北海道新聞2025年1月18日 15:22(1月18日 21:16更新)
昨年12月に93歳の誕生日を迎えた有塚利宣さん=2024年12月10日、帯広市川西農協の組合長室
「農業界のドン」と呼ばれた帯広市川西農協組合長の有塚利宣さんは、93歳で亡くなる最期のときまで農業の発展のため、強力なリーダーシップと政治力を発揮した。
農耕馬で開拓した時代から最先端のスマート農業まで、自身も農業者として現場を担ってきた文字通りの生き字引だった。「〝官〟主導の他地域とは違い、十勝は〝民〟の開拓でした。薬草、保存食などアイヌ民族に教えを請うて生き延びました。時に十勝モンロー主義とも言われますが、そうした共存共栄、相互扶助の精神が原点なんです」
私が帯広に着任した昨年4月、初対面の夜に、いきなり時間をかけて説かれ、歴史的背景がストンと身体に入り込んできた。以来、毎週のようにお目にかかっているうち、政府・与党幹部や鈴木直道知事とスマートフォンで内緒話をする場面に何度も遭遇し、その影響力の大きさに舌を巻いた。
農業王国・十勝で農協の組合長を32年。十勝地区農協組合長会会長は歴代最長の27年になる。ホクレンなど北農五連のトップには「あえて就かないまま、実質的には国内トップクラスの発言力を長年、維持してきた」(関係者)稀有(けう)な存在だった。
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弱きを助ける義俠心(ぎきょうしん)を大切にする人でもあった。若き農業委員のころ、借金の肩代わりに売られたアイヌ民族の女性2人を奪還しに単身、東京に乗り込んだ逸話もある。北海道アイヌ協会から昨年、文化振興への寄与で感謝状を贈られると、「過去のどんな表彰よりうれしい」と喜んだ。
元日に緊急入院。一時は持ち直し、再びの容体悪化までの間隙(かんげき)を縫うように医師の反対を押し切って農協と農協組合長会の会議を立て続けに開催。自分亡き後の意を伝えた。知事や有力政治家にも連絡を取り、農業の展望を語って支援の継続を求めた。
実は私のスマホにも有塚さんからの8日午後1時過ぎの着信履歴が残っている。「あなたとはいい出会いをさせてもらった。ありがとう」。お別れの電話に言葉を失った。
散り際まで見事な方だった。精神的な支柱を失った十勝がこれまで通り「一丸となって」いられるかが問われる。