先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

人・かお・トーク:関東地方のアイヌ民族団体「レラの会」会長・長谷川修さん /山梨

2009-05-22 | 日記
(毎日新聞 2009年5月20日 地方版)
 ◇「アイヌは先住民族」定義を--長谷川修さん(61)
 アイヌの権利回復に尽力するようになったきっかけは
 ◆アイヌは日本人になれと言われ、言葉はもとより伝統文化の継承さえも禁じられました。幼いころを振り返ってもあまりいい思い出はありませんね。ただ、学校で自分がアイヌだということを隠すようなことはしませんでした。
 自分が変わったのは高校生の時。河川敷に住んでいた知人のアイヌ3世帯が行政に退去を迫られた時でした。旭川市に住むアイヌの歴史は強制移住の繰り返しでしたから、その知人や家族と街頭でビラを配って訴えましたが、結局は退去させられました。はっきり言って絶望しました。「もう何をしても無駄だ」と投げやりになり、高校卒業後に上京する決意をしました。
 上京後はアイヌであることは伏せました。
 アイヌの復権運動を始めたのは、25年ほど前、妻の実家のある山梨に移り住んでからでした。3人の子供たちに「自分のことをきちんと伝えなければならない」と思うようになり、「もう一度やらなければならない」と決意しました。
 どんな活動をしているのですか
 ◆8年ほど前から、明治時代に東京へ強制連行されて亡くなったアイヌの人たちを供養する伝統儀式「イチャルパ」を東京都港区の芝公園で行っています。支援者も含め100人が集まり、今年も8月に行う予定です。
 構造的な差別から逃れるために北海道を離れたアイヌは多いのです。生まれ育った地に帰ることがかなわなかった人を何人も知っています。孤独の中で無縁仏となっている人も多いのです。イチャルパはそういったすべてのアイヌの鎮魂のために行っています。
 日本社会に望むことは
 ◆アイヌの先住民族認定を求めた08年6月の国会決議を受けて、政府の「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が、アイヌの「先住権」などについて話し合っています。日本の歴史を検証した上で、政府が侵略行為を謝罪し、アイヌを先住民族として認めることが最も重要だと思います。
 「先住民族」の定義は、植民地化されてもアイデンティティーを維持し、文化を伝承しようとする人たちのことです。今も北海道は開拓地と表現されていますが、私たちからすれば、開拓ではなく侵略であり、植民地化なのです。日本の政府と社会が過去の侵略行為を認めなければ、アイヌを先住民族として定義することはできないのです。【聞き手・沢田勇】
==============
 ■人物略歴
 ◇はせがわ・おさむ
 北海道旭川市出身で市川三郷町在住。母がアイヌだったことから、会社勤めをしながら、アイヌの権利回復を目指して活動を続ける。首都圏のアイヌ団体でつくる「アイヌウタリ連絡会」の事務局長も務める。
http://mainichi.jp/area/yamanashi/news/20090520ddlk19070004000c.html

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友禅図案:“日韓併合”6点を発見 祝賀盛り上げる一翼担い /京都

2009-05-22 | 日記
(毎日新聞 2009年5月20日 地方版)
 ◇23日から立命大ミュージアムで公開
 1910(明治43)年の日韓併合をモチーフにした当時の友禅染図案6点が京都市内の古書店で見つかり、購入した立命館大が19日、発表した。木立雅朗教授(考古学)は「友禅染が併合の祝賀ムードを盛り上げる一翼を担ったことを示す貴重な資料だ」と話す。23日から同大学国際平和ミュージアムで公開される。
 同大学は京都の伝統工芸として友禅染を研究している。散逸が進む図案を収集しており、今年1月に古書店で64点を購入。うち6点が、朝鮮半島と日本列島を同じ色調で描いたり、両国の地名を表すハングル文字を書き込むなど、併合をモチーフにしていることを確認した。
 地図と一緒に年号の「1910」を音符のように配した五線譜をあしらったり、記入した地名に「京城」(ソウル)など日本統治時代の呼称を使うなど「併合」を強く意識したデザインになっている。アイヌ文様が多用されているのも特徴で、木立教授は「アイヌ民族(の同化政策)のように韓国の人々を同化しようとすることを暗示している」と分析。併合を正当化する意図があるとみている。木立教授は「モチーフの意味を読み取る能力も必要で、裕福で知性の高い人向きだったのでは」と話す。
 公開は23日~6月21日(月曜休館)。大人400円、中高生300円、小学生200円。問い合わせは立命館大コリア研究センター(075・466・3264)。【朝日弘行】
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20090520ddlk26040380000c.html

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韓国併合 祝う?友禅

2009-05-22 | 日記
(朝日新聞2009年05月20日)
立命館大グループ 試し刷り6点発見
■同色で塗りつぶし・年号音符に似せて
 立命館大の木立雅朗教授(考古学)のグループは19日、日本による韓国併合(1910年)の際につくられたと見られる型友禅の試し刷り6点が見つかったと発表した。晴れの場で使われる羽織の裏地や袱紗(ふくさ)のデザインだったとみられ、木立教授は「伝統工芸の友禅染も祝賀ムードを盛り上げる一翼を担っていたことを示す貴重な史料だ」としている。
 木立教授によると、見つかったのは型彫り職人が型紙から和紙に試し刷りし、見本として染め工場に渡したもの。今年1月、京都市内の古書店で購入した64点の一部だという。他の試し刷りの年代や整理番号などから、6点はいずれも10年かその翌年に刷られたと考えられるという。
 このうち、日本と朝鮮半島を同じ色に染めた地図を基調にしたデザインは2点。「漢城」(現・ソウル)を日本が改称させた「京城」の文字や朝鮮出兵した豊臣秀吉の家紋などが刷られたものや、韓国併合の年を音符になぞらえたとみられる表現もあった。丸印の「朝鮮」という字を覆うように、角印の「日本」という字が上書きされているデザインも。この「日本」の文字や枠内にはアイヌ文様が描かれており、「日本がアイヌに強いた同化政策を暗示し、韓国併合を歴史的に正当化しようとしたとも考えられる」という。
 木立教授は「来年は韓国併合から100年にあたる。当時の国民が韓国併合をどのように受け止めていたかを考えるきっかけになれば」と話す。23日から6月21日まで同大学国際平和ミュージアム(北区)であるミニ企画展で展示する。
http://mytown.asahi.com/kyoto/news.php?k_id=27000000905200001


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訃報:太田竜さん 78歳=評論家、社会運動家

2009-05-20 | 日記
(毎日新聞 2009年5月20日 東京朝刊)
 太田竜さん 78歳(おおた・りゅう<本名・栗原登一=くりはら・とういち>評論家、社会運動家)19日、腹膜炎のため死去。葬儀は行わず、お別れの会を後日開く。自宅は東京都文京区白山5の35の12。喪主は妻千鶴子(ちづこ)さん。
 日本共産党を離党し、57年に日本トロツキスト連盟の結成に参加。続いて第4インターナショナル日本委員会を組織。その後はアイヌ解放やエコロジーなど独自の社会運動や評論活動を行った。
http://mainichi.jp/select/person/news/20090520ddm041060081000c.html

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植樹祭:シマフクロウの森づくりでミズナラなどを--標茶 /北海道

2009-05-20 | 日記
(毎日新聞 2009年5月18日 地方版)
 絶滅にひんしているシマフクロウの生息環境復元に向けた「第16回シマフクロウの森づくり100年事業植樹祭」が17日、釧路管内標茶町虹別の西別川上流部で行われた。
 家族連れら約350人がスコップやくわを手にミズナラ、ハンノキ、ハルニレなど約3000本を植え、16年間で植樹した苗は計5万1500本に達した。
 西別川流域は、かつてはアイヌ民族が「村の守り神」として崇めていたシマフクロウの鳴き声が聞こえる流域だったが、開発などの影響で減少。危機感を抱いた「虹別コロカムイの会」(舘定宣会長、73人)が94年から、100年先の生息環境の復元を目指して広葉樹の苗を植え始めた。網走管内斜里町から家族4人で参加した横内秋里ちゃん(5)は「植えた木がすっごく大きくなるといいな」と、将来に思いをはせていた。【本間浩昭】
http://mainichi.jp/hokkaido/news/20090518ddlk01040121000c.html

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「ウレシパモシリ」への願い

2009-05-20 | 日記
(読売新聞2009年5月17日)
 今年2月26日、首相官邸の大会議室。アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会で、国立科学博物館の研究者が「自然人類学から見たアイヌ民族」と題して講演した。
概(おおむ)ね次のような内容である。
 《アイヌも本土人も縄文人を基盤としているが、本土人は弥生時代に大陸から渡来した人々と混血することで成立した。アイヌは、縄文人を母体としながらも、周辺集団との交流を続けながら変化していった。北方の少数民族のDNAがアイヌに伝えられていた》
 これを聴いた懇談会メンバーの北海道アイヌ協会理事長・加藤忠さん(70)は実にうれしかったという。「今までアイヌって何?という眼(め)で見られてきたのに、首相官邸で、我々のルーツと、北海道と本州とは違うことが明確にされたのですから」
 アイヌ民族に対する認識は劇的に変化している。2007年9月に国連総会で「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択され、アイヌ復権の機運が高まった。08年6月、国会決議を受けて、政府は、初めてアイヌを先住民族と認定した。加藤さんら有識者による懇談会は今夏、アイヌ民族の地位向上に向けた施策を提言する。
 江戸後期以降の近代化の中でアイヌ民族は差別を受け、同化政策を強いられてきた。戦後は、アイヌ民族の存在すら明確ではなかった。そんな歴史と現状を知り、互いの立場を尊重することが、施策を講じる前提になる。
 先住民族の土地や資源の権利を巡っては、難問もあるだろう。
 「ウレシパモシリ」というアイヌ語がある。加藤さんの敬愛する野村義一・元理事長が1992年12月、国連総会の演説の際に用いた言葉だ。「互いに育みあう大地」という意味である。懇談会の提言は、この言葉を実現するための第一歩になる。
      ◇
 ちょうど2年間連載してきた「日曜コラム」は、今回で終わります。様々な人と出会い、取材を重ねるたびに、北海道への愛着が深まりました。ありがとうございました。
(編集部長 飯田政之)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/feature/hokkaido1197698160920_02/news/20090518-OYT8T00274.htm

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生活支援新法制定を 道アイヌ協会総会で基本方針

2009-05-20 | 日記
(北海道新聞05/16 08:03)
 北海道アイヌ協会(加藤忠理事長)は十五日、札幌市内で総会を開き、「アイヌ民族の積年の願いである立法措置に基づく総合的施策の確立に取り組んでいく」などを基本方針とする二〇〇九年度事業計画を決定した。
 政府は「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」で、総合的施策の検討を進めている。基本方針は、アイヌ民族の生活支援などを目指す新法制定を求める姿勢を宣言。さらに、内閣に関係省庁を統括する窓口を設置し、アイヌ民族に関する常設の審議機関を設けるよう働きかけていくことを盛り込んだ。
 基本方針に基づく事業計画では、道外のアイヌ民族団体との連携強化を目指して、意見交換を進めていくことなどを打ち出した。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/165403.html

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道アイヌ協:事業計画案を承認 施策推進の立法要望へ /北海道

2009-05-17 | 日記
(毎日新聞 2009年5月16日 地方版)
 道アイヌ協会の総会が15日、札幌市中央区で行われた。政府の「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が今年夏にも答申を出す機会をとらえ、総合的な施策を推進する新たな立法措置のほか、政府の担当窓口や常設の審議機関の設置を求めることを盛り込んだ今年度の事業計画案を承認した。
 あいさつで加藤忠理事長は、アイヌを先住民族と認めることを政府に求めた国会決議が昨年6月に採択されたのを受けて事態が大きく動いている状況を指摘。その上で「いま大きな転換点に立たされ、これまでのアイヌの思いを政府がくみ取る可能性がある」と、有識者懇の議論が正念場に差し掛かっていることを強調した。
 総会には道内各地の支部から代議員ら約250人が参加。アイヌ協会を全国組織に発展させる具体的な方策や権利の回復などについて意見が出された。【千々部一好】
http://mainichi.jp/hokkaido/news/20090516ddlk01040139000c.html

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「正調」安曇節の集まりに

2009-05-17 | 日記
(朝日新聞2009年05月16日)
 先生は… 梨子田芳正さん(松川村安曇節保存会歌謡部長)
 最後の返しで盛り上りを
 学生時代、山岳部にいた筆者は、上級生から安曇節を教わって覚えた。穂高岳から下山した上高地の奥で、山小屋の人たちと酒を酌み交わし、安曇節で盛り上がった思い出がある。
 松川村の安曇節保存会が正調安曇節を伝えていると聞いて、月1回の集まりをのぞいてみた。多目的交流センター「すずの音ホール」には、小学生から年配の人まで20人近くが集まっていた。太鼓、三味線、尺八の伴奏で歌い始める。
    *
 ♯サー 寄れや寄ってこい安曇の踊り 田から町から田から町から 野山から チョコサイコラコイ
    *
 あれっ、筆者の知っている安曇節とちょっと違う。最初に「サー」と入るのは初めて聞いた。歌詞の「町から」は「畑(はた)から」だったような気がするし、メロディーも微妙に違う。
 同会歌謡部長の梨子田芳正さん(61)によると、筆者が覚えた安曇節は「豊科調」だそうだ。
 「正調」は1923(大正12)年、松川村の医師榛葉太生(しんはふとお)が創作した。代かき歌や田植え歌など民謡が歌われなくなったのを憂え、歌詞を収集した。メロディーは「豊科調」などに改良を加え、一つの民謡にまとめあげたという。レコードにもなって普及した。
 歌詞は七七七五調で、3句目の7文字(田から町から)を2回繰り返し、最後の5文字(野山から)を3回繰り返す。さらに「チョコサイコラコイ」(アイヌ語で、そうだ、同感の意という)。安曇節の盛り上がりは、最後の返しの部分とチョコサイコラコイをみんなで歌うところだろう。筆者も覚えがある。無数にある歌詞を知らなくても、だれもが参加できるのだ。
 村では毎夏の「ふるさと祭り」で村民が生歌の安曇節で踊る。
 梨子田さんが語る歌い方の極意。「多少シナ(小節)をつけ、踊りやすくアクセントを」。うーん、むずかしそうだ。(山田新)
    *
 1947年、松川村生まれ。南安曇農高を卒業後、亜細亜大で会計学を学び、県内の自動車販売会社に就職。県アマ相撲最高位の大関に18年間在位。保存会に携わって約30年。歌、楽器、踊りの3部門のうち歌の責任者だ。
    *
 松川村安曇節保存会は62年に設立され、現在会員580人。毎月第2木曜の夜、すずの音ホールで練習。問い合わせは村教委文化施設係(0261・62・2481)へ。
 正調安曇節は村観光協会ホームページ(http://www.janis.or.jp/users/kanmatu/)の「イベント」のページで聞くことができる。
http://mytown.asahi.com/nagano/news.php?k_id=21000190905160006

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「ピリカノカ」など名勝、宇治川太閤堤跡は史跡…文化審答申

2009-05-16 | 日記
(2009年5月16日00時07分 読売新聞)
 文化審議会(西原鈴子会長)は15日、独特の地形から成るアイヌの景勝地「ピリカノカ クトゥンヌプリ、ピンネタイオルシペ」(北海道名寄市、石狩市)など4件を名勝に、豊臣秀吉によって築かれた「宇治川太閤堤跡」(京都府宇治市)など10件を史跡に指定、フランス人建築家のルコルビュジエの設計思想により実現した「国立西洋美術館園地」(東京都台東区)など2件を登録記念物(名勝地)に登録するよう文部科学相に答申した。
 ピリカノカは「美しい・形」を示すアイヌ語で、名寄市のクトゥンヌプリは、「岩崖がある山」、石狩市のピンネタイオルシペは「樹叢の平原の中にそびえる雄山」を意味する。それぞれアイヌの祈りの場や、伝承の舞台となっている。
 宇治川太閤堤跡は、豊臣秀吉が1594年、伏見城を築いたのを機に行った宇治川・淀川などの大規模治水工事で築造された。堤の遺構には、約400メートル続くとみられる護岸のほか、水流を調節する石出しと、くい出しが確認されている。その他の答申は次の通り。
 【名勝】平城宮東院庭園(奈良市)▽別府の地獄(大分県別府市)▽首里城書院・鎖之間庭園(那覇市)【史跡】会津新宮城跡(福島県喜多方市)▽高山社跡(群馬県藤岡市)▽武蔵国府跡(東京都府中市)▽増山城跡(富山県砺波市)▽伊賀国庁跡(三重県伊賀市)▽二子塚古墳(広島県福山市)▽隈部(くまべ)氏館跡(熊本県山鹿市)▽棚底城跡(同県天草市)▽宇江城城跡(沖縄県久米島町)【登録記念物】鶴舞公園(名古屋市)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20090515-OYT1T01206.htm

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文化審議会:「太閤堤跡」など史跡に答申

2009-05-16 | 日記
(毎日新聞 最終更新2009年5月16日 0時29分)

 文化審議会(西原鈴子会長)は15日、豊臣秀吉が16世紀末に築いた「宇治川太閤堤跡」(京都府宇治市)など10件を史跡に、四つの温泉源から成る「別府の地獄」(大分県別府市)など4件を名勝に新規指定するよう、塩谷立文部科学相に答申した。また、国立西洋美術館園地(東京都台東区)など2件については、新たに登録記念物に登録するよう答申した。
 特別史跡「一乗谷朝倉氏(いちじょうだにあさくらし)遺跡」(福井市)は、家臣の屋敷の一部などを追加指定。そのほか23件について、追加指定や名称変更などを答申した。大雪で巨木が折損した「共和のカシの森」(山口県美祢市)は天然記念物の指定解除を答申した。
 秀吉は1594年の伏見城築城を機に、付近の大規模な治水工事を実施。京都盆地の宇治川右岸に造られた堤跡は「保存状況が良好で、当時の土木技術を示す遺跡として極めて重要」と評価された。【加藤隆寛】
 ほかに新規指定や登録を答申された史跡などは次の通り。
 <史跡>会津新宮城跡=福島県喜多方市▽高山社跡=群馬県藤岡市▽武蔵国府跡=東京都府中市▽増山城跡=富山県砺波市▽伊賀国庁跡=三重県伊賀市▽二子塚古墳=広島県福山市▽隈部氏館跡=熊本県山鹿市▽棚底城跡=熊本県天草市▽宇江城(うえぐすく)城跡=沖縄県久米島町
 <名勝>ピリカノカ(リは小さな「リ」の字でアイヌ語の発音に基づく表記、九度山・黄金山)=北海道名寄市、石狩市▽平城京東院庭園=奈良市▽首里城書院・鎖之間(さすのま)庭園=那覇市
 <登録記念物>鶴舞公園=名古屋市
http://mainichi.jp/photo/news/20090516k0000m040120000c.html

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文化審、別府の地獄を名勝指定へ アイヌの景勝地も

2009-05-16 | 日記
【共同通信2009/05/15 15:15】
 文化審議会(西原鈴子会長)は15日、別府温泉の観光名所「別府の地獄」(大分県別府市)や、アイヌ語で「美しい・形」を意味する景勝地「ピリカノカ」(北海道名寄市、石狩市)など4件を名勝に新規指定するよう塩谷立文部科学相に答申した。アイヌ語表記の名勝指定は初めて。
 また豊臣秀吉が築造した「宇治川太閤堤跡」(京都府宇治市)など10件を史跡に指定するよう答申。「国立西洋美術館園地」(東京都台東区)と「鶴舞公園」(名古屋市)を登録記念物とすることを求めた。
 近く答申通り告示される予定で、名勝は355件、史跡は1650件、登録記念物は46件となる。
 名勝に指定される別府の地獄は、血の池、海、龍巻、白池の4地獄で、赤や青など独特の色に染まった湯を周遊する「地獄めぐり」は全国的に知られている。
 ピリカノカは、アイヌの祈りの対象だった九度山(クトゥンヌプリ)と、ピラミッド状の美しい黄金山(ピンネタイオルシペ)で構成。名勝指定によって、アイヌ文化と密接な関連がある自然景観の保護を進める。
 このほか文化審議会は、昨年2月の大雪で倒れたイチイガシの巨木「共和のカシの森」(山口県美祢市)の天然記念物指定を解除するよう答申した。天然記念物は1件減って979件となる。
http://www.47news.jp/CN/200905/CN2009051501000517.html
アイヌ伝承の山など14件、史跡名勝に指定へ(朝日新聞2009年5月15日15時21分)
 文化審議会(西原鈴子会長)は15日、史跡や名勝として14件を新たに指定し、登録記念物に2件を登録するよう、塩谷文部科学相へ答申した。
 史跡には、8世紀前半ごろの造営とみられる武蔵国府跡(東京都府中市)や、明治時代に清温育(せいおんいく)と呼ばれる養蚕方法の開発・普及を行った高山社跡(群馬県藤岡市)、豊臣秀吉が宇治川の右岸に築造した宇治川太閤堤跡(京都府宇治市)などが含まれる。名勝には、アイヌ民族の物語や伝承の舞台となり、九度山(クトゥンヌプリ)と黄金山(ピンネタイオルシペ)からなるピリカノカ(アイヌ語で「美しい形」、北海道名寄市・石狩市)、温泉の「地獄めぐり」で知られる別府の地獄(大分県別府市)などが入った。
 他の答申は次の通り。
 【史跡】会津新宮城跡(福島県喜多方市)▽増山城跡(富山県砺波市)▽伊賀国庁跡(三重県伊賀市)▽二子塚古墳(広島県福山市)▽隈部氏館跡(熊本県山鹿市)▽棚底城跡(同県天草市)▽宇江城(ぐすく)城跡(沖縄県久米島町)
 【名勝】平城宮東院庭園(奈良市)▽首里城書院・鎖之間(さすのま)庭園(那覇市)
 【登録記念物(名勝地関係)】国立西洋美術館園地(東京都台東区)▽鶴舞公園(名古屋市)
http://www.asahi.com/culture/update/0515/TKY200905150213.html

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アイヌ伝承の山など14件、史跡名勝に指定へ

2009-05-16 | 日記
(朝日新聞2009年5月15日15時21分)
 文化審議会(西原鈴子会長)は15日、史跡や名勝として14件を新たに指定し、登録記念物に2件を登録するよう、塩谷文部科学相へ答申した。
 史跡には、8世紀前半ごろの造営とみられる武蔵国府跡(東京都府中市)や、明治時代に清温育(せいおんいく)と呼ばれる養蚕方法の開発・普及を行った高山社跡(群馬県藤岡市)、豊臣秀吉が宇治川の右岸に築造した宇治川太閤堤跡(京都府宇治市)などが含まれる。名勝には、アイヌ民族の物語や伝承の舞台となり、九度山(クトゥンヌプリ)と黄金山(ピンネタイオルシペ)からなるピリカノカ(アイヌ語で「美しい形」、北海道名寄市・石狩市)、温泉の「地獄めぐり」で知られる別府の地獄(大分県別府市)などが入った。
 他の答申は次の通り。
 【史跡】会津新宮城跡(福島県喜多方市)▽増山城跡(富山県砺波市)▽伊賀国庁跡(三重県伊賀市)▽二子塚古墳(広島県福山市)▽隈部氏館跡(熊本県山鹿市)▽棚底城跡(同県天草市)▽宇江城(ぐすく)城跡(沖縄県久米島町)
 【名勝】平城宮東院庭園(奈良市)▽首里城書院・鎖之間(さすのま)庭園(那覇市)
 【登録記念物(名勝地関係)】国立西洋美術館園地(東京都台東区)▽鶴舞公園(名古屋市)
http://www.asahi.com/culture/update/0515/TKY200905150213.html

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「権利と資源 回復を」 アイヌ民族が有識者懇委員と意見交換

2009-05-16 | 日記
(北海道新聞2009/05/12)
政府の「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」(座長・佐藤幸治京大名誉教授)の道東視察が八日から十日まで、釧路市阿寒湖温泉と白糠町で行われた。委員との意見交換ではアイヌ民族の側から、生活権の回復や教育支援などを求める声が相次いだ。(久保田昌子)

細る漁業/生活窮迫 支援の必要性訴え
 委員は九日、阿寒湖アイヌコタンでアイヌ民族の暮らしを再現した「ニタイトー森と湖の芸術館」を見学。その後、阿寒湖まりむ館と白糠町役場で、道東のアイヌ民族計十四人と意見交換した。
道アイヌ協会白糠支部の高木津吉支部長らは漁業者の苦境を訴えた。町内ではタコなどの漁獲量が激減し、漁業に従事する多くのアイヌ民族の生活が窮迫しているという。高木支部長は「河川の水質汚濁でシシャモやサケも取れなくなっている。政府は改善策を考えてほしい」と話した。

 同協会根室地区支部連合会の小川悠治会長も「国の施策で略奪された権利と資源を回復してもらいたい」と、漁業を含む零細事業に対する資金貸し付け事業の新設を求めた。
人材育成への支援を求める声も相次いだ。白糠アイヌ文化保存会の磯部恵津子会長は「所得が少ない家庭のアイヌの子供たちが安心して進学できる政策と生活支援」を要望。道アイヌ協会釧路支部の秋辺得平支部長はトンコリを持参し、「若い世代で伝統工芸の技術者を養成してほしい」と訴えた。
また、阿寒アイヌ工芸協同組合の床州生理事は「アイヌ語やアイヌ文様を正しく使ってほしい」として、アイヌ文化の知的財産権を保護管理する機関の設置を求めた。

 道東視察を終え、十日に釧路空港で記者会見した佐藤座長は「知的財産権を確立する必要がある」として、八月に政府に提出する報告書に権利保護の必要性を盛り込む考えを示した。生活権の回復や教育支援については「支援の必要性を強く感じる」と述べるにとどまった。
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/piyar/57662.html

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シンポジウム:アイヌ子弟に教育の場、経済的支援を--札幌大で /北海道

2009-05-15 | 日記
(毎日新聞 2009年5月14日 地方版)
 アイヌ子弟に教育の場を提供する「ウレシパ・プロジェクト」の来春からの導入を検討している札幌大(札幌市豊平区)で13日、プロジェクトを考える学内シンポジウムがあった。宮腰昭男学長は「学内議論を踏まえ、できるだけ早く一定の結論を出したい」と話しており、今後も経済的な支援策を含めて検討を続け、具体策をまとめていく考えだ。
 ウレシパとはアイヌ語の「育て合い」の意味。アイヌ子弟に民族教育の場を提供し、アイヌ以外の学生や教職員も共に学び合うのが狙い。(1)アイヌ子弟の希望者から奨学生を募集し経済的支援を行い、学内での学習・実践活動に協力する(2)奨学生が卒業後、優先的に採用する企業の募集する(3)アイヌとそれ以外の学生との交流を通じた多文化共生社会を実現する--の三つを柱にしている。
 シンポジウムでは、北海道大の常本照樹・法学部長が基調講演。アイヌの大学進学率が低い現状や、外国では先住民族の大学教育に力を入れている事例を紹介しながら、「プロジェクトは総合的な施策で評価できる」と指摘した。参加者からは「経済不況が深刻化する中で、アイヌだけを支援するのは逆差別になる」との声も出た。【千々部一好】
http://mainichi.jp/hokkaido/news/20090514ddlk01040301000c.html

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