(つづき)
宗谷岬の「日本最北端の地」の碑
向こうはサハリン・・、左上は鳥・・、付近では、アオサギをたくさん見かけました。
《日本では亜種アオサギが夏季に北海道で繁殖のため飛来し(夏鳥)、冬季に九州以南に越冬のため飛来し(冬鳥)、本州・四国では周年生息する(留鳥)》
(22/07/29撮影)
そばには「間宮林蔵」の碑
(この後、稚内に向かう道横に、決意と共に持ってきた墓石が立っていました。)
背後の公園に上がると「旧海軍望楼」(形は船のブリッジ)
《帝政ロシアとの国交が悪化し始めた明治35年(1902)に、国境の備えとして旧帝国海軍が建設したもので、当時最強といわれたロシアのバルチック艦隊が、宗谷海峡、津軽海峡、東シナ海のどこかを通過し、ウラジオストクに集結するかを察知することは、戦略上極めて重大であったことから、同望楼の海上監視にも、任務の重要性が課せられました。
日露戦争の終結に伴い望楼の使命は終わりましたが、その後も、無線通信基地や、太平洋戦争では対潜水艦監視基地として使用されました。
稚内では明治年代の建築物で現存する唯一のもので、昭和43年(1968)12月、市の有形文化財に指定されました。》
「祈りの塔」
《昭和58年(1983)9月1日未明、世界を震撼させた”大韓航空機撃墜事件”が眼前のサハリン西海域で起きました。
「祈りの塔」は2周忌にあたる昭和60年(1985)9月1日に、遭難者の慰霊と世界の恒久平和を願い、遺族会の資金と、稚内市をはじめとする全国からの浄財をもとに、サハリンを臨む宗谷岬の高台に建立されたものです。
塔は、「鶴が大きく羽を広げ、天空に首を持ち上げる姿」をしており、事件の真相と真の平和を鶴のように首を長くしてねがいを求める様子を表しており、19.83mある塔の高さは事故発生の年を、16枚の羽は遭難者の母国を、269枚の白御影石は遭難者の数を表しております。
塔の周辺には地域のみなさんが世界平和の願いを込めて植栽しているアルメリア花壇があります。》
そこに来ていたエゾ鹿(囲いは花壇の花を守るため?)
そして、公園から降りて来た所の商店。
(つづく)