The New York Times 2020/06/27 7:50
数年前、ニューヨーク州サラトガ・スプリングスの木陰に座り、私は2時間にわたってボブ・ディランと話をした。話題はマルコムXからフランス革命、フランクリン・ルーズベルト、第2次世界大戦などに及んだ。
あるタイミングでディランは私に、1864年のサンド・クリーク虐殺についてどのくらい知っているか、と尋ねた。「あまり知りません」と答えると、ディランは折り畳みいすから立ち上がってツアーバスの中に入り、5分後に戻ってきた。ディランが手に持っていたコピーには、アメリカ軍兵士がコロラド州南東部で、温和な先住民族のシャイアン族とアラパホー族を何百人も虐殺したことについて書かれていた。
アルバム発売前の唯一のインタビュー
ディランとの間にはこうした関係があったので、今年の4月にも気後れすることなくディランに連絡が取れた。ディランはコロナウイルスの危機のさなかに、突如、17分に及ぶ曲「最も卑劣な殺人」を発表した。ジョン・F・ケネディ元大統領の暗殺について歌った叙事詩だ。私が連絡をしたのはこの曲の発表後だった。
ディランは2016年にノーベル文学賞を受賞して以来、自分のホームページ以外ではまとまったインタビューには答えていなかった。しかし、カリフォルニア州マリブの自宅から電話で取材に応じることを了承してくれた。
結果的に、そのインタビューが、アルバム『ラフ&ロウディ・ウェイズ』発売前に行われた唯一のインタビューとなった。『ラフ&ロウディ・ウェイズ』はディランのオリジナル曲を収録したアルバムとしては、2012年の『テンペスト』以来8年ぶりの作品で、アメリカでは6月19日に発売された。
ディランとの対話がたいていそうであるように、『ラフ&ロウディ・ウェイズ』がカバーする領域も多様だ。挑戦的なブルース、言葉遊び、愛国的な情熱、見事な安定性、詩的なキュービズム、晩年の思い、精神的な満足感――。
エネルギーあふれる名演「グッバイ・ジミー・リード」で、ディランはミシシッピ州出身のブルース・ミュージシャン、ジミー・リードへの尊敬の念を、熱いハーモニカのリフやみだらな歌詞で表現する。スローなブルース「クロッシング・ザ・ルビコン」では、ディランは「皮膚の下にある骨」を感じ、死の前に何をするか考える。「煉獄から北に3マイル――あの世にあと一歩のところ/私は十字架に祈り、女の子たちにキスをして、ルビコン川(境界線)を超える」。
「マザー・オブ・ミューズ」は、自然界やゴスペル・クワイア、ウィリアム・テカムセ・シャーマンやジョージ・パットンらの軍人への賛歌で、彼らが「プレスリーの歌に道を開き、キング牧師のために道を開いた」と歌う。そして、「キーウェスト(フィロソファー・パイレート)」は、国道1号線をフロリダ・キーズ(フロリダ州南の列島)まで下る道のりを舞台にした、不死についての黙想だ。
ジョージ・フロイドへの思い
もしかしたら、いつの日かディランは、ジョージ・フロイドのために曲を書くか、あるいは絵を描くかもしれない。1960年代と1970年代に、ディランは「ジョージ・ジャクソン」「しがない歩兵」「ハッティ・キャロルの寂しい死」などの歌を通じて、公民権運動の黒人リーダーにならい、特権を持つ白人の傲慢さや、人種的憎悪の悪質さをさらけ出した。
1976年のバラード「ハリケーン」では、警察の取締りと人種についての激しい歌詞が見られる。「パターソンでは万事がこんな風に進む/あなたが黒人なら通りには出ないほうがいい/注意を引きたいのではない限り」。
ミネソタ州ミネアポリスでフロイドが殺された後、私は79歳になったディランに、短い追加インタビューをした。ディランは、自分の出身州で起こった恐ろしい出来事に明らかに動揺しており、落胆した様子だった。
「ジョージ(フロイド)があんなふうに苦しめられて死んだのを見ると、どうしようもなく気分が悪くなる。卑劣にも程がある。フロイドの家族とこの国に、早く正義がもたらされるよう願うばかりだ」
ディランへのこの2回のインタビューから内容を抜粋し、以下にまとめて紹介する。
──「最も卑劣な殺人」を書いたのは、長らく忘れられている時代に郷愁を感じて、賛美するためでしょうか?
郷愁とは違う。「最も卑劣な殺人」は、過去への賛美でも、過ぎ去った時代への送別のようなものでもない。その瞬間に(言葉が)語りかけてくるんだ。とくに歌詞を書いているときは、いつもそうだった。
──「アイ・コンテイン・マルチチュード」には印象的な歌詞があります。「私は生と死と一緒に、同じベッドで眠る」。誰もがある年齢に達すると、こんなふうに感じるのだろうと思います。死についてはよく考えるのですか?
人類の死については考えるよ。裸のサルがたどってきた長い奇妙な旅路。軽々しく言うわけではないけれど、どんな人の人生もとてもはかない。誰であっても、どんなに強くても力があっても、死ぬとなったら脆い(もろい)ものだ。死については、自分個人の死ではなく、概念的に考えている。
自分たちの世界はもう時代遅れ
──「最も卑劣な殺人」には、終末論的な感情が多く込められています。2020年の時点で、私たちはもう戻れないところまで来てしまったと思いますか? テクノロジーや超工業化が、地球上で人類に牙をむくような心配はありますか?
もちろん。その点で終末論的に感じる理由はたくさんある。いまは昔より、不安や心配が確実に多い。だが、それは君や私のように、ある程度の年齢に達した人たちだけだよ。私たちは過去に生きる傾向があるが、それは私たちだけなんだ。若者にはそんな傾向はない。若者には過去はなくて、いま目にし、耳にするものしか知らない。そして、彼らは何でも信用するだろう。
20年か30年後には、彼らが第一線にいる。いま10歳の子どもがいたとしたら、20年か30年後には彼が世の中を動かしている。その子は私たちが知っていた世界なんか、まるで知らない。10代の子どもたちには、いまは思い出話なんかないんだ。やがてはそれ(彼らの世界)が現実になる。だから、なるべく早く見方を切り替えたほうがいい。
テクノロジーについて言うと、誰もがテクノロジーのせいで弱くなる。でも、若者はそんなふうには考えない。まったく考えないよ。彼らが生まれた世界は、テレコミュニケーションや先進技術の世界だ。私たちの世界はもう時代遅れなんだ。
──「偽預言者」の歌詞に、「私は最高の仲間たちの最後のひとり──あとの人たちは葬っていい」という言葉があって、私は最近亡くなったジョン・プラインとリトル・リチャードのことを思い出しました。2人が亡くなったあと、トリビュートの意味で彼らの音楽を聴いたりしましたか?
2人とも自身の作品で大成功している。彼らはトリビュートなんか求めてないよ。2人が何をして、どんな人物だったかは誰もが知っているんだから。2人は尊敬や喝采を集めてきたが、本当にそれに値することをした。それは間違いない。
だが、私が聞いて育ったリトル・リチャード――。彼は私よりも前から音楽の世界にいた。私の足元を照らしてくれて、自分だけでは知るはずもなかったことを教えてくれた。だから、リトル・リチャードは私にとっては別格なんだ。ジョン(プライン)は私のあとから音楽の世界に入った。その点が違う。2人についての認識は同じではないよ。
──いろいろな曲の中で、あなたは偉大なミュージシャンを何人も称えていますね。「最も卑劣な殺人」では、(イーグルスの)ドン・ヘンリーとグレン・フライの名前を挙げていて、私は少し驚きました。イーグルスの曲の中で、お気に入りは何ですか?
「ニュー・キッド・イン・タウン」、「駆け足の人生」、「お前を夢見て」。史上最高の部類に入る曲かもしれない。
ジャズはインスピレーションを与えたか
──「最も卑劣な殺人」では、アート・ペッパーやチャーリー・パーカー、バド・パウエル、セロニアス・モンク、オスカー・ピーターソン、スタン・ゲッツの名前も挙げています。長いキャリアの中で、ジャズはソングライターや詩人としてのあなたにインスピレーションを与えましたか?
キャピトル・レコード時代の初期のマイルス(デイビス)かな。でも、ジャズとは何だろう。デキシーランド、ビバップ、フュージョン──。何をもってジャズと言うのか。ソニー・ロリンズか? ソニーのカリプソの曲は好きだが、あれはジャズだろうか。
ジョー・スタッフォード、ジョニ・ジェームス、ケイ・スター、みんなジャズシンガーだと思うが、私にとってのジャズシンガーは、キング・プレジャーだ。わからないな。ジャズのカテゴリーには何でも入れられる。ジャズの歴史は「狂騒の1920年代」にまでさかのぼる。ポール・ホワイトマンがキング・オブ・ジャズと呼ばれていた。でも、レスター・ヤングに聞いたら、「何を言ってるんだ」と思うだろうね。
ジャズが私にインスピレーションを与えたか。そうだね。多分、多くのインスピレーションを受けたと思う。シンガーではエラ・フィッツジェラルド。ピアノ弾きでは間違いなくオスカー・ピーターソン。ソングライターとしての私に影響を与えたのは? そう、(セロニアス)モンクの「ルディ・マイ・ディア」だ。あの曲で、ああいった何かをやろうという方向に向かったんだ。あの曲を何度も何度も聞いたことを覚えているよ。
──アドリブはあなたの曲ではどんな役割を果たしていますか?
何の役割もない。いったん曲をつくったら、その曲の性質を変えることなどできない。ギターやピアノのパターンを決まった構造のうえで変えたり、そこから出発して演奏したりはするけれど、それはアドリブではない。アドリブはよいパフォーマンスにも悪いパフォーマンスにもなるが、私は一貫していたい。何度も何度も、最も完璧な形で同じ演奏をするということだ。
──「アイ・コンテイン・マルチチュード」には、驚くほど自伝的な要素がありますね。最後の2つのヴァース(詩句)には、かたくなな禁欲主義がにじみでていますが、それ以外の部分はユーモラスな告白のようです。ご自身や人間の性質の中の、相反する感情と格闘するのは楽しかったですか?
そんなに格闘する必要はなかったよ。何というか、意識の流れのフレーズを積み上げて、そのまま放っておいて、そこから取り出してくる感じかな。この曲に関して言うと、最後のいくつかのヴァースが先に思い浮かんだ。だから、この曲はそこを起点に進んできた。この曲が生まれる契機になったのは、一目瞭然だが、タイトルの1行だ。
この曲は直感的に、ある種のトランス状態で書いた曲の1つで、最近の曲はほとんどそんな感じでつくっている。歌詞は実際のもの、現実であって、比喩ではない。楽曲は自身(曲自体)のことがわかっているように思うし、私がその曲を、声の面でもリズムの面でも歌えることがわかっているのだと思う。曲はある意味でひとりでに書きあがって、私がそれを歌うと信じている。
一緒に演奏するとすばらしい
──チャーリー・セクストンは1999年から数年間、あなたと一緒にプレイし、2009年から再び演奏に参加しています。彼がそれほど特別なプレーヤーなのはなぜですか。まるで、2人はお互いの心が読めるような感じがします。
チャーリーは誰の心でも読めるよ。だけど、チャーリーは曲も作るし、歌も歌う。ギターはものすごい勢いで弾く。私の曲で、チャーリーが自分の一部だと思わない曲はないし、一緒に演奏するとすばらしいんだ。このレコードで、12小節のブルース構造の曲は3曲で、「偽預言者」はそのうちの1曲だが、チャーリーはどの曲もいいよ。
腕前を見せびらかすようなプレーヤーじゃないが、やろうと思えばそれもできる。演奏はとても節度があるが、情熱的にやりたいときにはそうもできるんだ。とても伝統的なスタイルの演奏で、昔ながらの弾き方。彼は曲を攻めるのではなくて、その中に身を置いている。私と演奏するときは、いつもそんな感じだ。
──ここ数カ月の外出制限期間中は、マリブでどのように過ごしていたのですか? 溶接(によるアート作品の制作)や絵を描いたりできましたか?
ああ、少しね。
──自宅では音楽制作はできるのですか? プライベート・スタジオでピアノを弾いたり、時間を過ごしたりできますか?
それはたいていホテルの部屋でやるよ。ホテルの部屋がプライベート・スタジオにいちばん近い環境なんだ。
ミュージカルに心を動かされる
──家のすぐ近くに太平洋があることは、新型コロナウイルスのパンデミックに対処するのに、精神的な面で効果がありますか? 「ブルー・マインド」という理論があって、それによると、水の近くに住むことは健康上、治癒の効果があるそうです。
その説は信じられるな。「クール・ウォーター」、「遥かなる河」、「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」。こういう曲を聴くと、なんだか癒やされたような気がするよ。何が癒やされるのかわからないけれど、自分が気づいてもいない何かが癒やされるんだろう。ある種の治療。スピリチュアルな感じだ。水はスピリチュアルなものだからね。
「ブルー・マインド」は聞いたことがないな。スローなブルースの曲名にもなりそうだ。ヴァン・モリソンあたりが書きそう。もしかしたら、書いているかもしれない。知らないけど。
──あなたの曲をフィーチャーしたミュージカル「北国の少女(ガール・フロム・ノース・カントリー)」がまさにすばらしい評価を得るようになったタイミングで、新型コロナのために公演が中止になりました。非常に残念でしたが、公演を見たり、公演のビデオを見たりしましたか?
もちろん見たよ。心が動かされた。関係者としてではなく、一般の観客として見たんだ。何の構えもなくね。最後には泣いてしまった。なぜだかわからない。幕が下りたときには、呆然としていた。本当にそうだった。公演が中止になったのは本当に残念だ。また見たかったからね。
──このパンデミックを聖書的な意味合い、たとえば、疫病が世界を覆いつくすなどのように考えますか。
私は何か別のことが起きる前兆のように思う。たしかに蔓延しているが、聖書的とは? つまり、人々が間違った行いを改めるための警告のようなもの、ということ? そうすると、この世界はある種の天罰に向かっているということになるね。あまりの傲慢さには、ひどい罰が下されるのかもしれない。もしかしたら、いまは破滅の前夜なのかも――。このウイルスについては、本当に数えきれないほどの捉え方があると思う。私は、ただ自然に任せておくしかないと思っている。
最近「マスターピース」を演奏するのは
──あなたのすべての曲の中で、私の中では「マスターピース」が年々大きな存在になってきています。最近のコンサートで、この曲をまた取り上げているのはどうしてですか?
私の中でも大きな存在になっているんだ。この曲は、古典の世界や、手が届かないものに関係していると思う。経験を超えて到達したい場所。あまりに崇高で一流なので、その高みから決して帰ってこられないもの。思いもよらないものを達成したこと。この曲が言おうとしたのはそういうことだ。
ところで、マスターピースと言えば、自分のマスターピースが描けたとしても、次は何をすればいい? もちろん、別のマスターピースを描かなきゃならない。そうなると、決して終わることのないサイクル、ある種のわなのようになる。この歌では、そんなことは言っていないけどね。
──体調はいかがですか。すこぶるお元気そうに見えますが。どうやって心と体を調和させているのですか?
それは壮大な質問だね。心と体が手に手を取って歩んでいく──。何か合意みたいなものがあるんだろうね。私は心を魂として、体を実体として考えたいと思っている。その2つをどうやって一体化するのか。まったくわからないな。
私はただ一直線に進んで、そこから外れないように、レベルを保つようにしているだけだよ。
(執筆:作家、ライス大学教授 Douglas Brinkley、翻訳:東方雅美)
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https://toyokeizai.net/articles/-/358601
数年前、ニューヨーク州サラトガ・スプリングスの木陰に座り、私は2時間にわたってボブ・ディランと話をした。話題はマルコムXからフランス革命、フランクリン・ルーズベルト、第2次世界大戦などに及んだ。
あるタイミングでディランは私に、1864年のサンド・クリーク虐殺についてどのくらい知っているか、と尋ねた。「あまり知りません」と答えると、ディランは折り畳みいすから立ち上がってツアーバスの中に入り、5分後に戻ってきた。ディランが手に持っていたコピーには、アメリカ軍兵士がコロラド州南東部で、温和な先住民族のシャイアン族とアラパホー族を何百人も虐殺したことについて書かれていた。
アルバム発売前の唯一のインタビュー
ディランとの間にはこうした関係があったので、今年の4月にも気後れすることなくディランに連絡が取れた。ディランはコロナウイルスの危機のさなかに、突如、17分に及ぶ曲「最も卑劣な殺人」を発表した。ジョン・F・ケネディ元大統領の暗殺について歌った叙事詩だ。私が連絡をしたのはこの曲の発表後だった。
ディランは2016年にノーベル文学賞を受賞して以来、自分のホームページ以外ではまとまったインタビューには答えていなかった。しかし、カリフォルニア州マリブの自宅から電話で取材に応じることを了承してくれた。
結果的に、そのインタビューが、アルバム『ラフ&ロウディ・ウェイズ』発売前に行われた唯一のインタビューとなった。『ラフ&ロウディ・ウェイズ』はディランのオリジナル曲を収録したアルバムとしては、2012年の『テンペスト』以来8年ぶりの作品で、アメリカでは6月19日に発売された。
ディランとの対話がたいていそうであるように、『ラフ&ロウディ・ウェイズ』がカバーする領域も多様だ。挑戦的なブルース、言葉遊び、愛国的な情熱、見事な安定性、詩的なキュービズム、晩年の思い、精神的な満足感――。
エネルギーあふれる名演「グッバイ・ジミー・リード」で、ディランはミシシッピ州出身のブルース・ミュージシャン、ジミー・リードへの尊敬の念を、熱いハーモニカのリフやみだらな歌詞で表現する。スローなブルース「クロッシング・ザ・ルビコン」では、ディランは「皮膚の下にある骨」を感じ、死の前に何をするか考える。「煉獄から北に3マイル――あの世にあと一歩のところ/私は十字架に祈り、女の子たちにキスをして、ルビコン川(境界線)を超える」。
「マザー・オブ・ミューズ」は、自然界やゴスペル・クワイア、ウィリアム・テカムセ・シャーマンやジョージ・パットンらの軍人への賛歌で、彼らが「プレスリーの歌に道を開き、キング牧師のために道を開いた」と歌う。そして、「キーウェスト(フィロソファー・パイレート)」は、国道1号線をフロリダ・キーズ(フロリダ州南の列島)まで下る道のりを舞台にした、不死についての黙想だ。
ジョージ・フロイドへの思い
もしかしたら、いつの日かディランは、ジョージ・フロイドのために曲を書くか、あるいは絵を描くかもしれない。1960年代と1970年代に、ディランは「ジョージ・ジャクソン」「しがない歩兵」「ハッティ・キャロルの寂しい死」などの歌を通じて、公民権運動の黒人リーダーにならい、特権を持つ白人の傲慢さや、人種的憎悪の悪質さをさらけ出した。
1976年のバラード「ハリケーン」では、警察の取締りと人種についての激しい歌詞が見られる。「パターソンでは万事がこんな風に進む/あなたが黒人なら通りには出ないほうがいい/注意を引きたいのではない限り」。
ミネソタ州ミネアポリスでフロイドが殺された後、私は79歳になったディランに、短い追加インタビューをした。ディランは、自分の出身州で起こった恐ろしい出来事に明らかに動揺しており、落胆した様子だった。
「ジョージ(フロイド)があんなふうに苦しめられて死んだのを見ると、どうしようもなく気分が悪くなる。卑劣にも程がある。フロイドの家族とこの国に、早く正義がもたらされるよう願うばかりだ」
ディランへのこの2回のインタビューから内容を抜粋し、以下にまとめて紹介する。
──「最も卑劣な殺人」を書いたのは、長らく忘れられている時代に郷愁を感じて、賛美するためでしょうか?
郷愁とは違う。「最も卑劣な殺人」は、過去への賛美でも、過ぎ去った時代への送別のようなものでもない。その瞬間に(言葉が)語りかけてくるんだ。とくに歌詞を書いているときは、いつもそうだった。
──「アイ・コンテイン・マルチチュード」には印象的な歌詞があります。「私は生と死と一緒に、同じベッドで眠る」。誰もがある年齢に達すると、こんなふうに感じるのだろうと思います。死についてはよく考えるのですか?
人類の死については考えるよ。裸のサルがたどってきた長い奇妙な旅路。軽々しく言うわけではないけれど、どんな人の人生もとてもはかない。誰であっても、どんなに強くても力があっても、死ぬとなったら脆い(もろい)ものだ。死については、自分個人の死ではなく、概念的に考えている。
自分たちの世界はもう時代遅れ
──「最も卑劣な殺人」には、終末論的な感情が多く込められています。2020年の時点で、私たちはもう戻れないところまで来てしまったと思いますか? テクノロジーや超工業化が、地球上で人類に牙をむくような心配はありますか?
もちろん。その点で終末論的に感じる理由はたくさんある。いまは昔より、不安や心配が確実に多い。だが、それは君や私のように、ある程度の年齢に達した人たちだけだよ。私たちは過去に生きる傾向があるが、それは私たちだけなんだ。若者にはそんな傾向はない。若者には過去はなくて、いま目にし、耳にするものしか知らない。そして、彼らは何でも信用するだろう。
20年か30年後には、彼らが第一線にいる。いま10歳の子どもがいたとしたら、20年か30年後には彼が世の中を動かしている。その子は私たちが知っていた世界なんか、まるで知らない。10代の子どもたちには、いまは思い出話なんかないんだ。やがてはそれ(彼らの世界)が現実になる。だから、なるべく早く見方を切り替えたほうがいい。
テクノロジーについて言うと、誰もがテクノロジーのせいで弱くなる。でも、若者はそんなふうには考えない。まったく考えないよ。彼らが生まれた世界は、テレコミュニケーションや先進技術の世界だ。私たちの世界はもう時代遅れなんだ。
──「偽預言者」の歌詞に、「私は最高の仲間たちの最後のひとり──あとの人たちは葬っていい」という言葉があって、私は最近亡くなったジョン・プラインとリトル・リチャードのことを思い出しました。2人が亡くなったあと、トリビュートの意味で彼らの音楽を聴いたりしましたか?
2人とも自身の作品で大成功している。彼らはトリビュートなんか求めてないよ。2人が何をして、どんな人物だったかは誰もが知っているんだから。2人は尊敬や喝采を集めてきたが、本当にそれに値することをした。それは間違いない。
だが、私が聞いて育ったリトル・リチャード――。彼は私よりも前から音楽の世界にいた。私の足元を照らしてくれて、自分だけでは知るはずもなかったことを教えてくれた。だから、リトル・リチャードは私にとっては別格なんだ。ジョン(プライン)は私のあとから音楽の世界に入った。その点が違う。2人についての認識は同じではないよ。
──いろいろな曲の中で、あなたは偉大なミュージシャンを何人も称えていますね。「最も卑劣な殺人」では、(イーグルスの)ドン・ヘンリーとグレン・フライの名前を挙げていて、私は少し驚きました。イーグルスの曲の中で、お気に入りは何ですか?
「ニュー・キッド・イン・タウン」、「駆け足の人生」、「お前を夢見て」。史上最高の部類に入る曲かもしれない。
ジャズはインスピレーションを与えたか
──「最も卑劣な殺人」では、アート・ペッパーやチャーリー・パーカー、バド・パウエル、セロニアス・モンク、オスカー・ピーターソン、スタン・ゲッツの名前も挙げています。長いキャリアの中で、ジャズはソングライターや詩人としてのあなたにインスピレーションを与えましたか?
キャピトル・レコード時代の初期のマイルス(デイビス)かな。でも、ジャズとは何だろう。デキシーランド、ビバップ、フュージョン──。何をもってジャズと言うのか。ソニー・ロリンズか? ソニーのカリプソの曲は好きだが、あれはジャズだろうか。
ジョー・スタッフォード、ジョニ・ジェームス、ケイ・スター、みんなジャズシンガーだと思うが、私にとってのジャズシンガーは、キング・プレジャーだ。わからないな。ジャズのカテゴリーには何でも入れられる。ジャズの歴史は「狂騒の1920年代」にまでさかのぼる。ポール・ホワイトマンがキング・オブ・ジャズと呼ばれていた。でも、レスター・ヤングに聞いたら、「何を言ってるんだ」と思うだろうね。
ジャズが私にインスピレーションを与えたか。そうだね。多分、多くのインスピレーションを受けたと思う。シンガーではエラ・フィッツジェラルド。ピアノ弾きでは間違いなくオスカー・ピーターソン。ソングライターとしての私に影響を与えたのは? そう、(セロニアス)モンクの「ルディ・マイ・ディア」だ。あの曲で、ああいった何かをやろうという方向に向かったんだ。あの曲を何度も何度も聞いたことを覚えているよ。
──アドリブはあなたの曲ではどんな役割を果たしていますか?
何の役割もない。いったん曲をつくったら、その曲の性質を変えることなどできない。ギターやピアノのパターンを決まった構造のうえで変えたり、そこから出発して演奏したりはするけれど、それはアドリブではない。アドリブはよいパフォーマンスにも悪いパフォーマンスにもなるが、私は一貫していたい。何度も何度も、最も完璧な形で同じ演奏をするということだ。
──「アイ・コンテイン・マルチチュード」には、驚くほど自伝的な要素がありますね。最後の2つのヴァース(詩句)には、かたくなな禁欲主義がにじみでていますが、それ以外の部分はユーモラスな告白のようです。ご自身や人間の性質の中の、相反する感情と格闘するのは楽しかったですか?
そんなに格闘する必要はなかったよ。何というか、意識の流れのフレーズを積み上げて、そのまま放っておいて、そこから取り出してくる感じかな。この曲に関して言うと、最後のいくつかのヴァースが先に思い浮かんだ。だから、この曲はそこを起点に進んできた。この曲が生まれる契機になったのは、一目瞭然だが、タイトルの1行だ。
この曲は直感的に、ある種のトランス状態で書いた曲の1つで、最近の曲はほとんどそんな感じでつくっている。歌詞は実際のもの、現実であって、比喩ではない。楽曲は自身(曲自体)のことがわかっているように思うし、私がその曲を、声の面でもリズムの面でも歌えることがわかっているのだと思う。曲はある意味でひとりでに書きあがって、私がそれを歌うと信じている。
一緒に演奏するとすばらしい
──チャーリー・セクストンは1999年から数年間、あなたと一緒にプレイし、2009年から再び演奏に参加しています。彼がそれほど特別なプレーヤーなのはなぜですか。まるで、2人はお互いの心が読めるような感じがします。
チャーリーは誰の心でも読めるよ。だけど、チャーリーは曲も作るし、歌も歌う。ギターはものすごい勢いで弾く。私の曲で、チャーリーが自分の一部だと思わない曲はないし、一緒に演奏するとすばらしいんだ。このレコードで、12小節のブルース構造の曲は3曲で、「偽預言者」はそのうちの1曲だが、チャーリーはどの曲もいいよ。
腕前を見せびらかすようなプレーヤーじゃないが、やろうと思えばそれもできる。演奏はとても節度があるが、情熱的にやりたいときにはそうもできるんだ。とても伝統的なスタイルの演奏で、昔ながらの弾き方。彼は曲を攻めるのではなくて、その中に身を置いている。私と演奏するときは、いつもそんな感じだ。
──ここ数カ月の外出制限期間中は、マリブでどのように過ごしていたのですか? 溶接(によるアート作品の制作)や絵を描いたりできましたか?
ああ、少しね。
──自宅では音楽制作はできるのですか? プライベート・スタジオでピアノを弾いたり、時間を過ごしたりできますか?
それはたいていホテルの部屋でやるよ。ホテルの部屋がプライベート・スタジオにいちばん近い環境なんだ。
ミュージカルに心を動かされる
──家のすぐ近くに太平洋があることは、新型コロナウイルスのパンデミックに対処するのに、精神的な面で効果がありますか? 「ブルー・マインド」という理論があって、それによると、水の近くに住むことは健康上、治癒の効果があるそうです。
その説は信じられるな。「クール・ウォーター」、「遥かなる河」、「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」。こういう曲を聴くと、なんだか癒やされたような気がするよ。何が癒やされるのかわからないけれど、自分が気づいてもいない何かが癒やされるんだろう。ある種の治療。スピリチュアルな感じだ。水はスピリチュアルなものだからね。
「ブルー・マインド」は聞いたことがないな。スローなブルースの曲名にもなりそうだ。ヴァン・モリソンあたりが書きそう。もしかしたら、書いているかもしれない。知らないけど。
──あなたの曲をフィーチャーしたミュージカル「北国の少女(ガール・フロム・ノース・カントリー)」がまさにすばらしい評価を得るようになったタイミングで、新型コロナのために公演が中止になりました。非常に残念でしたが、公演を見たり、公演のビデオを見たりしましたか?
もちろん見たよ。心が動かされた。関係者としてではなく、一般の観客として見たんだ。何の構えもなくね。最後には泣いてしまった。なぜだかわからない。幕が下りたときには、呆然としていた。本当にそうだった。公演が中止になったのは本当に残念だ。また見たかったからね。
──このパンデミックを聖書的な意味合い、たとえば、疫病が世界を覆いつくすなどのように考えますか。
私は何か別のことが起きる前兆のように思う。たしかに蔓延しているが、聖書的とは? つまり、人々が間違った行いを改めるための警告のようなもの、ということ? そうすると、この世界はある種の天罰に向かっているということになるね。あまりの傲慢さには、ひどい罰が下されるのかもしれない。もしかしたら、いまは破滅の前夜なのかも――。このウイルスについては、本当に数えきれないほどの捉え方があると思う。私は、ただ自然に任せておくしかないと思っている。
最近「マスターピース」を演奏するのは
──あなたのすべての曲の中で、私の中では「マスターピース」が年々大きな存在になってきています。最近のコンサートで、この曲をまた取り上げているのはどうしてですか?
私の中でも大きな存在になっているんだ。この曲は、古典の世界や、手が届かないものに関係していると思う。経験を超えて到達したい場所。あまりに崇高で一流なので、その高みから決して帰ってこられないもの。思いもよらないものを達成したこと。この曲が言おうとしたのはそういうことだ。
ところで、マスターピースと言えば、自分のマスターピースが描けたとしても、次は何をすればいい? もちろん、別のマスターピースを描かなきゃならない。そうなると、決して終わることのないサイクル、ある種のわなのようになる。この歌では、そんなことは言っていないけどね。
──体調はいかがですか。すこぶるお元気そうに見えますが。どうやって心と体を調和させているのですか?
それは壮大な質問だね。心と体が手に手を取って歩んでいく──。何か合意みたいなものがあるんだろうね。私は心を魂として、体を実体として考えたいと思っている。その2つをどうやって一体化するのか。まったくわからないな。
私はただ一直線に進んで、そこから外れないように、レベルを保つようにしているだけだよ。
(執筆:作家、ライス大学教授 Douglas Brinkley、翻訳:東方雅美)
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https://toyokeizai.net/articles/-/358601