先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

アイヌ古式舞踊 迫力満点 帯広の保存会披露

2025-01-14 | アイヌ民族関連

伊藤駿 有料記事

北海道新聞2025年1月13日 19:24(1月13日 22:11更新)

来場者を前に「バッタキウポポ」を披露する帯広カムイトウウポポ保存会のメンバーたち(小川泰弘撮

 アイヌ文化の理解促進を目的に、帯広カムイトウウポポ保存会が12、13の両日、帯広競馬場で古式舞踊を披露した。

 古式舞踊は先祖や神々に敬意や感謝を示す踊りで、国の重要無形民俗文化財に指定されている。同保存会は2020年から同競馬場で披露している。

 13日は民族衣装に身を包んだ保存会のメンバー8人が手拍子に合わせ、明治期のバッタによる農作物被害を伝承する「バッタキウポポ」などを披露。・・・・・・

 ☆エムシリムセのシと2つ目のムは小さい字

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1110427/


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一年の安全祈り踊る 登別アイヌ協会が伝統行事

2025-01-14 | アイヌ民族関連

佐々木一範 有料記事

北海道新聞2025年1月13日 19:18(1月13日 20:17更新)

 新年の安全などを祈る伝統儀礼「アシリパノミ」を行う登別アイヌ協会の上武和臣会長(中央)

 【登別】登別アイヌ協会(上武和臣会長)は11日、鉄南ふれあいセンター(幌別町)で一年の安全などを祈る新年の伝統儀礼「アシリパノミ」を行った。来賓やアイヌ語の学習者らが見守る中、民族衣装を身にまとった13人の協会員が祈りをささげた。

 ござの上に座った4人の祭主が、いろりに米や酒などをささげ、手を上下左右に振る「オンカミ」のしぐさをした後、アイヌ語の祈りの言葉を唱和した。・・・・・・

 ☆アシリパノミのリは小さい字

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1110417/


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干しサケ 寒風でおいしく ウポポイ

2025-01-14 | アイヌ民族関連

斎藤雅史 有料記事

北海道新聞2025年1月13日 18:53(1月13日 20:14更新)

ウポポイの伝統的コタンエリアで干されるサケ=9日

 【白老】アイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」でアイヌ民族伝統の保存食サッチェプ(干し魚)作りが行われており、来場者の目を楽しませている。

 アイヌ語で「サッ」は「乾いた」、「チェプ」は「魚」を意味する。寒風にさらすことで水分を取り除き、保存性を高められる。

 昨年12月21日から3日間かけて、職員10人ほどが白老港で仕入れた230匹のサケの身を開き、丸太で組んだ高さ約3メートルの干し場やチセ(伝統家屋)の壁につるした。

 ・・・・・

 ☆サッチェプのプは小さい字

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1110397/


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アイヌの伝統的織物「アットゥシ」と太布を見比べて 県立博物館で企画展、製造工程など解説

2025-01-14 | アイヌ民族関連

徳島新聞 2025/01/14 05:00

北海道の先住民族・アイヌの伝統的織物「アットゥシ」と那賀町…

この記事コンテンツは有料会員限定です。

(残り530文字)

https://www.topics.or.jp/articles/-/1181619


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蝦夷地を調査した松浦武四郎の「日誌」や首飾り「タマサイ」など 三重・松阪市でアイヌ文化紹介

2025-01-14 | アイヌ民族関連

三重テレビ 1/13(月) 12:52

色とりどりのガラス玉を連ねた首飾り「タマサイ」=松浦武四郎記念館(三重テレビ放送)

 北海道にある国立アイヌ民族博物館と協力し、アイヌ文化を紹介する展覧会が三重県松阪市の松浦武四郎記念館で開かれています。

 国立アイヌ民族博物館の「ウポポイ」との協働展示として初めて企画されたもので、三重県内では松浦武四郎記念館のほか、鈴鹿市の大黒屋光太夫記念館、津市の石水博物館の3つの博物館で同時開催されています。

 会場には、武四郎が蝦夷地の各地を調査して出版した「日誌」のほか、木の内皮から取り出した繊維で織られた儀礼用の衣服や、色とりどりのガラス玉を連ねた首飾り「タマサイ」など、アイヌのくらしの一端がうかがえる44点が展示されています。

 19日はトークイベントも予定されています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/9e2c90e6eeb4c6018cec9cf608df86cb7406cc11


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『荻上チキ・Session-22』から続く、新世代の評論家・荻上チキと南部広美がお送りする発信型ニュース番組。

2025-01-14 | 先住民族関連

特集「グリーンランド~世界最大の島をめぐって何が起きているのか」

TBSラジオ 2025.01.13

荻上チキ・ Session

TBSラジオ『荻上チキ・Session』(平日午後6時~生放送)    
【2025年1月13日(月) Main Session】

特集「グリーンランド~世界最大の島をめぐって何が起きているのか」
アメリカのトランプ次期大統領がグリーンランドの買収に意欲を示し、そのためには軍事力の行使も排除しないと発言したことが物議を醸しています。

デンマーク領グリーンランドは、人口およそ5万7000人。住民のおよそ9割近くを先住民のイヌイットが占め、その面積は日本の5倍以上、大部分を氷河が覆う世界最大の島です。
グリーンランドは未開発の資源が豊富とみられるほか、近年は、北極海の重要な航路としての活用も進んでいて、アメリカ、ロシア、中国にとって安全保障・経済面での要衝となりつつあります。

アメリカのグリーンランド購入計画はトランプ氏が初めてではなく、1860年代のジョンソン政権下でも検討され、1949年にはトルーマン大統領が1億ドルで購入を提案し、デンマーク政府に拒否された経緯があります。

こうした中、グリーンランド自治政府のエーエデ首相は「売り物でないし、これからも決して売り物にならない」と主張。むしろ、「植民地主義の束縛」から解放されるべきだと発言し、デンマークからの独立を模索する動きも出ています。

今夜は、歴史をさかのぼり、現在に至るまで何が起きているのか、「グリーンランド」をめぐる特集です。
 【出演】

北海学園大学・法学部准教授で、デンマーク国際問題研究所・客員研究員の高橋美野梨さん

https://www.tbsradio.jp/articles/91854/


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各地飛び回り魅力発信 ウポポイ 誘客課主任 新谷裕也さん(33) /北海道

2025-01-14 | アイヌ民族関連

 

毎日新聞2025/1/14 地方版 有料記事 678文字

 白老町にあるアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」を管理運営するアイヌ民族文化財団の職員。誘客課主任として、お客に「ウポポイに行ってみよう」と思ってもらえるような魅力発信に知恵を絞っている。

 札幌市出身。母親が平取町生まれのアイヌで小学3年のころから自然とアイヌの文化に親しんでいった。高校中退後、札幌市アイヌ文化交流センター(サッポロピリカコタン)でアイヌ文化の振興に関わり、2014年から白老で同財団の伝承者育成事業を受講。旧アイヌ民族博物館勤務を経て18年に現職となった。

 23年から誘客担当になると札幌の旅行会社との打ち合わせや日本観光振興協会などが主催するツーリズムEXPOジャパンに毎年参加。旅行会社との商談や一般の参加者への解説だけでなく、東京や大阪で踊りを披露するなど精力的に各地を飛び回る。漫画やアニメで人気の「ゴールデンカムイ」の影響もあってか、最近はブースの見学者が増えたように感じている。

 ・・・・・

【平山公崇】

https://mainichi.jp/articles/20250114/ddl/k01/040/034000c


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解決探る国際会議に 万博オーストラリア陳列区域政府代表 ナンシー・ゴードン氏

2025-01-14 | 先住民族関連

日本経済新聞 2025年1月13日 2:00 [会員限定記事]

過去の万博は発明品などのモノを展示することに重きを置いていた。現代の万博はむしろ専門家が集い、課題を解決する策を探る「国際会議」に近いと考える。そしてこの役割こそが、25年のいま万博を開く意義だ。

例えばオーストラリアのパビリオンは一般客向けのエリアと会議エリアに分かれる。一般向けでは豪州の先住民などの歴史や食べ物、お土産などの文化的な魅力を紹介し、会議エリアでは研究者や企業などが互いに交流をも...

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残り966文字

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO85977720Q5A110C2TCT000/


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グリーンランド パナマ運河 トランプ氏発言が現地で大きな波紋

2025-01-14 | 先住民族関連

 

NHK 2025年1月14日 2時31分

アメリカのトランプ次期大統領の発言が大きな波紋を呼んでいます。
デンマークの自治領グリーンランドの所有や、パナマ運河の返還を求める発言は、現地ではどう受け止められているのでしょうか。
NHKの取材班が現地に入りました。

住民「グリーンランドは売り物ではない」

グリーンランドをアメリカが所有すべきだというトランプ氏の主張について、中心都市ヌークで住民に受け止めをきいたところ、大半の人からは反対だという意見が聞かれました。

このうち、南部出身の30代の女性は「グリーンランドは売り物ではなく、誰も買うことはできない。長い間、私たちはデンマークのもとで安全だと感じてきた」と話し、現状維持でよいという考えを示していました。
ヌーク出身の60代の男性は「ここではアメリカもデンマークも必要ない。世界中が平和になって欲しいと思っているし、望みはそれだけだ」と話していました。
また、同じヌーク出身の50代の女性は「単に言ってみただけで冗談かもしれないが、ここグリーンランドでは深刻に受け止められていて、今後どうなっていくのか見守っている」と話し、事態の推移に高い関心を持っている様子でした。
一方、グリーンランドの将来を見据えた場合、アメリカとの協力関係は必要だという意見もあり、北部出身の20代の男性は「世界は変化していて私たちも変わる時が来ている。アメリカとの将来を考えるよい機会だと思う。経済的、そして、安全保障を強固にするのに役立つからだ」と話していました。

グリーンランド元首相「米が脅かすことは受け入れがたい」

トランプ氏の一連の発言について、2013年までの4年間、グリーンランド自治政府の首相を務めたグービック・クライスト氏は「トランプ氏が以前、グリーンランドの所有に意欲を示したのは2019年だったが、今回は深刻なことで、デンマークを含むNATO同盟国やカナダ、パナマに対し、アメリカが脅すことは受け入れがたい」と批判しました。
また、トランプ氏の意図については「現代を生きる私たちにとって地域とそこに住む人々を買うという考えは愚かだ。『美しいところだ』などと言っているが、全体としてはグリーンランドを支配したいと考えていると思う。『アメリカを再び偉大に』がモットーで、アメリカとアメリカ国民の安全だけを話し、この土地の人々にはほとんど触れていない」と述べました。
そのうえで「外交の道を探るべきだ。それが問題に対処する唯一の方法だ」と述べ、脅し文句ではなく外交を通じ平和的な手段でお互いの主張について意見を交わすべきだと強調しました。

グリーンランド議員「もっと民主的に協力すべき」

トランプ氏の一連の発言について、グリーンランド自治議会の議員からは冷静に受け止める声も聞かれました。

このうちドリス・イェンセン議員は、取材に対し「グリーンランドはグリーンランドの人たちのもので、私たちには独自の議会があり、1979年以来、独自の閣僚を抱え、私たちは民主的な価値観の中で生きている。人間を買うことは植民地主義的で認められない」と述べました。
一方で、イェンセン氏は「トランプ氏の反応に非常に恐れを抱いている人もいるが、パニックになる必要はないと思う。この機会を利用して私たちとアメリカは、もっと民主的に協力すべきだ」と述べ、グリーンランドのデンマークからの経済的な自立や安全保障などの面でアメリカと連携していく、よい機会になるという考えを示しました。

米はこれまでもグリーンランドに関心

アメリカは地政学的な理由などから、グリーンランドへの関心をたびたび示してきました。

1867年に当時のアンドリュー・ジョンソン大統領が帝政ロシアからアラスカを購入した際、グリーンランドの買収も画策したとされています。
第2次世界大戦中の1941年には本国のデンマークがナチス・ドイツに占領されたためアメリカ軍がグリーンランドを保護し、気象観測などのための基地を設けました。
また、戦後の1946年には、当時のトルーマン大統領がデンマークにグリーンランドを1億ドルで購入する案を示したと報じられています。
そして東西冷戦下の1951年、アメリカはNATO=北大西洋条約機構の防衛計画の一環としてデンマークと結んだ協定に基づきグリーンランドに基地の建設を進め、多いときは9つの基地がソビエトからの弾道ミサイルの早期警戒や爆撃機の発着拠点などとして運用されていました。
さらに一時期、氷床の中に大規模なトンネル網を建設し、ソビエト国内を攻撃できる核ミサイルを配備する計画をデンマーク政府にも秘密で進めていたことが明らかになっています。
現在、グリーンランドにあるアメリカ軍基地は北西部の「ビードゥーフィーク宇宙軍基地」の1か所で、2019年に当時のトランプ大統領が創設した宇宙軍が北極圏におけるロシアや中国の軍事活動の監視などに当たっています。

専門家「発言の背景には中国・ロシアの存在感」

グリーンランドに詳しいデンマーク国際問題研究所のウルリック・プラム・ガッド上級研究員は、トランプ氏の発言の背景について「もしロシアや中国がアメリカに核ミサイルを放つ場合にはグリーンランドを通過することになる。アメリカはグリーンランドにレーダーを配備しており、ほかの超大国が足場を作らないようにしたいと考えている」と指摘します。
そのうえで「北極圏付近では氷がとけていて、海上交通が増えることになる。ロシアと中国が北極圏での船舶輸送で協力していることもわかっている。しかし、グリーンランドの東側の海域で何が起きているのか正確にはわかっていない」と述べ、アメリカは、デンマークに対しグリーンランド周辺の状況をよりしっかりと把握するよう求めてきたとしています。
一方、トランプ氏の発言は同盟国との国際協力にはマイナスだとしたうえで「私たちが本当に問題を解決したいのであれば、口論するのではなく、協力しあうことを確認する必要がある」と述べ、脅しではなく話し合いによって課題を解決すべきだとしています。

デンマークはグリーンランド周辺の防衛強化へ

デンマークの情報機関の報告書によりますと、ロシアはウクライナ侵攻以降も、グリーンランドの大部分が位置する北極圏での軍事力を維持していてロシアの予期せぬ行動が深刻な結果をもたらす可能性があると指摘しています。こうした中、デンマーク政府はグリーンランドの周辺を含む北極圏の防衛強化を進める方針を打ち出しています。

グリーンランドの中心都市ヌークには、北極圏の防衛を担当するデンマーク軍の司令部があり、港を訪れた日も周辺の海域を監視する船舶が停泊していて、翌日以降行われるパトロールに備え、ヘリコプターを船に格納するなど準備を行う様子がうかがえました。
欧米のメディアによりますと、デンマーク政府は先月、グリーンランドに関連する防衛予算を大幅に増額する考えを明らかにしています。

グリーンランド デンマークから独立の機運高まる

グリーンランドでは近年、デンマークからの独立の機運が高まっています。およそ5万6000の人口の9割を占めるのは先住民、イヌイットの人たちですが、18世紀はじめからデンマークの統治下にありました。

1979年に自治権を獲得し、いまでは外交や安全保障などの分野を除き、自治が認められています。現在は、独立を支持する住民が大半を占めるようになっていて、背景には▽1950年代に当時のデンマーク政府の方針でデンマーク本土に強制的に移住させられた子どもがいることや、▽1960年代に人口の抑制策として体内に避妊具を装着させられていた女性の存在が相次いで明らかになったことなどがあります。

自治政府のエーエデ首相は今月10日の記者会見で「私たちはグリーンランド人になりたい。そしてもちろんグリーンランドの人々が自分たちの未来を決めるのだ」と述べ、独立を目指す考えをあらためて強調しました。

グリーンランド自治議会で外交と安全保障を担当する委員会に所属するクノ・フェンカー議員は「トランプ氏の発言は、自由で完全に独立したグリーンランドへの道を開くかもしれない」と述べ、独立に向けた動きを後押しする可能性があるという見方を示しました。
フェンカー氏は「世界は不確実な状況だ。デンマーク政府はグリーンランドの防衛や安全保障、インフラについての優先順位が低すぎる。トランプ氏が、デンマークができないなら万が一の場合に備えアメリカが軍事力を使って島を守り北アメリカ大陸を守らなければならないと言っていることに同感する」と述べました。
そのうえで「グリーンランドが独立し、主権国家になることは交渉の余地がない。私たちはアメリカと協力する準備ができている。もし防衛と安全保障に関わる合意ができるならば、グリーンランドの政府と結ぶべきだ」と主張しました。

グリーンランドにはレアアース鉱床など

グリーンランドで地質調査などを行っている「デンマーク・グリーンランド地質調査所」のチーフ・コンサルタント、トーマス・バーミングさんは、資源の規模などは正確には分からないとしながらも「南部には最大のレアアースの鉱床があり、黒鉛や銅があるエリアも存在する」と明らかにしました。

そして、温暖化で氷がとけ始めている地域があると指摘し「以前は氷に覆われていた地域が今では氷のない地域になっている。こうした地域の一部には何らかの資源が埋まっている可能性もある」としています。
また、現状はカナダの企業による金の採掘などの鉱山開発が2か所で進められているということで、中国企業も別の事業に投資をしたことがあるとする一方、アメリカの企業はほとんど進出していないとしています。
そのうえで「グリーンランドで鉱山を設けるには資金調達が不可欠で世界に輸送するためにも費用がかかることを考慮しなければならない」と話し、採掘のための道路や港湾施設などのインフラ整備に必要な資金と時間が、大きな課題になるという認識を示しました。

なぜアメリカが買収? グリーンランドってどんなところ?

パナマ運河めぐる発言でパナマにも反発広がる

トランプ氏の発言を受けて、パナマの市民の間でも反発が広がっています。

太平洋と大西洋をつなぐ、世界の海上輸送の要衝、パナマ運河は、1914年に開通し、アメリカが管理してきました。
パナマで運河の返還を求める声や反米感情が高まったことを受けて1977年に当時のアメリカのカーター大統領とパナマのトリホス将軍が合意した条約に基づいて1999年末、パナマに返還されました。

トランプ氏は先月22日「パナマから請求される料金はばかばかしく、不当だ。わが国に対するぼったくりは、直ちにやめるべきだ」と述べて運河の通航料が高すぎると不満を示し、適切な扱いを受けられなければ、パナマ政府に運河の返還を求めると主張しました。
またトランプ氏は、パナマ運河について「パナマに返還したのであって、中国に渡したのではない」と述べたほか、先月25日にはSNSに「違法ではあるが、愛情を込めてパナマ運河を運営しているすばらしい中国の兵士たちを含むすべての人たちに、メリークリスマス」と投稿するなど、運河の運営を中国が担っていると主張しています。
さらに、トランプ氏は今月7日、グリーンランドとパナマ運河を得るために軍事的、経済的な圧力を行使しないかと記者団から問われると「いや、(軍事力・経済力を)使わないとは保証しない」と答えました。
こうしたトランプ氏の主張について、パナマのムリーノ大統領は先月22日に声明を発表し「パナマ運河とその周辺地域は隅々に至るまでパナマのものであり、今後も変わらないと明確に表明する。わが国の主権と独立に交渉の余地はない」と述べて反論しました。
さらに、ムリーノ大統領は「運河は直接的にも間接的にも中国やEU、アメリカ、ほかのいかなる国にも支配されていない。パナマ人として、この現実を誤解させるような発言を強く拒絶する」と述べています。
トランプ氏の一連の言動については、相手の譲歩を引き出して実利を得るための交渉術の一環だという見方がでています。

また、アメリカのメディアは運河の管理と運営はパナマ運河庁が担っているため中国が運営しているとするトランプ氏の主張は誤っていると指摘する一方、香港に拠点を置く企業が太平洋と大西洋の出入り口にある2つの港を管理していることについて、アメリカ政府は安全保障上の懸念をもっているとも伝えています。
前のトランプ政権時の2017年にはパナマが台湾との外交関係を断絶して代わりに中国との外交関係を樹立し、関係が緊密になっていて中南米諸国に中国が影響力を拡大させていることに神経をとがらせているものとみられます。

パナマで抗議デモも

発言の翌日の先月23日、首都パナマシティーでは抗議デモが行われ、参加者たちがトランプ氏の写真やアメリカの国旗を燃やして「祖国を売ることはない」などと声をあげました。主催したのは12万人の組合員を抱えるパナマ最大の労働組合で、今後、パナマ政府に対して断固とした態度をとるよう求めていくことにしています。

労働組合のサウル・メンデス書記長はNHKの取材に対し「(トランプ氏の発言は)世界の人たちにとって受け入れがたい帝国主義的な妄想だ。パナマには人々が平和に暮らし自分たちで物事を決め、主権を行使する権利がある。国民の生活の発展を妨げようとする、トランプ氏のような外国の干渉に対し、われわれは拒否する権利を持っている」と訴えていました。
NHKの取材班が街なかでも話を聞いたところ、全員がトランプ氏の発言に強い不快感を表しました。
このうち80代の男性は「どうでもいい発言だ。パナマ運河の返還なんて起こり得ないからだ」と話していました。
また中心部に住む女性は「パナマ運河はパナマのものだ。アメリカは何かを求める時に常に軍隊を使うのを得意としているが、今回はラテンアメリカの多くの抵抗にあうだろう」と話していました。
特に年配の世代の中には、1989年に当時、独裁政権を率いていたノリエガ将軍を追放するためにアメリカ軍がパナマに軍事侵攻したときのことを思い出す人たちも少なくありません。

マヌエル・バリオスさん(77歳)は、当時暮らしていたアパートの近くにアメリカ軍が侵攻してきたときのことを鮮明に覚えていると言います。
バリオスさんは「外をのぞいてみると、銃で狙われたので、すぐに隠れた。アメリカ軍は動くものを見ると銃を向けてきた。家の近くの病院に大勢の人々がたどり着き、爆撃で苦しむ人、泣き叫ぶ人や亡くなる人など、あらゆる人たちがいた」と述べ、数百人から数千人の市民が犠牲になったとされるアメリカの行動は決して忘れてはならないと話しました。
そのうえで「もしトランプ氏が武力を行使しようとするなら、強引にでもやるだろう。アメリカがかつて行ったような侵攻になるだろう。しかし今は状況が違うのだ。パナマはすでに安定していて、平和があるのだから」と話し、たとえ交渉のためだったとしてもトランプ氏の発言は許されないと訴えました。

ロシアメディアがプーチン大統領側近の懸念を伝える

グリーンランドをアメリカが所有すべきだというトランプ次期大統領の主張について、ロシアメディアは13日、プーチン大統領の側近のロシアのマトビエンコ上院議長が「このような発言の背景には、北極圏におけるプレゼンスを強化したいというアメリカの思惑がある」と指摘したと伝えました。
その上で、マトビエンコ議長は「ロシアにとって北極圏は戦略的にも地政学的にも重要であり、このような不可解なアプローチを懸念している。北極圏への進出にあたってアメリカによる国際法違反が起きないとも限らない」と述べ、トランプ氏の発言に懸念を示したということです。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250113/k10014691911000.html


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【佐藤優氏×片山杜秀氏・知の巨人対談「天皇家の昭和100年」】「天皇なき右翼」が力を持つようになった現在地 「革新のほうこそ天皇を必要としている」

2025-01-14 | アイヌ民族関連

 

NEWSポストセブン1/13(月) 6:59

 昭和100年が幕を開けた。元号は天皇の即位に始まり、新年は天皇の祈りに始まる。この節目に、作家の佐藤優氏と政治思想史研究者の片山杜秀・慶應義塾大学法学部教授が、平成、令和へと続く天皇家の百年史を振り返る。【前後編の後編】(文中敬称略)

【写真】昭和33年撮影の上皇陛下、美智子さま。昭和29年撮影の昭和天皇も

生前退位と「天皇なき右翼」

片山:経済白書に「もはや戦後ではない」と記された翌年の昭和32年8月、現上皇の皇太子は、美智子妃と軽井沢のテニスコートで出会います。

佐藤:ミッチー・ブームが起こり、国民に愛される皇室像が揺るぎないものになってゆきます。

片山:そうして戦後民主主義的な価値観を体現していき、生前退位を表明するのが昭和91年に当たる平成28年です。

佐藤:明治から続いた生物学的な生命と在位期間の一致という原則が崩され、天皇の意思によってできた時代が、令和となったわけです。

 生前退位においては、日本政府の対応にも問題があった。あり得た対応の可能性は3つです。ひとつは「違憲」だから認められないという判断。もうひとつは、天皇のお気持ちに応じた皇室典範の改正。ところが、政府はそのどちらでもない「特例法」で済ませてしまった。これは平たく言えば「わがままが通るのは今回だけだぞ」という意味です。

片山:非常時的な対応ということですね。

佐藤:その通りです。結果、天皇、上皇、皇位継承者と権威が三分割されてしまいました。他方、長期政権を築いていた当時の首相・安倍晋三にも権威がついてきました。

片山:自ら「臣・茂」を称した吉田茂のような人なら「退位されてもお支えします」となったかもしれませんが、安倍晋三はむしろ大統領的な権威を持つ方向へと向かっていました。戦後の保守政権を担った自民党の政治家とは変節してしまった。それがあの退位のドラマですね。そして将来的には、皇位継承者が「特例」で「辞退」する可能性さえ生んでしまった。

佐藤:皇室のゆらぎは、昨今の「右翼」や「保守」の在り方に反映されています。いわば「天皇なき右翼」が力を持つようになったのが昭和100年の現在地だと思いませんか?

片山:天皇なき右翼とは言い得て妙ですね。従来のナショナリズムは天皇と結びついていたし、日本人が選び得る右翼的な選択を掬える文化的豊かさを持っていました。すなわち、天皇は近代国軍の大元帥にもなり得れば、農本主義的な農耕儀礼の祭司にも、より広い意味では神道のいわゆる大神主にも、国民国家の統合の象徴にもなり得た。それが今では、天皇や伝統や歴史抜きで、国家の今現在の純粋な強度を誇りたい、それを邪魔する奴はやっつけるというのが右翼になっている。

佐藤:前回の総選挙で議席を伸ばした右派政党の日本保守党は「日本の国体、伝統文化を守る」として天皇制に言及するが、代表の百田尚樹がSFだと断わりを入れつつも、「女性は30超えたら子宮を摘出する」と発言して批難を浴びるなどしました。こういう保守に私はあまり脅威を感じません。

 一方、現代は革新のほうこそ天皇を必要としているのかもしれません。れいわ新選組代表の山本太郎は、12年前の園遊会で天皇に反原発を訴える書簡を手渡ししました。

片山:天皇がうなずいてくれれば国が変わるという、非常に天皇主義的な幻想なわけですが、完全に左派と右派のねじれが生じていますね。

佐藤:そう思います。左派・リベラル派が生前退位を表明した上皇の人格に依拠していき、逆に安倍晋三支持者が上皇を支持しない、という現状ですね。山本太郎の例は、昭和2年に軍隊内部の部落差別や待遇の改善を天皇に訴えた、陸軍兵の北原泰作による天皇直訴事件を彷彿とさせ、左右がねじれた反復と見ることができます。

女性・女系天皇議論の危うさ

佐藤:それからもうひとつ、エンペラー(皇帝)としての天皇の役割を考えておく必要があります。エンペラーの特徴は、複数の民族グループを統治していることです。

片山:なるほど。

佐藤:日本の予算構造を見るとよく分かりますが、北海道と沖縄は外交予算が組まれている。内閣府の沖縄担当と国交省の北海道開発局が予算を組み立てており、国家として北海道と沖縄は「外部領域」ということ。だからこそエンペラーが必要で、アイヌ民族を先住民として認めるとか、上皇が琉歌を詠んだりすることで統合してきました。

片山:天皇家の歴史を見ると、大和朝廷が大嘗祭等を行なう際に遠くの国の人々を連れてきて歌の贈答をすると、九州の隼人が騒音を立てて囃すわけですね。そうすることで、辺境の人々が天皇の代替わりのエネルギーを与えてくれる。必ず周縁の人々を仲間に入れて代替わりを繰り返すのです。

佐藤:外部領域を組み込んでゆく。天皇のそうした機能が薄れていくと、モノトーンな国民国家になっていきます。

片山:おっしゃる通りで、天皇を外した右翼になると、外部領域としての北海道と沖縄は無関係になり、本州が純粋な日本となる。その結果、解体の方向へ向かうでしょう。右派のエネルギーは今、そうした方向に傾いているようです。

佐藤:だから、アイヌ民族の先住権を認めない主張や、沖縄に対して基地の過重負担を強いる論調は、天皇制を崩す方向の動きに他なりません。

片山:ご指摘されたような日本を解体する理屈を、一生懸命ナショナリズムと呼んでいるわけですね。

 昭和100年は、明治以来続いた天皇制の分岐点に差し掛かっている印象を受けます。

佐藤:天皇制を維持したいのであれば、私は女系天皇、女性天皇といった議論は危ないと思います。なぜなら、天皇制というそもそも非合理性を孕んでいるシステムに、部分的に合理性を持ち込もうとしているからです。キリスト教も、非合理なシステムをそのまま受け入れているから存続しているのです。

片山:生前退位というタブーが解けた今、第2のタブーである皇位継承者の条件変更も現実味を帯びています。その一方で私は、日本ではいくら理屈を考えても、共和国的な政体でまとまることはできないと思っているのですが……。

「菊のタブー」とニヒリズム

佐藤:いわゆる「菊のタブー」の変化も見ておくと、人間宣言直後の「プラカード事件」が“最後の不敬事件”となった後、昭和36年に起きた「風流夢譚事件」は言論界を揺るがしました。

片山:作家の深沢七郎が『中央公論』掲載の小説のなかで──夢という設定で──天皇・皇后が処刑される場面を描いたところ、右派の反発を呼び、中央公論社社長宅でお手伝いさんが刺殺された事件です。犯人は少年でしたが、当時はまだ戦後16年で、タブーも根強く生きていました。

佐藤:その8年後(昭和44年)には、元陸軍兵の奥崎謙三が天皇をパチンコ玉で狙う事件が起きました。暴行罪で懲役刑に服しましたが、出所後は『ヤマザキ、天皇を撃て!』と題した書籍を出版した。こちらはとくに右翼勢力からのお咎めはなかったようです。

片山:右翼の抗議に対する井上ひさしの反撃は有名ですね。「君は歴代の天皇全部言えるのか、俺は言える」と言い返してやる、すると「恐れ入りました」とおさまってしまう(笑)。

佐藤:当時の右翼は小説も読んだし、歴史に対する畏敬の念を持っていました。国家の存亡を宗教的な領域でとらえる必死さからくる、ある種の怖さとダンディズムがありました。今の右翼や右派的な面々からそういうものが感じられないのは、世界的な潮流であるニヒリズム的な価値観が浸透しているせいでしょうか。

片山:右翼は歴史と伝統をうまく使ってこそですが、それを忘れて現在で熱狂するだけになるとファシズムに転化する。そこにニヒリズムがはりつくのですね。

佐藤:昭和の日本は様々な側面で欧米に学んできましたが、ニヒリズムの時代である昭和100年以降の、エマニュエル・トッドの言う『西洋の敗北』にまで付き合うべきではないと思います。

(前編から読む)

【プロフィール】

佐藤優(さとう・まさる)/1960年、東京都生まれ。元外交官、作家。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。主著に『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)、近著に『賢人たちのインテリジェンス』(ポプラ新書)など。

片山杜秀(かたやま・もりひで)/1963年、宮城県生まれ。政治思想史研究者、音楽評論家。慶應義塾大学法学部教授。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。主著に『未完のファシズム』、近著に『大楽必易 わたくしの伊福部昭伝』(ともに新潮社)など。

取材・構成/前川仁之(文筆家)

※週刊ポスト2025年1月17・24日号

https://news.yahoo.co.jp/articles/5ce6b6ddbdc325f265377950000661487ff3c6c6?page=1


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「VIVANT」や「不適切にもほどがある!」などの作中の料理を多数担当…就職氷河期時代になった公務員を辞め「ドラマの料理」を作る職業を選んだ彼女の人生

2025-01-14 | アイヌ民族関連

 

東洋経済 1/14(火) 6:02

 東京・代官山にあるマンションのダイニングには、料理教室のような調理スペースが設けられていた。ステンレスの調理台が2台あり、その上には両手鍋に入った豚汁が置かれている。壁際には家庭用の冷蔵庫が3台も並び、2人のスタッフが調理スペースを動き回っていた。

【画像多数】「不適切にもほどがある!」に登場したナポリタン、「VIVANT」の赤飯などフードコーディネーターはらゆうこさんが作った料理の数々はこんな感じ

 ここで行われているのはドラマや映画の撮影で使用する食べ物の調理だ。

 「ほとんどの台本に料理のレシピどころか詳細も書かれていないんですよね。助監督さんから『朝食や夕食を家族分』と指示を受けて調理を進めることもあれば、メニュー名をいただいて試作を繰り返しながら詳細を詰めることもあります」

 朗らかな笑顔で話すはらゆうこさんは、ドラマや映画の世界で引っ張りだこのフードコーディネーターだ。

 2024年の新語・流行語大賞を受賞した「不適切にもほどがある!」、累計2900万部の発行部数を誇る人気漫画を原作とした映画『ゴールデンカムイ』、2023年にSNSで話題を集めた日曜洋画劇場「VIVANT」などの食のシーンに携わっている。これまでに関わったドラマや映画の数は500本以上にも及ぶ。

■フードコーディネーターに求められる役割

 映画やドラマに関わるフードコーディネーターというと、クリエイティブな仕事のイメージが浮かぶ。自分のアイデアを提案し、実現する機会が多いのだろうか。

 「どちらかと言えば、要望を受けて、課題を解決する仕事です。例えば、シズル感を演出するために料理の湯気を求められた場合、どうすればカメラに湯気をとらえてもらえるかスタッフと相談し、料理を出しています。『この役は料理が得意ではないからもっと盛りつけを崩して』と監督から指示を受けたときには、どのような人物か考えてその場で盛りつけを調整しました」

 はらさんのキャリアのスタートはドラマや映画とは接点のない地方公務員だった。地元である埼玉県北部で8年間働き、フードコーディネーターになるために赤堀料理学園に入学。卒業後に、学園の校長を務めている赤堀博美さんのアシスタントとして30歳で修業を積み始めた。

【写真多数】「不適切にもほどがある!」のほか、「VIVANT」の赤飯、映画『ゴールデンカムイ』の料理など、フードコーディネーターはらゆうこさんが作った料理の数々はこんな感じ

 赤堀さんはドラマや映画の食のシーンに精通したフードコーディネーターだ。2024年にはNHKの朝ドラ「虎に翼」の料理監修を務めている。映像作品に強い師匠との出会いにより、はらさんはドラマや映画の現場におけるフードコーディネーターの役割や立ち回りを学んだ。

 「もともとドラマには詳しくありませんでした。赤堀先生のアシスタントとして撮影の現場で経験を積んだおかげで、ドラマや映画に呼んでいただけるようになったんです」

 フリーランスとして独立したのは34歳。はらさんはなぜ30歳でフードコーディネーターの道へ進んだのだろうか。その軌跡をたどる。

■学生のときから料理に携わる仕事を志望していたが…

 はらさんは小学生の頃に料理を始めた。好き嫌いの激しい弟にメインのおかずを作ると「おいしい!」と言われ、父からも褒められた。

 高校を卒業する頃には調理系の専門学校への進学を志望したが、父に相談すると反対されたという。

 「料理人を目指す人は小さい頃から修業を重ねている。今から学校へ通っても遅い。もし本気で料理人を目指すなら料亭で修業するか、海外に行くかだ。その覚悟があるか」

 「そこまでの覚悟は持っていないな」と考えを改めたはらさんは目白学園女子短期大学へ進学。ここで食の仕事の幅広さを知った。

 「大学では食品業界の大手メーカーのメニュー開発の担当者、料理研究家の先生の講義がありました。料理人以外に食の仕事があると知ったんです。この時に料理に携わる仕事がしたいと思いました」

 しかし、就職活動が始まると、その想いは砕かれる。大学の就職課に尋ねると「うちのような大学にそんな条件のいい求人はありません」と断られ、企業の料理に関する専門職への応募はできなかった。

 肩を落としたはらさんは家庭科の教員採用試験の受験に挑む。ただ、当時は就職氷河期であり、少数の採用枠に200人近くが集まっていた。競争は激しく、筆記試験を突破できなかった。

 試験に落ち続けた末にたどり着いたのは地元の教育系の臨時職員だった。その2年後に町役場の採用試験を受けて合格。22歳で公務員としてのスタートを切った。

■30歳までに公務員を辞めると決意

 はらさんが自身のキャリアについて再び考えたのは20代の中盤に差しかかった頃だった。そのきっかけは住民課への異動。さまざまな住民から寄せられるクレームを大量に受け続けた。そんな日々を送っていると発疹が浮かんだ。「皮膚病かな?」と思い病院に行くと、帯状疱疹の診断が下り、自宅で1カ月療養することになった。

 「クレームを自分宛に届いたものとして捉えていたのですが、すべてを受けとめると潰れるんだなと思いました。クレームを受けているのは自分ではなく役所だと気持ちを切り替えました。ただ、『この仕事って私じゃなくても成り立つんだ……』とやりきれなさを感じるようになってしまって。いち社会人として認められる仕事がしたい。30歳までには別の道に進もうと考えました」

 しかし、安定した公務員を辞める踏ん切りはつけられない。休日に図書館で料理本を読みながらストレスを解消し、約3年の間仕事を続けた。

 大きな転機が訪れたのは29歳の時だった。

 「職場の年上の後輩が突然亡くなりました。その子はストレスも抱えていて、『好きなことをやりたい』とずっと言っていたんですよね。人間は好きなことをやらないといけないのだと思いました」

 はらさんは食の道へ進むために、フードコーディネーターを養成する料理学校への入学を決意した。数校のパンフレットを取り寄せて説明会を回り、その中でも魅力を感じたのが、日本最古の料理学校という赤堀料理学園だった。

 「赤堀料理学園が1番厳しそうな学校だったんです。説明会で赤堀博美先生が『うちの学校ではフード業界で生きていける人たちを厳しく育てます』とおっしゃっていたんです。地に足がついていて、いいなと感じました」

 土曜日の休暇を利用して料理学校へ半年通い、無事に卒業。両親に内緒で役場の人事課に退職届を提出し、新しい道へと進んだ。

 この時期に最初の結婚を果たし、東京へ引っ越しも行い、赤堀料理学園の校長を務める赤堀博美さんのアシスタントとして働き始める。収入は公務員時代の約3分の1へと減少。それでもフードコーディネーターになるための1歩目を踏み出すのに躊躇はなかった。

■多忙だったアシスタント時代

 アシスタントの仕事は多忙を極めた。学校に通っていたときにアシスタントは3人いたが、働き始めるとその人たちは独立しており、専属のアシスタントが自分一人になっていた。ドラマの撮影から授業の準備まで、アシスタントの仕事をはらさん1人で担う日々が始まった。

 「先生はドラマや映画でも活躍されていますが、学校の経営者でもあります。学校には2つのスタジオがあって、そこでも撮影がガシガシ入ります。全ての買い出しと仕込み、撮影の段取りをしていました」

 家に戻るのは週に1~2回のみ。「先生に認められるまで辞めない」と決めていたため、激務をこなし続ける。しかし、3年が経った頃にその生活は終わりを告げる。

 きっかけは当時の夫の言葉だった。「頑張りたいのはわかるけど、生活の限界を超えている。あなたの人生に関わっている人はたくさんいるんだよ」と告げられて、自身の生活を見直した。

 「やりたいことを続けるか家族の時間を取るかすごく悩みました。ただ、当時の夫の言葉がすごく重くて。とりあえず家庭に入りました」

 アシスタントを辞めたはらさんは、イタリアンのカフェでアルバイトをしながら主婦生活を送る。

■フードコーディネーターへの道が開けた

 フードコーディネーターへの道は絶たれたかと思われたが、半年ほど経ったある日、急に道が開ける。アシスタント時代に知り合った美術スタッフから「仕事を頼みたい」という連絡があり、とんとん拍子に仕事を受注した。

 「赤堀先生のアシスタントは辞めたと事情を伝えたのですが……。『単発の仕事だし、これまでと同じようにやってくれればいいよ』と言われたんです。それで仕事を請け負いました」

 当日、師匠のいない現場に不安を覚えながらも、家庭の食卓に並ぶ料理を作り、撮影は完了。テレビで自分のクレジットを見た時に「ああ、私でもいいんだ……!」と喜びを感じた。

 1つの現場に呼ばれるたびに「また仕事をください」と現場のスタッフにお願いをすると、徐々に声をかけられる機会が増える。フリーランスを始めた半年後にはアルバイトを辞め、さらに1年が経った35歳で株式会社Vitaを設立した。

 そして、夫とは数年にわたる協議の末に離婚。さらにフードコーディネーターの仕事に没頭した。

■コロナ禍を経て仕事が急増

 はらさんの仕事は、コロナ禍を経て一気に増えた。感染防止の観点から食の現場管理をフードコーディネーターに任せるようになったためだ。料理の提供だけでなく、料理に関する安全を確保する役割が求められるようになった。

 コロナ前と比較してドラマの仕事量は2倍以上に増加。2024年は24本のドラマと3本の映画に携わっている。

 最近では作品の世界観に合った料理を求められることも多いという。たしかに、はらさんが携わったドラマや映画の中には印象的なグルメシーンが含まれる作品もある。

 現代と昭和を行き来するドラマ「不適切にもほどがある!」では、昭和の世界を表現する1つの象徴として喫茶店のナポリタンが使用されていた。明治時代末期の北海道を舞台にした映画『ゴールデンカムイ』では原作でも評判の高いアイヌ料理がシズル感を伴い再現されている。

 ここまで仕事のオファーが舞い込む理由はどこにあるのだろうか。尋ねてみると「どうなんでしょう……」と考えながら言葉を続けた。

 「フードコーディネーターには料理以外のスキルも求められるんですよね。現場を把握して、相手が求めていることを察知するコミュニケーション能力を公務員と下積みの期間で身につけられたのが大きいです。あと、私自身、要望に応えることが好きなんですよ。性格に合っていると思います」

■子どもを連れて働ける職場に

 子どもの頃から好きだった料理は仕事になった。再婚を果たし、出産の経験を経て、新しい目標も見つかった。それは子どもを持つスタッフが働き続けられる環境を作ることだ。

 「娘が産まれてすぐの頃、おんぶして現場に行ったんです。仕事をしている間、プロデューサーさん、メイクさん、女優さんが娘を見てくれたんですよ。子どもが産まれたらこれまでのように仕事は続けられないと思っていましたが、やり方次第で何とかなるかもしれないと考えたんです。うちの事務所も同じようにしたいなと思っていて。このマンションにもう1室事務所があるのですが、子どもを連れてきて働けるようにしています。今日もスタッフが3時間子どもを連れてきて事務作業をしていました」

 好きなことで働ける世界を目指して。はらさんは職人と経営者の両方を行き来しながら料理と職場を作り続けている。

中 たんぺい :フリーライター

https://news.yahoo.co.jp/articles/b60e0cd06cd724b06ee0eb07ef9508d7d8935da6


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