wedge 2017年6月6日森川聡一
■今回の一冊■
Killers of the Flower Moon
筆者 David Grann
出版社 Doubleday
『Killers of the Flower Moon』(David Grann,Doubleday)
きっとハリウッドが映画化するだろう。一読してそう思わせる迫真のノンフィクションだ。1920年代のアメリカ・オクラホマ州で本当に起きた連続殺人事件の真相に迫る。サブタイトルに「The Osage Murders and the Birth of the FBI」とあるように、インディアのオセージ族(Osage)の20人を超す人々が次々と銃や毒薬で殺され、アメリカ連邦捜査局(FBI)が捜査に乗り出す。
オセージ族が住む土地は、豊富な原油を埋蔵していた。その地下資源の権利を保有するオセージ族は、油田を開発する権利を石油会社に売り巨万の富を抱えていた。その利権を狙う白人たちの手により、オセージ族の人々が次々と殺されるのだが、犯人はつかまらない。
当時は、科学的な捜査手法が確立しておらず警察制度もまだ整備されていなかった。オセージ族の被害者の遺族たちは自費で私立探偵を雇う。しかし、私立探偵そのものが不正に手を染めるたちの悪い連中でもあり、真相は解明されない。しかも、アメリカ政府当局に陳情しても、インディアンの人権を無視する白人がほとんどだ。罪もないインディアンたちを殺した悪漢たちに正義の裁きは及ばないかにみえた。連続殺人が全米でも注目を集め始めたとき、FBIは若き捜査官を現地に送り込む。
正確には当時、FBIはまだBureau of Investigationと呼ばれていた。組織名にFederal(連邦)がついていないことが物語るように、全米をカバーする捜査機関としての権威を確立していなかった。注目事件を解決してFBIの評判を高め連邦捜査機関としての権威を高めよう。長官のエドガー・フーバーにはそうした目論見があった。フーバーが送り込んだ捜査官たちは見事、真犯人を割り出し刑務所へと送り込む。しかし、現代に至るまで未解決の闇の部分が事件には残っている。本書の筆者は、古い捜査記録を丹念に読み込み、新たな真相も浮き彫りにする。
半ば娯楽として事件が人気に
粗筋を書くだけでもドキドキする展開だ。本書はニューヨーク・タイムズ紙の週間ベストセラーリスト(ノンフィクション単行本部門)に、5月7日付で5位に初登場した。6月11日付でも6週連続でランクインし5位につけた。ちなみに、タイトルのFlower Moonとは、オセージ族の5月を意味する言葉に由来する。本書が追う連続殺人の最初の事件が1921年5月に起きたからだ。
冷静に考えると、本書が描くのは、アメリカ人でさえ忘れている、アメリカ建国の歴史の暗黒部分である。北米の先住民であるインディアンたちの人権をいかに無視して領土を拡大したのかも描く。オセージ族から石油の利権を奪い取るために白人たちが手を下した残忍な犯罪の数々も浮き彫りになる。本書でも当時の新聞の表現を次のように紹介している。
The world’s richest people per capita were becoming the world’s most murdered. The press later described the killings as being as “dark and sordid as any murder story of the century” and the “bloodiest chapter in American crime history.”
「一人当たりの財産が世界の中でもっとも豊かな人々が、世界の中でもっとも多く殺人事件で命を落とす人々になっていた。新聞は後年、その連続殺人を『今世紀のいかなる殺人事件よりも邪悪で卑劣だ』と表現した。『アメリカの犯罪史におけるもっとも血なまぐさい一章だ』とも報じた」
しかも当時のアメリカ社会では、オセージ族の連続殺人が注目を集めた。不謹慎な話だが半ば娯楽として殺人事件のニュースが人気を呼んだ。
Despite the brutality of the crimes, many whites did not mask their enthusiasm for the lurid story.OSAGE INDIAN KILLING CONSPIRACY THRILLS, declared the Reno Evening Gazette. Under the headline OLD WILD WEST STILL LIVES IN LAND OF OSAGE MURDERS, a wire service sent out a nationwide bulletin that the story, “however depressing, is nevertheless blown through with a breath of the romantic, devil-may-care frontier west that we thought was gone. And it is an amazing story, too. So amazing that at first you wonder if it can possibly have happened in modern, twentieth-century America.” A newsreel about the murders, titled “The Tragedy of the Osage Hills,” was shown at cinemas.
「残虐な犯罪にもかかわらず、多くの白人たちは臆面もなく、ぞっとするようなストーリーに熱中した。オセージ族インディアン殺害の恐るべき陰謀スリラー、とレノ・イブニング・ガゼット紙は銘打った。古き開拓時代の無法な西部がオセージ族殺人の地に今なお残る、との見出しのもと、ある通信社は全米に速報を送った。ストーリーは『とても重苦しいが、それにもかかわらず、われわれがもうなくなったと思っているロマンチックで無頼な西部開拓時代の息吹に満ちている。また、とても驚くべきストーリーだ。あまりにすごいので、現代の20世紀アメリカでこんなことが起こりうるのかと、最初は信じられないほどだ』と。『オセージが丘の悲劇』と題したニュース映画は映画館で上映もされた」
信頼できる警察が身近にない
しかも、住民を守る警察組織は貧弱で、そもそもインディアンを守るという意識もない。20人以上が殺されて捜査に乗り出したFBIも、アメリカ全土に目を光らせる捜査機関としての権威を高めるという政治的な目的のもと動いていた。
当時のフーバー長官の目論見どおり、FBIはオセージ族連続殺人事件を一応の解決に導く。本書では、その後のFBIについて特に解説しない。ご存知のように、フーバーは1924年から72年まで計48年にわたり長官の座に居座り、違法捜査にも手を染め、スキャンダル情報を集めて政治家や著名人たちの弱みを握り、政財界に影響力を行使したのは今では有名な話だ。
トランプ大統領が突如、長官を解任し話題となっているFBIだが、少し昔を振り返ると、政治的な色彩が濃い成り立ちの歴史を持ち、しかも一個人が自分の地位を守るため長期にわたり支配を続けた、ある意味とんでもないガバナンス体制を持つ捜査機関だった。その歴史を見る限り、FBIを正義の捜査機関として神格化するのもいかがなものかと思う。
信頼できる警察が身近にない当時の状況について本書は次のように記す。
During much of the nineteenth and early twentieth centuries, private detective agencies had filled the vacuum left by decentralized, underfunded, incompetent, and corrupt sheriff and police departments. In literature and in the popular imagination, the all-seeing private eye-the gumshoe, the cinder dick, the sleuthhound, the shadow-displaced the crusading sheriff as the archetype of rough justice.
「19世紀から20世紀初頭にかけてはおおむね、私立探偵事務所が警察の空白を埋めていた。郡の保安官や警察署は各地方任せで予算も足りず、能力も低いうえ、堕落していた。文学作品のなかや大衆のイメージのなかでも、千里眼の私立探偵は、荒っぽい正義の象徴として闊歩する保安官たちを主役の座から追い出した。また、探偵(private eye)については、the gumshoe, the cinder dick, the sleuthhound, the shadowといった呼び方も使われた」
なお、本筋とはやや関係ない薀蓄もひとつ拾っておきたい。私立探偵のことをなぜprivate eyeと呼ぶのか次の説明で初めて納得した。
In 1850, Allan Pinkerton founded the first American private detective agency; in advertisements, the company’s motto, “We Never Sleep,” was inscribed under a large, unblinking, Masonic-like eye, which gave rise to the term “private eye.”
「1850年にアラン・ピンカートンがアメリカで最初の私立探偵事務所を設立した。その広告のなかで、事務所のモットー『われわれは決して眠らない』を、じっと見つめるフリーメーソン風の大きな眼の下に銘記したことで、private eyeという言葉が流布した」
地元の保安官では信用できずに、オセージ族の人たちも最初は私立探偵に大金を払って身内の殺人事件の捜査を頼んだ。しかし、まともでない探偵も多く、真犯人を突き止めるまでにはいかなかった。
オセージ族はなぜ狙われたのか
そもそも、連続殺人の悲劇に見舞われたオセージ族とはどういう人たちで、なぜ命を狙われたのか。本書によると、トマス・ジェファーソン大統領が1803年にフランスから買い取ったルイジアナ地域の一部に住んでいたインディアンがオセージ族だった。アメリカ政府はオセージ族がもともと住んでいた土地を明け渡すよう命じ、カンザス州南部へと部族を追いやる。しかし、そこでも白人の入植者が増え始めると、オセージ族はオクラホマ州へと移住を余儀なくされた。ところが、このオセージ族がオクラホマ州で得た定住の地には、豊富な原油が眠っていた。折からの油田開発ブームで一攫千金を狙う白人がオセージの村に押し寄せる。
なかには、油田の利権を狙ってインディアンの女性と結婚する白人男性も出てきた。白人の夫を持つあるインディアン女性の親族が次々と殺されていったのだ。不正は殺人だけにとどまらなかった。アメリカ政府は当時、インディアンの人権を認めず、オイルマネーのおかげで世界でもっとも裕福といわれたオセージ族の人々は、自分の財産を自由に使うことが許されなかった。地元の白人の銀行家などがオセージ族の人々の後見人となり、資産を管理していた。後見人としての立場を悪用し資産を盗んだ例が多かったという。
後にFBIが事件の真相を明るみにするのだが、村の有力実業家らもぐるとなって、連続殺人に加担していた。オセージ族に同情する白人の弁護士が首都ワシントンへ事件解決に向けた陳情に行った帰りの列車のなかで殺されるなど、犠牲者は増えるばかりだった。
全米でも連続殺人事件への関心が高まる中、フーバー長官はFBIの捜査員を現地に送り込む。捜査員たちは地道な聞き込みや潜入捜査を命がけで決行し、有力実業家やインディアンと結婚した白人の男が殺人を計画し、地元のならず者たちが犯行に加担した実態を暴きだす。FBIは裁判でも勝利をおさめ悪人たちを刑務所へ送り込むことに成功した。
フーバー長官の目論見は的中した。しかし、フーバーは不幸なインディアンたちのために立ち上がったわけではなかった。まだ権威の弱いFBIの評判をあげることが真の狙いだった。
For Hoover, the Osage murder investigation became a showcase for the modern bureau. As he had hoped, the case demonstrated to many around the country the need for a national, more professional, scientifically skilled force.
「フーバーにとって、オセージ殺人事件の捜査は、近代的なFBIを象徴する模範ケースとなった。フーバーが望んだように、この事件の捜査は全米の多くの人々に対して、国全体をカバーし、より専門的で、科学的な捜査手法を備えた捜査機関の必要性を訴えかけたのだ」
FBIは1932年には、実際の事件を題材にしたラジオドラマの放送にも協力を始める。そのドラマの初期のエピソードのひとつがオセージ族の殺人事件を扱ったものだったという。FBIは組織のイメージ戦略の一環としてインディアンたちの悲劇を利用したのだ。逆に、それだけ利用価値があったということでもあり、オセージ族の連続殺人事件は当時、かなり社会の注目を集めていたことになる。実際、1926年に行われた裁判は話題となったようだ。
A local historian later ventured that the Osage murder trials received more media coverage than the previous year’s Scopes “monkey trial,” in Tennessee, regarding the legality of teaching evolution in a state-funded school.
「ある郷土史家は後年、大胆にもこう言い切っている。オセージ殺人事件の裁判は、その前年のテネシー州のスコープスの進化論裁判(進化論を州立の学校で教えることの適法性に関する裁判)を上回る、メディアの取材対象となった」
FBIは一連のオセージ殺人事件では計24人が命を落としたとして、事件の捜査を終わらせた。ところが、本書はさらに追及を続ける。当時の捜査資料を読み解くと、そもそも全米で話題になったオセージの連続殺人事件は氷山の一角にすぎず、もっと多くの殺人が闇に葬られたままだという。取材のために現地を訪れ、オセージ族の末裔たちに会って話を聞いた筆者は、不審な死をとげた自分の祖先たちも実は殺人事件の犠牲者なのではないかという疑念を持ち続けている人々に出会う。筆者は当時の資料を読み込み、複数のインディアンの不審死にかかわった疑いがある銀行家の存在も割り出している。
そうしたオセージ族の末裔のひとりの次の言葉は重い。
“A murdered Indian’s survivors don’t have the right to the satisfaction of justice for past crimes, or of even knowing who killed their children, their mothers or fathers, brothers or sisters, their grandparents. They can only guess—like I was forced to.”
「殺人事件の犠牲となったインディアンの遺族たちは、過去の犯罪に対し法の裁きが下され納得する権利を持っていない。あるいは、自分たちの子供を、あるいは母を、父を、兄弟姉妹を、孫を殺したのは誰かを知る権利さえない。単にだれが犯人かを推測するしかないのだ。私自身がそうせざるを得なかったように」
アメリカの歴史の闇の部分を切り出し、スリリングに語りながら、現在でも心に傷を抱えた人々がいることを知らしめる良書だ。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9767