北海道新聞08/17 05:00
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「知里を描いた9名の紹介」の展示
1970年(昭和45年)に伝記が出版されて以来、知里真志保に「天才アイヌ学者」のキャッチコピーがつきまとってきました。
しかし、知里自身は自分が「アイヌ出身であるため」に「アイヌ語と文化を内側から見ている」と言われていたことについて、「おかしな話さ」と語りました。「学問は外側から見て記述し、内側にある真理をつかむ」。これが彼の生涯にわたるスタンスでした。
知里の人生は、アイヌの歴史と文化において重要な人々との出会いに満ちあふれていました。本展示の第5章では、アイヌ民族9人(吉田菊太郎、砂沢クラ、荒井源次郎、森竹竹市、平村幸雄、高橋真、萱野茂、江口カナメ、結城庄司)が知里について語ったことを、ゆかりのある資料とともに紹介しています。
そのうち3人について紹介します。知里が自分の経歴を吉田菊太郎に伝えた58年(同33年)の手紙を展示しています。「若いウタリ―たちを少しでも鼓舞することになれば」と締めくくっています。吉田が幕別町の蝦夷文化考古館の建設資金調達のために書いた「アイヌ文化史」の執筆にあたり、知里に依頼したときの返信です。
白老民俗資料館の初代館長を務めた森竹竹市は、知里と同年代の詩人でした。歌集「原始林」には、知里が大学を卒業したときのことを詠んだと考えられる歌があります。 只一人アイヌの学士出たからと大騒ぎする新聞の記事 アイヌ民族が和人より劣っているという当時の偏見がありますが、知里をその反証のような存在として大きく報じた新聞に対する森竹のいら立ちが感じられます。一方で、17世紀の指導者「シャクシャイン」を「知里真志保」と書き換えて敬意を表す森竹自筆の歌(仙台藩白老元陣屋資料館所蔵)も今回の資料調査で見つかり、展示しています。
アイヌ解放同盟の代表だった結城庄司は、知里についての連載を81年(同56年)から書き始めました。実際に知里に会ったことのあるアイヌ民族が抱く、彼に対する見方を語り継ぐ重要性を説きました。「それらのウタリから天才学者・知里真志保としてではなく、アイヌ・知里真志保の苦悩を発見して、少しでも多くのことを語り継がなければならない」。今回の展示でも、これまでとは違った知里真志保像を発見することができるかもしれません。
◇
第4回特別展示「CHIRI MASHIHO 知里真志保―アイヌ語研究にかけた熱意―」は国立アイヌ民族博物館特別展示室で21日まで開催しています。(文・マーク・ウィンチェスター=国立アイヌ民族博物館アソシエイトフェロー、写真・赤田昌倫=同研究員)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/718456/

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「知里を描いた9名の紹介」の展示
1970年(昭和45年)に伝記が出版されて以来、知里真志保に「天才アイヌ学者」のキャッチコピーがつきまとってきました。
しかし、知里自身は自分が「アイヌ出身であるため」に「アイヌ語と文化を内側から見ている」と言われていたことについて、「おかしな話さ」と語りました。「学問は外側から見て記述し、内側にある真理をつかむ」。これが彼の生涯にわたるスタンスでした。
知里の人生は、アイヌの歴史と文化において重要な人々との出会いに満ちあふれていました。本展示の第5章では、アイヌ民族9人(吉田菊太郎、砂沢クラ、荒井源次郎、森竹竹市、平村幸雄、高橋真、萱野茂、江口カナメ、結城庄司)が知里について語ったことを、ゆかりのある資料とともに紹介しています。
そのうち3人について紹介します。知里が自分の経歴を吉田菊太郎に伝えた58年(同33年)の手紙を展示しています。「若いウタリ―たちを少しでも鼓舞することになれば」と締めくくっています。吉田が幕別町の蝦夷文化考古館の建設資金調達のために書いた「アイヌ文化史」の執筆にあたり、知里に依頼したときの返信です。
白老民俗資料館の初代館長を務めた森竹竹市は、知里と同年代の詩人でした。歌集「原始林」には、知里が大学を卒業したときのことを詠んだと考えられる歌があります。 只一人アイヌの学士出たからと大騒ぎする新聞の記事 アイヌ民族が和人より劣っているという当時の偏見がありますが、知里をその反証のような存在として大きく報じた新聞に対する森竹のいら立ちが感じられます。一方で、17世紀の指導者「シャクシャイン」を「知里真志保」と書き換えて敬意を表す森竹自筆の歌(仙台藩白老元陣屋資料館所蔵)も今回の資料調査で見つかり、展示しています。
アイヌ解放同盟の代表だった結城庄司は、知里についての連載を81年(同56年)から書き始めました。実際に知里に会ったことのあるアイヌ民族が抱く、彼に対する見方を語り継ぐ重要性を説きました。「それらのウタリから天才学者・知里真志保としてではなく、アイヌ・知里真志保の苦悩を発見して、少しでも多くのことを語り継がなければならない」。今回の展示でも、これまでとは違った知里真志保像を発見することができるかもしれません。
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第4回特別展示「CHIRI MASHIHO 知里真志保―アイヌ語研究にかけた熱意―」は国立アイヌ民族博物館特別展示室で21日まで開催しています。(文・マーク・ウィンチェスター=国立アイヌ民族博物館アソシエイトフェロー、写真・赤田昌倫=同研究員)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/718456/