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横峰寺は愛媛県西条市小松町にある真言宗御室派の寺院で石鎚山、福智院と号す。本尊は大日如来で、四国八十八箇所・第六十番札所
此の横峰寺は標高745m付近に在り伊予国で最高所にて関所寺、四国八十八箇所霊場の中で雲辺寺に次いで2番目の高さ、本堂の本尊は金剛界大日如来像、向かって右脇仏は石仙菩薩、同左脇仏は蔵王権現で、いずれも秘仏であるが明治の神仏分離で一時期、横峰社と成った名残で、脇陣にいる右大臣と左大臣が拝見できる。又本堂の前には一対の狛犬がいる。
此の寺は湯波と虎杖と白滝の三箇所の何れかからの険しい遍路道を登るしか行き着けなかった為、麓に前札所のある三つの札所の一つであったが、昭和59年に此の寺より1.5Kmの所まで林道が開通し、残り30分程度の緩やかな道を歩くのみと成り、更に其の後に林道は延びて今では500m程を歩くだけに成って居る。私達は本堂より高い位置の駐車場に車を停めて下りの参道で本堂へと向かったので行きは楽であったが帰りは上り坂を上がる何時もとは逆のパターンで女性達には一寸大変な様子であった。
寺伝に寄れば、白雉2年(651年)に役行者が石鎚山を臨む星ヶ森で修行をして居たところ、山頂付近に蔵王権現が現れたので其の姿を石楠花の木に刻んで小堂を建て安置したのが創建と云われ、其の後、行基が天平年間(729年~748年)に入山した。又、延暦年間(782年~806年)石仙が往持し桓武天皇の脳病平癒を成就した事から菩薩号を賜り、当寺には金の御幣を賜ったと伝えられる。
大同年間(806年~810年)には空海(弘法大師)が入山し星ヶ森で星供養の修法をした際、蔵王権現を感得し、大日如来を刻んで本尊とし堂宇を整備したという。
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此の日、私達は何時も通りに第61番札所を出発する時にカーナビに横峰寺の電話番号を入力しカーナビのガイド通りに何の疑いもせずに車を進ませたらトイレと駐車場の在る場所に辿り着いたが参道らしき物も山門も無いので不思議に思った。調度、其処に清水が湧き出て居るのか?若い二人の男性がポリ容器に水を汲んで居たので「横峰寺に行く予定でナビ設定をしたら此処に案内されたのですがお寺に行くには如何すれば良いのでしょうか?」と尋ねたら其の若い男性は「皆さん良く迷われる様ですが此処からは歩きの遍路道で途中の道は険しく大変でお寺までは大体40分程掛かるので此のルートは止められて、一度入って来た11号線まで戻り其の道を6Km程東に進み左手に石鎚自動車、右手にローソンが在る交差点を右折すると横峰寺に至る有料道路に突き当たるので其処でお金を払うと後は一本道です。」と地面に地図を書きながら丁寧に教えて下さった。お礼を述べると「遠路ご苦労さまです。お気を付けて」と笑顔で見送ってくれた。
思わぬ失敗で?可也の距離を引き返し時間的には約1時間近いロス、此の事が此の日に愛媛県の最後の札所、第65番札所「三角寺」(川之江市)まで終える予定が此の日は残念ながら最終記帳時間に僅かに間に合わず愛媛県内の札所を一つだけ残す事と成った。
上段最初の写真は横峰寺の駐車場から西条市の瀬戸内海側を撮った物。下段の最後の写真は西日本の最高峰、1982mの霊峰・石鎚山方面を撮った物、頂に雪を被っている。