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ウェイリー版「源氏物語」の翻訳者が明かす、千年前の物語が世界で絶賛された理由 『レディ・ムラサキのティーパーティ』

2024-09-03 | アイヌ民族関連

日刊ゲンダイ 2024.09.03 毬矢 まりえ 森山 恵

NHK-Eテレ「100分de名著」(2024年9月)で紹介され、「ウェイリー版・源氏物語」に注目が集まっています。今から百年前、「源氏物語」を世界で初めて英訳したアーサー・ウェイリーとはどんな人物だったのか?ヨーロッパの文壇で絶賛された『ザ・テイル・オブ・ゲンジ』はどのように生まれたのか? ウェイリーによる英訳「源氏物語」を現代日本語に生まれ変わらせた翻訳者姉妹が、世界文学としての「源氏物語」の魅力を読み解く話題書『レディ・ムラサキのティーパーティ らせん訳「源氏物語」』。その冒頭部分を再構成してお届けします。

『レディ・ムラサキのティーパーティ らせん訳「源氏物語」』毬矢まりえ、森山恵

あるエンペラーの宮廷でのスキャンダル

いつの時代のことでしたか、あるエンペラーの宮廷での物語でございます。

ワードローブのレディ(更衣)、ベッドチェンバーのレディ(女御)など、後宮にはそれはそれは数多くの女性が仕えておりました。そのなかに一人、エンペラーのご寵愛を一身に集める女性がいました。その人は侍女の中では低い身分でしたので、成り上がり女とさげすまれ、妬まれます。あんな女に夢をつぶされるとは。わたしこそと大貴婦人(グレートレディ)たちの誰もが心を燃やしていたのです。

これは「ヴィクトリアン源氏」。つまりわたしたち毬矢まりえ、森山恵姉妹による『源氏物語The Tale of Genji』〈戻し訳〉の冒頭部である。源氏物語の現代語訳といえば、だれもが与謝野晶子、谷崎潤一郎に始まる錚錚たる大作家、権威ある源氏物語学者の名を次々思い浮かべるだろう。

拙訳『源氏物語 A・ウェイリー版』(左右社)は、世界ではじめて『源氏物語』を英語全訳したアーサー・ウェイリーの、その英語版を現代日本語に完訳した作品である。

ウェイリー源氏の〈戻し訳〉をしよう! そう思いついたときの昂揚感はよく覚えている。たしかに源氏物語の話をしていた。けれどなんの話の流れでどちらがそんなことを思いついたのか。正直よく思い出せない。とにかく二人で源氏物語の話をしていて閃いたのである。いっしょにウェイリー源氏の戻し訳をしよう、と。「ヴィクトリアン源氏」と名づけ、翻訳を始めた。寝食を忘れて。二人熱中、没頭した。構想を得たのが2013年ころ、実際に翻訳をはじめたのは2014年のことである。

いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひ給ひける中に、いとやんごとなき際にはあらぬが、すぐれてときめき給ふ有りけり。

だれもが知る一節。それが「いつの時代のことでしたか、あるエンペラーの宮廷での物語でございます……」となって生まれ変わったのである。

長大なる『源氏物語』の幕開け「桐壺」帖では、桐壺帝の恋、そして物語の中心となる光源氏の出生の由縁が語られる。桐壺帝と桐壺更衣の恋のはじまりは、もしかしたら「小さな恋」だったかもしれない。しかしやがては国を揺るがす大恋愛、比翼連理の深い関係となっていくのである。寵愛を受けた女性はどうなるのか。彼女はどんな運命を抱えているのか……

けれどその前に、源氏物語の初の英語全訳という偉業をなしたアーサー・ウェイリーとはだれか。拙訳〈戻し訳〉─実はわたしたちは〈らせん訳〉と呼んでいる─とはどんな作品か。まずはそれをお話ししたいと思います。

語学の天才、アーサー・ウェイリー

世界ではじめて『源氏物語』を英語全訳したアーサー・ウェイリー。彼はヴィクトリア朝末期の1889年、ロンドン郊外に生まれている。名門パブリックスクール、ラグビー校からケンブリッジ大学キングズ・カレッジに進み、古典文学では奨学金を得るなど優秀な学生であったという。けれど左目をほぼ失明。右目も危ないと宣告され学問の道は諦めざるを得なかった。しかたなく仕事に就くも飽き足りない。

そこへブリティッシュ・ミュージアム(大英博物館)版画・素描部門のポストに空きがあると紹介され、応募する。願書には、楽に読める言語としてイタリア語、オランダ語、ポルトガル語、フランス語、ドイツ語、スペイン語の六ヵ国語。流暢に話せる言語としてフランス語、ドイツ語、スペイン語をあげ、またギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語、サンスクリット語を習得した、と記していた。

いわゆる語学の天才である。

1913年、採用された彼は新設されたばかりの東洋版画・素描部門に配属され、日本語と中国語、それも古典語を独学で身につけることになる。後には古代ペルシャ語、モンゴル語も学び、アイヌ語も覚え、翻訳を手がけるなどしている。

東アジア語習得の成果は、早くも1918年『中国の詩一七〇篇』(陶淵明、白居易などの漢詩)、翌1919年『日本の詩歌─うた』(万葉集からの短歌・長歌、古今和歌集、後撰和歌集、拾遺和歌集などからの和歌)、1921年『日本の能』(敦盛、卒塔婆小町、葵上、邯鄲、羽衣など)として現れる。中国詩の翻訳については、T・S・エリオットなどのモダニズム詩とも影響を与えあったといわれる。ウェイリーは1910年代から、詩人のエズラ・パウンドやエリオットらとともに毎週月曜日に夕食会をしていたのである。

ではそもそも、ウェイリーはいつどのように『源氏物語』に出会ったのだろう。英文学者の井原眞理子は、ウェイリーの自宅の引き出しから、こんな未発表原稿を発見している。

ある日のこと。ウェイリーは、ブリティッシュ・ミュージアムで新たに購入された浮世絵を整理していたという。そのときふと一枚の絵に目が留まる。貴公子がひとり佇み青い海を眺めている場面。茫漠と広がる海、生垣のあるわびしい住まい。「海は少し遠かったが、夜には岸へ寄せる波の音が聞こえた」の画讃。「須磨」帖の一場面であろう。そのときなぜか分からないが急にこの物語を読んでみたくなった、とウェイリーは記している。すぐさま日本から本を取り寄せると、その本を携えてスキー休暇に旅立つ。イギリスからスイスへと渡る道中読書に熱中したウェイリー。「『源氏』の中に完全に我を忘れ、(……)いったいどうやってドーヴァーで船に乗り込み、カレーで列車に乗り換え、パリの環状鉄道を周ったのか、さっぱり思い出せな」かった、と書き残している。「旅程はすべて夢のように過ぎ去」り、気づけばスイスのモントルーに降りたっていた、と。(以上引用、井原眞理子「ハイゲイト探訪記」)

この出会いが1914年ころと推測されている。実際に翻訳を始めたのはいつだろうか。とにかくウェイリーは始めたのである。しかしいくら語学の天才で、「日本語の古文は文法も易しく語彙も少ないので、数ケ月もあれば習得できる」(宮本昭三郎『源氏物語に魅せられた男 アーサー・ウェイリー伝』)と言い放った彼であっても、満足な辞書もなく、資料もほとんどない時代である。訳業が茨の道であったのは想像に難くない。

ウェイリーの親族は当時を回想して、彼の机のうえには日本語らしき言葉が記された小さな紙片が、ジグソーパズルのように散らばっていた、と証言している。

井原は、ウェイリーのこんな文章を伝えている。

『源氏』の翻訳を始めた瞬間から、私は作者がすぐそばにいるような気がしていた。そして、絶えず頭の中で彼女と対話をした。「要点の半分が失われました」と、彼女は言うのだった。「もしもそれ以上うまくできないのなら、すべて諦めるべきでしょう」「そうなんだ」と、私は言うのだった。「確かにこの一節は、あなたの真価を表せていない。英語にするとどうしても見劣りしてしまう部分があるんだ。(……)もっと上手く訳せる人を知っているなら─」「そこがまさに困ったところなのです」と、紫式部は言うのだった。「今のところ、他に心当たりがないのです。あなたが続けるしかありません」(「ハイゲイト探訪記」『世界の源氏物語』所収)

作品そのものの存在さえほぼ知られていなかった時代。ひとり孤独に訳業を続けるウェイリーを慰めるのは、夢のなかの紫式部だけだったのである……。ウェイリーのこの姿を想像しては、どれだけ励まされたかわからない。わたしたちが翻訳するしかない、と。

ヨーロッパで絶賛された源氏物語

いまからおよそ百年前の1925年5月。ついに『源氏物語 ザ・テイル・オブ・ゲンジ』第一巻が、ジョージ・アレン・アンド・アンウィン社(ロンドン)から上梓される。平安の物語はイギリスに彗星の如く現れ、ヨーロッパの文壇に輝き出たのである。

「ここにあるのは天才の作品である」(モーニング・ポスト紙)、「文学において時として起こる奇跡」「紫式部は近代小説とも呼べるものを創りだした」(タイムズ文芸付録)、「ヨーロッパの小説がその誕生から三百年にわたって徐々に得てきた特性のすべてが、すでにそこにあった」(ザ・ネイション誌)など、賛辞が相次ぐ。批評家モーティマーは「人類の天才が生み出した世界の十二の名作のひとつに数えられることになろう」と書評を結んでいる。

またほぼ同時にアメリカでも刊行され、7月にはニューヨーク・タイムズ・ブックレビューに「日本の黄金時代の古典─東洋最高の長編小説(……)翻訳さる」と題した評が現れる。源氏物語は「『トム・ジョーンズ』の力強さ、『ドン・キホーテ』の炯眼、『千夜一夜物語』の放縦」を備え、「傑作の名にふさわしい」「天才の放つひらめき」「まぎれもない最高峰の文学作品」など大きな驚きと賞讃を呼んだのである。またウェイリーの翻訳も「それ自体が優れた文学的手腕の成果」と高い評価を受ける。

二十世紀を代表するイギリスの女性作家ヴァージニア・ウルフも、刊行からまもなくファッション誌『ヴォーグ』のイギリス版に書評を寄稿し、「それにしても美しい世界─この物静かなレディは、良い生い立ち、洞察力、陽気さを兼ね備えた完璧な芸術家でした」と、鮮やかな筆致で紫式部を讃えている。当初は書評仕事であったとしても、ウルフは代表作『自分ひとりの部屋』でも「レディ・ムラサキ」に言及している。サッフォー、エミリ・ブロンテと並べ、「〔女性の書き手の〕創始者であると同時に後継者」と。ウルフも深い印象を受けたのは間違いないであろう。

登場人物の名前をカタカナにした理由

さて、そのアーサー・ウェイリー訳『源氏物語The Tale of Genji』を〈戻し訳〉しようというのである。わたしたち姉妹にははじめから「このような文体にしたい」との明確なヴィジョンがあって、それには揺るぎがなかった。

まず何より、源氏物語の情感を伝えるにふさわしい、美しい現代日本語にしたかった。緊張感と躍動感のある新鮮な文体でありつつ、美しい日本語にしたい。なんといってもウェイリーの文体が明晰かつ流麗なのだから。それは全巻二人で貫いたと思う。

また英訳された『源氏物語』の異文化、異言語が透けて読み取れるよう、ルビを活用しようと考えていた。ルビは一瞬にして言葉の多重性を視覚化できる日本語の宝である。先の引用のように、カタカナに古語のルビを振るほか、現代語にカタカナ、現代語に古語のルビなど、幾つかのヴァリエーションを駆使した。

さらに人名は、ゲンジ、プリンセス・アオイ等、カタカナ表記にした。これには違和感を覚える読者もあるかもしれない……さすがに迷った。たとえばゲンジの親友ともいうべき頭中将は、トウノチュウジョウとなる。違和感があるかもしれないうえ、長い。

――長いよね? カタカナ読みにくいかな?

――でも『罪と罰』のラスコーリニコフだって、『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフだって長いわよ

――たしかに……ラスコーリニコフとほとんど同じ文字数ね

――トウノチュウジョウっていう文字の塊で見れば大丈夫じゃない?

――そもそもドストエフスキーだって長いものね

――世界文学と思えば大丈夫、いける

そう、「世界文学」。わたしたちは「世界文学」としての『源氏物語』を創造したい、創造するのだ、と意気込んでいたので、名前のカタカナ表記についても批判を覚悟で、ここは勇気をもって決断した。

⇒続きは『レディ・ムラサキのティーパーティ らせん訳「源氏物語」』でお楽しみください。

レディ・ムラサキのティーパーティ らせん訳「源氏物語」

毬矢まりえ、森山恵(講談社刊)

源氏物語はなぜ「世界文学」になったのか? 千年前に紫式部が書き、百年前にアーサー・ウェイリーが英訳した「源氏物語」を現代日本語に再翻訳した著者が、時空を超えた物語の秘密と魅力を解きあかす。

1925年、アーサー・ウェイリーによる初の英語版が刊行されて以来、世界各国に翻訳された「源氏物語」は、時代を超え国境を越え、中国古典からギリシャ・ローマ神話、聖書、シェイクスピア、プルーストやヴァージニア・ウルフらモダニズム文学、そして現代まで――数多の異言語・異文化の波を潜り、「世界文学」として新たに生まれ変わった。

千年前の古典原文、百年前の英語、現代の日本語を往還しながら、「源氏物語」の〈らせん訳〉=トランスクリエーションを成し遂げた著者による、発見の喜びにみちた評論エッセイ! 

https://gendai.media/articles/-/135985


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秋サケ迎えカムイに祈り 千歳アイヌ協会が伝統儀式

2024-09-03 | アイヌ民族関連

柳沼雅貴 有料記事

北海道新聞2024年9月2日 21:28(9月2日 22:09更新)

カムイへの感謝の祈りをささげるアイヌ民族の伝統儀式「アシリチェプノミ」

 【千歳】千歳アイヌ協会(中村吉雄会長)は1日、秋サケを迎えるアイヌ民族の伝統儀式「アシリチェプノミ」を市内蘭越の千歳川河畔で行った。伝統漁法でカムイチェプ(サケ)を捕らえ、カムイ(神)への感謝の祈りをささげた。

 今年で32回目。千歳や恵庭、苫小牧などから約140人が参加した。

 儀式では、北海道の許可を受けて水路に放流したサケを、チプ(丸木舟)に乗った2人が伝統漁具マレク(もり)で突いて捕獲。川岸に設けた炉の前にささげ、協会の会員らが感謝を込めて祝詞をささげた。

 儀式後は、・・・・・・

 ※「アシリチェプノミ」の「リ」と「プ」、「カムイチェプ」の「プ」、「チプ」の「プ」、「マレク」の「ク」はいずれも小さい字。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1057910/


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シサム 劇場公開日 2024年9月13日

2024-09-03 | アイヌ民族関連

映画.COM 2024年9月2日

【今観なければならない、すさまじい超重要作】戦争を止めるためには何が必要なのか? 兄を殺された復讐心に焼かれる青年が、異文化に触れて人生を見つめ直す豊かな自然と迫力の戦闘で魅せる、大スペクタクル作

何年かに1回、「今、このタイミングで観なければいけない」と使命感にかられる映画がある。9月13日公開の「シサム」(※ムは小文字が正式表記)がその1本だ。

描かれるのは、壮大なスケールの人間ドラマ。江戸時代前期、アイヌと和人(日本人)の争いの渦中で戦う一人の青年がいた――。

この特集では、本作を実際に鑑賞し「多くの人に伝えたい」と燃えている筆者が、“今、観なければいけない”と感じた理由をわかりやすく解説。加えて、本作に魅せられた一人、作家・ジャーナリストの佐々木俊尚氏によるレビューをお届けする。

現代社会を反映したかのようなストーリーに、観る者の胸に迫るセリフの数々。観ればきっと、今を生きる“あなた”の物語でもあるとわかるはずだ。

最初に、予告編で物語を把握していただこう。

【公式】映画『シサム』予告編 9月13日(金)全国公開

https://www.youtube.com/watch?v=GNBjayTl66Q

【今、観てほしい渾身作】超骨太で超壮絶 でも、希望がある――争いを止めるには、どうする?【超重要作】

タイトルの「シサム」とは、アイヌ語で“隣人”を意味し、アイヌ以外の人のことを指す。

[超重要作①]兄を殺された憎しみを抱く青年は、復しゅうの旅路で大ケガを負う。流れ着いたのは、自然と共生し争いを好まず、しかし戦禍にのまれゆくアイヌの村だった――

江戸時代前期。松前藩は、アイヌとの交易品を主な収入源としていた。松前藩藩士の息子・孝二郎(寛一郎)は、兄・栄之助(三浦貴大)とともにアイヌとの交易で得た品を他藩に売る仕事をしていたが、ある夜、使用人の善助(和田正人)の不審な行動を見つけた栄之助は善助に殺されてしまう。

敵討ちを誓い、復しゅうの業火に焼かれる孝二郎は善助を追って蝦夷地へ。そこで孝二郎は大ケガを負ってしまい、アイヌの人々に助けられ、一緒に過ごすうちに己の価値観や生き方を模索していく。

戦火による憎しみの連鎖が起こる昨今。本作は、“不寛容”が暴力へと繋がっていくプロセスだけでなく、人種や民族を理由にした“分断”も顕在化。過去の歴史を描いた作品でありながら現代に通じる社会問題を訴求し、深い余韻を残していく。

[超重要作②]主人公が異文化に触れて成長→名作揃いのジャンルの系譜 「SHOGUN」「ラストサムライ」「ダンス・ウィズ・ウルブズ」好きはマスト鑑賞

アイヌの文化に触れて、やがて己の価値観を変えていく――“主人公が異文化に触れて成長していく”物語は、名作揃いで人気のジャンルの一つ。

「ラスト サムライ」「ダンス・ウィズ・ウルブズ」「アバター」、最近では「SHOGUN 将軍」もその系譜だ。変化していく主人公の姿は親近感があり、筆者のようにこうした作品に感銘を受けてきた映画ファンには、特に強く推したい1本でもある。

また、アイヌと聞けば、映画も大ヒットした「ゴールデンカムイ」を思い浮かべる人も多いだろう。「ゴールデンカムイ」は明治時代後期が舞台となり、時代設定が異なるが、本作を観ることで作品への理解度がより深まっていくので、「ゴールデンカムイ」好きにもおすすめしたい。

[超重要作③]キャスト・スタッフの凄み “怖いくらいに上手い”寛一郎、坂東龍汰ら俳優陣の“魂を揺るがす”本気の熱演が胸を打つ

主演を務めた寛一郎は、「泣く子はいねぇが」「せかいのおきく」「首」など、筆者的には「良い邦画に欠かせない、絶対いる」俳優だ。出演している映画の感想を話せば「今回も寛一郎さんが良かった~」と毎回言っているほど、どんな作品でもどんな役でも、長く記憶に残り続ける。

主演が決まる前からアイヌの歴史に興味があったそうで、本作ではアイヌの持つ精神や理念に共鳴して孝二郎を怖いくらい巧みに演じ、複雑な心情を体現。共演の三浦貴大、和田正人、坂東龍汰らも、アイヌや和人それぞれの思想に誇りを持つ役どころを熱演しており、キャスト陣の演技のぶつかり合いも必見だ。

脚本を手掛けたのは、「結婚できない男」(関西テレビ)や「梅ちゃん先生」(NHK)など、大ヒットドラマを手掛けてきた尾崎将也。日本語とアイヌ語のセリフを混在させ、「脚本を直した回数はこれまでの自分が経験した中で最多」と、経験豊富な尾崎にとってもチャレンジングな作品だったことを明かしている。

[超重要作④]戦闘シーンが“痛み”を帯びるほどリアル 壮大で悲惨だけど……未来へ目を向けた“希望”に胸が熱くなる

本編では、雄大なロケーションにも目を奪われる。大部分の撮影は、町全体がイオル(アイヌの伝統的生活空間)という考えの下、アイヌと和人が共生してきたという認識をもつ北海道・白糠町で行われ、セットでは得られない凄味を醸し出している。

後半には悲惨な戦闘描写もあり、アイヌの人々の思いも丁寧に描かれてきただけに、痛いほど胸に迫る。台湾先住民族セデック族による抗日暴動「霧社事件」を描いた傑作「セデック・バレ」を彷彿とさせ、鑑賞後にも抜けない棘のようにヒリヒリと心に突き刺さっていく。

しかし、悲しいだけではない。孝二郎がどんな道を歩んでいくのか、未来へ向けた“希望”も感じさせ、実はこれが本作を一番推したいポイントでもある。争いを止めるためには何が必要で、現代を生きる私たちには何ができるのか――そんな風に訴えかけられたような気がして、未来に思いを馳せながらエンドロールを眺めた。

【レビュー】なぜ「今観るべき」なのか?ジャーナリスト
佐々木俊尚氏が語る、観客の心に深く刺さる理由

最後に、作家・ジャーナリストの佐々木俊尚氏のレビューを掲載する。「現代の重要な作品」だという本作について、映画的な面白さはもちろん、主人公のキャラクター描写の考察から、観客の心に刺さる理由を解説。鑑賞前でも鑑賞後でも、読めば理解度がグッと深まるはずだ。

●主人公=弱虫な悩める人 だからこそ、深々と共感できる

本作で実にリアルに描かれるアイヌ文化に、驚き感動する観客は多いだろう。農耕が難しかった北の大地で、アイヌの人々は白樺の樹皮や鮭の皮をつかって衣類を作り身にまとった。口元を入れ墨で染めていた成人女性をはじめ、人々の入れ墨の勇壮な美しさ。なんともいえない振動音が魅力的な口琴の演奏。細部まで描かれたそれらの風俗に目を見ひらいているうちに、骨太に物語は進んでいく。

だが本作を現代の重要な作品にしているのは、そうした文化描写だけではない。わたしが注目したのは、寛一郎が演じる主人公の松前藩士・孝二郎である。孝二郎はアイヌの人々に命を助けられ、集落に迎えられたことから彼らの文化に深く接することになる。そして松前藩との橋渡しを試みようとする。

江戸時代前期、北海道では「シャクシャインの戦い」と呼ばれるアイヌの反乱があった。当時のアイヌは和人と交易し、獣皮や鮭、昆布などを本州の鉄製品や漆器、米と交換していたのである。しかし江戸幕府が交易の独占権を松前藩に与えたことから、松前藩の支配が強まっていく。これに抵抗したのがアイヌの首長シャクシャインだった。

本作の物語も、シャクシャインの戦いをモチーフにしている。戦いがアイヌの敗北に終わり、首長シャクシャインも謀殺され、松前藩はアイヌに対し絶対的な支配を確立していく。アイヌの独自の政治体制も解体され、日本の権力機構に組み込まれていくことになる。そのような史実を踏まえるのであれば、いくら主人公の孝二郎が悩んだとしても弾圧の歴史は変えようがない。実際、本作中盤までの孝二郎はヒーローでも何でもない、ただの「弱虫な悩める人」として描かれている。日本刀をたずさえたサムライとして何度も抜き身を手にするが、華々しい殺陣がないどころか負けてばかりである。

しかし、である。孝二郎がそういう弱虫な悩める人であるからこそ、本作には深々と共感できる誠実さがあると思うのだ。

●観客の心に刺さる理由は? 「白人の救世主」問題から“フラットな視点”を考える

本作から少し外れるが、「白人の救世主」という表現がある。「アラビアのロレンス」(1962年)「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」(1984年)などの名作が典型的だが、非白人の困難を白人のヒーローが救うというハリウッド映画に特有な物語構造を指している。日本を舞台にした映画で言えば、トム・クルーズ演じる南北戦争の英雄が明治初期のサムライたちの反乱を支えるという「ラスト サムライ」(2003年)。最近の作品で言えば「MINAMATA ミナマタ」(2020年)もそうだ。水俣病患者の窮状を世界に伝えるために、ジョニー・デップ演じる白人の実在の写真家ユージン・スミスが活躍したというストーリーになっている。

なぜ「白人の救世主」のような表現が生まれてきたのだろうか。20世紀後半に白人優位が崩れ、黒人やヒスパニック、アジア人などの権利が重視されるようになってくる中で、ハリウッド映画でも「非白人」の物語が描かれるようになってくる。そうした非白人の物語を、米国におけるマジョリティである白人観客層に受け入れてもらうための装置として「非白人を白人ヒーローが助ける」という構図が選ばれたとも言われている。

しかし「白人の救世主」も結局は白人優位の世界観であることには変わりない。これに真っ向からノーを唱えたのが、2020年米アカデミー賞7部門受賞作「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」であり、今年ディズニープラスで配信され話題沸騰の「SHOGUN 将軍」である。前者はマレーシア出身の女優ミシェル・ヨーが主演を務めた。真田広之や浅野忠信が日本語で演技する後者は、イギリス人の船乗りが出てくるけれども狂言回しのような役割にすぎない。いずれもポスト「白人の救世主」時代の、白人・非白人の新たなフラットな関係性が登場してきている。

そしてこの「白人の救世主」問題は、白人対非白人に限る話ではない。21世紀の世界になって、あらゆる文化、あらゆる民族に対しても、たがいの平等を認識したうえでのフラットな視点が求められるようになっている。当然だが、それはアイヌに対するわれわれ和人の視点にも言えることだ。

●単なる時代劇じゃない ヒーローになれない主人公の姿から見えてくること

そういう姿勢で本作を鑑賞すれば、また別の地平が見えてくる。主人公の孝二郎は「アイヌの救世主」ではない。主体はあくまでもアイヌの人たちである。弓矢を手にした彼らは悔しくも松前藩の銃弾に斃れていくが、孝二郎は彼らを窮地から救うヒーローになることはできない。しかしだからこそ、本作における戦うアイヌ人たちの勇壮な姿は当事者そのものであり、彼らの敗北していく姿は観客の心に深々と刺さってくるのである。

ここまで読んでいただければ、わかっていただけるかもしれない。本作は単なる時代劇ではない。わたしが本作を「今、観るべき」と考える理由は、これからのフラットで多様な世界をかいま見せてくれるからである。

https://eiga.com/movie/101480/special/


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スノヘッタによる 機能と伝統が融合する木造建築

2024-09-03 | 先住民族関連

ノルウェーの高原に設計された、学校と劇場が一体となった文化・教育拠点〈Čoarvemátta〉

TECTURE MAG 2024.09.02

 © Lars Petter Pettersen/Snøhetta

ノルウェー最大かつ最北の高原であるフィンマルク高原の中央部に位置する〈Čoarvemátta〉は、北欧の先住民族であるサーミ人のために建てられた、劇場と学校を併設した新たな文化・教育拠点です。

3方向に分岐する特徴的な建物であり、劇場、工房や教室、学校の管理部門がそれぞれの棟に入っており、エントランスである中央は共用スペースとしてそれぞれの利用者のための集いの場となっています。

建物に入居する各機関を機能的にも建築的にもシームレスにつなぐ、世界各地にスタジオを構える設計事務所 スノヘッタ(Snøhetta)が設計した建築です。

(以下、Snøhettaから提供されたプレスキットのテキストの抄訳)

サーミの遺産と伝統的な建築習慣からインスピレーションを得た新しい文化・教育拠点〈Čoarvemátta〉

スノヘッタは、建築事務所の70°N architectureとアーティストのヨアル・ナンゴ(Joar Nango)とともに計画した〈Čoarvemátta〉は、2021年にサーミ人のための劇場と学校の新校舎を建設するための建築コンペティションにて最優秀案に選出され、先日落成を迎えた。(編集部註:サーミ人は、スカンジナビア半島北部ラップランド及びロシア北部コラ半島に居住する先住民族)

「Čoarvemátta」という名前は、トナカイの角の最も内側で最も強い部分になぞらえ、サーメ語で角と根を意味する言葉に由来する。

サーミ国立劇場Beaivvášとサーミ高等学校とトナカイ放牧学校が入居する〈Čoarvemátta〉において、この名前は各機関の異なる性質と強さ、そして団結力を象徴している。

スノヘッタの設立パートナーであるシェティル・トレーダル・トールセン(Kjetil Trædal Thorsen)は次のように語る。

「私たちは、劇場と学校という、普段は相互運用されることのない異なる機能と建築がシームレスに一体となったプロジェクトに貢献できたことを誇りに思う。また、サーミを象徴する伝統工芸『ドゥオジ』には皮や鼻、角など、動物のものはすべて何かに利用できるという重要な原則があり、これらの重要な役割を果たす資源を〈Čoarvemátta〉にてプロジェクトにうまく利用することができたことを嬉しく思う。」

「〈Čoarvemátta〉が、この建物を共有する機関やサーミ・コミュニティ全体の団結力になることを願っている。」

異なる機能をつなぎ、地域の伝統を受け継ぐ建築デザイン

〈Čoarvemátta〉は、ノルウェー最大かつ最北の高原であるフィンマルク高原の中央に位置するカウトケイノにある。建物のファサードはすべて、建物を取り囲む景観とそれぞれ異なる形で関連している。

建物は景観の中に低く位置し、周囲の丘や高さと調和するプロポーションをもち、有機的なフォルムを壊す鋭角な要素はない。北と南の2面を勾配屋根にすることで、遠くから見たプロジェクトの視覚的な高さを最小限に抑えると同時に、南西からのアクセスに向けたエントランスをつくり出している。

建物の枝分かれした部分は共有スペースであり、その中心にメインエントランスと前庭を配置することで、学校と劇場の両方の利用者が集う場所をつくり出している。ここから建物は3方向に伸びており、劇場、工房と教室、そして学校の管理部門がそれぞれの棟に分かれている。

スノヘッタのシニア・アーキテクトであり、〈Čoarvemátta〉のプロジェクト・リーダーでもある〈ボールド・ヴァーグ・スタングネス(Bård Vaag Stangnes)は次のように語る。

「建物の形状は、劇場と学校に一体的なボリュームをもたせ、集会所という接続点を中心に各機能を集めるというアイデアから生まれた。」

「また、曲線のライン、天窓のある前庭、煙突、目に見える木造の支持構造、入口に向かって開くやわらかな形状の統一された屋根などは、トナカイの放牧が盛んなサーメ地方の伝統的な木造建築ラヴヴ(lávvu)から着想を得たものである。」

それぞれの機能における重要な役割を果たすランドスケープ

建物の枝分かれした形は、自然に3つの屋外スペースを形成しており、特に前庭は、焚き火台や腰掛け石、円形劇場がある親密な空間となっている。

腰掛け石は近くの台地から採取してきたものであり、このフレキシブルな空間は学校と劇場の両方で使用することができる。また、ここで使用されているアルタ・スレートは、建設地近くの採石場で採れたものである。

劇場棟の反対側にある屋外エリアは、学校の建築作業場のためのものであり、風向きやフィンマルク高原の厳しい天候、そして視覚的にも遮蔽されている。

建物の北側に残された広大な敷地に設けられたトナカイ柵は、建物内のトナカイ放牧部門に直結しており、地元の専門家によって建設された。東側は、台地と建物が自然な形で接し、地形と植生ができるだけ建物の近くに保たれている。

パッシブエネルギーを活用した、自然と共生する建築

〈Čoarvemátta〉は、パッシブハウス規格の要件を満たした設計となっているため、この建物は室内気候が良く、必要なエネルギーが極めて少ない。

地中約250mに掘られた40本の地中井戸のおかげで、この建物は冷暖房エネルギーの90%を自給自足している。この井戸から引かれた2台のヒートポンプが建物を冷暖房しており、冬の特に寒い日には電気ボイラーで補う。

建設現場全体では、取り除かれた土は保存されており、一時的に保管された後、建物周辺にすべて戻される。

シニア・ランドスケープ・アーキテクトのテア・クヴァンメ・ハルトマン(Thea Kvamme Hartmann)は次のように語る。

「サーミの文化には、景観を公園や都市空間として育てる伝統はない。ラヴヴから一歩足を踏み出せば、そこは自然の中、つまり風景の中なのである。」

「それゆえに、このプロジェクトにかけた時間の多くは、建設期間終了後、このエリアをどのように緑化し、台地が建物を囲むように戻すことができるかという戦略を立てることに充てられた。」

伝統を反映し、敷地特有の多言語に対応するサインと案内表示

スノヘッタは、このプロジェクトのビジュアルに沿ったサインと案内表示も作成しており、建築、インテリア、ランドスケープデザインを補完的に機能させている。主に機能的なものであるが、建物と同様に伝統的な職人技や素材の使い方もさりげなく取り入れている。

サインは粉体塗装のスチールとパイン材でできており、タイポグラフィやピクトグラムなどのグラフィック要素により建物の配置を反映している。また、多言語(北方語、南方語、ルーレ・サーミ語、ブークモール語)の要件を満たすため、遠くからでも読みやすいようにイコノグラフィが多用されている。

以下、Snøhettaのリリース(英文)です。

New cultural and educational hub Čoarvemátta draws inspiration from Sami heritage and traditional building customs

Snøhetta, together with 70°N architecture and artist Joar Nango, delivered the winning proposal in the architectural competition for a new Sami theatre and school building in 2021. Now, the prominent building has been inaugurated.

The name Čoarvemátta comes from the Sámi words for horn and root, after the innermost and strongest part of the reindeer antlers. This symbolizes different qualities and strengths and represents elements that unite, as Čoarvemátta will be a unifying force for the institutions that share the building: the Sami National Theatre Beaivváš and the Sami High School and Reindeer Herding School.

“We are proud to have contributed to putting this long-awaited and important building in its place. A combined theater and reindeer herding school is a fun program to work with for an architect. It is a testament to good architecture that two really non-interoperable institutions are successfully connected. The project also provides exceptionally good use of resources, which also play a vital role in traditional Sami handicrafts, duodji, where it’s an important principle that everything from the animal can be used for something – the skin, the nostril – and the horn,” says Kjetil Trædal Thorsen, Snøhetta Founding Partner.

“The innermost part of the reindeer horn also symbolizes different qualities and strengths and represents elements that unite, as we hope Čoarvemátta will be a unifying force for the institutions that share the building, and the Sami community at large.”

Design and Architecture

The new building is located in Kautokeino in the middle of Finnmarksvidda, Norway’s largest and northernmost plateau. All four of the building’s facades relate to the various landscape spaces that surround it in different ways.

The building sits low in the landscape and has proportions that harmonize with the surrounding hills and heights with no sharp angles breaking with the organic forms. The sloping roof on two sides (north, south) minimizes the project’s height effect seen from a distance, and at the same time creates an entrance situation towards the access from the southwest.

The new shared space has a branching shape, with a main entrance and vestibule located at its center, creating a gathering place for both the school’s and the theater’s users. From here, the building body stretches in three directions – with one wing each for the theatre, workshops and teaching rooms, and the school’s administration.

The curved lines, the vestibule with skylights as from a reahpen, smoke hole, and the visible load-bearing timber structure in wood, are inspired by wooden structures typical of reindeer herding Sámi areas, such as the lávvu.

“The shape of the building springs from the idea of creating a unified volume for the theatre and the school, and of gathering the functions around a connection point – the meeting place. Elements have also been taken from Sami building traditions – the skylight in the vestibule, the visible supporting structure, and the unifying roof with its soft shape that opens towards the entrance,” says Bård Vaag Stangnes, Senior Architect in Snøhetta and Project Leader of Čoarvemátta.

Materials and color

The façade of the building is made of standing wood clad in ore pine. The massive roof measures 4930 m2 and is clad with 34,000 meters of kebony. The Alta slate stone on the theatre’s gable wall has been reused from the village’s old primary school, which has been demolished.

Inside the vestibule and corridors, the polished concrete floors mimic the ground outside the building, with elements of locally mined stone, including slate and masi quartzite, in various shades of grey and green.

The center of the building, around the foyer, vestibule and theater halls, is painted in warm, red shades. Then the color scheme becomes cooler the further away from the source you get, with bluish tones at each end of the building’s wings. Contrasts between door, wall and floor within the different color schemes have clear references to Sami use of color. This makes a strong contrast to the building’s exterior, which is clad in white for the most part of the year.

Landscape

The branching shape of the building naturally forms three outdoor spaces. The one facing south constitutes the main entrance and a space in front of it. The forecourt is an intimate and circular space with arrán, a fire pit, sitting stones and an amphitheater. The sitting stones are taken from the plateau just outside, and this flexible room can be used by both school and theatre. The Alta slate used here comes from a quarry near the construction site.

The outdoor area on the other side of the theatre wing is intended for the school’s building trade workshops and is shielded both visually and from the prevailing wind direction and harsh weather at Finnmarksvidda.

North of the building, large areas have been set aside for reindeer fences, which are directly linked to the reindeer herding department inside the building and have been built by local experts. On the east side, the plateau meets the building in a natural way, and the terrain and vegetation have been preserved as close as possible to the building.

Natural ground heating

Čoarvemátta meets the requirements of the Passive house standard, which means that the building is of very high quality, with a good indoor climate and extremely low energy requirements.

The building is 90% self-sufficient in energy to heating and cooling thanks to 40 geowells drilled about 250 meters into the ground. The wells supply two heat pumps that both heat and cool the building, while exchangers for the energy wells dump surplus heat back again. On the coldest winter days, the system is supplemented with an electric boiler.

Over the entire construction site, soil that has had to be removed has been preserved, the top layer has been temporarily stored, and subsequently returned to all surfaces around the building, so that the seed stocks are intact.

Restoring the plateau landscape takes time but is allowed as new plants with new roots prevent the original seeds from germinating. On the forecourt, a small amount of grass seeds has been sown that NIBIO has collected in Finnmark, this has been done exceptionally to allow forecourt to turn green faster.

“The Sami culture has no tradition of cultivating landscapes into parks and urban spaces. When you step out of the lavvu, you are directly in nature – in the landscape,” says Thea Kvamme Hartmann, Senior Landscape Architect.

“Much of the project has, therefore, been about creating a strategy for how the area can be revegetated and the plateau return to encircling the building after the construction period has ended.”

Signage and wayfinding

Snøhetta has also also made the signage and wayfinding program that follows the project’s visuality and works complementary to architecture, interior, and landscape design. It is primarily functional, but like the building, it also has subtle references to traditional craftsmanship and use of materials.

The signs are made of powder-coated steel and pine, and the graphic elements, including typography and pictograms, mirror the building’s alignment. Iconography is used extensively for readability at a distance to meet the requirements for multilingualism (Northern, Southern, Lule Sámi, and Bokmål).

Commissioned artworks

KORO, the Norwegian state’s professional body for art in public spaces, has been responsible for the art procurement of Čoarvemátta. A total of six new works of art have been created for the new building. After a closed competition, Máret Ánne Sara (b. 1983) was invited to design the theatre’s stage curtain. Britta Marakatt-Labba (b. 1951) is one of Sápmi’s most renowned contemporary artists, and has created the embroidery Miin Duoddarat / Our Plains, with direct references to the history of the theatre for the building’s common room.

In addition to the new works, two larger, existing works of art by two of Sápmi’s most famous and influential artists, Aage Gaup (1943–2021) and Iver Jåks (1932–2007), have been moved from the old school building to the new building.

FACTS

Shared building for the Sami National Theatre Beaivváš, and the Sami Upper Secondary School and Reindeer Herding School
Location: Kautokeino/Guovdageaidnu, Norway
Size: 7200 m²
Typology: Cultural and educational building
Status: Completed
Timeline: 2020-2024
Čoarvemátta meets the requirements for the designation Passive house according to the standard NS3701
Client: Statsbygg
Architecture, Interior Architecture, Landscape Architecture and Graphic design: Snøhetta
Entrepreneur: Econor
Collaborating partner, architect: 70°N arkitektur
Collaborating partner, architect/artist: Joar Nango
Art acquisition: KORO, curator: Monica Milch Gebhardt
Artists: Máret Ánne Sara, Laila Mari Brandsfjell, Fredrik Prost, Ellen Berit Dalbakk/Rámavuol Elle Bigge, Merethe Ella Márjá Kuhmunen, Elle Valkeapää, Britta Marakatt-Labba, Iver Jåks, Aage Gaup.
Consulting Engineer, Building and Fire: Norconsult
Consulting Engineer, Building (Prefab): AB consult
Consulting Engineer, Acoustics: Brekke & Strand
Consulting Engineer, HVAC: Afry
Consulting Engineer, Pipes: SWECO
Consulting Engineer, Electrical: Rambøll
Consulting Engineer, Road: Asplan Viak

 

「Čoarvemátta」Snøhetta 公式サイト
https://www.snohetta.com/projects/coarvematta

https://mag.tecture.jp/culture/20240902-coarvematta/


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インターン報告:国際シンポジウム「気候危機とたたかうアジアの人々」第2部

2024-09-03 | 先住民族関連

FoE 2024.9.2

FoE Japan インターン生の藤原瑞貴です。

第2部は、『脱炭素政策の裏側で~各地で進む、誤った気候変動対策』というテーマで「アジアにおける化石燃料の拡大」「プラスチック問題と気候危機の関係」「日本が推進するGX戦略の課題」そして「炭素市場の問題点」が論じられました。この部では特に、日本を含む先進国がいかに間違った気候変動対策をしているかや、それが発展途上国にどれほどの被害や問題を背負わせてしまっているのかについてが国際的な枠組みの点から説明されていました。プレゼンテーションの主な内容は以下の通りです。

アジアにおける化石燃料の拡大(FoEバングラデシュ Bareesh Chowdhury氏より)資料(日本語)

2021年に日本、韓国に引き続き中国も海外での石炭火力事業への投資中止を発表した一方、中国とインドが今でも一番多くの新規の石炭火力発電建設を推し進めています。「クリーンな代替燃料」として、LNG(液化天然ガス)の拡大が南アジアでも広まっているのが現状です。LNGや石炭は、脱炭素への移行のための燃料だと主張されていますが、本当にそうなのでしょうか?

プラスチック問題と気候危機の関係(FoEスリランカ Chalani Rubesinghe氏とFoE韓国のHyein Yu氏より) 資料(日本語)

石油の消費のうち4~8%、温室効果ガス排出の3.4%を占めるプラスチック。人間だけでなく自然界にも100年から1000年にわたって被害を及ぼしかねません。プラスチック汚染に関する政府間交渉委員会 (INC)でのGlobal Plastic Treatyも紹介され、次の5回目に向けての目標も聞くことができました。

日本が推進するGX戦略の課題(FoE Japan 深草亜悠美氏より) 資料(日本語) 

温室効果ガスの歴代排出量が6位である日本は、脱炭素の先陣を切る必要があります。しかしそれとは裏腹に、排出削減と経済成長の両立を目指すGX戦略には「グリーン」の定義がありません。化石燃料との混焼で使われる水素やアンモニウムを「脱炭素燃料」と位置づけ、化石燃料の延命を目指しているのが現状です。また、温室効果ガスの排出削減は原子力や二国間クレジットの制度に頼っていることも問題だと議論されていました。真のグリーントランスフォーメーションのために、「フェアシェア(気候変動への歴史的責任に見合った量の取り組みを行うこと)」が必要とされているのです。

炭素市場の問題点(FoEマレーシア Shamila Ariffin氏より) 資料(日本語)

マレーシアの先住民族の慣習地を例に、炭素市場とカーボン・オフセットというコンセプトの問題点を辿りました。カーボン権の取引を許可するこの市場では、温室効果ガスをたくさん排出する先進国とあまりしない途上国の間で問題が生じています。実際今回取り上げられたマレーシアの慣習地では、先住民族の伝統的な地権がないがしろにされ単一農業などに使われる自体が発生しています。炭素市場という考え方は、地元住民や地元住民の土地に対する権利を考慮していかなければならないという訴えが述べられていました。

感想

一番自分にとってショッキングだったのは、3つ目の「日本が推進するGX戦略の課題」でした。みなさんは、GX(グリーントランスフォーメーション)についてどれくらいご存じでしょうか?私は今回このお話を聞くまで、てっきり再生可能エネルギーへの移行の話だと思っていました。しかし、上記のようにここでの「グリーン」に定義がないというのです!結局は目先の対処法や数値の減少に飛びついて経済成長を優先してしまっているこの社会を変える必要があります。

共にインターンをしている宮脇直樹さんは、下記のように感想を共有してくれました。

自国の発展のための利益追求と環境保護はあたかも両立が可能であるように見せている事に、彼らの余裕を感じてしまい、あまり賛成できる政策ではないと感じた。個人的には、現状維持で豊かな生活をする事と、今起こっている気候変動を止める事は不可能に近いのでは?と思ってしまった。

私も現在就職活動をしている身として、間違った対策の一部に大企業のアピールしている事業と遠くないこともあったように感じました。一消費者としてすべきことと、それだけではだめで社会構造の変化も必要だというバランスに難しさともどかしさを覚えた日でした。

「プラスチック問題と気候危機の関係」も大変勉強になりました。気候変動に取り組む団体にとってプラスチック問題は重要なものである一方、FoE Japan含め多くの団体であまり取り上げられていないのではないでしょうか?もちろんそれがよくないという話ではなく、いろいろな社会問題はつながっているので、このような団体に関わる者としてこのような機会を使って自分で理解を深めていく必要性を実感しました。改めてプラスチックの話を聞けたことはとても有意義で、プラスチックに関してどのような国際的取り組みが進められているのか、消費者の任務は何かを考えるきっかけとなりました。

すべてを話すことはできないのですが、「アジアにおける化石燃料の拡大」も「炭素市場の問題点」もどちらもアジア全体の中でのお話で、今回のシンポジウムならではだなと思いました。

第2部のまとめはこのような感じになります!
参加した方はぜひ学びを振り返って、参加できなかった方はアーカイブ動画を見てみてください!

インターン報告:国際シンポジウム「気候危機とたたかうアジアの人々」第3部 へ続く
インターン報告:国際シンポジウム「気候危機とたたかうアジアの人々」第1部
【国際シンポジウム】気候危機とたたかうアジアの人々〜「公正な移行」の実現にむけた日本の役割〜
アーカイブ動画と資料は、こちらのページからご覧いただけます。

https://foejapan.org/issue/staffblog/2024/09/02/staffblog-20106/


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ラスト・オブ・モヒカン 劇場公開日 1993年3月13日

2024-09-03 | 先住民族関連

映画.COM  2024年9月2日 

壮大な愛の物語だった。父への愛、息子への愛、娘への愛、姉妹愛、兄弟愛。賢いコーラと鷹の眼を持ち土地を知り尽くしているダニエル・ディ・ルイス!恋する二人になるのが早すぎたが、まず相手の眼を正面からじっと見つめることで恋が始まるというお約束を経ていたので許します。
音楽そのものは良かったが、ずっと奏でられている印象とここぞとばかりに流れるセンチメンタルなメロディーには少し食傷気味になった。映像素晴らしく、森林、滝と川、草原、切り立った岩壁、広い空に山々の稜線とIMAXで見ることができたらと思った。暗闇のシーンが多くテレビ画面ではあまりよく見えなかったのは残念だった。その自然の中で英仏が戦い、それぞれの側で民兵として戦わせられる複数のインディアン族、残酷で白人化したインディアンもいれば誇り高いインディアンもいる。元々は共存していたろうに。諸悪の根源はヨーロッパからのこのこやってきた白人。英国は世界の土地全てを自分達のものにするのが使命だと~?彼らにとって土地はお金になるもの。違う。土地そのものが神様で祖先で大事な物なのだ。
「存在の耐えられない軽さ」で初めてダニエル・ディ・ルイスを見てこんなに素敵な俳優が世の中にいたのか!と衝撃を受けた。にも関わらず他のダニエル出演の映画を1本も見ないまま来てしまった。私的・ダニエル祭りをこれから始めようと思う。

https://eiga.com/movie/31403/review/04207046/


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古代文明タルテッソスはなぜ突然消えたのか、イベリア半島で繁栄

2024-09-03 | 先住民族関連

ナショナルジオグラフィック 2024.09.02

最盛期は紀元前7世紀、独自の文字も、明らかになる先住民とフェニキア人の文化の融合

紀元前6世紀のこのネックレスには、タルテッソスで採用されたフェニキア人のモチーフであるエジプトのスカラベの印章が7つ付いている。このネックレスは1958年に発見された「カランボロの財宝」の一部だ。(参考記事:「2700年前の謎の黄金財宝、起源を解明」)(ORONOZ/ALBUM)

 植民地化の初期のこの時期、イベリア半島の地元社会は、東部からの植民者の存在に徐々に適応していった。この統合がどのように発展したのかを、考古学者はより探ろうとしているが、人々は内陸部から沿岸部の植民地に移住したようだ。

 労働力は膨れ上がり、新たな都市や神殿、交通路の建設に必要な職人や労働者だけでなく、鉱夫や農民もやって来た。グアディアナ川とタホ川流域では、有力なエリート戦士が、フェニキア人の鉄や先端技術と引き換えに労働力を提供したのかもしれない。これらの内陸部では、地元の商人がフェニキア人に金やスズ、農産物を提供したのだろう。

 フェニキア人はイベリア半島の植民地に大きな影響を与えたが、その変化は不均一だった。

 例えば、グアダルキビル川流域やカディス湾などの人口の少ない地域では、やって来たフェニキア人は自分たちの都市を建設し、先住民を取り込むことができた。一方、ウエルバでは、より確立された経済と明確な社会構造がすでに存在しており、フェニキア人の影響力は弱かった。

 フェニキア人、先住民コミュニティ、内陸部の人々が互いに影響し合い、現在タルテッソス文化と呼ばれる文化が生まれたのは、紀元前8世紀のことだ。「タルテッソス」という言葉がギリシャの史料に初めて登場するのは、さらに後の紀元前7世紀だ。

考古学的証拠が示す文化の融合

 フェニキア人の植民者とイベリア半島の先住民との接触は、陶工、金細工師、鍛冶屋、建設業者、港湾労働者、船乗りなどの仕事を生み出し、目覚ましい経済発展のきっかけとなった。海上貿易がこの社会の特徴だ。

 海上貿易は労働集約的で、木を伐採し、船を建造し、商品を運ぶためのアンフォラ(2つの持ち手のついた壺)などの容器を作るために、多くの労働者が関わった。

 このような変化は、フェニキア人との新たな関係で利益を得るようになったタルテッソスのコミュニティと、新たな経済資源の支配を求める内陸部の他の先住民コミュニティとの間に緊張を生み出した可能性がある。

 タルテッソス文化では、新たな社会集団が出現し、はるかに複雑な社会組織が生まれた。この社会は約400年続いたが、エリートがどのように支配を維持したのかは明らかになっていない。タルテッソスの遺跡や墓のどちらからも、多くの武器は見つかっていない。

 タルテッソスにはいくつかの注目すべき文化的な特徴があったが、均質な社会ではなく、統一王国、ましてや帝国とみなすべきではない。

 ヘロドトスは、アルガントニオスが支配する王国について言及しているが、それはギリシャ人がタルテッソスと呼んでいた地域の長のことだ。他にも王や指導者がいたはずで、各支配者は相互に経済的な利害関係があったにもかかわらず、政治的な独立を維持していた。

 この社会構造は、階層的というよりも並列構造的で、様々な指導者や権力のネットワークを含んでいた。

次ページ:先住民とフェニキア人の結婚で統合が強固なものに

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/24/051400264/?P=3


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金沢文庫芸術祭 9/15

2024-09-03 | 先住民族関連

横浜金沢観光協会 2024.09.1

「アートを通じて、創造の芽を育て、次世代に何かを伝えたい」という願いのもと、1999年にスタートした『金沢芸術祭』は、24回目を迎えます。今年も芸術祭に関わる全ての人が、新しい出会いや経験を得て、未来へ繋がるきっかけ作りが出来るようなイベントを目指し開催していきます。

※2024年度「街角アートイベント」は行いません。

●オープニングフェスティバル

日 時

2024年9月15日(日)※荒天の場合は中止

時間

9:30~20:00

会 場

海の公園

入場料

無料

内 容

年々来場者数も増え、今では子どもからお年寄りの方まで、約2万人が集まります。

アート・クラフト・デザインなどの各種ショップや、音楽・ダンス、異文化などにも触れられ、美味しい食事も味わいながら思いっきり楽しめる1日となります。

 

★プレイパーク・平和のエコピースキャンドル・わらしべ長者ごっこ・こども大型絵画の展示 他

★アートブース

 オリジナル作品の展示販売(クラフト・絵画・陶芸・アクセサリーなど)

★わくわくワークショップ

 参加型コーナー

★先住民族ひろば

 先住人たちの知恵を学ぶ

★ワールドステージ

 キッズダンス・フラダンス・フラメンコ他

★Beeステージ

 地元近郊で活躍するアーティストが出演

★お祭りフード

 世界のおいしい屋台(オーガニックメニュー他)

主催

金沢文庫芸術祭実行委員会

お問合せ

イベントに関するご質問はE-mail:info@bunko-art.org

または 下記お電話で 

金沢文庫芸術祭実行委員会事務局 担当浅葉 090-2522-0493

ホームページ

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https://yokohama-kanazawakanko.com/2024/09/01/202409event206/


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