黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

蒲生田岬と蒲生田温泉に行く

2013年11月24日 | その他

        


        

 

 


 日曜日の朝は直接家に帰る予定であったが折角来たので蒲生田岬へ行こうと言う事に成り対岸の四国の最東端の蒲生田岬へと向かった。此の地は以前は道も細く交通の便も悪く一般の人が訪れる場所では無い。人家が少なく随分前には原発の予定地で用地買収も一部終わって居た様だが地元阿南市の強い反対運動で途中で頓挫してしまった。今思うと当時は全国の最後尾に近い財政状態の市で有ったので交付金が魅力であった様だが結果的には昨今の状態を見ると懸命な判断で有ったと言える。



二年ほど前に「湯けむり」の対象地として岬の手前の「かもだ岬温泉」(下段の3枚目と4枚目の写真)で移動運用した時に温泉の名前を見て少し違和感を感じた事が有った。私は此の読み方は「がもうだ」と濁って読んでいたのだが如何も間違いであった事が灯台の説明板で今回ハッキリした。地元でも「がもうだ岬」と言って居る様なのだが・・・多分日本全体からすれば蒲生と書いて「がもう」と読まれるのが一般的と思うので?そう言われているのだろう。


 灯台の上がり口は急峻な階段の坂道で登り切ると北から南方向の東側の海が良く見え保々真東の海上に阿南市で唯一の有人島の「伊島」(写真3枚目)が見える。此の島には100軒以上の家が有るらしいがアマチュア無線的には貴重な存在で私は此の島からのアマチュア無線の電波を聞いた事がなく未交信の離島と成って居る。距離的には岬の直ぐ沖なので近いのだが交通手段が連絡フェリーしか無く特に冬場に成ると島の手前で海流が早い事と風が強いのでガバガバ波を被り甲板等には居られない状況と成る。私は過去に4~5回ほど仕事で行った事は有るが波が穏やかだった事は一度も無かったし連絡便の回数と時間の関係で仕事が終わると直ぐに船に乗ってのトンボ帰り状態、島をゆっくり見て歩く事など無かった。退職してから一度、此の島からの移動運用をしたいと思いは有るのだが私の運用スタイルである車の乗り入れが出来ない島なので現在まで実現出来ていない其の意味では「近くて遠い存在である」



 四国の最東端の蒲生田岬を出て帰りの途中に有る「かもだ温泉」(写真下段3枚目と4枚目)に立ち寄り入浴、景観の良い露天風呂やサウナ風呂を楽しんだが綺麗な設備で良かったが少し交通の便が悪いのと宿泊設備が無い様なので県外客を集客出来る場所では無く少し残念な気がした。私が此の設備を知ったのも「湯けむりアワード」のリストで初めて知った程度であったが温泉が開く10時頃に成ると車が30台程並び地元の年配の方々で賑わっていた。

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我家の早い目の忘年会と気に成るタワー

2013年11月24日 | グルメ

        

  

 


 先日に来られた長野の箕輪の皆さんとの会合の写真を家族に見せたら家内が「私も一回連れてって」と言われ家族サービスの為に息子と家内と私の三人で早めの忘年会を兼ねて椿泊の民宿に出掛けた。家を3時過ぎに出掛けたが少し早過ぎたので途中の「椿自然園」に立寄る事に、椿は季節的に少し早いと思って居たが既に花弁が落ちかけている木もあった。



 此の場所は少し小高い山に成って居て山頂のレストランの屋上からは橘湾が見下ろせてまずまずの景観である。此の場所には4回ほど来たが実は今回上がったのには他に理由があった。其れは写真2番目のクランク・アップタワーで前回(8年くらい前)に訪れた時は此のタワーの上にクリエート社の714Tが上がっていた。メンテがされておらずエレメントが歯抜け状態であったがタワーは確りして居たので興味があった。アンテナと設置場所の状態からDXを目的にしたアンテナで有る事は理解できたが同じ阿南市内で電波を聞いた事も無く、何方の所有物か解らなかったが「蛇の道は蛇・・・」でJA3のOMさんとの交信会話で偶然に橘湾の電源開発の石炭火力発電所の建設に来られた7エリヤの方が建てられ事までは解った。

 

 此の時点では火力発電所としては日本最大出力で工期は長かったし工事に従事した県外の人達も一時は6000人近かったと聞いていた。其れくらいの人が集まると無線にクレージーな人も居て当然で成程と思ったが仕事が終わって次の現場に行ったと思われるがタワーは撤去されていず放置されている様に思えたので其の後も調査したが持主は解らなかった。今回は其のアンテナがどの様に成って居るのか知りたかった。訪れると写真の様にアンテナは撤去されていたがタワーは其の侭、ひっそりと建っていた。最初の段階では話がつけば譲って貰いたいと考えたが持ち主が解らない状態では交渉も出来ず諦めていたが現状はどうなのか?気に成ったのである。



 其の後に民宿に行き海の幸を堪能し一泊しての家族への大サービスであったが、家内との宿泊の旅行は娘が岡山での大学時代に行った時の三朝温泉以来、現役時代は夏場と冬場が忙しい職種の関係で子供達との家族旅行は家内の担当で有ったので息子とは初めてで有った。少し早い忘年会ではあったが二人が喜んでくれたので「また来よう」と言ったら家内にすかさず「例年の家族の忘年会は此処で遣りましょう」と言われた。

 

 其れにしても我家の大食漢達、家内は事前の昼食抜き、息子は20km位のマラソン練習の後の昼飯抜きの念の入れよう、箕輪の皆さんとの会合では皆さん食べ切れずに御土産と成ったが、今回は完食、前回誰もが手を付けなかった小海老の茹でた物まで平らげたのには驚いた。女将さんも少し驚いた様で「御土産が無い様なので此れをどうぞ」と帰りに冷凍の魚と鮮魚を沢山戴いて貰って帰った。帰り道に家内が「散財したので今日の夕食は此れ」と言ったので息子がすかさず「魚は1週間は勘弁して欲しいわ」と言ったが私は魚の刺身は「一ヶ月は要らんわ」と思った。

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