先住民族関連ニュース

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ウポポイ応援、バス旅行 入場者増へ、登別市が初企画 博物館⇨体験交流⇨カルルス温泉 /北海道

2024-09-24 | アイヌ民族関連

毎日新聞 2024/9/24 地方版 有料記事 542文字

 白老町にある民族共生象徴空間(ウポポイ)の入場者数増に協力しようと西隣の登別市は19日、市民を対象とした日帰りバスツアーを行った。【平山公崇】

 国は「年間100万人」の来場目標を掲げているが、過去最多は2022年度の約37万人と、魅力を十分に伝え切れていない。国土交通省は今年3月にまとめた「ウポポイ誘客促進戦略」で六つの視点で戦略を打ち出した。

 そのうちの一つが周辺自治体や観光地と連携した誘客で、登別市はこれに沿って初めてバスツアーを企画。ウポポイ見学から始まり、知里幸恵銀のしずく記念館などを巡り、登別のカルルス温泉で締めくくる。参加費2000円というお得感からか9月26日、10月3日を含む3回分は、募集開始から10日ほどで定員に達した。

 この日は45人が午前9時過ぎにウポポイを訪問。・・・・・・・

https://mainichi.jp/articles/20240924/ddl/k01/040/038000c


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無念の死アイヌ民族37人弔う 根室でノッカマップ供養祭

2024-09-24 | アイヌ民族関連

津野慶 有料記事

北海道新聞2024年9月23日 20:57

イナウを立て、和人に処刑されたアイヌ民族37人を供養したノッカマップ・イチャルパ

 【根室】1789年の「クナシリ・メナシの戦い」で和人に処刑されたアイヌ民族37人を慰霊する「第48回ノッカマップ・イチャルパ(供養祭)」が22日、根室市牧の内のノッカマップで行われた。根室や釧路、札幌、栃木などから約30人が参列し、霊を弔った。

 根室アイヌ協会が主催し、祭司は阿寒アイヌ協会会員の澤井和彦さん(60)が務めた。最初に根室アイヌ協会の能登由美会長(72)が「無念の最期を遂げた37人の祖先を手厚く慰霊したい」とあいさつし、番屋でカムイノミ(神へ祈る儀式)を行った。

 その後、国後島を望む海岸の高台に移動し、祭壇の前でイチャルパを行った。・・・・・

☆イチャルパのルは小さい字

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1066169/


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アイヌ民族の食文化学ぶ 白老・ウポポイで講演会、試食も

2024-09-24 | アイヌ民族関連

斎藤雅史 有料記事

北海道新聞2024年9月23日 18:34

アイヌ民族の食文化について対談する村木本部長(左)と内田調査官

 【白老】実りの秋にちなみアイヌ民族の食文化を学ぶ講演会が23日、「民族共生象徴空間(ウポポイ)」の国立アイヌ民族博物館で開かれた。

 秋に関するアイヌ文化を紹介するイベントの一環で約40人が参加し、試食品としてシト(団子)が配られた。

 ウポポイの村木美幸運営本部長(64)が講演し、伝統料理やスム(油)の活用法を紹介。ユリ科の多年草オオウバユリについて、地下茎をつぶしてでんぷんを取り出し、保存食として用いるとした上で「きめが細かい一番粉はくず湯のように飲んだり、ベビーパウダーのように使ったりする場合もあった」と解説した。

・・・・・・

☆スムのムは小さい字

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1066118/


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<言葉の現在地2024>国家が人間の幸福を侵害していないか 「国民」ではない生き方求め

2024-09-24 | アイヌ民族関連

編集委員 関口裕士 会員限定記事

北海道新聞2024年9月23日 12:49

 「サラム」とは朝鮮半島の言葉で「人」を意味する。自らを在日サラムの詩人と呼ぶ大阪在住の丁章(チョンヂャン)さん(56)は6~9月に計4回、旭川市内で講演し、出自を巡る葛藤や民族の自覚、詩への思いを語った。詩人の言葉に耳を傾けた。

 「手を差し伸べるのはあなた。顔を上げるのは私。日本社会がそのような出会いにあふれる社会になるために、自分がいかに生きていけばいいのか。それが在日サラムの詩人になった私に課せられた命題だと思っています」。6月22日に行った初回の講演でそう語った。

 在日3世。1968年に母の実家のあった京都で生まれた。東京を経て小学生になる時に大阪府東大阪市へ。大島(おおしま)章(あきら)という日本語の通名で育った。チョン・ヂャンとハングル読みの本名を名乗るようになったのは20歳になってからだ。「それまでは自分の本名を読むこともできない、民族的素養の全くない、お粗末な朝鮮人でした」

 ■出自を隠す苦しみ

 ・・・・・・

 ■差別する化け物に

・・・・・・

 無国籍の在日サラムの丁章さんにはパスポートも選挙権もない。だが「1編の詩が選挙で投じる1票の重さに匹敵する力を持ち得る」と信じている。

 丁章さんの父、大島◆(土へんに庸)さん(84)は2001年に上川管内美瑛町に美術館「新星館」を開設した。丁章さんは今後、その運営も継ぐ。旭川での連続講演会は「北海道の人に自分のことを知ってもらいたい」と企画した。北海道では、サラムと同じ「人」を意味するアイヌの詩人たちに出会いたい、と最終回の講演で話した。

■尹東柱の姿に自分重ねる

・・・・・・

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1066061/


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『植民地主義の時代を生きて』著・西川長夫

2024-09-24 | 先住民族関連

長周新聞 2024年9月23日

 昨年10月以後、パレスチナ情勢が急展開するなかで、16世紀の大航海時代から500年におよぶヨーロッパ中心の植民地主義を根底から見直し克服する課題が、専門家・研究者の間で切実に論議されるようになった。そこでとりあげられる一つの問題は、欧米の宗主国が「文明化の使命」として「野蛮」なアフリカやアメリカ大陸、中東にいたるアジアの先住民を白人に従わせ、それに抵抗するものは抹殺(絶滅)を厭わなかったことであり、その行為を正当化する価値観が今日まで尾を引いていることだ。

 「朝鮮植民地なかった」 世界史の流れの産物

  このことは、ユダヤ人の虐殺(ホロコースト)は大問題となるが、それと同時代にあった植民地における先住民の虐殺はなんの問題にもされてこなかったことに、よく示されている。こうして植民地がなかったかのような風潮が、宗主国の為政者はもとより国民の間にも根強くはびこってきたことは否定できない。

  日本における「朝鮮植民地はなかった」「日本は朝鮮の近代化のために良いことをした」などの言説もそうした世界史の流れの産物であり、それ自体が「植民地主義の現象」だといわれる。戦後日本の植民地主義の研究で知られる西川長夫・立命館大学名誉教授(故人)は『植民地主義の時代を生きて』(平凡社、2013年)でこうのべていた。

  「西洋の膨張としての近代は、新世界と旧世界の住民たちに対する侵略、略奪、殺戮、武力による支配と抑圧、ペテンと搾取、等々といった恐るべき暴力によって始められ、そして世界の4分の3が植民地化されたという厳然たる事実があるにもかかわらず、輝かしい魅力的な衣装を纏って登場しています。その輝かしい衣装とは、文明や科学、都市、芸術、宗教、さらには革命や人権や民主主義やヒューマニズム、等々、あるいは自由・平等・友愛といったモットーを加えてもよいでしょう」

  「人権を掲げる先進国、つまり旧宗主国の人権宣言以後も植民地や奴隷制度を保持し続けていたこと、宗主国が植民地の人権に配慮するのはむしろ、植民地が独立して以後の時代であることは、歴史が示す通りです。人権が先住民にまで及ぶには、先住民の長い闘争の歴史が必要でした。またこうしたいわゆる先進国においても住民の全員が必ずしも人権を尊重されているわけではない。アフガニスタンやイラク戦争の例を生み出すまでもなく、人権の旗の下に多くの人権無視が行われてきました」

  また、「“文明化の使命”が植民地支配の合言葉となり、悪を善といいくるめる弁明の言葉となっていたことは周知の事実」だが、日本の台湾出兵や朝鮮「併合」のイデオロギーも「文明化の使命」であったとのべている。同時に、西川長夫は戦後日本における「植民地の忘却」、自覚できない植民地主義がどのように生じたかについて問題を提起してきた。

 アメリカ占領下の日本 引揚後の強烈な違和感

  その一つが『言語文化研究』(2007年9月号、立命館大学国際言語文化研究所)に発表した対米従属下の戦後日本社会における「植民地の忘却」についてのシンポジウム報告である。そこでは、植民地主義にこだわるみずからの意識の根底には、日本の植民地であった朝鮮、満州で育ち、戦後1年近く北朝鮮に抑留されるなど引揚者としての辛酸をなめた自身の体験とともに、引き揚げ後のアメリカ占領下の日本の風潮への違和感がぬぐえずにきたことをあげ、次のようにのべている。

  「米兵と腕を組んで歩く派手な姿の女たち、進駐軍のジープを追いかけてガムやチョコレートをせがむ子供たちを見た時の衝撃、それはまさしく植民地的風景」だった。「小学校の授業や休み時間の遊びもすっかり変わって、学校では英語講師が巾をきかせ、休み時間は野球」であった。こうした「占領下の日本の屈辱的な現実を長い間受け入れることができなかった」。その違和感は、「それが植民地的であるということにこだわり続け」る基点となった。

  一方で日本社会では全体として、660万という人口の1割に近い旧植民地からの引揚者があり、また占領下という植民地的状況にありながらも、植民地という言葉と植民地問題が忘れられていった。日本の植民地放棄が「植民地忘却」に結びついたという指摘だ。

  「引揚者や復員兵は、かれらの植民地体験を伝えるというよりは、戦後日本人の負の部分として口を閉ざし肩身の狭い思いで生きてゆくことになる。他方、国内における植民地主義の遺制とも言うべき在日朝鮮人(約200万人のうち50万が残る)や中国人その他の存在も、植民地主義の残された現実を戦後の日本人につきつけるというよりは、むしろその現実から目をそらさせるというように作用した」。そのうえ、「占領軍(GHQ)は、彼らを“解放人民”として勝者の側に位置付ける」一方で、「占領下の秩序を乱す危険な存在として支配・管理すべき対象」と見なした。こうして、「日本人の植民地の記憶と体験は密封された」。

  西川長夫は、このように意図的に操作された「植民地忘却」は「アメリカ軍を中心にした占領政策がめざした」ものであったが、同時に「日本の政策」でもあり「戦後において植民地研究は学界における一種のタブー」とされてきたと指摘している。さらに戦後日本が「一種の鎖国状態」に置かれ、占領下において学問的にも「植民地研究」が歓迎されなかったのは、「占領自体が一種の植民地化であったから」だと提起している。こうした植民地主義にもとづく日本占領について掘り下げた研究は日本の歴史学界からではなくジョン・ダワーらアメリカの歴史研究者が先行したことや、日本の研究者が自国の占領期について研究するのに、いまなおアメリカに出かけてその資料に依存しなくてはならない状況にも示されている。

 アメリカの日本占領 植民地を感じさせない

 アメリカの占領政策は「日本人に占領を植民地化と感じさせなかった」という点で「きわめて巧み」であった。そのために占領期以後も「植民地に対する関心とともに植民地主義に対する感性、つまり自分が現に植民地的状況にあり今すでに植民地化されていることに対する感性、あるいは戦後の経済進出が形を変えた植民地主義であることに対する認識を失わせるよう作用」したという。それはかつてブッシュがイラク占領を「日本モデル」でおこなうと公言し、今、イスラエル政府要人がパレスチナ占領、ガザ地区での民間人の虐殺をアメリカが日本に原爆を投下したようにやるといって恥じない状況につながっている。

 「広島と長崎は誰の目から見ても人類史に例を見ない残虐行為である。それを告発しないで、自ら“私たちの過ち”とみなし、毎年の例祭を続けるとすれは、それは占領期以後の日本が米国の植民地主義の支配下にあることの、紛れもない証拠となるだろう。過酷な戦争を早く終えるための有効な手段であったと言ってその正当性を主張する者が、原爆投下前後の状況と原爆のもたらした、そして今も続いている被爆者の災害を知った上でそう言えるとすれば、彼は狂っているにちがいない。彼を狂わせているのは、圧倒的な軍事力と経済力に支えられた植民地主義帝国の無知と傲慢に違いない」(『植民地主義の時代に生きて』)

https://www.chosyu-journal.jp/review/31839


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ハマる人続出中!「木彫りのクマ」人気急上昇の理由って?

2024-09-24 | アイヌ民族関連

Sheage 2024/09/23 17:05

ハマる人続出中!「木彫りのクマ」人気急上昇の理由って?(Sheage)

ここ数年、東京のおしゃれなカフェなどでも見かける木彫りの熊。かつての荒々しいイメージとは違った、熊の愛くるしい仕草をそのまま表現したものや、集めたくなる小さなサイズのものまで多種多様です。その事に気がついてから早数年。私自身すっかりハマってしまった木彫り熊の魅力と、そんな木彫り熊と出会える専門店を紹介します。

ここからはじまった!私の、木彫り熊愛

本格的な木彫りの作品でありながら、こちらを見上げるような仕草と手のひらに乗るようなミニサイズにキュンとする熊。友人からのお土産で受け取ったとき、あまりの可愛さに驚きました。そこから、私の木彫り熊愛が芽生えました。

木彫り熊の人気の理由

木彫り熊は、北海道・八雲で発祥したと言われています。今年はその誕生から100年という、記念の年でもあり、八雲で作られるものをはじめとした熊の人気はどんどん高まっています。

木彫り熊の魅力は、木の素材の温もりや、職人の手によって一つ一つ丁寧に作られていること。彫刻の美しさはもちろんですが、その可愛らしさもポイントなのではと私は思っています。近年では力強さよりも、熊の自然な仕草を表現したものや、気楽に集めて座れるサイズのものも増え、ぐっと親しみやすくなっているんです。

北海道の貴重な民芸品を集めたショップ「REAL CARVE(リアルカーブ)」

ここからは、おすすめの木彫り熊の専門店をご紹介します。

1つ目は、北海道千歳市の支笏湖(しこつこ)にあるギャラリー&ショップ「REAL CARVE(リアルカーブ)」。私が初めてお土産でもらったとき、その友人に即座にどこで売っているかを確認して教えてもらったお店です。いつかは実際に行って手にしたいと思った翌年には訪ねることができ、今年も二度目の訪問をしてきました。

北海道の民芸品や伝統工芸品など、厳選された作品が並ぶ特別なお店。木彫り熊は、とても珍しい非売品から、人気作家さんの熊、手軽に買える小さな熊まで、いつ訪れても見どころ満載。私にとっては博物館のように心躍る場所です。

人気の作家・賀上隼敬さんの作品も豊富に揃っています。なんとも愛嬌のある姿は人気なのも納得です。

コロコロと丸い木彫り熊も。これらは木彫り熊の発祥の地・八雲で作られたものです。写真左は、面で表現する「面彫り」という技法を使った熊。写真右や奥の作品は、本物の熊の毛並みを思わせるような「毛彫り」という技法で作られた繊細なものです(こちらは非売品)。

ほかにもとても貴重な非売品が、たくさん展示してあります。この迫力を実際に見てもらいたい!

こちらも非売品のひとつ。ウイスキーに付属していたもので、当初はその瓶を抱えている状態だったのだとか。ポーズも表情もとても愛くるしい。

今年、私が購入した木彫り熊がこちら。花束を抱えた熊は、運よく入荷していた人気の作家・TERUMIさんのもの。ブローチは、MAKI YOSHIDAさんの作品で残っていた貴重なものです。それと、無印良品の福缶で以前販売されていた「福熊」の色のないバージョン。昨年購入したものも集めて撮影してみました。

REAL CARVE

住所:北海道千歳市支笏湖温泉番外地

営業時間:10:00~16:45

定休日:金~日曜

その昔、本物のヒグマを飼っていた?土産物店「支笏湖大和」

続いてのお店は「REAL CARVE」の裏側にある「支笏湖大和(しこつこやまと)」。1961年創業で、昔ながらの土産物店そのものといった佇まいで、また違った魅力があります。アイヌなどの珍しい織物や民芸品、昭和レトロな土産物など、まるで宝探しをするような店内。

こちらに並ぶ木彫りの熊は、昔ながらの荒々しいものが多いのですが、こちらのタイプがお好みの方も、たくさんいらっしゃるようです。

覗き見している木彫熊が迎える民芸品店「遊木民」

最後にご紹介するのは、札幌市内にある木製の民芸品や雑貨のお店「遊牧民(ゆうぼくみん)」。窓から中を一生懸命に覗き込む姿がとてもかわいい木彫りの熊が出迎えてくれ、入る前から心が躍ります

以前は扉の上に木彫り熊のマスクもあったのですが、現在は不在。先日の暴風雨で破損してしまったとの事。残念です。

こちらも、たくさんの木彫り熊に出会えるお店。人気の作家さんのものから、小さなちょっと目新しい木彫りの熊もあります。私は、写真の手前に並ぶ、船に乗って釣りをする熊を持っています。生き生きとした熊たちやキャラクターのような熊たち、どれも見ているだけで癒されます。

遊牧民

住所:北海道札幌市中央区北7条西19丁目1-26

営業時間:9:30~18:00

定休日:木曜

木彫り熊の魅力

愛らしいポーズや表情をした木彫りの熊は、癒されること間違いなし。皆さんも機会があれば本場の北海道やその他の場所で実際に見て、触れて、この魅力を感じてもらえたら嬉しいです。

https://news.goo.ne.jp/article/sheage/trend/sheage-109324.html


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