蕪も育ってきて・・、間引きした蕪を漬けました。
(23/11/12撮影)
蕪の葉の漬物・・、好きです。
図書館に行くたびに、職員さんに講演会のお誘いを受けていて・・、行けない理由も無かったので、行きました。
「国史跡 妙見山古墳を知ろう」・・たまにウォーキングで登る妙見山古墳についての講演でした。
(23/11/11撮影)
講演会に自転車で向かって家横の坂道を下っていた時、「道のまん中にグチュッとまとまったヤマカガシがいる」と思って写真を撮ろうとしたけど、下り坂の勢いで数メートル走って止まりました。
カメラを持って引き返すと、道にはいなくなっていて・・、辺りを見回すと、山際に向かっている所でした。
そう言えば、暑い夏になってきてから蛇を見かける機会が減ったと思うが・・、今年はマムシも見てないなぁ。
(つづき)
公園に入って直ぐ、その広さに驚きました。
見て回ったのはその一部であり、ここで採り上げるのは更にその一部です。
「南内郭」の物見やぐらから。
(23/11/07撮影)
「倉と市」
「北内郭」(最も重要で神聖な場所)
2階では、周囲地域の代表が集まり会議。
3階では、巫女の祈祷。
「北墳丘墓」
甕棺(かめかん)で埋葬。
関連してWikiから引用、
「発掘された甕棺の中の人骨には、怪我をしたり矢じりが刺さったままのもの、首から上が無いものなどがあり、倭国大乱を思わせる戦いのすさまじさが見てとれる。」
「外濠は土塁と柵、逆茂木・乱杭で防衛が図られた」
発掘調査中の現場もありました。
「倉と市」を近くから。
その他にも展示コーナーや映像コーナーがあって・・、前日に続いての歩き疲れの一日となりました。
そして、JRとフェリーでの帰途となりました。
この日の歩数 1万8千弱。
(おしまい)
(つづき)
吉野ヶ里歴史公園へ行く朝、友人宅の庭に朝食に集まる雀たち。
(23/11/07撮影)
心優しい友人は、庭木に吊るした餌箱だけでは力の弱い雀が食べられないので地面にも餌を撒くとの事。
博多駅には「ゆふいんの森」がいました。
鳥栖駅では長崎本線に乗り換え。
吉野ケ里公園駅
そして、途中で昼食をとり、徒歩で吉野ヶ里歴史公園に到着。
(つづく)
(つづき)
多聞(たもん)櫓に向かいました。
「南丸(二の丸南郭)にある国指定重要文化財の多聞櫓は、江戸時代から現在位置を保っている唯一の櫓です。二層の隅櫓とそれに連なる54mの長さをもつ平櫓からなります。高く積み上げられた石垣を土台に築かれ、「石落」や「鉄砲狭間」が備えられていることから、いざというときの防御のための櫓と考えられています。・・なお、平櫓の内部は、一般に突き抜けの状態となっていることが多いのですが、本櫓では、16の小部屋に別れています。」
内部の説明は「詳しい人」とは別の人でしたが、詳しく説明してくれました。
屋根裏には、いざという時の武器や食料として矢材や蕨(わらび)が使われているとか、鉄砲を撃った時の換気のために各部屋に扉があるとか・・、黒田官兵衛がキリスト教徒だったとか、奥さんが多聞櫓の前に住んでいたとか・・。
櫓を出た時「詳しい人」が近付いて来て、櫓は直線ではなく、石垣に沿ったRを付けて強度を増しているとか・・、追加説明をしてくれました。
天守台に上がって西方を展望・・、大濠公園、右後方には福岡タワー。
福岡城を離れる前に多聞櫓を見上げる。
その後、地下鉄六本松駅に向かう途中で風雨が強くなって来て・・、護国神社の辺りで傘の中棒を止めているピンが折れて、手で押さえながらコンビニに向かって・・、傘を購入して歩き出した頃には、雨は弱まっていました。
コンビニ店員も外国人だったなぁ・・。
昼食後、友人宅に着いて・・、雨と汗で身体が冷えていたので、風呂を沸かしてもらいました。
友人は、毎朝アワだかヒエだかを雀にやっているそうで、昼過ぎまで遅れてしまった餌遣りにも数羽の雀がやって来ました。
夕方からはもう一人の友人も加わってミニ宴会、アルコール効果もあって楽しい会話が弾みました。
この日の歩数 1万2千弱。
(つづく)
(つづき)
天神で友人と合流し、近くの吉野家で朝食を食べながら、この日の予定を立てました。
入店時は若い外国人の従業員でしたが、8時を過ぎて出る頃には女性の従業員に変わっていました。
生暖かさを感じる強い風の中、平和台球場跡地に向かいました。
半世紀ほど前、一度だけ友人と球場に行った事があり、その頃、太平洋クラブライオンズになってた時期があり・・、助っ人外国人ビュフォードがいて・・、試合は単発のホームランが出ただけの大雑把な試合だった記憶があるけれど・・、昔の事なので、混濁している気もします。
球場跡地を回っていると鴻臚館(こうろかん)跡展示館があって、9時の開館をベンチで待って入館する事にしました。
球場跡(鴻臚館跡)、正面の建物が展示館
(23/11/06撮影)
展示館前の南京櫨(ナンキンハゼ)が色付き、白い種子も見え始めていました。
Wikiによれば「鴻臚館(こうろかん)は平安時代に設置された外交および海外交易の施設である。前身として筑紫館や難波館が奈良時代以前から存在した。」
館内の展示
遺跡の位置関係が示されたパネル
この日行く予定だったが天気予報に従って翌日に変更した「吉野ケ里」も表示されていました。
天気が怪し気な平日開館直後の入館者は他におらず、管理人(?)は丁寧に話をしてくれて・・、近くの「福岡城むかし探訪館」に福岡城に詳しい人がいると紹介されて、そこにも行って来ることにしました。
「福岡城むかし探訪館は、古地図や再現模型を通して、さまざまな角度から福岡城を身近に楽しく体感できる施設です。」
「江戸時代の福岡城下の古地図を貼った床の中央には、縮尺400分の1の福岡城の再現模型を展示。ありし日の福岡城などが一望できます。」
「詳しい人」は詳しく説明してくれて、再現模型は1億円と言っていたけど・・、現在と当時の位置関係が分かりやすくなりました。
「詳しい人」は「多聞櫓」の内部特別公開の説明に行くと言って出て行ったので・・、この後、見に行く事にしました。
(つづく)
思い立って、福岡の友人に会いに行きました。
福岡に行く時の交通手段は、眠っている間に移動できる松山・小倉フェリーを第一に考えます。
以前は、ゴロ寝の2等船室だと運賃も激安だったのですが・・、今回、大台に乗っていて驚きました。
が、それでも利便性を考えれば、他の交通手段に勝ると思っています。
出航は21:55・・、乗船口に向かう通路から乗船するフェリーを撮ったけど、通路がガラスに映っていて判り難い。
AIに頼めば、補整してくれるのだろうが・・。
(23/11/05撮影)
5:00到着・・、天神行きのバスを待つ間に乗船して来たフェリーを撮る。
(23/11/06撮影)
この日の天気予報は、昼頃から雨・・、この時点では、月がよく見えました。
(つづく)
《東京、炎上。正義は、守れるのか。
些細な傷害事件で、とぼけた見た目の中年男が野方署に連行された。
たかが酔っ払いと見くびる警察だが、男は取調べの最中「十時に秋葉原で爆発がある」と予言する。
直後、秋葉原の廃ビルが爆発。まさか、この男“本物”か。さらに男はあっけらかんと告げる。
「ここから三度、次は一時間後に爆発します」。
警察は爆発を止めることができるのか。
爆弾魔の悪意に戦慄する、ノンストップ・ミステリー。》
メインの筋に違和感を感じましたが・・、緊迫感のある展開が続き、割と集中して読みました。
刑事(警察)もので謎解き(クイズ)に沿って進みますが、心の内をえぐる心理描写もあって興味深さを感じながら読んだ1冊でした。
(画像借りました。)
畑作業に出る前、一輪車にカマキリがいました。
(23/11/04撮影)
お腹が大きかったので、産卵場所を探していたのだろうか。
野菜畑に出て、鍬を川に浸けている間に奥の畑の見回りに行くと・・、山際の溝の枯葉類が山盛りだったので、掃除する事にしました。
カマキリに退いてもらった一輪車を使って。
3往復して、
焼却場に運びました。
その後、追肥・・、夏日の日差しが強くて、たっぷりの汗でした。
夜露が降りた翌朝、無風だったので剪定屑(+倒竹)を燃やす事にしました。
(23/11/03撮影)
月が出ていました。
コンパネも投入して、燃え具合を確認します。
剪定屑が乾いてないので、白煙がもうもう・・。
扱いやすかったので、小屋に残っているコンパネも順次焼却出来そうです。
40分後、もう離れても大丈夫そうです。
2時間半後、ほぼ燃えました。
納屋横の草刈をし、
(23/11/01撮影)
小屋周りの草刈をしました。
小屋周りの草刈中、コカマキリが沢山(5匹確認)逃げ出して小屋に向かいました。
ツチイナゴのそばも通って・・。
そして、おんぶコカマキリも・・。
この後が気になる・・、以前、衝撃現場に遭遇したから・・。
第2弾の空豆ポットの多くが発芽したので、畑の畝に移植しました。
(23/10/29撮影)
左の畝は10/10に移植したpart1の「お多福24個」、
隣の畝は今回の「お多福5個」と蕪、
その隣が「河内一寸17個」。
小屋に元肥を取りに行った時、コカマキリがいました。
外の水道蛇口そばには、雨蛙が前回と同じようにいて・・、冬眠前の日向ぼっこ?
ミカンの選果をする古家の玄関から前の庭を見ると、弱ったバッタがいました。
アオマツムシの♀のようです。
チョコ、チョコっと動くのでよく見ると小さい蟻が攻撃しながら運ぼうとしている様でした。
(23/10/28撮影)
選果が終わって見ると、いなくなっていました。