末吉暁子先生がお亡くなりになってしまいました。明日、ご葬儀です。
おりおり、具合が悪いらしいという話が聞こえてきてましたので、少しずつ覚悟を決めていましたが、ものすごい喪失感です
数々の名作をだされてきた末吉先生と最初にお会いしたのは、鬼ヶ島通信の忘年会で、わたしはまだ、三〇代初めでした。若かった!
その時から末吉先生は、おきれいではなやかで、オーラがすごいねって、他の出席者と話していたと思います。
その後、年に一度のももたろうの会でお会いするほか、何度も出版お祝い会や鬼ヶ島のパーティ、末吉先生自身の授賞お祝い会などでお会いする機会がありました。
また、いろんな縁で松山旅行や台湾旅行までご一緒することができたし、お家によんでもらえたこともありました。それもこれも末吉先生のやさしいお人柄ゆえです。
あまんきみこさん、安房直子さんなど、情緒的な作品が人気を得る中、まっすぐ子どもの心をとらえる元気な作風で、子どもの味方となりえる作品をたくさん書かれました。教育的なもの、いい子をつくるような大人都合のものは、あまりお好きでないようで、あくまでも子どもの側にたった視点でおもしろさを追求されていらしたと思います。
それががんこちゃんにもあらわれていますよね。だからNHKでもロングランになっているんだと思います。
長編では、古事記や日本の古い伝説などをもとにした名作を書かれました。その場に行かないとわからない空気感があるとおっしゃられ、何度もその土地に取材にいかれていました。それも、楽しそうに行かれてました。
出雲神社のあたりで古事記をモチーフに『地と潮の王』
岩手、遠野で座敷童を取材して『雨ふり花さいた』
沖縄 久高島から『赤い髪のミウ』
天の羽衣伝説から『水のしろたえ』
壇ノ浦、平家物語をモチーフに『波のそこにも』
どこか、水、海、そういうものに近い題材が多いですね。
鬼ヶ島通信20号から30号あたりに書かれた先生のエッセイや創作仕方みたいな文章を何度も繰り返し読みました。創作に迷った時など、とくにそうです。ご病気になられてからも、鬼ヶ島通信には休まず、すぐれた作品を書かれてました。開始から一度も休んだことなく書かれたんだと思います。
また、ペープサート講演をお嬢さまの理佐さんたちとともに、されてました。これも子どもを楽しませたいってそういう願いだったと思います。
いつもいつも、次に末吉先生にお会いした時にも、胸をはって、「新作をだせました」って言えるようにしようというのがわたしのひそかな目標でした。それが、がんばるモチべーションのひとつでした。
『がむしゃら落語』をだした時、ひと皮むけましたねっとコメントをくださった先生。先生がいらっしゃらなくて、迷子になりそうな心細さを感じてます。今まではげましてくださった先生の気持ちを無駄にしないようにしなくてはと、今、思っています
おりおり、具合が悪いらしいという話が聞こえてきてましたので、少しずつ覚悟を決めていましたが、ものすごい喪失感です
数々の名作をだされてきた末吉先生と最初にお会いしたのは、鬼ヶ島通信の忘年会で、わたしはまだ、三〇代初めでした。若かった!
その時から末吉先生は、おきれいではなやかで、オーラがすごいねって、他の出席者と話していたと思います。
その後、年に一度のももたろうの会でお会いするほか、何度も出版お祝い会や鬼ヶ島のパーティ、末吉先生自身の授賞お祝い会などでお会いする機会がありました。
また、いろんな縁で松山旅行や台湾旅行までご一緒することができたし、お家によんでもらえたこともありました。それもこれも末吉先生のやさしいお人柄ゆえです。
あまんきみこさん、安房直子さんなど、情緒的な作品が人気を得る中、まっすぐ子どもの心をとらえる元気な作風で、子どもの味方となりえる作品をたくさん書かれました。教育的なもの、いい子をつくるような大人都合のものは、あまりお好きでないようで、あくまでも子どもの側にたった視点でおもしろさを追求されていらしたと思います。
それががんこちゃんにもあらわれていますよね。だからNHKでもロングランになっているんだと思います。
長編では、古事記や日本の古い伝説などをもとにした名作を書かれました。その場に行かないとわからない空気感があるとおっしゃられ、何度もその土地に取材にいかれていました。それも、楽しそうに行かれてました。
出雲神社のあたりで古事記をモチーフに『地と潮の王』
岩手、遠野で座敷童を取材して『雨ふり花さいた』
沖縄 久高島から『赤い髪のミウ』
天の羽衣伝説から『水のしろたえ』
壇ノ浦、平家物語をモチーフに『波のそこにも』
どこか、水、海、そういうものに近い題材が多いですね。
鬼ヶ島通信20号から30号あたりに書かれた先生のエッセイや創作仕方みたいな文章を何度も繰り返し読みました。創作に迷った時など、とくにそうです。ご病気になられてからも、鬼ヶ島通信には休まず、すぐれた作品を書かれてました。開始から一度も休んだことなく書かれたんだと思います。
また、ペープサート講演をお嬢さまの理佐さんたちとともに、されてました。これも子どもを楽しませたいってそういう願いだったと思います。
いつもいつも、次に末吉先生にお会いした時にも、胸をはって、「新作をだせました」って言えるようにしようというのがわたしのひそかな目標でした。それが、がんばるモチべーションのひとつでした。
『がむしゃら落語』をだした時、ひと皮むけましたねっとコメントをくださった先生。先生がいらっしゃらなくて、迷子になりそうな心細さを感じてます。今まではげましてくださった先生の気持ちを無駄にしないようにしなくてはと、今、思っています