先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

直木賞候補「藍を継ぐ海」に遠軽町民期待 白滝舞台の作品収録 伊与原新さん短編集

2025-01-09 | アイヌ民族関連

今井彩乃 有料記事

2025年1月8日 21:19(1月8日 21:52更新)

 【遠軽】町白滝を舞台とした短編小説を収録した作家・伊与原新さんの短編集「藍を継ぐ海」(新潮社)が第172回直木賞の候補作に選ばれた。白滝に暮らす家族の姿が情感たっぷりに描かれており、直木賞選考会を15日に控え、町民の期待が高まっている。

 5編ある収録作の一つ「星隕(お)つ駅逓」は、雪原が広がる3月終わりの白滝の山中に、小さな隕石(いんせき)が落ちたことから物語が始まる。隕石の捜索隊が続々と現地を訪れる中、白滝の農場で働く涼子は廃止が決まった郵便局の局長を務める父のために、ある作戦を思い付く-というストーリー。

 涼子が働く農場は白滝に実在する農家民宿「えづらファーム」を想起させる。民宿を運営する江面陽子さん(44)は「過疎が進む白滝に愛着を持ち、生活している私たち農家の思いに寄り添った作品。訪れた観光客にも小説のことを紹介したい」と喜ぶ。

 涼子の夫信吾が勤める「白滝郵便局」はJR白滝駅付近に実在。10年以上局長を務める中田卓也さん(52)は以前から伊与原さん作品の大ファンだったといい、「作中の情景描写は実際の白滝の風景そのもの。直木賞受賞で白滝を全国に知ってもらいたい」と期待する。

 舞台を遠軽町にしたのは、伊与原さんがフランス留学中に出会った遠軽高吹奏楽局OGのクラリネット奏者黒岩真美さん(48)=苫小牧市在住=に紹介されたからだという。黒岩さんは「いつも穏やかで、温和な伊与原さんの人柄がにじむ小説。大好きな地元のことを書いてくれてうれしい」と語る。

 ・・・・・・・

 -作中の情景描写は、遠軽の景色そのもので驚きました。郷土史を基にした表現も多いです。

 「黒岩さんを通じて知り合った遠軽高出身の郵便局員さんに、遠軽や郵便配達のことをメールを通じて教えてもらいました。小説に登場する駅逓や囚人道路、アイヌ民族の伝承などは文献を読んで調べました」

 -遠軽町の印象は。

 ・・・・・・

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1108952/


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釧路市でアイヌ文化フェスティバル「ウタリタリ」公演やワークショップ、阿寒湖畔散策ツアーも

2025-01-09 | アイヌ民族関連

 

1月8日(水) 0:00提供:OVO

北海道釧路市は、国のアイヌ政策推進交付金を活用して1月18、19の両日、アイヌ文化フェスティバル「ウタリタリ2025」を開催する。入場・参加無料。アイヌ語で、「ウ」は「互いに」、「ウタリ」は「仲間」、「タリタリ」は「上下に揺らす」を意味し、それらの言葉を掛け合わせて名付けたという。

フェスティバルは、阿寒湖アイヌシアター「イコロ」や伝統・創造「オンネチセ」などの会場で、阿寒アイヌ民族文化保存会と全道各地のアイヌ民族チームによるアイヌ文化公演の他、沖縄県から沖縄伝統芸能の「NEO Ryukyu」、ハンガリーから口琴・バイオリン・太鼓ユニットの「Zoord」の2組のゲストアーティストを招き、公演やアイヌとのコラボ公演を行う。また、「藍染・刺しゅうワークショップ」「民芸品店スタンプラリー」や、アイヌ民族のガイドによる冬の阿寒湖畔の森散策ツアーなどを開催する。

https://news.ameba.jp/entry/20250108-76707790


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展示イベント「森を生かす、アイヌ文化継承のいま〜北海道平取町〜」

2025-01-09 | アイヌ民族関連

 

EventBank プレス1/8(水)10:00

(公財)アイヌ民族文化財団

平取町におけるアイヌ文化継承のいまを紹介

北海道平取(びらとり)町は豊かな森林や河川の自然環境のなかで、古くからアイヌ文化が育まれ現代に継承されてきた。アイヌ文化を次世代に引き継いでいくために、コタンコロカムイ(シマフクロウ)が棲む森を目指し森づくりに取り組んでいる。今展示では、大型モニターの映像とともに森から採取した自然素材を用いた民具の実物展示などを通して、森や川の再生に取り組む、アイヌ文化継承のいまを紹介する。

開催日時

2025年1月16日(木)〜1月29日(水)

9:00〜17:00

備考

休館日は月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日以降の平日に閉園)

会場

ウポポイ(民族共生象徴空間)

北海道白老郡白老町若草町2-3

料金

無料

ウポポイ入場料が必要

アクセス

公共交通:JR白老駅より徒歩約10分

車:白老ICから約10分

駐車場

あり 246台

1回500円

お問い合わせ

0145-72-2152(株式会社平取町アイヌ文化振興公社)

ホームページ

https://ainu-upopoy.jp/topics/biratori-2025-1/

イベント備考

万博関連イベント

※掲載の情報は天候や主催者側の都合などにより変更になる場合があります

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/eventbank/region/eventbank-10553866


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土井善晴、冬の午後に温もりを添える投稿 おぜんざいとアイヌの板が織りなす文化の融合

2025-01-09 | アイヌ民族関連

 

スポーツブル1/8(水)18:40

料理研究家でフードプロデューサーの土井善晴が8日、自身のXを更新した。

【画像】お茶漬けの新常識!?料理研究家 リュウジ 【納豆茶漬け】のレシピ公開!

「あたたかいおぜんざいとアイヌの板」と綴り、動画をアップ。

深い黒の器に小豆がたっぷり注がれ、上には香ばしく焼きあがった白玉餅が静かに浮かぶ。器の下に敷かれたアイヌの板には、渦を巻くように流れる独特な文様が刻まれている。和とアイヌ文化の融合を感じさせる投稿だ。

この投稿には「湯気が立って、あたたかいおぜんざい、とっても美味しそうですね!😊お餅の焼き目がちょうどいいです👏👏👏アイヌのお盆、とっても素敵です!💗」「土井先生のおぜんざい😍心も体も温まりそうですね♡」など、季節の温もりに寄り添うような和やかなコメントが寄せられている。

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/sportsbull/sports/sportsbull-1971894


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未知なる先住民 一挙出現の謎を追う アマゾン取材記

2025-01-09 | 先住民族関連

 

NHK 2025年1月8日 13時54分

始まりは1本の電話からだった。
「アマゾンで10年ぶりに“イゾラド”が現れたらしい」
去年8月、ある先輩ディレクターから連絡があり、アマゾンで“イゾラド”が100人を超える集団で現れたという。
イゾラドとは、文明に接触したことがない未知の先住民のことで、南米・ブラジルとペルーにまたがるアマゾンの森の奥で、動物を追いかけながら自給自足の暮らしをしているとされている。
元々は“隔絶された人々”という意味を持ち、さまざまな部族が暮らしてきた。NHKでは、四半世紀にわたり取材を続け、その姿を映像に記録してきた。しかし、多くの部族が絶滅した可能性が高く、2014年を最後にその姿は確認されていなかった。
現代社会の中で、スマートフォンやパソコンを持たないどころか、服も靴も身に着けずに暮らす人が、まだこの世界に存在していること、そして、彼らと実際に相対することが出来るかもしれないことに気持ちが高ぶった。
「ぜひ取材したい」私は即答していた。
(社会番組部ディレクター 鈴木 俊太郎)

限られた情報しかない未知なる先住民 “イゾラド”

イゾラドが現れたのは去年6月。場所は、ペルー内陸部の「源流域」と呼ばれる深い森のなかにある集落だという。

イゾラドが現れたというニュースは、瞬く間に世界を駆け巡り、アメリカやイギリスなどのヨーロッパ各国で報じられた。

しかし、その時のイゾラドを捉えた映像は、先住民の人権を扱う国際NGOによるもののみで、現れた期間も2日間と短く、得られる情報は非常に限られていた。

10年の時を経て、なぜ彼らは現れたのか。その謎を解明するとともに、できればイゾラドを直接カメラで捉えたいと私は考えた。

イゾラドに病を感染させないために 16回の予防接種

情報収集やビザ取得の手続きのほかに、最も入念な準備が必要なことがあった。予防接種だ。

文明と接触したことがないイゾラドは病原菌に対し免疫がない。過去には文明側との不用意な接触で、病に感染するなどして多くの部族が絶滅した。

自分たちが病気に感染すること以上に、相手に感染させてしまうことは絶対に許されない。私は、東京都内のワクチン専門外来で医師の指導を仰ぎ、狂犬病や破傷風、黄熱病、肝炎などのワクチンを接種することにした。

注射した回数は実に16回。多い時には左右の腕に5か所の注射を同時に打つという人生初の体験もした。

副作用とみられる症状にも悩まされた。単身赴任で一人暮らしをしているため、アパートの一室で発熱やけん怠感にじっと耐える日々は心身にこたえた。

イゾラドへの道は険しい。

1か月前にも出現していたイゾラド その数180人

去年11月、出発の日を迎えた。羽田空港からペルー内陸部までは飛行機を乗り継ぎ約40時間。

長時間のフライトを経て、源流域の玄関口の街プエルト・マルドナードに到着した。

赤道にも近い空港に降り立つと、まとわりつくような湿気と熱気が押し寄せた。

気温35度にせまる暑さに汗しながら、まず訪れたのはペルー政府・文化省でイゾラドの保護を担当する職員たちだった。

職員たちはスマートフォンで撮影した写真や映像を示しながら、こう語り始めた。

イゾラド保護の担当職員

「これは10月24日の写真で、イゾラドがバナナを持って立ち去るところです」

「イゾラドは180人近くいました」

なんと、1か月前にも、イゾラドは現れていたというのだ。

ペルー政府は、病原菌への感染のおそれなどを考慮し、イゾラドの暮らす森を「保護区域」に指定し、広島県とほぼ同じ面積のエリアに外部の人間が立ち入ることを厳しく制限している。

今回、私たちは文化省の職員に特別な許可をもらい、イゾラドが現れた集落へのパトロールに同行することにした。

あいにくの小雨が降るなか、市場で買い込んだ食料や燃料を積み込み、港を出発した私たち。100馬力のエンジンを搭載したボートでアマゾンをさかのぼり始めた。

難所を越え源流域の集落へ しかし住民はどこへ…

数時間も進むと、私たちの前にサルやコンゴウインコ、バクなどの動物たちが現れた。

こうした動物や木々の色の濃さ、緑の美しさに感動しながら撮影を続ける私たちだったが、上流に行くにつれ、あることに気が付いた。

川の水の量が少ないのだ。

本来であれば季節は雨季。しかし、ことしは降水量が少ない状態が続き、南米各地で干ばつが発生していた。水深が浅い場所が多く、水面から突き出した流木が目立つ。

「ガガ、ガガガガァ」

突如鈍い金属音とともに、大きな振動を感じた。ボートが浅瀬に乗り上げ、川の真ん中あたりで、身動きが取れなくなったのだ。周囲に集落はなく、脱出できなければ翌日の朝まで救助を待つことになる。

ただ、乗っているのは百戦錬磨の職員たち。即座に川に飛び込むと、力を合わせてボートを押し、流れのある場所まで戻してくれた。

左側がイゾラド保護の担当職員ウィルソンさん

イゾラド保護の担当職員 ウィルソン・セバスチャンさん

「アマゾンの川底の地形は1日雨が降るだけで変わる。経験や知識も大事だが、目の前の状況に対応することが大事だ」

川をさかのぼること2日、ついに目的地に到着する。

モンテ・サルバード。アマゾンで最も上流に位置する集落で、36家族136人が暮らす。

案内してもらおうとした取材班は異変に気が付く。集落に人の影がほとんどない。幼稚園や小学校に子どもの姿は皆無、女性たちがアクセサリーや布製品などの民芸品を作る工房も寂しげな様子だった。

集落には、数人の男性がとどまっているのみで、女性や子供、高齢者たちは全員、イゾラドとのあるトラブルをきっかけに離れた街に避難しているという。

一体、何が起きたのか。

“10年前と同じ” 穏やかだった最初の接触

ウィルソンさんは、川に面した高台に私たちを連れ出し、対岸を指さしながらこう話し始めた。

ウィルソンさん

「6月27日、ちょうどランチを始めようとしていた時でした。川で水浴びをしていた女の子が走ってきて、教えてくれたのです、“男の人がいる”と。イゾラドは、森の中からこちらを見ている様子だったので“河原に出て”と言うと、出てきました」

この集落の周辺では、2000年代前半からイゾラドが度々目撃されてきた。政府は、この集落にイゾラドの監視所を設置。

集落の建物では唯一鍵がかかり、窓には鉄格子がはまっていた。私たちが宿泊させてもらう木製の高床式ロッジがまさにその監視所だ。

2014年にイゾラドが出現したときの様子

10年前にイゾラドが現れたとき、ウィルソンさんもこの監視所にいて彼らと対じした。

突如現れた彼らを前に、当時の集落のリーダーが行ったのは、バナナをイゾラドに贈り、敵意がないと示すことだった。家々から集めたバナナをボートに積んで届けると、イゾラドは弓矢を置いてこちらに向かって言葉を発するようになった。

集落の人が話す先住民「イネ族」のことばが一部通じることも分かった。バナナを贈り、少しの会話を試みる。それが10年前に編み出した、イゾラドとのやりとりの方法だった。

今回の出現で、イゾラドとの交渉役を任されたウィルソンさんは、まず名前やどこから来たのかなどを聞いたのち、「何が欲しいのか」を尋ねたという。

ウィルソンさん

「“何がほしいの?”と質問すると、彼らはイネ語で“paranta(バナナ)とpochwaksuru(サトウキビ)”と答えました。武器を持っていないことを示すために、私が手を上げて1回転すると、彼らは信頼を寄せてくれた様子でした」

ウィルソンさんは10年前と同じように、ボートにバナナやサトウキビ、ロープなどを積んで届けた。すると、イゾラドは弓矢を置き、穏やかな様子でやりとりが続いたという。

約5時間後、イゾラドたちは森に戻った。

“攻撃的になった” 映像の分析から判明したイゾラドの変化

6月の出現以降、集落の人たちはイゾラドが出現するたびに、スマートフォンなどでその様子を映像で記録していた。

映像は、合わせて約3時間。分析していくと、住民の避難に至るまでのイゾラドの変化が見えてきた。

2回目の出現は10月21日。40人ほどでやってきた。

このときもバナナをボートで届け、イゾラドが受け取る。穏やかなやりとりに見えた。

しかし、釣りに出かけていた集落の男性が、森に戻る彼らに遭遇すると、イゾラドが矢を撃ってきたという。矢は、履いていたジーンズの革のベルト部分に当たり、辛うじて刺さらなかった。

3日後の10月24日、今度は80人で現れたイゾラド。当時の映像には、集落の住民に対し攻撃的な態度をとる様子が映し出されていた。

イゾラド

「そこの男、細いひもをよこせ。その服を脱いで持ってこい」

「もっと熟したバナナを持ってこい。向こうに熟したバナナがあるだろう!」

さらに2日後の接触のあと、イゾラドは保護官に矢を放ち、1本が命中。

矢は肩から肺を貫き、心臓まで数センチのところにまで達していた。ひん死の重傷だった。

翌日、ペルー政府は軍のヘリコプターを派遣し、住民を緊急避難させたのだ。

干ばつと違法な伐採業者 行動範囲を広げたイゾラド

なぜイゾラドは弓を引いたのか。映像や証言を分析するなかで、気になることばがあった。

イゾラド保護の担当職員

「服を着ている人は悪いやつだと言ってきました」

イゾラドが「森の中にいる服を着た人が悪い」と繰り返し言ってきたのだという。

それはいったい誰のことなのか、私たちは手がかりを求めて、保護官が矢を撃たれた場所に向かった。

防弾チョッキを着用し、森の奥へと進む。至るところにイゾラドが目印として切ったという無数の枝に出くわした。

どこからかイゾラドに見られているのではないか、そんな気配におののきながら、恐る恐る進んだ先。そこにあったのは、大きなやしの葉を地面に突き刺した何か。

イゾラドの住まい跡と思われるもので、その数は50あまりに上った。

ウィルソンさんがあることに気がついた。住まい跡とみられる場所に必ず残されているという、イゾラドが食べた動物の骨が見当たらないのだ。詳しく調べても、見つかったのはカメの甲羅だけだった。

去年、アマゾンを襲った干ばつの影響もあるのか、イゾラドが森で十分な獲物をとれていない可能性があるという。食料が足りなくなって活動範囲を保護区域外に広げたのではないか、そうウィルソンさんは分析した。

さらに、興味深いものが見つかった。

この使い古された鍋。イゾラドが「悪い人」と繰り返し述べたという「服を着た人」の手がかりとなる代物だ。

ウィルソンさんによれば、それは集落の人が渡したものではなく、野営しながら森を伐採する業者のものだという。

そろいの作業着をまとい、保護区域の中で違法な伐採を繰り返す業者。切り出した木材の出どころを隠し、海外に輸出していたと見られている。

イゾラド保護の担当職員 ウィルソンさん

「保護区に違法伐採業者が入り込んだことも、イゾラドが保護区の外に移動した要因ではないでしょうか。伐採業者はイゾラドを殺すので、逃げていたのだと思います」

実際、去年、伐採業者の野営地で2人の作業員が何者かに殺害される事態が発生。業者に銃で殺害されたことへの、イゾラドによる報復ではないかとみられている。

私たちが分析した映像には、集落の人たちに向けたイゾラドのこんなことばも収められている。

イゾラド

「あなたたちも武器を置いてください」

集落の人が持っていたカメラを武器だと思い込み、警戒していたのだ。

ウィルソンさん

「イゾラドは“yoasaletanno chichi”と言います。“銃で私を傷つけないでくれ”という意味です。伐採業者との衝突でイゾラドは変わってしまいました。伐採業者に殺されたため、私たちにも報復してくるようになったのです。彼らに、“私たちは悪い人ではない”、“あなたたちを守っているんだ”と教えようとしますが、理解してくれません」

“目の前で起きる事実に向き合う” 集落の人の試行錯誤

イゾラドとどう向き合えばいいのか。

いま、モンテ・サルバードの人たちは、新たな模索を始めている。集落の周りに広がる森に、カメラを設置。

イゾラドが確認されれば、森に入ることを一時的に禁止する。さらに、イゾラドが折ったと思われる枝の周りを切り払う。こちらの存在を知らせ、お互いの領域がどこにあるかを理解してもらうためだ。

私がディレクターとして取材にあたり、大きな学びとなったのは、この「目の前の現実に向き合う」という集落の人たちの姿勢だ。

イゾラドについて、「この先、どう向き合っていきたいか?」と未来のことを聞くと、彼らは常に「現在(いま)」について答えた。「過去のどこに原因があったのか?」と聞くと、「今を生きるしかない」という答えが返ってきた。

モンテ・サルバードの住民と取材班

イゾラドが行動範囲を広げ、アマゾンの森の奥から出てきた原因の一つと思われる干ばつには、地球規模の気候変動の影響が指摘されていて、違法な伐採業者の活動も現状ではコントロールしきれない。

集落の人たちにとって、これまでの知識や経験が通用しない状況でも、彼らは目の前の現実に向き合おうとしている。

どうやっても変えられない過去や、まだ遠い未来のことを考えるあまり、今を懸命に生きることを忘れがちな私にとって、その姿が印象的だった。

謎多きイゾラドに加え、隣り合う集落で生きる彼らの現在や置かれた現実も、引き続き記録し続けたいと思う。

番外編 ピラルクと山鳥と時々サル アマゾンの食生活

モンテ・サルバードでの滞在中、取材班は、事前に玄関口の街で調達した食料を調理してもらいながら取材を続けた。

バナナのフライや、オリーブオイルとニンニクを入れて炊いたピラフのような風味のお米、パスタなど、毎日、美味しい食事を提供してもらった。

滞在の中盤以降は、集落の人たちに狩りや釣りでとった動物や魚をおすそ分けしてもらうことが増えた。例えば、ピラルクという白身の淡水魚。バナナの葉で包んで蒸した料理は、程よく脂が乗って身が柔らかく絶品だった。

また、山鳥は森を飛び回り筋肉質なのか、弾力が抜群で味も濃く美味しかった。

なかでも、取材班が驚かされたのが、ある日の夕食で出された肉だった。

骨付きで皮に弾力のある肉にかぶりつき、「これ、何の肉ですか?」と尋ねたところ、返ってきたことばは「mono」。

手前の黒く見えるものがmono(サル)の肉のくん製

野生のサルだった。

翌日、くん製になった「mono」も食べたが、ジャーキーのようなホロホロの肉になっていて、最後まで美味しくいただいた。

アマゾンは、食もまた奥深く、おそるべし。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250108/k10014686881000.html


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子の亡骸を運ぶ母シャチを目撃、悲しみの表れか、専門家の見解は

2025-01-09 | 先住民族関連

 

ナショナルジオグラフィック2025/01/08 08:00

子の亡骸を運ぶ母シャチを目撃、悲しみの表れか、専門家の見解は

(ナショナル ジオグラフィック日本版)

 お母さんシャチの「タレクア」が、死んだ子どもを頭に乗せて運んでいる姿が確認された。しかも、今回で2度目だ。「J35」とも呼ばれるこのシャチは2018年、死んだわが子を頭にのせて17日間も海を泳ぎ、世界の注目を集めた。そのタレクアを再び悲劇が襲ったのは、2024年の暮れのこと。クリスマスの少し前に、新しいメスの赤ちゃんがいることが初めて確認されたが、年が明けるのを待たずに子どもはまた死んでしまった。

 死んだ仲間を運ぶという行動は、ほかの海洋哺乳類でも報告されている。しかし、2018年のタレクアのように、子どもを運んで1600キロメートルもの距離を移動した例は珍しい。死体を運んでいては狩りをすることもできないため、危険な行為でもある。

 研究者たちは、今回も十分に食べることができないのではと心配しているが、米クジラ研究センターの主任研究員であるマイケル・ワイス氏によれば、タレクアのそばには息子のフェニックスと妹のキキがついているという。2018年にはタレクアの母親が同じように付き添っていたが、その後母親は死亡した。今回は、キキが家族とエサを分け合っていることが確認されている。

 今のところ3頭はゆっくりと移動し、群れからわずかに離れているが、まだ群れの音が聞こえる範囲内にはいると、ワイス氏は言う。

 3頭の動きが遅いのは、死んだ子どもの体の重みと、水中でそれを運んでいるせいもあるだろうが、タレクアの悲しみの表れである可能性もある。ワイス氏は、タレクアの本当の感情を知ることはできないと話す。

「シャチの母親と子どもの絆は、驚くほど強いものです。社会的な絆として、これ以上はないと言ってもいいでしょう。J35は、まだ子どもと別れる準備ができていません。現時点で彼女の感情の状態について私たちが解釈できること、またそうする必要があるのは、そこまでだと思います」

 2018年6月号の学術誌「Zoology」に発表された論文は、さまざまなクジラ類の種が示す死んだ仲間に対する反応を研究し、死んだ子どもを運ぶのは蘇生させようとしているからではないかと示唆した。また、母子の絆の強さから、母親が子どもの死を悲しんでいる可能性もある。

「とても心配」なペースの赤ちゃんシャチの死

 タレクアが属している「サザンレジデント」と呼ばれる群れは、魚をエサとし、特にマスノスケ(キングサーモン)を好んで食べる。ところが、マスノスケが近年減っているせいで、群れの出生率が低下し、個体数は減少している。サザンレジデントは、北太平洋東部の定住型シャチのうち、南部に生息する群れだ。

「妊娠しないとか、妊娠を継続できないというわけではありません。妊娠後期での問題や死産だったり、生まれてすぐ死んでしまったりするのです。野生では赤ちゃんが死ぬのはよくあることですが、サザンレジデントではそのペースが速いのでとても心配です」とワイス氏は言う。

 タレクアが再び子どもを失ったことは、地元米ワシントン州の先住民族であるルミ族にとっても悲しい出来事だった。ルミ族の団体「ソシロ」の共同代表を務めるカート・ルッソ氏によると、ルミ族は数千年前からサザンレジデンツと交流を持ち、群れを親族のように思ってきたという。

「サザンレジデンツは『スカリチャハ』と呼ばれる一族です。それが彼らの名前です。単なる動物ではなく、われわれの親戚なのです。親戚の子どもたちが無意味に死んでいっているのです」

https://news.goo.ne.jp/article/natgeo/world/natgeo-0000Buez.html?page=1


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典型的な伝統とアイデンティティの領域について

2025-01-09 | 先住民族関連

 

VIWTNAM.VN 08/01/2025

 「典型的な遺産とアイデンティティについて」をテーマとした一連の活動は、少数民族の文化や習慣の紹介に貢献し、観光客を魅了しています。 観光、2024年の「民族グループの大団結 - ベトナムの文化遺産」週間に応えます。

ベトナム民族文化観光村管理委員会は、同ユニットが1月30日から11日まで「典型的な遺産とアイデンティティについて」をテーマに民謡や踊りの活動を紹介する活動を企画すると発表した。 料理、人々や観光客の習慣や伝統。

ハイライト活動は民族村の集合体で組織され、国民の偉大な団結の強さと地域社会における愛着、分かち合い、相互支援の伝統を称えます。

タイ族とヌン族の文化空間と(ターイ・グエン)、お尻(ハザン)、ナイフ(ハノイ)、ムオン (ホア・ブン)。ここの人々は、典型的なパフォーマンス、民謡、民俗舞踊、次のような民族音楽を演奏します。次に、タイ族とヌン族のティン音楽を歌います。ポンド投げ、竹馬、シーソーなど、観光客の参加と交流による文化体験。

タイのスプレッドダンスを来場者に紹介します。

ラオス、タイ、コームー民族の村を含む北部民族グループでの活動プログラムでは、タイ舞踊、羽根投げ、コームー族とラオス人の踊りなど、先住民族の文化伝統を訪問者に紹介します。

中央高原の民族グループの活動プログラムには、伝統楽器の演奏、民謡、民族舞踊、伝統的な民族楽器の指導などが含まれます。民俗ゲーム活動は観光客と民族コミュニティを結びつけ、相互発展のための交流、学習、連帯の精神を強化します。

クメールの村や信仰の場所での活動プログラムには、クメール民族(ソクトラン) ロー・ハッシュ、ロム・ヴォン、ラム・リューの文化的および芸術的遺産を紹介します...南西部地域の伝統的な衣装、工芸品、料理を紹介します...クメール上座部寺院、チャム族の塔の信仰と組み合わせたアクティビティ。

さらに、村のあらゆる民族グループの人々は、大団結祭りに呼応して、民族グループと観光客を結びつけ、先住民文化の紹介や宣伝を行う民謡や踊りの活動、民俗ゲームの組織を強化する予定である。相互発展のための団結を生み出します。

さらに、16 の民族コミュニティによる毎日および週末のアクティビティ、体験型観光プログラム、パン作りの紹介、観光客に提供するケーキのラッピング、民俗ゲームなどがあります。クメールのパゴダ、チャム塔の精神的な空間での祈りの活動...人々の文化、習慣、伝統を紹介するとともに、ベトナムの54の民族グループのコミュニティの「共同の家」での体験活動。

出典: https://dangcongsan.vn/van-hoa-vung-sau-vung-xa-bien-gioi-hai-dao-vung-dan-toc-thieu-so/tin-tuc/ve-mien-di-サンティンホアヴァバンサック-681982.html

https://www.vietnam.vn/ja/ve-mien-di-san-tinh-hoa-va-ban-sac/


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なぜトランプ大統領はグリーンランドを望んでいるのか、そして国民はどう考えているのか?

2025-01-09 | 先住民族関連

 

Njpw Fun ドナルド・トランプ次期大統領の息子、ドナルド・トランプ・ジュニアを乗せた航空機が2025年1月7日にグリーンランドのヌークに到着

ドナルド・トランプ次期米大統領は、デンマークが実効支配する北極圏グリーンランドを掌握する意向を繰り返している。

なぜトランプ氏はこのことについて話しているのでしょうか?そしてなぜ今?

グリーンランドってどこにあるの?

世界最大の島であるグリーンランドは北極に位置します。

世界で最も人口の少ない地域です。そこには約56,000人が住んでおり、そのほとんどが先住民族のイヌイットです。

領土の約 80% が氷で覆われているため、ほとんどの人々は首都ヌーク周辺の南西海岸に住んでいます。

デンマークの自治領であり、デンマーク軍と米軍の基地もあります。

経済は主に漁業に基づいています。デンマーク政府からの多額の補助金はGDPの約5分の1を占めている。

近年、レアアース鉱物、ウラン、鉄の採掘など、グリーンランドの天然資源への関心が高まっています。地球温暖化によりグリーンランドを覆う氷の一部が溶けるので、これらはより利用しやすくなるかもしれません。

グリーンランドの現状はどうなっているのでしょうか?

地理的に北米内に位置するグリーンランドは、約 300 年間、約 3,000 km (1,860 マイル) 離れたデンマークによって統治されてきました。

この島は 20 世紀半ばまで植民地として統治されました。この間、ほとんどの期間、この国は孤立し、貧しいままでした。

1953 年にデンマーク王国の一部となり、グリーンランド人はデンマーク国民になりました。

1979年の国内統治に関する住民投票により、グリーンランドが領土内のほとんどの政策を掌握することになり、デンマークは外交と防衛の主導権を保持した。

なぜグリーンランドが米国にとって重要なのでしょうか?

米国はグリーンランドに対する安全保障上の利益を長年維持してきた。第二次世界大戦中にナチスドイツがデンマーク本土を占領した後、米国はグリーンランドに侵攻し、領土全域に軍局とラジオ局を設置した。

戦後、米軍はグリーンランドに残りました。ピトゥフィク宇宙基地は、以前はトゥーレ空軍基地として知られ、それ以来米国によって運営されています。

1951年、デンマークとの防衛協定により、軍事基地を建設し維持する権利を含む領土防衛における重要な役割が米国に認められた。

デンマーク王立防衛大学のマーク・ジェイコブセン准教授は、「ロシアが米国に向けてミサイルを発射した場合、核兵器の最短ルートは北極とグリーンランドを経由することになるだろう」と述べた。

「だからこそ、ピトゥフィク宇宙基地は米国を守る上で非常に重要なのです。」

北極研究所の論文によると、中国とロシアは近年北極での軍事力を増強し始めている。同紙は米国に対し、ライバルに対抗するため北極圏での存在感をさらに高めるよう求めた。

水曜日、デンマークのラース・ロッケ・ラスムッセン外相は、デンマークは米国との協議に前向きであると述べ、米国はこの地域で「正当な」利益を持っていると付け加えた。

「我々はロシアが武装しているのを見ている。中国も同様に関心を持ち始めていると見ている」とラスムセン氏は語った。

ジェイコブセン氏は、トランプ大統領はグリーンランドの広大な陸地全体にわたる採掘の可能性にも興味を持っている可能性が高いと付け加えた。

「今日、特に興味深いのは、グリーンランド南部にあるがまだ採掘されていないレアアース鉱物です。これらは、携帯電話から風力タービンに至るまで、あらゆる種類の技術において非常に重要です。」

米国はグリーンランドの完全支配を望んでいるのか?

トランプ大統領は、グリーンランドの支配は米国の国家と経済の安全保障にとって不可欠であると主張した。

次期大統領の発言は異例に見えるかもしれないが、1世紀以上にわたり、歴代の米国大統領はグリーンランドの支配権を獲得しようとしてきた。

「米国はデンマーク人をグリーンランドから追い出し、米国の一部として引き継ぐか、少なくともグリーンランドの安全保障を完全に守らせようと何度か試みてきた」と、著書の著者ルーカス・ワーデン氏は語る。 北66度、北極の安全保障に関するニュースレター。

1867年、ロシアからアラスカを購入した後、米国国務長官ウィリアム・H・スワードはデンマークからグリーンランドを購入する交渉を主導したが、合意には至らなかった。

1946年、米国は国家安全保障にとって重要であると判断し、この領土に1億ドル(現在の12億ドルに相当、9億7千万ポンドに相当)を支払うと申し出たが、デンマーク政府は拒否した。

トランプ氏は1期目の任期中にグリーンランドを購入しようとしたこともあった。デンマークとグリーンランド政府はともに「グリーンランドは売り物ではない」として2019年の提案を拒否した。

ピトゥフィク宇宙基地は、以前はトゥーレ空軍基地として知られ、第二次世界大戦以来米国によって運営されてきました。

グリーンランドの人たちはどう思っているのでしょうか?

グリーンランド議会イナツィサルトゥット議員のクノ・フェンカー氏は水曜日、トランプ大統領のコメントを脅威とは見ていないと述べた。

グリーンランドの独立を支持するフェンカー氏はBBCに対し、主権を有するグリーンランドは防衛面で米国と協力することを選択する可能性があると語った。

しかし、2019年にトランプ大統領がグリーンランド購入の考えを初めて提起したとき、多くの地元住民は BBCに語った 彼らはその提案に反対した。

「これは非常に危険な考えだ」とグリーンランド東部のタシーラクで生まれ育ったツアーオペレーターのディネス・ミカエルセン氏は語った。

グリーンランド初の女性首相アレカ・ハモンド氏は、「彼は私たちを自分が買える商品のように扱っている」と語った。

「彼はグリーンランドとすら話していない。グリーンランド購入についてデンマークと話しているのだ。」

 1月 8, 2025 から 翼大代 -

https://www.njpwfun.com/ニュース/73454/なぜトランプ大統領はグリーンランドを望んでい/


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ハワイ先住民事務局がカカアコの海側の住宅開発のための新計画を提案

2025-01-09 | 先住民族関連

 

ハワイに住むnet 2025.01.08

ハワイ先住民事務局(OHA:Office of Hawaiian affairs)がアラモアナ通りの海側にあるカカアコの31エーカーの土地に1000から2000件の住宅を建築する新しい計画を提案している。

OHAはネイティブハワイアンの利益を促進するために設立されたハワイ州のハワイ州の機関。2012年、OHAは州議会の承認を受け、カカアコ・マカイの31エーカーの土地を200百万ドル相当の州政府からの未払収益の部分的な和解として受け入れることに同意した。カカアコの海側はハワイ州コミュニティ開発庁(HCDA)によって40ねんに渡り管理されている200エーカーの埋立地で、OHAの所有する31エーカーもその一部となっている。

2006年、HCDAが提案した民間開発プロジェクトを阻止するために、ハワイ州議会はこの地域での住宅利用を禁止する法案を可決した。このプロジェクトは、ホノルルのアレクサンダー&ボールドウィン社の提案による3つの高層コンドミニアムタワーや円形劇場レストランなどを含む大型の開発計画であったが、地域住民や活動団体の反対を受け、この計画は撤回され、禁止法が成立したと言う背景がある。
OHAは長年に渡りこの土地の1部で住宅利用を認める法案を何度も提案してきたが、何度も市議会によって否決されてきた。

今回の計画では、OHAが所有する9つの価格のうち5つで住宅利用を提案しており、1部では建物の高さ制限を200フィートから400フィートルに引き上げる計画も含まれている。

この計画では、建設される住宅の50%以上をオアフ島の中間所得の140%を超えない世帯向けに提供し、自ら住むことが求められ、教育、医療、法執行、ホスピタリティ、建設といった「重要」分野で働木、5マイル以内に職場がある人を優先するなど、ハワイ州の住宅問題にアプローチする計画となっている。市場価格で販売される住宅からの収益は、この地域に計画されているハワイ文化センターやケワロ港小型船ハーバー沿いの公共ウォーターフロントプロムナードといった開発計画の他の要素に資金を提供する予定である。

https://www.hawaiinisumu.com/news/4220


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トランプ氏「メキシコ湾をアメリカ湾に改名する」と発言。理由を「我々のものだから」と主張

2025-01-09 | 先住民族関連

 

ハフポスト 1/8(水) 13:02

アメリカのドナルド・トランプ次期大統領が1月7日、「メキシコ湾」を「アメリカ湾」に改名する意思があると記者会見で発言した。

【動画】「メキシコ湾」を「アメリカ湾」に改名すると発言するトランプ氏

トランプ氏は、その理由を「我々のものだから」と主張している。

メキシコ湾は北側はアメリカ、南と南西部はメキシコ、南東部はキューバに接している。

この海域は、スペインの入植者によって1540年代に「メキシコ湾」や類似の名称をつけられ、今日まで使われ続けている。

しかしトランプ氏は「この場所で仕事をしているのはほとんど我々であり、我々のものだ」と主張。

「メキシコ湾の名前をアメリカ湾に変更する予定だ。この名前には多くの領土をカバーする美しい響きがある。アメリカ湾――なんて美しく、ふさわしい名前だ」という持論を展開した。

トランプ氏の発言後、共和党のマージョリー・テイラー・グリーン連邦下院議員はメキシコ湾名称変更のための法案を提出すると発表した。

トランプ氏による名称変更が、アメリカとメキシコ間の海上境界線に影響を及ぼすことはないだろう。また、トランプ氏はメキシコ湾を「我々のものだ」と主張したが、どの国も国際水域を所有することはできない。

さらに「メキシコ湾」という名前と関連する資産の修正や削除に、数百万ドル規模の費用がかかる可能性がある。

メキシコ湾の名称変更を提案したのは、トランプ氏が最初ではないものの、本気で変えようとする動きは初だ。

2012年には、民主党のミシシッピ州議会議員(当時)スティーブン・ホーランド氏がメキシコ湾をアメリカ湾に変更する法案を提出している。

しかしホーランド氏は後に、法案提出はメキシコ出身者に敵対的な共和党議員を風刺するためだったと説明している。

アメリカは2010年に、メキシコ湾で大規模な原油流出事故を起こしている。

この事故では、BP社の掘削リグ「ディープウォーター・ホライズン」が爆発・炎上し、石油産業史上最大の原油流出が起きた。この大規模な事故と災害があったにも関わらず、トランプ氏は前回の大統領任期中に、原油流出を防ぐための規制を緩和している。

トランプ氏は12月には、北米最高峰の山「デナリ」を「マッキンリー」に改名するとも発言した。

この山は2015年まで、第25代大統領のウィリアム・マッキンリーにちなんでマッキンリーと呼ばれていた。

しかしバラク・オバマ大統領(当時)がアラスカ先住民の強い意向を受け入れ、先住民族の言葉で「高いもの」を意味するデナリに変更した。

トランプ氏はこの変更について「マッキンリー山から彼の名前を取り去った。彼は偉大な大統領だった」と支持者に向けた演説で述べ、2度目の大統領就任後にマッキンリーの名前を復活させる意向を示した。

https://news.yahoo.co.jp/articles/33b8fc16e1b33b89ffb08fe29a9e3f8c4dbbc1f9


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バイデン氏、二つのナショナルモニュメント新設-レガシー作り急ぐ

2025-01-09 | 先住民族関連

 

TBS CROSS DIG 2025.01.08 12:55

Skylar Woodhouse

ペインテッドキャニオン(チャクワラ・ナショナルモニュメント内)

(ブルームバーグ):バイデン米大統領はカリフォルニア州の土地84万8000エーカー(約3400平方キロメートル)を保護する二つのナショナルモニュメントを新設すると、ホワイトハウスが7日発表した。

トランプ次期大統領の就任を20日に控え、バイデン氏が打ち出したチャクワラ、サティラハイランズ両ナショナルモニュメントの創設は自身のレガシーを確固たるものとするための新たな取り組みだ。

ホワイトハウスのファクトシートには、「バイデン大統領は就任以来、米国史上最も野心的な環境保護計画を迅速に進め、アメリカ・ザ・ビューティフル構想を通じて、2030年までに米国の土地・水域の少なくとも30%を保護するという大胆な目標を設定し、その実現に向けて取り組んできた」と記されている。

チャクワラ・ナショナルモニュメントはジョシュアツリー国立公園のすぐ南に位置し、約600マイル(約966キロメートル)にわたって広がる米本土最大の保護区域となる。

また、カリフォルニア州北部のサティラハイランズ・ナショナルモニュメントは、多様な生物が生息する22万4000エーカー強の土地をカバーし、モドック国有林とシャスタトリニティ国有林、クラマス国有林の一部が含まれるという。

アメリカ先住民部族や環境保護活動家、議員の一部はこれらの土地を先住民に敬意を表するナショナルモニュメントに指定するよう求めていた。

原題:Biden Protects 848,000 Acres With Two New National Monuments (1)(抜粋)

--取材協力:Meghashyam Mali.

もっと読むにはこちら bloomberg.co.jp

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/withbloomberg/1654774?display=1


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ケ・ド・ラ・フォトでのアボリジニ・コミュニティに関する無料写真展「トリビュート

2025-01-09 | 先住民族関連

 

SORTIRAPARIS 2025年1月8日午後06時51

プログラム「Rendez-vous en terre inconnue」の編集長であり写真家でもあるFranck Desplanquesが、先住民との最も印象的な出会いを振り返る。2025年1月10日から2月28日まで、Quai de la Photoにて無料写真展を開催。

旅、出会い、ドキュメンタリーの20年:Franck Desplanquesが世界中で撮影した写真を、2025年1月10日から2月28日までQuai de la Photoで開催される無料の 写真展で発表する。テレビ番組「Rendez-vous en terre inconnue」の編集長である彼は、先住民のコミュニティに会いに行き、彼らの生活様式、知識、日常生活を不滅のものにした。

Hommage』展では、アートとドキュメンタリー報道の境界線を行き来する約100点の写真が一堂に会する。グリーンランド、インドネシア、エチオピア、ネパール、コロンビア......あらゆる大陸で、フランク・デスプランクは、今日の大規模な社会から切り離された伝統と生活様式を守り続ける、自然に近いコミュニティに身を置いてきた。

このフランス人写真家は、陳腐な表現から脱却し、これらのコミュニティのより本格的な姿を見せたいと願い、彼らの日常生活を追いかけ、より強い感情、思いがけない瞬間、独特で特異な文化的慣習を撮影してきた。

この展覧会では6つのコミュニティが紹介され、地球上の文化の豊かさと多様性、そしてそれらを忘れ去った世界で生き残るために奮闘しているこれらの違いを保護し、保存する必要性が強調されている。

フランク・デスプランクはモノクロで写真を撮り、色もレタッチした。コントラストと赤外光で遊ぶことによって、作家はメンタワイのシャーマンが森と自然を見る方法を再現したかった。それは、彼らの世界観をよりよく理解するために、先住民の立場に立つ方法なのだ。

いくつかの写真には、撮影された人々の証言が添えられており、体験に深みと信憑性を与えている。この 無料写真展で、その魅力を発見してください。

開催日および開催時間
から 2025年1月10日 へ 2025年2月28日

所在地
ケ・ド・ラ・フォト
22 Port de la Gare
75013 Paris 13

ルートプランナー

料金表
無料

公式サイト
quaidelaphoto.fr

https://www.sortiraparis.com/ja/pari-de-otozurerubek-mono/yenji-kan/articles/323169-ke-do-ra-fotodenoaborijini-komyunitini-guansuru-wu-liao-xie-zhen-zhan-toribyuto


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純白の砂漠や砂岩が輝く古代遺跡etc.、2025年に訪れたい世界の絶景スポット10

2025-01-09 | 先住民族関連

 

GQ  2025年1月8日 By 熊野由佳

アメリカ・ネバダ州のカラフルな岩山、ニューメキシコ州の純白砂漠、そしてニュージーランドの神秘的な鍾乳洞など。一生に一度は訪れたい、世界各地の絶景スポットをフューチャー。2025年の旅計画を早速立ててみては?

ムーカンチャイ(ベトナム)/世界一美しい棚田に会いにいく

山の斜面に整然と階段状に並ぶ、その美しい姿が人々を魅了する棚田。少数民族モン族が人口の9割を占めるベトナム北西部の田舎町ムーカンチャイを一躍有名にしたのも、コンデナストトラベラーが「世界の最も美しいスポット50選」に選んだのも、この棚田だ。春先は水の張られた田が巨大な鏡となって輝き、初夏には黄緑色だった若芽が色鮮やかな緑の稲に成長し、稲穂がたわわに実る秋には辺りが黄金色に染まる。稲の成長と共に表情を変える景色は、日本人の懐かしい故郷の原風景と重なる。

フライガイザー(アメリカ)/砂漠の中に佇むアートのような岩山

アメリカ合衆国ネバダ州北部のブラックロック砂漠に突如現れる、摩訶不思議な岩のアート。1960年代に地熱エネルギー会社が試掘したが、事業化できずに埋め戻したところ、水圧に耐えかねて温水が噴き出した。巨大な円錐体群は、その中に含まれる炭酸カルシウムが凝固したもので、50年以上経った今も勢いは衰えることなく、複数の噴出口から熱湯を吹き出し続けている。温水中の鉄などの金属や好熱性の藻類によって黄色やオレンジ、赤や緑など強烈な色彩をまとい、美しくも奇怪な姿へと変貌遂げた。

ペトラ遺跡(ヨルダン)/映画のロケ地としても有名なヨルダンの秘宝

紀元前1世紀頃に、この地に移り住んだナバタイ人が残したピンク色の古代都市。シークと呼ばれる断崖絶壁の間の隠れ道をたどっていくと、岩を彫って造られた圧倒的な迫力のエル・カズネが突然姿を現わす。ギリシャの神々の緻密な彫刻が施された遺構には、宝物殿という名前が付けられているが、実際には人智によって水を操り、砂漠を豊かな都市へと変えたナバタイ王の墓だと考えられている。映画『インディー・ジョーンズ・最後の聖戦』のロケ地としても知られ、その荘厳な姿が好奇心と冒険心を掻き立てる。

地獄の門(トルクメニスタン)/直径90m!50年以上燃え続ける巨大クレーター

トルクメニスタンの首都アシガバードから北に約260キロ離れたカラクム砂漠にある、灼熱の炎を上げる直径90mの巨大クレーター。1971年に地質学者たちが天然ガスの充満した洞窟を発見したが、掘削中に崩落。有毒ガスの放出を食い止めるために点火したところ、地下から吹き出す可燃性のガスのために、50年以上過ぎた現在でも燃え続けている。2024年10月にはトルクメニスタンの国営企業が、この地域で天然ガスを採取する計画を発表。温室効果ガス削減の動きもあり、地獄の門が燃え続けられるのもあと数年かもしれない。

トーレス・デル・パイネ国立公園(チリ)/壮大なパタゴニアの大自然を体感

パタゴニアの南西部にあり、3,000m級の高山から、複雑に入り組んだフィヨルド、ターコイズブルーの氷河湖、多様な植物が生息する森林まで、圧倒的な自然の美しさと厳しさが共存する世界。ここを訪れた際にぜひ泊まりたいのが、公園の入り口にあり、流線形の建物が特徴のラグジュアリーホテルティエラ・パタゴニア」だ。周囲の自然と調和するようにパタゴニアの天然木とガラスで構成され、大きな窓には公園名の由来でもある3本の険しい岩峰トーレス・デル・パイネが見事な姿を披露する。

ルム採石場(エストニア)/澄んだ湖と廃墟と化した採石場のコントラスト

透き通った湖と、その中に半分沈んだ今にも崩れそうな廃虚。そのコントラストが見る者に不思議な感覚を呼び起こす。もともとは旧ソ連時代の石灰岩の採石場跡で、刑務所が運営し、働き手は受刑者たちだった。採掘が中止になり、水を汲み上げていたポンプが止まると、大量の水があふれて一帯は湖に。夏はペダルボートやSUPボードのレンタルもあるが、水中に有刺鉄線などの残骸があり、水泳はあくまでも自己責任。近くにあった刑務所も既に閉鎖されているが、音声ガイド付きのセルフツアーがあり、廃墟の歴史を紐解くことができる。

ラップランド(スカンディナビア半島)/ヨーロッパ最北の地でオーロラを

Paolo Graziosi

スカンディナビア半島北部からロシアにまたがる、先住民のサーミ人が住むヨーロッパ最北の地。夏は太陽の沈まない白夜になり、冬は一転して、カーモスと呼ばれる日の昇らない極夜が続く。雪と氷に覆われる北極圏の秘境では、夏の終わりから翌年春にかけて、一生に一度は見ておきたい自然の神秘、オーロラに出合える確率が格段に上がる。幻想的な光を放ちながら大空を舞う姿を、ラップランドでは1年のうち約200夜、空が澄んでいる日には2分の1の割合で観察できるのだ。

ホワイトサンズ国定公園(アメリカ)/どこまでも純白な砂漠が創り出す2つの絶景

アメリカ・ニューメキシコ州のトゥラロサ盆地にある、世にも珍しい純白の砂漠。日中は青空を背景に、風が描き出す白砂の波紋が陽光を浴びてキラキラと煌めき、夕刻には沈みゆく太陽が砂漠一帯をオレンジ色に染めていく。白砂の正体はアラバスターと呼ばれる雪花石膏で、周囲に川や海がないため、石膏が溶けて流れ出さずに盆地にとどまり、長い年月をかけて風化・浸食されたもの。日中でもさほど熱くならず、素足で砂の台地を踏みしめることも可能だ。

ワイトモ洞窟(ニュージーランド)/洞窟を埋め尽くす無数の光の正体は?

オークランドから車で2時間半ほどのニュージーランド北島のワイカト地方にある巨大な鍾乳洞。その名は、先住民族のマオリ族の言葉で水「ワイ」と洞窟「トモ」から。地下を流れる川と天井から落ちる水滴が、数千年の時をかけて作り上げた洞窟の中で、無数に煌めく青白い光。一度見たら脳裏に刻まれるこの幻想的な光の主は、実はツチボタルと呼ばれる、オセアニアだけに生息するヒカリキノコバエの幼虫だ。正体はともあれ、暗闇の中で繰り広げられる神秘的な光のショーは得も言われぬ美しさだ。

シシーギリヤ・ロック(スリランカ)/狂気に取りつかれた王が残した空に浮かぶ王宮

密林にそびえる巨岩の頂上に築かれた要塞は、5世紀後半に実の親を廃して王位に就いた狂気の王、カッサパ1世が残した天空の城。500人もの愛妃と沐浴を楽しんだといわれる「水の庭園」をはじめ、その愛妃たちだとも、インド神話に出てくる天女だともいわれる鮮やかな色彩の美女のフレスコ画、頂上近くに鎮座する守護神のような巨大ライオンの足の像など、栄華を極めた王朝を偲ばせるヘリテージが見る者の心を惹きつける。約1,200段のスリリングな階段を登り切った先には、遥かかなた地平線まで続くジャングルの一大パノラマが待っている。

文・熊野由佳  編集・橋田真木(GQ)

https://www.gqjapan.jp/article/world-spectacular-view-spots


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女性写真家たちが捉えた抵抗する者たちの姿

2025-01-09 | 先住民族関連

 

BAZAAR 2025/01/08 BY KAZUMA OBARA

政情不安、抑圧された社会、歴史に置き去りにされた人々……こうした問題に各地で向き合う女性写真家たちがいる。彼女たちのカメラから響くシャッター音は、世界に届く。

(写真)

レバノンの混乱の渦中に飛び込み、果敢に撮影するミリアム・ボウロスの作品。臨場感にあふれた写真からは抗議の声が聞こえてくるようだ。

(写真)

19世紀初頭に初めてカメラ装置が発明されて以降、「写真」と「戦争」は常に切り離せない関係を続けてきた。その歴史は発明直後の19 世紀中ごろまでさかのぼり、ひとたび写真によって戦争が伝えられると、それまで絵画で英雄的に描かれてきた戦争像の転換がもたらされた。多くの人間が写真の影響力の強さに気づき、戦時下においては、国家をはじめとする権力のプロパガンダとして写真が用いられた。

一方、カメラ装置の小型化と汎用機の普及が進むと、民衆たちの手による戦争の記録が、強大な力を持つ既存の秩序をおびやかし始めた。

写真は、虐げられた人々の武器となり、写真家は権力と対峙しながら、それを世界に公表することで抵抗する手段として用いてきた。写真の歴史はまさに弱者にとっての抵抗の歴史ともいえる。現在、その抵抗は新たな段階へと可能性を広げている。

これまで戦争を扱う報道写真の多くは西側諸国の男性写真家によって撮影され、先進各国の巨大メディア資本はきわめて男性中心主義的な構造の中で、報道する内容に優劣をつけてきた。

しかし、SNSによるメディアの多チャンネル化は、戦時下で弱い立場にある女性や少数民族・性的マイノリティの写真家たちの作品を日々、世界中に拡散し続けている。今、アフリカで、中東で、アジアで、世界各地に数万人のフォロワーを持つローカルの女性写真家たちが、逮捕や拘束、そして文字通りの命のリスクを背負いながら、既存のメディア体系では伝わらなかったさまざまな社会課題について表現を続けている。

彼女たちは、世界中の同様の問題意識を持つ女性写真家たちとつながり、課題を共有し、撮影助成のための基金を立ち上げ、次世代のための教育プログラムを実施している。彼女たちが伝える戦争の断片は、必ずしも戦闘の惨状を写しとっているわけではない。それらは軍事独裁政権で抑圧される女性の日常であったり、民族紛争で土地を奪われた母親の記憶であったり、これまでの戦争像に新たな一面を与える写真ばかりである。

それは、戦争がもたらす不条理へのあらがいであると同時に、自分たちの奪われた尊厳を回復する行為である。そして、権威を権威だと感じずに生き続けている既存の秩序への警鐘である。

変革を求める民衆のうねりのなかで/ミリアム・ボウロス(Myriam BOULOS)

レバノンの首都、ベイルートを拠点に活動するミリアム・ボウロスが写すのは、抑圧され続ける女性の主体性である。2020 年、長年の政治腐敗がもたらした経済危機に対し、市民たちによる大規模な反政府デモは警察と衝突する大きな暴動に発展した。

そこには、さまざまな権利が認められていない多くの女性たちの姿もあった。ボウロスは撮影を続けながら2022年3月にコアメンバーの一人となってレバノン人の女性メンバーによって作られるヴィジュアル雑誌『AlHayya』を創刊した。女性に関するコンテンツが男性によって検閲・管理される国で、女性たちの物語を自らの手で編んだ。雑誌はイギリスでプリントされ、それは全世界へと送り出されている。

(写真)

国境をシリアとイスラエルに隣する中東の国、レバノンの惨状と革命の瞬間を内側からの視点で記録する。「個人的なことは、必然的に政治的でもあると感じている」というボウロスは撮影することで革命に参加し、混乱と抗議のなかにある美しい瞬間を、直感的でエネルギッシュに、親密さを持って写し出す。

MYRIAM BOULOS
ミリアム・ボウロス:1992年、レバノン生まれ。2015年にレバノン美術アカデミーで写真の修士号を取得。NYの国際写真センターやオランダのハウス・マルセイユ写真美術館などのグループ展に参加。2021年にマグナム・フォトの一員に。2023年、初写真集『What's ours』で、ユージン・スミス・フェローシップ賞受賞。

ヒジャブから覗く少女たちの素顔/サビハ・チマン(Sabiha ÇIMEN)

西側諸国によってイスラム教徒のスカーフ(ヒジャブ)は女性を抑圧するシンボルとして描かれがちである。ときにそれは自立性のない単純化された女性像として描写されることさえあった。そんなスカーフを身につけるコーラン学校の少女たちの姿を親密な写真で記録したのが、トルコのイスタンブール出身で自身も同校に通っていた写真家、サビハ・チマンである。

3年の歳月をかけて記録された写真には、厳しい規律の合間に見せる少女たちの豊かな表情と振る舞いが描かれる。「彼女たちは布の間から見える一部分よりも、もっともっと大きな存在です」。チマンの写真は、外部に固定化されたイメージを拒否し、その対象の見えない一面を優しく、そして、力強く提示する。

(写真)

ルコでは10代のイスラム教徒の若者たちが、聖典であるコーランを暗記するための学校が男女別で多数存在する。本作《Hafiz》は、チマンが少女たちの心に共感しながら、厳格な規律がありながらも男性の支配や社会的圧力のない環境のでなか自分自身と向き合い、成長していく姿を詩的にとらえたシリーズだ。

SABIHA ÇIMEN
サビハ・チマン:1986年、トルコ、イスタンブール生まれ。イスタンブール・ビルギ大学で国際貿易と金融を専攻し、同大学院で文化研究の修士課程を修了。 独学で写真を学び、2021年にRed Hook Editionsより刊行した写真集『Hafiz』が、ParisPhoto/Aperture Foundation PhotoBook Awardsを受賞。2024年にはマグナム・フォト正会員となる。

パキスタンの抑圧から普遍を描く/サラ・ヒルトン(Sara HYLTON)

女性や先住民族の権利、環境問題に関して世界各国で撮影するのは、カナダ人写真家のサラ・ヒルトンである。《The RisingVoices of Women in Pakistan》は、女性の選挙参加率が世界で特に低い国の一つであるパキスタンの女性を捉えたシリーズである。彼女は国内の異なる慣習を持つ異なる地域で活動する女性たちを見つめる。

進歩的・保守的、そして、立場を表明することさえかなわない状況でなんとか生き延びようとする女性たち。ヒルトンはそれらの女性たちを敬意を持って並列して提示する。彼女はそれぞれの違いを越境しながら、それぞれの地域で点在する問題を線としてつなげていく。それは、世界中の同様の構造を持った問題へもつなぎ合わされ、より普遍性のある作品として世界へ発信されている。

© SARA HYLTON

パキスタンの保守的で家父長的な規範により女性は家庭に追いやられ、特に農村部では、身分証明書を持たずに自宅にこもって暮らす女性も多くいる。法改正で女性有権者の数は増えたが選挙参加率は世界でも特に低い。パキスタンの女性たちは計り知れない危険に直面しながら自分たちの権利のために闘う。

SARA HYLTON
サラ・ヒルトン:カナダ生まれ。ブルックリンを拠点に活動するフリーランスの写真家。国際写真センターを卒業後、キングス・カレッジ・ロンドンで修士号を取得。ナショナルジオグラフィック協会に所属し、マグナム財団やピュリツァー危機報道センターなどから支援を受けている。2018年には、カナダの先住民女性の失踪・殺人事件に関する作品でナショナル・マガジン・アワードを受賞。

日本人妻たちの生きた証しを/林 典子(Noriko HAYASHI)

(写真)

林典子は北朝鮮に住む日本人妻の撮影を2013 年に開始した。1959~1984年、日本政府と赤十字は在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業を行った。そのなかには朝鮮半島にルーツを持つ男性と結婚した約1800 人の日本人女性も含まれていた。そのほとんどは、現在に至るまで日本に一度も里帰りすることがかなわないままだ。

林は彼女たちと何度も会い、話を聞き、日本の故郷を訪れ写真に残した。大型プリントで北朝鮮に持ち込まれた故郷の写真を前に彼女たちは、笑い、触れ、正座をして臨んだ。「北朝鮮」という固定化された像に対し、写真は外的な力に翻弄され続ける一人ひとりが生きてきた時間を刻み、私たちが見落としている個の像を描く。

(写真)

すでに高齢の日本人妻たち。写真の2人は60年間に一度だけ数日の帰国が許された。林が泊まったホテルは新潟から北朝鮮に入国した彼女たちも必ず滞在した港にある。林はそのうちのひとりの故郷の海辺の写真を印刷して、北朝鮮の海辺に飾って見せた。

NORIKO HAYASHI
林 典子:1983年、神奈川県生まれ。国際政治学、紛争・平和構築学を専攻していた大学時代に西アフリカのガンビア共和国を訪れ、地元新聞社『The Point』紙で写真を撮り始める。「ニュースにならない人々の物語」を国内外で取材。ロンドンのフォトエージェンシー「Panos Pictures」所属。

平穏な写真ににじむ深い心の傷/エティノサ・イヴォンヌ(Etinosa YVONNE)

アフリカ北西部に位置するナイジェリアでは、深刻な貧困による社会の不安定化で過激派グループによる殺人、誘拐、自爆テロが頻発している。ナイジェリア出身のエティノサ・イヴォンヌが撮影するのは、そんな残虐行為から生還した人々の姿である。

一見すると社会復帰できたかのように見える生存者たちの多くが、他者には見えないPTSD(心的外傷ストレス)による深刻な心の病に苦しみ続けている。彼女は5年にわたり国内をめぐり、70人以上を撮影してきた。静的なポートレイト写真にナイジェリアの風景動画と音声を重ね合わせたマルチメディア作品は、それぞれの脳内で望まずとも存在し続ける彼らのトラウマ的記憶とその影響を想像させる。

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《It’s All in My Head》はテロや紛争の生存者たちのトラウマと回復に焦点を当てたシリーズ。イメージとともに並ぶ手書きの文字には彼らが実際に経験した暴力の数々がつづられている。取りこぼされてしまいがちな生存者の心の穴に目を向けることで、心理社会的支援の必要性とその拡大を訴えかける。

ETINOSA YVONNE
エティノサ・イヴォンヌ:1989年、ナイジェリア生まれ。独学で写真を学び、文化や宗教、伝統、環境、人間心理、社会的な抑圧などをテーマに作品を制作している。これまでに世界各地で展示を開催。《It's All in My Head》のプロジェクトは、WomenPhotograph、Art X、ナショナルジオグラフィック協会から助成金を受け制作された。

匿名で発信する新世代の告白者/タ・ムウェ(Ta MWE)

50年以上も続く軍事独裁の末に民主政権を樹立したミャンマーでは、2017年には女性だけの写真家グループが組織されるなど、新たな取り組みが盛んに行われ始めていた。しかし、2021年に再び軍事クーデターが起こると、それに対する民衆デモは甚大な犠牲者とともに鎮圧され、軍政による暴力を伴う検閲が激化。

そんななか、民主的で自由なミャンマー社会の中で成人した今の若い世代は、新たな体制の中で静かな抵抗を始めている。同国出身の写真家、タ・ムウェは、SNSも駆使し、匿名で国内外への発信を続ける。過去の軍事クーデターをモノクロ写真の「歴史」として学び育ったムウィは、過去から連なる現在進行形の日々の出来事を同じ暗黒の時代の歴史の一場面として、モノクロ写真で表現する。

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2023年8月7日、ミャンマーのデモソ地区最前線の木陰で休むカレンニー民族防衛隊のポール・ドゥ19歳。ドゥは3日後、ミャンマー軍の砲弾により負傷した。

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2022年3月26日、デモソの遠隔地の村の墓地では、同じく19歳の自由戦士ソウ・カロス・セイの墓が確認された。

TA MWE
タ・ムウェ:ビルマ人ドキュメンタリー写真家。ミャンマーの政治情勢により、偽名を用いて活動している。ミャンマー全土の政治・社会問題を幅広く取材した経験を持ち、写真家、ビデオ作家、ビデオ編集者として国内外の出版物に長年携わった。これまでに、世界報道写真、ピクチャーズ・オブ・ザ・イヤー・アジアなどから賞を授与している。

選択の自由へのたゆみなき希求/フォローグ・アラエイ(Forough ALAEI)

法律によって女性の選択する権利を奪い、男性よりも低い地位に位置づけられたイランの女性たちは、厳しい服装規程のなかで、風紀を取り締まる道徳警察に拘束されてきた。イランのテヘラン出身、フォローグ・アラエイが記録するのは、抵抗する女性たちの行為そのものである。男性のみが入場を許されるサッカー男子の試合を見るために、ある女性は男装をしてスタジアムへと潜り込んだ。

そして、アラエイ自身もまた、記録のために男装をして撮影に臨んだ。2022年、スカーフのかぶり方が不適切だとして逮捕されたイラン人女性、マフサ・アミニが勾留中に急死する事件が起きた。それは、女性たちによる歴史に類を見ない大規模な警察への抗議デモへとつながり、複数が命を落とした。今もなお、選択の自由を求める女性たちの抵抗は続く。

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イスラム革命防衛隊の5つの部隊のひとつであるバシイの女子学生たちが、ビーチでヒジャブをかぶる選択の自由のために立っている様子。

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メイクアップアーティストが女性サッカーファンの顔にひげをつける。彼女はスタジアムに試合を見に行くことで逮捕される危険を冒している。ともに《Underneath the Calm Streets of Iran》シリーズより。

FOROUGH ALAEI
フォローグ・アラエイ:1989年、イラン生まれ。法律を学び、画家としても活動していたが、2015年に写真を始め、フォトジャーナリストとなる。主にイラン人女性を中心とした社会問題をテーマに作品を制作。2022年、イランで起きた「woman, life, freedom」運動に関するTIME誌の「Heroes of the Year」の表紙を飾った。

From Harper’s BAZAAR art no.2

https://www.harpersbazaar.com/jp/culture/arts/a62914075/rebellious-photography-250108-hbr/


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グラスゴー、スコットランドの過剰摂取危機の中心地に英国初の監視付き薬物使用サイトを開設

2025-01-09 | 先住民族関連

 

TW 2025/01/08  インヒョク

ジョー・ケネディはグラスゴー中心部の化学修道院から出て、冬の寒さを避けるためにジャケットのジッパーを閉めた。薬剤師から投与されたメサドンが彼の体を駆け巡った。

彼は仕事、家族、そして命近くを奪ったヘロインの常習をやめようと何年も努力してきた。しかし、依存症は根深く、友人がバリウムとして合法的に販売されているジアゼパムのパケットを持って彼に近づいてきたとき、彼は監督付きメサドンの処方箋を求めに来る小さな薬局のドアをかろうじて出た。彼女は彼に数錠の錠剤を勧めました、そして彼は熱心に受け入れました。

彼は以前は看護師として働いていましたが、鎮痛剤の入手が魅力的すぎることが判明し、解雇されました。その後、いとこが彼にヘロインを紹介し、52 歳になった今、ケネディ氏は何百人ものヘロインのうちの 1 人となっています。 ヨーロッパの過剰摂取首都グラスゴーの路上で暮らす麻薬使用者たち。 「私はこれを25年間続けています」とケネディ氏は語った。 「私には人生がなかったんです。それはただの存在です。」

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グラスゴーを流れるクライド川の岸辺では、捨てられた針や麻薬器具がよく見られます。

多くのグラスゴー住民と同様に、ケネディ氏も、人口63万5,000人のこの都市になぜこれほど根強い薬物問題があるのか 説明するのに苦労している。 「自分自身のことを知ればよかったのに」と彼は首を振りながら言った。 「私は長い間薬を飲んでいます。とても入手しやすいものだと思います。」

昨年、スコットランドでは薬物の過剰摂取により1,172人が死亡した。今年はその数がさらに増える見通しだ。人口当たりのスコットランドの薬物死亡率はイングランドの2.7倍、欧州連合の平均の10倍近く高い。グラスゴーほど危機が深刻な場所はありません。

危機に対処しようとする政府の取り組みは、薬物死亡の増加を遅らせることができていない。現在、最もリスクの高い利用者に手を差し伸べようとして、市の保健当局は英国初の監視付き施設を開設しようとしている。 注射部位。

依存症サービスを監督する市議会議員アラン・ケイシー氏は、「薬物による死亡者数はヨーロッパの中でも最も多く、同じことを続けてはいけないと分かっている」と語った。

グラスゴーの東側のほとんどどこを歩いても、薬物使用の量があまりにも明らかになります。使用済みの針が廃校の裏の歩道に並び、クライド川の岸辺の草に散乱している。主要なショッピングエリアでは麻薬使用者が金をせびり、店主は窃盗について苦情を言う。市当局が昨年路地に針廃棄箱を設置したところ、最初の6カ月で5000個の麻薬関連品を回収した。

「これまでで最悪だ」と、麻薬と長い間結びついてきた地域、トロンゲートのマンションに住む元警察官のベリンダ・プライスさん(57)は語った。プライスさんは定期的に人に会っていると語った 建物の階段、廊下、入り口に注射をします。麻薬の隠し場所をめぐる争いはよくあることであり、売人たちは公然と取引を行っている、と彼女は付け加えた。

「それは夜だけでなく、毎日、一日中です。とてもオープンだよ」と彼女は近所を少し散歩しながら言った。彼女はある街角で立ち止まり、誰かが過剰摂取で亡くなった場所を指さした。

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ベリンダ・プライスさんは、コンドミニアムに住んでいるトロンゲートで、麻薬危機による人的被害が周囲に広がっているのを目の当たりにしています。

スコットランド、特にグラスゴーがなぜなのかについては専門家によって意見が分かれている。 そうした薬物文化を育んできたのです。

大半は1980年代の産業空洞化を指摘しており、それが貧困レベルの急上昇と、1996年の映画で有名になったヘロインの流行の出現につながった。 トレインスポッティング。スコットランドの平均寿命は依然として英国の他の地域よりも低く、グラスゴーではさらに短く、男性は73.6歳、女性は78.3歳となっている。

市の より安全な薬物消費施設は、1月13日にオープンする予定である。この施設は、ヘロインの処方などの薬物治療プログラムを提供するトロンゲートの保健センター内に設置される予定である。

シスルとして知られるこの施設には 8 つの注射ブースがあり、毎日 12 時間使用できます。国民保健サービスの約 30 人のスタッフが待機し、その他の健康ニーズに対応し、カウンセリングを提供します。

このプロジェクトの承認を得るまでに、10年近くの議論と法的論争がかかった。昨年、スコットランドの主任法務官(実質的には主任検察官)が人々に監視付きの法律を利用できる道を切り開いたとき、当局はついにゴーサインを得た。 所持で起訴されることなく消費サイトにアクセスできます。

「それ自体は特効薬ではありません。これはより広範なケアシステムの一部です」と、このセンターを監督するグラスゴーのアルコールおよび薬物サービスの副メディカルディレクターであるサケット・プリヤダルシ博士は述べた。アザミは過剰摂取のリスクが最も高い人々をターゲットにします。 彼はこう付け加えた。 そして意志 街頭での公共注射を減らすことで地域社会に利益をもたらします。

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「私は人々をまともに扱うことに賛成です」とコミュニティ擁護者のパトリシア・フォートはシスルプロジェクトについて語る。

地元住民の反応はまちまちだ。

シスルを含む市の一部であるカールトンの自治会会長であるパトリシア・フォートさん(74)は、会員はおおむねこの施設を支持していると語った。 「私は人々を適切に扱うことに賛成です」と最近この地域を散策した際に彼女は語った。彼女は、センターが街路をより安全にし、薬物使用者を回復への道に導くのに役立つことを期待している。

しかし、68歳のリンダ・ワトソンさんを含む他の人々は、この施設がすでに問題を引き起こしていると述べた。麻薬使用者や売人がこの場所に引き寄せられ、売春、万引き、その他の犯罪が増加したと彼女は述べた。

「つまり、彼らは公然と街に出て、ただズボンを下ろして人々の前で発砲しているだけなのです。彼らはただ気にしません」と彼女は付け加えた。 「私たちが望んでいるのは、私たちの地域が清潔で家族にとって安全であることだけです。」

ワトソンさんは、シスル周辺でどれだけの警備が行われるかについても混乱があると語った。センターの擁護者らは警察に対し、人々がこのサイトを利用するのを妨げないよう慎重な対応を取るよう奨励している。しかし、ワトソンさんは、それが住民を脆弱なままにしていると語った。 「この施設からどのくらい離れたら取引で起訴されるのですか?」

ケーシー氏は、地元で広範な協議が行われていると述べたが、当局はシスルが地域社会に変化をもたらすことを実証する必要があると認めた。目標は「その地域をより住みやすい場所にすること」だと彼は語った。

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オンタリオ州には、トロントのケンジントン・マーケットにあるこの施設のように、監視下にある麻薬使用施設が23か所あるが、州はそのうちのいくつかを閉鎖する予定だ。フレッド・ラム/グローブ・アンド・メール

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BC州は監視下での薬物使用を許可した最初の州となった。ビクトリア州のこのサイトは認可されていない。医師らは州のいわゆる政治的無策に反対するために11月にこのサイトを設立した。チャド・ヒポリト/グローブ・アンド・メール

批評家らはまた、カナダでは監視付き消費サイトが20年前から存在しているが、現在は犯罪、社会的混乱、薬物使用の増加に対する懸念から反発に直面していると指摘している。

オンタリオ州はそのようなサイト10か所を閉鎖しようとしており、議論が行われている 他のところで成長している 依存症の治療ではなく、監視下での消費、注射針の交換、ヘロインの処方プログラムなどの危害軽減戦略に重点が置かれすぎていないかどうかについて各州に意見を求めている。

ケイシー氏はカナダでの議論を観察しており、センターの閉鎖は間違いであると信じている。 「これは一種の危険な後退を示しており、最終的に命を救い、地域社会を支援してきた公衆衛生政策に基づく長年の進歩を失い、逆戻りする可能性があると思います」と同氏は述べた。

アイルランド、スイス、オーストラリアを含むいくつかの国が新しいサイトを開設していると同氏は付け加えた。 「私たちは自分たちのやっていることは必ず成功すると信じています。」

しかし、麻薬危機の最前線で働いている人々の中にも、そのような見解を共有していない人もいます。

「どのような形であれ、問題に対処することはまったくありません。これはスコットランド政府が失敗を認めたことだ」とかつて麻薬中毒だったアンネマリー・ウォードさん(52)は語った。彼女はリハビリテーション サービスを提唱する非営利団体、Faces and Voices Of Recovery を設立しました。

市が寄付するのは少額のみ ウォード氏は、薬物治療予算の一部を人々の依存症からの脱却を支援するプログラムに充てると述べた。シスルを運営している人々は「依存症の専門家です。彼らは回復の専門家ではありません」と彼女は言いました。 「この 2 つは全く異なる学校です。両方が必要であることは承知しています。私たちはバランスを求めています。」

ストリートコネクトという慈善団体を共同設立したリッキー・マカドック氏はリハビリテーションの重要性を理解しているが、グラスゴーの問題の規模を考えると、 シスルは試してみる価値があると信じています。 「何か違うことを試さなければいけないと思う」と彼は憤慨しながら言った。

45歳のマカドック氏は麻薬危機を間近で見ており、長年にわたりその変化を見守ってきた。

彼はその一員です トレインスポッティング 1990年代にヘロインに夢中になった麻薬使用者の世代。彼の兄弟と3人のいとこも依存症になった。いとこのうち2人が過剰摂取で死亡した。彼は、一度の長時間の曲げの後に過剰摂取になるまで、7年間ヘロインとジアゼパムを断ったり断ったりしていた。その後、教会組織の助けで潔白になった。

彼は 15 年間薬物から解放されており、ストリート コネクトでは、路上で暮らす薬物使用者をサポートする 25 人のアウトリーチ ワーカーからなるチームを率いています。

しかし、彼ですらグラスゴーの麻薬の多さには驚いている。彼は最近、スタッフと一緒に外出したのですが、「大通りから5秒も経たないうちに小さな路地に目をやると、車のすぐ後ろで2人の女の子が股間に注射をしていました。別の男が針の入ったものを持って歩いて来た。」

選択される薬物はもはやヘロインではないと彼は付け加えた。コカインははるかに入手可能になり、安価になりました。しかし、それはさらに心配なことでもある。ヘロイン中毒者は1日2回使用する傾向がありますが、コカインを使用している人は毎日15回の注射が必要になる場合があります。 「彼らは常にコカインのこととそれを手に入れることだけを考えているので、それ以外のことは何も重要ではありません」と彼は言いました。

ストリートコネクトの全員がこの消費施設を支持しているわけではなく、自宅で発砲することを好み、自宅で死亡することも多い最も薬物中毒の常用者がこの施設を頻繁に利用するのではないかと多くの人が疑問に思っている。

しかし、マカドック氏の見てきたところによると、市には選択肢があまりない。 「何か違うことを試してみることは悪いことではないと思います」と彼は言った。 「そして、時間が経てば、それがどれほど効果的であるかが分かると思います。」

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麻薬危機: The Globe and Mail の詳細

救命ソリューション

ナロキソンは有毒薬物に対する非常に効果的な治療法です。仕組みは次のとおりです

路上で息子を亡くした後、この先住民族の指導者は他の人々を中毒から解放するために闘い続ける

カナダでは過剰摂取が妊産婦死亡の主な原因だが、医師らはより統合されたサポートが命を救えると主張

解説

ジョナサン・ブルックとジェニファー・ハルム: 監視下にある薬物使用サイトの閉鎖はユーザーに影響を与えるだけでなく、病院を利用するすべての人に損害を与えます

ルイーズ・アーバーとヘレン・クラーク: カナダのハームリダクション遺産が脅威にさらされています。私たちは後戻りしてはなりません

ロバート・タンゲイとアンジー・ハミルトン:重度の依存症に対する非自発的な治療は、何もしないよりは良い

(これはシンジケート ニュース フィードから自動生成された未編集の記事です。TechWire24 スタッフがコンテンツ本文を変更または編集していない可能性があります)

https://techwire24.com/グラスゴー、スコットランドの過剰摂取危機の中/


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