黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

沖縄県金武町で緊張 (2-2)

2011年08月08日 | アマチュア無線 移動運用

 

 全国色んな所に移動していると如何しても慣れとか油断や甘えが生まれる。今回も沖縄には米軍基地は多く有る事も基地周辺は気を付けねばいけない事も解っていたのに早く場所を探してQRVしないと!の焦りが有った。其れに此の時はアメリカ軍がビンラディンの暗殺を行った直後だったので報復攻撃が有るかも知れないとアメリカ軍基地内に緊張感が漂っていたのだ。(後に聞いた話では最高レベルの警戒レベル5だったらしい)



 今考えると県外車で中を見ると無線機器が並び外は12mHで60m位のアンテナを建て英語交じりの日本語で数字の羅列を叫んでいるのだから危ない人間と思われても仕方が無い状態だった。又横は建物こそ無かったが50m X 150mの敷地が金網のフェンスで囲まれ「立ち入り禁止」と「遊泳禁止」の標識とアメリカ軍の基地設備である事は英文で書かれていた事も確認しているのに運用したのだから困ったもんだ。


 後で解った事だが上陸用楊舟艇の保管場所だった様だ、建物は無く敷地内がアスファルト舗装してあるだけで何も置いていなかったので私は資材置場と思って油断していた。


 此れも後で解った事だが沖縄の局は「ハブは沢山いるし軍設備の横だし危ないな!」と思っていた様子、だがアンテナを立て運用が始まって場所が解ったので撤収して場所換えをした方が良いと言い難かったらしい。


 今思い出すと金武町で緊張した等、笑い話だが其の瞬間はかなり緊迫感が漂う場面だった。まだ米兵が若い白人二人連れだった事も幸いした。でも警察とは対応が全然違う。一人が私と対応している間、もう一人は完全に身構えて何か有ったら即、攻撃出来る体制を一度も崩す事は無かった。最後まで2人はニコリともする事無く立ち去っていた。黒人の米兵だと体も大きし迫力が有ったのではないかと思う。


 沖縄での米兵の犯罪や自動車事故が沖縄県民にとって対等に司法の場で裁かれない等の報道を良く聴く事がある。あの沖縄の一等地に広がる嘉手納の基地や沖縄本島の北部には広大な射撃訓練設備が有り日本の立ち入れない場所が広がっている。ある面、日本の領土で在りながら日本でない部分を垣間見た気がした。


 矢張り自分の国の平和や自国の尊厳を他国によって守って貰う今の日本は何処かおかしい。我々個人の家庭を考えても自分の生活を守る為に一生懸命に頑張っているのに、他人を当てにしては成らない「善意で差し出される救いの手は受けても良いが其れを余り期待しては成らない。」そんな言葉を思い出した。其の相手に余力が有れば助けてもくれよう、でも同じ立場になったとしたら自国を第一義に考えるは当たり前、そんな危うい泥舟に乗っている様な気がする。自国の領土を脅かされても何も言えぬ国、自国を自力で守れぬ国を国家と言えるのだろうか?平和である事は良い事だが何処か?日本人は平和ボケしている。平和ボケしたおっさんが平和だから出来る移動運用しながら そんな事を考える一日だった。

 

 

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 沖縄県金武町で緊張(1-2)

2011年08月08日 | アマチュア無線 移動運用




 
 私は移動運用の目的で今年の5月1日 沖縄県国頭郡金武町に移動していた。恩納村の移動運用を終え沖縄の中央部を西から東に抜け金武町に着いたのは夕方の遅い時間だった様に記憶している。金武町は沖縄本島の中で移動場所選定に苦労した中の一つで有った。



 金武町の町で2時間程,移動運用場所の選定に迷い最終的に国道から200m位海岸に向かった海岸道路の側帯(道幅が10m位の道端)に車を止めた。(北緯26度26分52秒 東経127度54分43秒)ダイビング・クラブチャートの近くで有った。30分位は通行量を確認したが通行が無く奥に10m入ると道は有るが舗装されていない泥道(行き止まり状態)だったのでアンテナを設営し運用を始めた。其の日は暑かったのでパンツ(下着)にランニングシャツ姿、人には見せられない姿では有ったが日が暮れていたので安心していた。




 金武町は沖縄の中であまりQRVのある場所で無かったので呼び続けられ夢中で運用中の22:14分頃に窓をコンコンと叩く音、其の方向を見ると迷彩色の軍服を着た若い白人の米兵が車内を覗き込んでいた。私の顔を見ながら「出て来い」言っている。格好が格好だったので躊躇したが銃を持っている様子だったので早く出て行かないとヤバイ思い「一寸待ってくれ」と言いながら出て行った。「御前は何者だ」「何をしている」と早口で質問してきたので私の拙い英語で「アマチュア無線の運用をしている民間人で怪しい者では無い。」と答えたがアマチュア無線が解らなかったらしくハムラジオと言い直したが理解出来てい無い様子、ひとりの米兵が相手に「こいつの言葉は理解出来ない お前はわかるか?」と聞いたのは解ったが相手の米兵は首を横に振った。1分位早口での話合いの後、話し掛けていた米兵が携帯電話を取り出し何処かに掛けた後、私に手渡してきた。電話を取ると「何をしているのですか?」日本語の声「アマチュア無線の運用をしている。」答えると「アマチュア無線?・・ハムですか?」と聞き返してきたので「ハイ」と答えると「まさか基地の敷地内じゃ無いですね?」聞き返したので「基地のバリケードの外で道の反対側の側帯で運用している」と答えると「解りました米兵に変わってください」との事、其の後米兵は少し興奮した様子で3分間位い話していたが諦めた感じで「有難う」と言って車に乗って立ち去って行った。


 無線の交信中に米兵が来て「出て来い!」と言っているので暫くQRXとアナウンスしていたので 直ぐに車に戻り無事である事を連絡したら皆さん待ってくれていた。気を取り直し10:25分に次の交信が開始されているので10分間の中断に成った。徳島の兄も丁度此の状況を聴いていたらしく「此れは沖縄まで引き取りに行かなければ!」と思ったそうだ。



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2011年08月08日 | アマチュア無線
 土曜日の朝、台風の影響か天気が悪い、天気が良ければ移動運用する予定だったがこの状態だと無理と思い7MHzを聞いてみる。流石 土曜日、何時もよりバンド内が賑っている 季節柄、北海道の道の駅への移動局に対するパイルアップ何箇所か有った。


 ワッチをしながらこの前に来たJARLから箱を開梱、カードの整理に取掛かるとすでに中国、九州、沖縄方面の移動中に交信した局からのカードが有った。タイミングが良ければ交信してから2ヶ月位で届くカードも有る様だ。其れに比べて前回の移動のカードは6000枚程度か印刷出来ていない予定よりは随分遅れている頑張らねば・・・


 昼飯を取っていると天気が回復雨の心配は無さそう久し振りに移動の虫が騒ぎ出した。この近くの高い山と成ると佐那河内村の大川原高原(900mH)か勝浦町の中津之峰(750mH)前者は移動のメッカで競合が移動している可能性が有るので中津之峰に決定し14時ころ家を出発した。


 30分位で登口に到着、此処から15分間が大変な上り坂、軽四のエンジンが苦しそうに回っている。この車は維持費が安く良いのだが急勾配の坂道と高速道路では走らず往生する。15分程度で山頂付近の公園の空地に運用場所を決めた。


 アンテナを設営中、何時も3組位持っている同軸ケーブルが1組しかない「しまった」と思ったが後の祭り、とりあえず7MHzの逆Vを11mHに立ち上げた。夕方のコンデションは悪くは無かったがコンテスト開始後の7MHzの状態は良くなく22時には就寝に付いた。


 翌朝は4時頃からQRVしたが7時位までは呼ばれる事が少なく全体的に秋型のコンデションに変りつつ有る事を感じた。約250局と交信し9時頃に50MHzにQSYしようとハイバンドをワッチしたがコンデションは良く無く早々と下山した。


 結果的には自宅での運用の方が実績は上がったと思うが久し振りに移動の醍醐味と涼しい夜を満天の星の下で過ごす事が出来た。次に来る時は望遠鏡を持って来よう。


 
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