赤羽じゅんこの三日坊主日記

絵本と童話の本棚
日々のあれこれと、読んだ本のことなど書いていきます。

末吉暁子先生、ご葬儀

2016-06-03 06:40:12 | その他
昨日、晴天の中、末吉暁子先生のご葬儀がおこなわれました。
霊南坂教会でした。
教会でのご葬儀に出席するのは初めて。祭壇は赤バラと白バラがまじり上品で、通路には、末吉先生のご著書や数々のお写真も飾られていました。
末吉先生のお写真をみると、「赤羽さん、最近はどう?」と気さくに明るい顔で話しかけてくれるような気がして、胸がいっぱいになりました。

牧師さんのお話しがとてもよかったのです。
「暁子さんの作品は、もうひとつの世界とこちらの世界を行き来する作品が多かった。もうひとつの作品は暁子さんの魂の居場所だった……」
そう作品にもふれられ、努力家だった一面、作品づくりに打ち込んだ一面、後輩にやさしく接してくださった一面など、話されました。

上橋菜穂子さんを初め、いろんな作家がかけつけていらっしゃいました。
みんなに慕われていた末吉先生のお人柄がよく伝わってきたご葬儀でした。理佐さんが悲しみの中、笑顔を向けてくれました。そんなところ、ほんと、末吉先生ゆずりです。

ずっといっしょにいてくれた山本悦子さんが、別れ際、駅でかみしめるようにいってました。
「がんばって書いていこうね」っと。
ほんと、それが先生の望むことだろうと思います。

わたしは弱虫で、あとどのくらい書いてられるのだろうか、来年はだいじょうぶなのだろうか、と考えてしまいますが、それは邪念なんですね。

末吉先生に会った頃は、この作品だけでもなんとか完成させよう、ひとりでも多くの人に読んでもらいたいって、純粋に思っていました。時はさかのぼれないけれど、末吉先生の数々のお写真があの頃の気持ちを思いださせてくれたような気がします。


我が家の庭の紫陽花です。

永遠のあこがれ

2016-06-01 07:56:14 | その他
末吉暁子先生がお亡くなりになってしまいました。明日、ご葬儀です。
おりおり、具合が悪いらしいという話が聞こえてきてましたので、少しずつ覚悟を決めていましたが、ものすごい喪失感です

数々の名作をだされてきた末吉先生と最初にお会いしたのは、鬼ヶ島通信の忘年会で、わたしはまだ、三〇代初めでした。若かった!
その時から末吉先生は、おきれいではなやかで、オーラがすごいねって、他の出席者と話していたと思います。

その後、年に一度のももたろうの会でお会いするほか、何度も出版お祝い会や鬼ヶ島のパーティ、末吉先生自身の授賞お祝い会などでお会いする機会がありました。
また、いろんな縁で松山旅行や台湾旅行までご一緒することができたし、お家によんでもらえたこともありました。それもこれも末吉先生のやさしいお人柄ゆえです。

あまんきみこさん、安房直子さんなど、情緒的な作品が人気を得る中、まっすぐ子どもの心をとらえる元気な作風で、子どもの味方となりえる作品をたくさん書かれました。教育的なもの、いい子をつくるような大人都合のものは、あまりお好きでないようで、あくまでも子どもの側にたった視点でおもしろさを追求されていらしたと思います。

それががんこちゃんにもあらわれていますよね。だからNHKでもロングランになっているんだと思います。


長編では、古事記や日本の古い伝説などをもとにした名作を書かれました。その場に行かないとわからない空気感があるとおっしゃられ、何度もその土地に取材にいかれていました。それも、楽しそうに行かれてました。

出雲神社のあたりで古事記をモチーフに『地と潮の王』
岩手、遠野で座敷童を取材して『雨ふり花さいた』
沖縄 久高島から『赤い髪のミウ』
天の羽衣伝説から『水のしろたえ』
壇ノ浦、平家物語をモチーフに『波のそこにも』
どこか、水、海、そういうものに近い題材が多いですね。


鬼ヶ島通信20号から30号あたりに書かれた先生のエッセイや創作仕方みたいな文章を何度も繰り返し読みました。創作に迷った時など、とくにそうです。ご病気になられてからも、鬼ヶ島通信には休まず、すぐれた作品を書かれてました。開始から一度も休んだことなく書かれたんだと思います。

また、ペープサート講演をお嬢さまの理佐さんたちとともに、されてました。これも子どもを楽しませたいってそういう願いだったと思います。

いつもいつも、次に末吉先生にお会いした時にも、胸をはって、「新作をだせました」って言えるようにしようというのがわたしのひそかな目標でした。それが、がんばるモチべーションのひとつでした。

『がむしゃら落語』をだした時、ひと皮むけましたねっとコメントをくださった先生。先生がいらっしゃらなくて、迷子になりそうな心細さを感じてます。今まではげましてくださった先生の気持ちを無駄にしないようにしなくてはと、今、思っています