「音楽&オーディオ」の小部屋

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愛聴盤紹介コーナー~モーツァルトのピアノ・ソナタ~

2008年03月01日 | 愛聴盤紹介コーナー

モーツァルトのピアノ・ソナタはオペラ「魔笛」に次いで大好きな曲目。昔から常に手もとにおいて途切れることなく聴いてきたのですっかり耳に馴染んでいる。

ソナタは全部で17曲あり、それらは第1番K(ケッフェル)279から第17番K.576までということで彼の短い生涯(35歳)の中でも年齢的にかなり幅広い時期に亘って作曲されている。

このソナタがモーツァルトの600曲以上にものぼる作品の中でどういう位置づけを占めているかといえばあまりいい話を聞かない。

まず、このソナタ群の作曲の契機や具体的な時期などの資料が非常に少ない点が挙げられる。
理由のひとつとして、モーツァルト自身がこのジャンルの作品をあまり重要なものと見なさなかったからという説がある。彼の関心は時期にもよるが、ほぼ一貫してオペラにあった。そして、ピアノ協奏曲、交響曲がこれに次いでいるという。

たしかに自分もそう思うが、作品の価値は作曲者自身の意欲や位置づけとは関係ないのが面白いところ。たしかにオペラが一番とは思うが、その次に来る大事な作品は個人的にはピアノ・ソナタだと思っている。

というのは、ピアノはモーツァルトが3歳ごろから親しみ演奏家として、そして作曲家としての生涯を終始担った極めて重要な楽器であり、このピアノ単独のシンプルな響きの中に若年から晩年に至るまでのモーツァルトのそのときどきのありのままの心情がごく自然に表現されていると思っているから。

さらにオペラは別として交響曲やピアノ協奏曲は何度も聴くとやや飽きがくるが、このピアノ・ソナタに限っては、何かこんこんと尽きせぬ泉のように楽想が湧いてくる趣があり、モーツァルトの音楽の魅力が凝縮された独自の世界がある。この魅力に一旦はまってしまうと
”病み付きになる”こと請け合いである。

なお、実際に演奏する第一線のピアニストによるこのソナタの評価を記しておこう。

「モーツァルトの音楽は素晴らしいが弾くことはとても恐ろしい。リストやラフマニノフの超難曲で鮮やかなテクニックを披露できるピアニストが、モーツァルトの小品ひとつを弾いたばかりに馬脚をあらわし、なんだ、下手だったんだ、となることがときどきある。粗さ、無骨さ、不自然さ、バランスの悪さ~そのような欠点が少しでも出れば、音楽全体が台無しになってしまう恐ろしい音楽である!」
(「モーツァルトはどう弾いたか」よりH12 久元祐子著、丸善(株)刊)

さて、モーツァルト・ワールドに入り込むために欠かせないこのソナタのCDはものすごく沢山のピアニストが録音しており枚挙にいとまがないが、いまのところ次の5名のピアニストのものを所有している。

☆1 グレン・グールド「モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集」(4枚セット)
    録音:1967年~1974年

☆2 マリア・ジョアオ・ピリス「同 上」(6枚セット)
    録音:1989年~1990年

☆3 内田光子「同 上」(5枚セット)
    録音:1983年~1987年

☆4 ワルター・ギーゼキング「ソナタ10番~17番」(2枚セット)
    録音:1953年

☆5 クラウディオ・アラウ「ソナタ4番、5番、15番」(1枚)
    録音:1985年

                
         1                 2                 3

                     
                 4                    5

世評の高いイングリット・ヘブラー、リリー・クラウスの両女史のCDを持っていないが今更購入する気はない。この二人が束になってかかってもおそらくピリスには及ぶまいと思うから。とにかく5名ともいずれ劣らぬレベルの高い奏者ばかり。それぞれ部分的ではあるが、この5名を一気に聴いてみた。

以下、自分勝手な感想を記してみる。

1 グールドについては、これまで耳にたこができるほど聴いてきた。「ピアノ・ソナタといえばグールド」の時代が長く続いた。あの独特のテンポにすっかりはまってしまったのが原因。音楽の世界に句読点を意識したのは彼の演奏が初めてである。盤のライナーノートに、このアルバムは世界中のグールド・ファンの愛聴盤と記載されていたがさもありなんと思う。
一番好きなのは第14番(K457)の二楽章。しかし、さすがに15番以降は逆にテンポが早すぎてついていけない。
なお、グールド自身は作曲家モーツァルトをまるで評価しておらず、このソナタについての感想も何も洩らしていない。
(「グレン・グールド書簡集」で確認)

2 近年、グールドに替わって聴く機会の多いのがピリス。とにかく抜群の芸術的センスの持ち主である。一言で言えば”歌心(ごころ)”が感じとれる。澄んだ美しさと微妙なニュアンスがとてもいい。ずっと以前に有料のPCM放送のクラシック専門チャンネルで聴いて心を奪われ、ピリスの演奏であることを確認してすぐに全集を購入した。第1番から17番まですべてが名演で当たり外れがない。なお、ピリスには旧録音と新録音があって、これは新録音の方である。

3 日本を代表する世界的な音楽家といえば小澤征爾と内田光子さん。しかし、内田さんは活動拠点を徹底的にヨーロッパにおいているところが特徴。外交官の令嬢としてウィーンに学び第8回(1970年)ショパン・コンクールで2位入賞し一躍世界のひのき舞台に躍り出た。このソナタではヘブラー以来というフィリップス・レーベルの期待を担っての録音。グールドにもピリスにもないピアノの響きと香りが内田さん独自の解釈とともに展開されていく。これが日本と西欧の知性と感性が合体した「内田節」なのだろう。

4 ずっと昔に名演として誉れ高かったので購入したのだが、当時グールド一辺倒だったのでほとんど聴かずじまいのCD。何せ当時の録音なのでモノラルであり、オーディオ装置も今ほどは凝ってなかったので音が悪くて聴く気がしなかったわけ。
今回改めて引っ張り出して聴き直したが、ハッキリいってやっぱり良くなかった。というよりは自分には良さが分からなかったというべきだろう。改めて、まず録音が良くない。ヴァイオリンの場合はジネット・ヌヴーの熱演があの録音の悪さでも十分伝わってくるのだが、ピアノの場合の録音の悪さはどうしようもない。まあ、リパッティの例もあるので断言は出来ないが・・・。演奏の方は気負いも衒いもなく淡淡としたオーソドックスなもので、範とするに足るものだと思った。

 購入したいきさつを忘れてしまったほどのアラウ盤だが、ほんとうに久し振りに聴いた。ところがウーン・・・豊かな深い音色で弾かれる骨格の太いソナタにすっかり参った!
とても美しい音色で、その美しさが表面に留まっていない。武骨だがしみじみとした音が胸の中に温かいものとなってジワーッと広がり、そこからにじみ出てくるような美しさなのである。
この何ともいえない美しさはグールドにもピリスにも内田さんにも感じられなかったもので、とても新鮮に感じた。ゆったりしているテンポも味わいがあっていい。
音質の方も1985年のスイスでのデジタル録音なのでこれで十分。途中で止めるのが惜しくなって、最初から最後まで聴いたのはアラウだけだった。しかし、残念なことに彼はソナタ全曲を録音するに至っていない。

以上、こうして5人を聴き比べてベスト盤をと思ったのだが、このピアノ単独演奏にはそれぞれの大ピアニストの個性と芸術性が凝縮されていて、その日の体調次第で印象が左右されそうな感じで簡単に優劣をつけられないと思った。強いて言えば現在のオーディオ装置の音色と相性がいいということでアラウ盤ということになる。

これまでアラウを少しばかり見くびりすぎていたのかもしれないと思い、あわてて、ベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタ32番を取り出して聴いてみた。

もしかすると、あのバックハウスの神盤を越えているかもと思ったのだが、大丈夫(?)だった。彼にはベートーヴェンのシリアスな曲調は苦手のようで、やはりモーツァルトのような自然な流れの音楽が似合っていると再確認した。

  

 

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