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<白老>動画で伝えたい故郷白老の魅力とは 東京の映像制作会社に勤務・中谷公祐さん(32)

2024-09-04 | アイヌ民族関連

武内敦貴 有料記事

北海道新聞2024年9月3日 19:00(9月3日 19:05更新)

なかや・こうすけ 白老町出身。道栄高を経て東京学芸大を卒業後、2014年に東京のCM制作会社に就職し企業のCM作りを手がけた。16年6月から現職の映像制作会社「ドローイングアンドマニュアル」に転職。プロモーションの提案やプロデュースを担う。

 東京の映像制作会社に勤める中谷公祐さん(32)は、得意の映像で公私にわたり故郷・白老の魅力を発信している。地域に腰を据えようと2021年には白老町内に事務所を構えた。伝えたい白老の魅力とは何かを聞いた。

■人と自然 日常を後世に

 ――仕事内容と白老での活動を教えてください。

 「市町村や企業、団体といった依頼主にプロモーション映像などを提案して制作し、進行管理もしています。白老では、町や建設業者でつくる『しらおい移住・滞在交流促進協議会』のPR映像を作り、町民対象の映像制作体験も行いました」

 ――白老の魅力とは。

 「アイヌ文化に関心を示す人が多いと思います。それだけではなく、私が考える魅力は人との距離が近く初対面でも受け入れてくれる寛容さと、豊かな自然です。住まいのすぐそばに海や川、山があり、空一面に夕焼けが広がる。当たり前の日常や景色が特別です」

 ――いつから映像での発信を考えたのですか。

 ・・・・・・

武内敦貴

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1058312/


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<道内文学>創作・評論 印象に残る戦争関連作品 小田島本有

2024-09-04 | アイヌ民族関連

会員限定記事

北海道新聞2024年9月3日 11:30

 戦後79年、今回は戦争に関わる作品が印象に残った。

 森亮一「わたしの殉難者への祈り 『戦争』が見えなかったわがまち赤平 前編」(「文芸北見」第54号)。著者は幼い頃赤平で、棒頭が朝鮮人労働者を棒でたたく恐ろしい光景を目にしたという。それが執筆の動機となった。「外国人殉難者名簿」には、それぞれの事業所で殉難した中国人・朝鮮人の数が「殉職」「私病」「自殺」の項に分かれて表示されている。ここでは逃亡者を助けた日本人、あるいは逃亡した朝鮮人の証言があり貴重。創氏改名を強要した当時の朝鮮総督府の強硬手段の苛酷さには震撼(しんかん)させられる。

 中村郁恵「背筋」(「椽(てん)」第26号)。義父は召集で大陸に赴き、敗戦後も長期間シベリアで抑留生活を体験したが、それをほとんど語ることがなかった。だが、義父の没後、義父の書斎に自分史が置かれていた。それを読んでいくと、義母がこれを読んでのコメントを挟んでいたのを「私」は発見する。「稔さん、もう少し、少しでも、お話しを直接聴かせてほしかったです」という義母の言葉が心に染みる。日付は義父の一周忌だった。

 ・・・・・・・

 高橋晶子「B.H.チェンバレン〝AINO FAIRY TALES(アイヌ昔噺)〟におけるアイヌ口承文芸の子ども向け再話」。その業績を一応評価しつつも、その改変に児童文学に対する軽視とアイヌ文化への無理解があったことを指摘している点が評価できる。(おだじま・もとあり=文芸評論家 釧路高専名誉教授)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1058068/


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「IntelのPentiumプロセッサそっくりな柄の織物」に隠された半導体産業の歴史とは?

2024-09-04 | 先住民族関連

2024年9月3日 7時0分 GIGAZINE(ギガジン)

コンピューターの歴史研究や古いコンピューターの修復を行うケン・シャリフ氏が、美術館の展示で見かけた先住民族の織物がIntelのPentiumプロセッサの模様に似ていたことをきっかけに、アメリカにおける半導体産業の歴史の一幕を紹介しています。

The Pentium as a Navajo weaving

https://www.righto.com/2024/08/pentium-navajo-fairchild-shiprock.html

カナダ国立美術館を訪れたシャリフ氏は、展示されていたニューメキシコ州の先住民族・ナバホ族の織物に既視感を覚え、その模様がIntelのPentiumプロセッサのパターンに酷似していることに気付きました。以下がその織物「Replica of a Chip」で、1994年にナバホ族の織工であるマリルー・シュルツ氏が、Intelからアメリカインディアン科学技術協会(AISES)への寄贈品として製作を請け負ったものです。

そして、「P54C」というコードネームで開発されたPentiumプロセッサ(右)の写真が以下。

シュルツ氏の織物とPentiumプロセッサのダイ(右)を見比べると、織物の柄がPentiumプロセッサのパターンをかなり忠実に再現していることがわかります。ただし、このダイの画像はシャリフ氏によって左右反転の加工がされているとのこと。これは、美術館が作品を展示する際に表裏を逆に展示してしまっていたためだそうです。

織物上でPentiumプロセッサの各領域を示した画像が以下。

そもそもなぜIntelがPentiumプロセッサのパターンをナバホ族の織物にしたのかについては、1960年代まで遡ります。

かつてアメリカに存在した半導体企業・Fairchild Semiconductorは、ベル研究所の元研究員でトランジスタの発明者として知られるウィリアム・ショックレーが設立した「ショックレー半導体研究所」の元従業員8人が設立した企業です。この8人の中には、後にIntelを設立するゴードン・ムーアとロバート・ノイスが含まれています。ノイスは1959年に集積回路を発明し、Fairchild Semiconductorはすぐにトップクラスの半導体メーカーとなり、シリコンバレーの基盤を築きました。

1965年、Fairchild Semiconductorは、ニューメキシコ州のシップロックに工場を建設し、半導体の生産を開始しました。

Fairchild Semiconductorがシップロックに工場を建設したのは、当時抑圧されていた少数民族であるナバホ族の経済状況を改善するための試みの1つだったとのこと。当時のナバホ族の部族長だったレイモンド・ナカイは、「産業化こそが部族が生き残るための唯一の答えだ」と考え、ナバホ族の地であるシップロックへの工場建設を認めました。シップロックの工場では約1200人の労働者が雇用されており、その9割以上がナバホ族だったそうです。

この時、工場で生産されていたチップのパターンとナバホ族の織物を並べた写真が、(PDFファイル)パンフレットで紹介されています。このパンフレットは、ナバホ族とFairchild Semiconductorの交流を示すものでした。当時、科学雑誌のナショナルジオグラフィックはこの織物を「宇宙時代に向けた織物」として取り上げ、シップロック工場がナバホ族にとって最も成功した経済プロジェクトだと紹介しています。

また、工場設立から3年後の1968年に、ムーアとノイスがFairchild Semiconductorを退職し、Intelを設立しています。

1970年代に入ってオイルショックによる景気後退の影響を受けて、Fairchild Semiconductorの経営状況は急激に悪化。1973年から1975年にかけて、Fairchild Semiconductorは8000人以上の従業員を解雇し、その中にはシップロック工場のナバホ族の人々も含まれていました。

その結果、ライフルで武装したナバホ族の過激派がシップロック工場を占拠し、従業員の再雇用をFairchild Semiconductorに要求する事件が勃発。その後、両者は和解に至りましたが、Fairchild Semiconductorはシップロック工場を閉鎖し、生産基盤を東南アジアに移しました。当時、Fairchild Semiconductorのゼネラルマネージャーだったチャールズ・スポーク氏は「シップロック工場は決してうまくいっておらず、ナバホ族の社会構造をめちゃくちゃにしました。女性は金を稼ぎ、男たちがその金で飲んでいました。私たちはナバホ族に非常に大きな悪影響を及ぼしました」と語っています。

その後、1980年にIntelが、シップロックから300kmほど離れたニューメキシコ州アルバカーキ市郊外に、大型のチップ製造工場を建設しました。この工場は当時Intelが所有する施設の中では最大級で、Intelの売上の70%を支えたといわれています。そして、この工場でPentiumおよびPentium Proチップが製造されました。つまり、IntelのPentiumチップを模した織物が作られたのは単なるひらめきではなく、1960年代から続く「半導体産業とナバホ族の関係」が下地になっていたというわけです。

なお、シュルツ氏は2008年にも「Untitled (Unknown Chip)」という題名の織物を発表していますが、この織物は AMD K6-IIIの回路パターンを再現しているとのこと。また、記事作成時点では、かつて存在したFairchild Semiconductorのシップロック工場で生産されていた9040チップを再現する織物を製作中だそうです。

https://news.livedoor.com/article/detail/27110109/?escode=pcmax


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ネパールで卒業論文を書く大学生 きっかけは休学しての世界一周

2024-09-04 | 先住民族関連

あらたにす 2024年9月3日

日本から飛行機でおよそ9時間、ネパールで卒業論文に取り組む大学生がいます。筆者がネパールに滞在していた時に現地に住む日本人の知り合いの方から「ネパールで卒業論文を書いている学生がいる」と聞き、お話を伺いました。関東学院大学4年生の一場風輝(いちば・ふうき)さんはネパールの先住民族ネワール族を研究しています。きっかけは休学して世界を旅したことだといいます。どのような思いで世界を回り、現在ネワール族の研究をしているのでしょうか。

ネワール族の伝統が残る街、バクタプル(8月29日、筆者撮影)

一場さんが卒業論文でネパールを取り上げようと思ったのは、大学4年時に休学して世界一周旅行に出たことがきっかけだといいます。特にインドに行った際にガンジス川沿いで行われていた儀式に目を引かれました。今でもカースト制度が根強く残る地で、どのような人が何のためにお祈りを捧げているのか気になって仕方がありませんでした。当時、インドの祭りや儀式を実際に見ても全く分からなかったと振り返ります。

現地に行っても分からないことが多いのに日本で参考書だけで卒業論文を書くことは出来ないと感じた一場さん。帰国後、旅の思い出を振り返っているとネパールの首都カトマンズの街並みの美しさがふと頭に浮かんだといいます。あの美しい町並みはどこからきているのだろう。調べていくとカトマンズ盆地の先住民族ネワール族によるものだと分かりました。そして8月7日から約2か月間、ネパール・バクタブルでネワール族の研究をしています。

一場さんは大学3年生の夏に祖母と叔父と初めての海外、インドへ行きました。常に自分の想像を超えてくるインドの生活は印象的だったといいます。宿の人にご飯を分けてもらったり、歩いているだけなのに変な人に絡まれたり。日本の生活とはかけ離れていて毎日が楽しく感じられました。帰国したときには、「今すぐに、世界一周旅行を」と強く思ったそうです。そして、4年生の夏に旅に出ました。

初めて両親に世界一周の旅をしたいと打ち明けた時は反対されてといいます。しかし、諦めずにパワーポイントに旅の目的、費用、時間、ルートなどの詳細をまとめて両親を説得しました。理解はしてもらっていないにしても、応援はするよと言ってもらえました。

世界一周旅行は日本を出発してタイ、ネパール、バングラデシュと進み合計26か国を回りました。一場さんはできるだけ多くの国へ行くというこだわりはなく、行きたい国を回っていたらその数になったといいます。かかったのはおよそ11か月。旅のために用意した資金は150万円。コロナ禍の大学1,2年生の時に「すき屋」の深夜帯の仕事で稼いだ資金や大学の奨学金、今まで貯めていたお金をかき集めました。

一番印象に残っている都市は西アフリカにあるコートジボワールでした。アビジャンの下町トレッシュビルに滞在中、マラリアに感染してしまったからだといいます。病院に行っても言葉が通じず他の病気の検査をされてしまいました。そしてなんとかマラリア検査にたどり着いた結果はpositive(陽性)でした。ポジティブ=前向き、だから大丈夫だ!と喜んでいたら医者に「お前は良くない。薬を買って来なさい」と言われ、療養生活が始まります。

マラリアは蚊に刺されることで感染する病気で、ヒトからヒトにはうつらないとされています。ですので、毎日宿周辺の人々に挨拶したり、子供と遊んだりしました。みんなと仲良くなることができ、とても楽しい思い出になったと振り返ります。マラリアと聞くと気分が落ち込みマイナスに捉えがちですが、プラス思考を忘れてはいけないといいます。

また、アルゼンチンに滞在中は北西部ティルカラで同じように旅をしていたアルゼンチン人と仲良くなりました。後にその人の地元を訪れた際に家に泊めさせてもらい、毎日パーティーのようで楽しかったと話します。

一場さんが旅をする上での目的は「人として成長する」ということです。このことを意識し始めるきっかけになったのは大学3年でのインターンシップでした。企業は即戦力よりも人間性を重視していると感じた一場さん。今のまま職について良いのだろうかと疑問に思ったのも旅に出た一つの理由です。旅をしていく中で確実に変わったことはより前向きになれたことです。困難を困難と思わない気持ち。苦しめば苦しむほど成長できるということでしょう。

世界一周旅行をするということは無駄なお金は使えないと一場さんは話します。2週間程度の滞在でしたらSIMカードも買いませんし、インドでしたら日本円で500円ほどの宿を当日に交渉して回ります。SIMカードに頼らない一場さんに筆者は驚きましたが、オフラインで使えるMAPアプリなどもあり、普通に生活できるそうです。もちろん、不安な地域もありますが、あまりネット情報にとらわれ過ぎずに自分で実際に行って見てみて感じたことを大切にするのが大切なようです。

ネパールの治安は安定していて快適に滞在することが出来ますが、インフラが整備されていない地域が多く、思うように水や電気が使えません。筆者が滞在していたカトマンズ郊外のティミや首都からバスで2時間ほどの場所にあるスクティでは毎日のように夜になると停電しました。また信号も整備されていない地域が多く、交通量の多い道路や山岳地帯の道では事故が頻繁に起きます。

8月15日には筆者が滞在していたティミでも痛ましい死亡事故が起きました。現地メディアによると交通検問を受けていたスクーターの後ろからトラックが衝突し、スクーターの65歳の男性が死亡しました。その後、警察の検問方法に問題があると訴えた地元住民たちがトラックや警察に石を投げつける騒ぎが起きました。

海外へ行くと日本を外から見ることができます。伝統的な文化はもちろん、道路や信号、標識が整備されていたり、お湯や電気が使えたりすることも日本の魅力です。

一場さんは大学卒業後、水産系の会社で働く予定だといいます。社風や働き方が自分のやりたいことと一致したのが決め手になりました。海外で働くことができ、やり方次第で世界中を飛び回れます。また、旅行で各国にお世話になった人ができました。その人たちへの恩返しという意味でも世界中で働きたいと考えています。自分が取り扱った食品を通して間接的にでもつながることができる仕事は魅力的だといいます。

一場さんが今行きたい国は南極、北極、アフリカなどたくさんあります。行ったことのない地域に行くと新しい発見が多いといいます。筆者はネパールに滞在して、人間らしい生活というものを感じました。ネパール人は夜8、9時頃には寝て、朝は早起きして近くのお寺に行き、一日が始まります。また、8月は毎日、短時間に強い雨が降ります。時には雨宿りをさせてもらったりお茶を出してもらったりしたこともありました。一場さんとのやりとりを通じて、今後も相手への感謝の気持ちを忘れず生活していこうと考えました。

執筆者プロフィール

佐藤 彰紀

國學院大学

栃木県出身です。大学では経済学を学んでいます。趣味は野球、サッカー観戦です。「あらたにす」では学生スポーツや学生ものづくり競技を取材していきたいと思います。実際に現地に足を運んで、大学生の視点から読者の皆さんに楽しんでもらえるような記事を書いていきたいです。よろしくお願いいたします。

http://allatanys.jp/blogs/24955/


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60パーセント以上の選挙権、ウィレムとギヤイのペアは中央パプア地方選挙で簡単に勝った

2024-09-04 | 先住民族関連

VOI 03 September 2024, 08:33 

ジャカルタ-インドネシア音声研究所(LSI)は、2024年の地方選挙に先立っての中央パプア州の人々の好みに関連する調査の結果を発表しました。

調査結果によると、中央パプア地域の首長の選挙率が最も高かったのは、ウィレム・ワンディク=アロイシウス・ギヤイペアが60.7%の得票率で保持していた。

「ウィレム・ワンディク=アロイシウス・ギヤイペアの最初のポジションは60.7%を獲得した。次の順番では、メキ・ナウィパ-デナス・グレーのペアが12.2%で選出され、ナタリス・タブニ-タイタス・ナトキメが10.6%、ジョン・ウェンピ・ウェティポ-デニシウス・ユーが8.1%で選出され、8.4%も選択をしていない」とLSIのアルベルトゥス・ディーノ事務局長は9月2日(月)の声明で述べた。

ディーノは、ウィレム・ワンディク=アロイシャス・ギヤイ夫妻の高いレベルの選挙可能性は、4つの名前を与えることによって回答者によってテストされた知事と副知事のパスロンの人気と受容性のレベルと有意な関係を持っていたと述べた。

回答者に、中央パプアの人々の4つのパスロンの名前をどれだけ知っていて、受け入れられたり、好まれたりしているかを尋ねたところ、調査結果は、ウィレム・ワンディク・ギヤイが89.9%で知られており、彼の名前を知っている人の91.3%がそれを好んでいたと指摘しました。

「これは、ウィレム・ワンディクがパプアの新自治区拡張研究チーム(DOB)の1人であり、その結果の1つが中央パプア州を結成し、アロイシウス・ギヤイがパプアの医療サービスシステムを改善することに成功したパプアの健康リーダーとして知られているためです」とディーノは言いました。

一方、メキー・ナウィパ=デナス・グレー夫妻は、市民の40.4%に知られており、32.2%に好かれている。メキー・ナウィパがパイロットになったパプアの若者としてのみ知られている場所。

「ガルーダ・インドネシア航空とメルパティ・ヌサンタラ航空のパイロットとなった先住民族のパプア人であるメキー・ナウィパの前にはたくさんいたので、これは特別なことではありません」とディーノは言いました。

その後、ナタリス・タブニ-タイタス・ナトキメのペアは、居住者の30.8%に知られており、彼を知っている人の29.9%に好まれています。「別のカップル、ジョン・ウェンピ・ウェティポ-アイニリウス・ユーは、居住者の51.7%に知られており、彼を知っている人の26.8%に好まれています」とディーノは続けました。

ディーノは、中央パプアコミュニティの知事候補としてのウィレム・ワンディックが社会認証のカテゴリーに含まれていることを明らかにしました。これは、プンチャックリージェンシーで摂政を務めたときのウィレムワンディックのリーダーシップスタイルに関連しています。

一方、他の3人のキャラクターは、彼らの評判があまり肯定的ではなく、彼らの個人的な行動に有害であるため、おなじみの人気のカテゴリーに含まれているとディーノは言いました。

例えば、ジョン・ウェンピ・ウェティポ元内務副大臣のディノは、ヤコバという元妻がジャヤウィジャヤの元摂政を警察本部の犯罪捜査ユニットに報告したことで、この事件が法執行機関に報告されたことで有名だったと付け加えた。

「ベロニカ・ジェニファーとの婚外子どもの問題は言うまでもなく、中央パプアの人々によって彼が中央パプアの先住民ではないと考えられているジョン・ウェンピ・ウェティポの拒絶が見つかった」と彼は語った。

LSI調査は、2024年8月24日から9月1日まで、中央パプアDPT人口1,128,844人から1,200人の回答者のサンプルを使用して実施されました。

調査は、直接対面接法およびビデオ通話を通じて実施した。この調査では、95%の信頼水準で+/-2.83%の誤差幅を持つ多段階ランダムサンプリング法を使用しました。

The English, Chinese, Japanese, Arabic, and French versions are automatically generated by the AI. So there may still be inaccuracies in translating, please always see Indonesian as our main language. (system supported by DigitalSiber.id)

https://voi.id/ja/news/413241


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「GXのGは『グリーン』ではない」、海外から批判が続々と

2024-09-04 | 先住民族関連

オルタナ 2024/09/03 吉田 広子

日本政府は「アジア・ゼロエミッション共同体」構想を掲げ、アジア各国で、火力発電のアンモニア・水素混焼や、LNG(液化天然ガス)を推進する方針だ。これに対し、バングラデシュやインドネシアなどの環境NGOらは「化石燃料の延命措置に過ぎない。GXのGは『グリーン』ではない」として批判を強める。(オルタナ副編集長=吉田広子)

「GX(グリーントランスフォーメーション)政策では、『グリーンエネルギー』ではなく、あえて『クリーンエネルギー』への転換をうたっている。日本政府は、この政策が『グリーン』ではないことを認識しているはずだ」

バングラデシュ環境弁護士協会(BELA)のバリエーシュ・チョードゥリー氏は、こう指摘した。

日本政府は、国内だけではなく、アジアでも、石炭火力発電のアンモニア混焼、ガス火力発電の水素混焼を推進する方針だ。水素やアンモニアは燃焼時にCO2を排出しないため、日本政府は「非化石エネルギー源」と位置付ける。しかし、水素・アンモニアのほとんどは化石燃料由来で、製造工程でCO2を排出する。

日本政府は2022年1月に「アジア・ゼロエミッション共同体(AZEC)」構想を掲げ、アジア各国で、アンモニア・水素混焼、LNG、CCS(CO2の回収・貯留)の普及を進める。

政府は、AZEC 構想のもと、JICA(国際協力機構)などを通じて、バングラデシュやインドネシアに、ガスやCCS、アンモニアに依存した計画の策定支援を行う。

チョードゥリー氏は、「もし、アンモニア・水素の混焼やLNGがトランジション(転換)燃料であれば、そのトランジションは『いつ』起きるのか。単なる化石燃料の延命措置に過ぎない」と批判する。

8月下旬には、インドネシアで第2回AZEC閣僚会合が開かれた。首都ジャカルタにアジア・ゼロエミッションセンターを開設し、日本政府や日本企業がパートナー国の脱炭素化を支援することで合意した。

現地の環境NGOらは「AZECは、すでに巨額の富を得てきた企業をより肥やす一方で、インドネシアに『誤った気候変動対策』を蔓延させ、先住民族や地域コミュニティの人権をより侵害するものだ」と批判し、日本大使館前で抗議活動を行った。

https://www.alterna.co.jp/133553/


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伝統的な先住民医療の知恵を受け入れる

2024-09-04 | 先住民族関連

SBS 2 September 2024 5:35pm

先住民が代々受け継いできた伝統医療の知識を理解し尊重することは、現代の医療においてより包括的で文化に配慮したケアを提供する鍵となるかもしれません。

ファースト・ネーションズの人々にとって、「健康」とは単に病気や疾患がないことだけを指すものではありません。健康とは、身体的、感情的、社会的、そして精神的なウェルビーイングが複雑的に絡み合った、総合的な概念です。

そのため、先住民の伝統医療は、身体的な治療だけでなく、さまざまなウェルビーイングのバランスを取ることを目指しています。

ルトルウィタ北東海岸出身のトゥルウルウェイの女性、アラーナ・ゴール博士は、幼い頃から伝統医療に情熱をささげてきたと語ります。

「実家ではいつも、さまざまな自然薬などを使っていましたし、父はいつも狩猟に出かけ、いろいろな儀式やスピリチャルな習慣も生活の大きな一部でした。」

ゴール博士はサザンクロス大学で自然療法医学の博士研究員として活動するほか、Traditional, Complementary and Integrative Medicine(TCI)の先住民伝統医療担当ディレクターをなど、複数の公的擁護団体にも関わっています。

アボリジナルの伝統医療は「ブッシュ・メディシン」と呼ばれることがありますが、博士によるとそれは完全には正しい表現ではなく、逆に人々の理解を妨げる可能性があると説明します。

「伝統医療は、吸入薬や外用薬、摂取薬といった物理的なものだと考えられがちです。しかし、私たちの医療は、実際にはそれ以上のものです。」

「ヒーリングセレモニーやスピリチュアルな医療、伝統的なヒーラーもいます。」

私たちはカントリーを、土地を、ヒーラーと考えています。ですから、私たちにとって「カントリー」も医療なのです。そして、これらすべてを支えているのが、私たちがよく言う、ways of knowing, being and doingの概念です。

Dr Alana Gall

伝統的なヒーラー

デビー・ワトソンさんは、南オーストラリア州・アナング・ピッジョン・ジャーラ・ユングクウ・ジャーラ(APL)の、ピップアヤッタ・ジャーラ出身の伝統的なヒーラー、ヌンカリー・ヒーラーです。

ヌンカリー・ヒーラーは、人間の核となる精霊を整える手助けをします。

「私は自分の手を使って人々を癒します。人の内面を見ることで、その人のエネルギーを感じ、その人の内面にあるもの、痛みを知ることができます。そして精霊に働きかけます。」

ワトソンさんは精霊がずれたりブロックされたりすると、痛みや不安、その他の症状を引き起こすことがあると説明します。

「精霊は傷つけてはいけないのです。」

人を癒す能力は代々受け継がれており、ワトソンさんも代々続くヒーラーの家系に生まれ、父親からその技術を学んだと言います。

「父は私に強いヒーラーになる方法を教えてくれました。」」

ワトソンさんは、オーストラリア初のアボリジナルヒーラー協会である、アナング・ヌンカリー・チュタク・アボリジナル・コーポレーション(ANTAC)のディレクター兼共同創設者でもあります。

この非営利団体は、アボリジナルの人々はもちろん、そうでない人々にもこの伝統的なヒーリングを提供しながら、何世紀にもわたり伝承されてきた伝統を守り続けてきました。

フランチェスカ・パンジローニ博士は、ANTACの創設者兼CEOとしてワトソンさんとともに活動しています。

国際人権法や先住民の自己決定権を専門としていたパンジローニ博士ですが、アボリジナルの伝統医療に対する好奇心から「未知の世界に飛び込む」ことになったと説明します。

パンジローニ博士は地域のヌンカリー・ヒーラーやそのコミュニティと何度も話し合った結果、先住民が古くから伝わるヒーリングにアクセスする必要性に気づかされたと言います。

From left, Dr Francesca Panzironi and Debbie Watson

人々は本当に必要としていました。単なる理論ではなく、実際に元気になっていったんです。

Dr Francesca Panzironi

現在、ANTACは伝統的なヒーリングを一般の人々にアクセスできるようにしており、健康サービスから矯正施設、さらには学びたいと考えているその他の機関にまで幅広く提供しています。

伝統的なヒーリングは生物学的モデルを置き換えるものではありませんが、協力し合うことがで、現代の医療をより文化に配慮したものにできると述べています。

伝統医療と現代医療の連携

ブンゴリーとマトラのヘリテージを持つ分析化学者、ブレット・ローリング氏は、伝統医療は一見、現代医療と正反対に見えるものの、互いに補い合うことができ、それぞれの独自の見解を持つことを可能にすると説明します。

ひとつは、私たちの口伝の物語、教えや道徳、そして秘密です。もうひとつは、データと分析に基づく西洋的なやり方です。このふたつは正反対に見えますが、互いに補完し合うものでもあります。

Brett Rowling

例えば、パラセタモールは現代科学のデータと分析に基づいていますが、口伝で伝えられてきた伝統医療も同じくらい効果的に作用することがあります。これにより、ひとつの問題に対して異なるが完全に成立する二つの見解が得られます。

「私たちは太古の昔から存在していました。すべてを持っていたのです。白人たちが来て、物事のやり方を教えてくれるのを待っていたわけではありません。すでにさまざまな薬や技術を持っていたのです。」

ローリング氏は、それを今、「世界に見せる時がやってきた」と話します。

またゴール博士もこれらの伝統的知識から多くを学ぶことができると話します。

「我々は地球上で最も古くから続いている文化を持っています。私たちには、地球を守る方法や昔から続けてきた医療のやり方に関する知恵があります。」

ゴール博士は、これらの知識を現代に活かすことができれば、抗生物質が効かない耐性菌など、今起きている問題に対して効果的な対応ができるようになると、説明します。

そして現代医療は、伝統的な医薬品の安全性を確認するために必要なデータと分析も提供できます。

知恵の保護

しかし、これら伝統的知識を適切に保護する仕組みが整っていないため、コミュニティーによっては知識を共有することを躊躇したり、最悪の場合、長老が亡くなり、その知識が失われてしまうこともあると、ゴール博士は説明します。

「現に私たちの知識は保護されていません。それは、知識を自由に提供することが安全でないことを意味します。」

大手製薬会社や化粧品会社、農業会社がその知識を利用し、商品化し、大儲けすることができるからであると、博士は付け加えます。

さらには適切な保護がないことで、この知識を持つ人々がその恩恵を受けられなくなる可能性があるとも説明します。

ゴール博士の長期的な目標は、その知識を地球全体の健康のため、共有できるシステムを作ることだと言います。

https://www.sbs.com.au/language/japanese/ja/podcast-episode/embracing-the-wisdom-of-traditional-indigenous-medicine/8sshvnrjy


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