのは、一人の白人の子に「日本人だからおまえは嫌いだ」って言われたことだそうです。「有色人種は嫌だ、一緒に食事をしたくない」と面と向かって言われたわけです。日本にいたらそのようなこと言われませんよね。とはいえ、世界中で一定の割合の人はそう思っているんです。
しかも自分と同じ高校生でもそう考える人がいる。それを早めに理解したのはいいことだと思いました。語学の習得ももちろんですが、異文化に積極的に触れ、世界ではいろいろな考え方、見方をする人がいることを、身をもって体感したわけです。
石田 差別を受けるのはあんまり気持ちのよいことではありませんが、そういうことも実際あるということを、特に高校生くらいで知ったのは大きいと思います。大人になってからよりもずっと大きな衝撃を受けたでしょうし、そういった考えの人とも一緒に寮生活を送らなければならないことで、よりコミュニケーション能力も磨かれたでしょう。
日本にいる時のような阿吽の呼吸でのコミュニケーションはまったく通じないですから、積極的に自分の気持ちを伝えたり、相手の声に耳を傾ける必要性も感じたのではないでしょうか。
成田 教養や自分で考える力をつけさせるのに、家庭で親がしてやれることもありますか。
石田 近道は、小さなうちから本を読む習慣を身につけさせることと、いろいろな体験をさせることだと思います。さまざまなジャンルの本を読めば知識が増えますから、考える材料が増えます。子どもに本を読む習慣をつけさせるには、親も日常的にいろいろな本を読んでいる姿を見せて、読書が生活の一部というようにするのがよいでしょう。たとえば、本棚に少年少女文学全集のようなものを並べて、いつでも手に取ることができる環境をつくってやる。
旅行に行く時には、日本文化や歴史に触れられるような場所に連れて行ったり、オペラや歌舞伎を鑑賞したりするのもいいでしょう。そういった経験が後々大きな差になります。レストランに行った時に、フォークとナイフの使い方やテーブルマナーを教えることも体験です。いろんなものに触れる機会を設ければ、その中で子ども自身の好きなものが見つかるかもしれません。そういうチャンスを与えてあげることが、親の役割だと思います。
石田 淳
社団法人行動科学マネジメント研究所所長
日本の行動科学(分析)マネジメントの第一人者
アメリカのビジネス界で絶大な成果を上げる人間の行動を科学的に分析する行動分析学、行動心理学を学び、帰国後、日本人に適したものに独自の手法でアレンジし「行動科学マネジメント」として展開させる。主な著書は、シリーズ累計部数40 万部のベストセラーとなった『教える技術』(かんき出版)ほか多数。
成田 信一
自由が丘矯正歯科クリニック院長
歯学博士
https://news.yahoo.co.jp/articles/139bdb6f1671c5290f9e2b0d228f85cecd282b7f?page=1

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【学芸員と巡る】知れば知るほどおもしろい。北海道博物館の見どころを教えてもらってきた

2022-08-01 | アイヌ民族関連
北海道Likers2022/07/31 20:30
「北海道博物館」は、北海道の自然・歴史・文化を紹介する総合博物館です。そこには“不思議”や“驚き”がいっぱい。
学芸員の三浦泰之さんに総合展示を案内してもらいました。夏休みの自由研究の題材に悩む小学生や、お子さんに“物知り”と思われたい親御さん必見です。
ナウマンゾウとマンモスゾウに迎えられる
グランドホールから総合展示室内に入るとナウマンゾウとマンモスゾウの全身骨格(模型)が迎えてくれます。ナウマンゾウの全身骨格は、十勝地方、現在の幕別町忠類で発掘された化石をもとに作られているそう。
「日本にゾウはいないのに、なぜ化石が見つかるの?」と不思議に思いませんか。
ナウマンゾウは主に東アジア、マンモスゾウはヨーロッパやシベリア、北アメリカなどに生息していました。かつて、気候変動の影響で、北海道がユーラシア大陸や本州と陸続きだった時代があり、ナウマンゾウは南から、マンモスゾウは北から北海道にやってきたと考えられています。
約1万数千年前に縄文文化が始まる
約1万数千年前に北海道でも土器が使われはじめます。この時代は、土器などに縄で模様が付けられていることから“縄文文化”と呼ばれています。
粘土質の土を焼くと硬化する性質を発見し、生活用具である土器や、宗教儀礼に用いられたと考えられる土偶を作り出すなど、それ以前の旧石器文化とは生活スタイルが大きく変わりました。誰がその技術を発見し、どうやって人々に広まっていったのか、疑問は尽きません。
縄文文化は2千数百年前に終わり、本州以南では教科書にも出てくる弥生文化の時代になりますが、当時の北海道の気候は稲作に向いていなかったために弥生文化は伝わらず、狩猟・漁労・採集を中心とした生活が続きました。
アイヌ民族と和人の交易

出典: 北海道Likers
アイヌ民族と和人(大和民族)は古くから交易を行ってきました。アイヌ民族から動物の毛皮やサケ、和人からは米や酒、鉄製品や漆器などが交換されたのだとか。
両者は自由に交易していましたが、江戸時代のはじめごろ、江戸幕府は松前藩にアイヌ民族との交易を独占する権利を与えました。やがて松前藩は、交易の仕組みを松前藩が有利になるようなかたちに変えていきますが、そのなかでアイヌ民族の不満が爆発。1669年に『シャクシャインの戦い』と呼ばれる争いに発展しました。
屯田兵ってどんな人たち?
『戊辰戦争』で新政府軍が旧幕府軍に勝利し、明治時代が始まります。江戸時代が終わり、かつての武士たちのなかには生活に困る人々も多くいました。
そんな人々の生活を救い、北方警備と北海道開拓の両立を図ろうと、明治政府は『屯田兵』という制度をつくりました。その応募資格は、はじめはかつての武士たちに限られていましたが、やがて誰でも応募できるようになり、最終的に道内には37の屯田兵村が置かれたのだそう。
屯田兵村が置かれたことで開拓が進んだ地域もあるなど、屯田兵は、開拓のさきがけ的な役割を果たした部分もあったとのこと。そんな屯田兵たちのこと、そのほか多数を占めた一般の移住者たちのこと、また、先住民族であるアイヌの人々に開拓が与えた影響のことなど、開拓の歴史についてもっともっと学んでみてください。
過去から未来へ
ちょっと昔の生活用具が展示されているコーナーもあります。ある程度の年齢の人たちは懐かしさを覚えることでしょう。その一方で、小さな子どもたちにとってはとても不思議なものたちに見えるかもしれません。ご家族で展示を見ると、いろいろと話が弾むのではないでしょうか。
動物たちと共に生きる
北海道にはヒグマ、エゾシカなど、もともと棲んでいた固有種と、アライグマ、ミンクなど、人によって外国や本州から連れて来られた外来種がいます。外来種が棲みつくと自然のバランスが崩れ、固有種は棲む場所を追われ、数を減らしたり絶滅したりしてしまいます。
人による自然破壊や乱獲によって絶滅した動物や、絶滅しそうな生き物がたくさんいます。一度種が途絶えると復活することはありません。生き物は、いろいろなかたちで繋がりあい、人もその中で生きています。生き物や自然のことを知り、自分にできることを探してみてください。
「北海道博物館」では総合展示のほかに、さまざまな企画展示も行っています。子どもたちには、ぜひ博物館に足を運んでもらって、一つでもお気に入りの展示物を見つけてほしいと思います。そして、さらに興味を広げていってもらえると嬉しいですね。
当記事は「北海道博物館」学芸員・三浦泰之さんにご監修いただきました。
<施設概要>
■北海道博物館
■住所:北海道札幌市厚別区厚別町小野幌53-2
■電話:011-898-0466(総合案内)
【監修・取材協力】北海道博物館
https://news.goo.ne.jp/article/hokkaidolikers/region/hokkaidolikers-20220731-58444.html

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