黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 テレビの画面を見ながら中之島を思い出す日

2015年02月01日 | その他

 先日に私の好きなテレビ番組の一つである「Youは 何して日本へ」を見ていたら途中からトカラ列島の中之島の映像が流れ始めた。映像は鹿児島港の南埠頭から23:00JSTに出発する村営フェリーの「としま」から始まり早朝に到着した中之島港の岸壁や天然記念物の「トカラ馬」の放牧場や中之島東温泉や其の近くの島の数少ない自動販売機や極め付けはトカラ列島の最高峰「御岳」(979mH)の映像が流れた時は一寸興奮した。


 私は2013年に始まったプチアワードの対象地に鹿児島県十島村がリスト・アップされた事で其の年の5月のゴールデン・ウィーク明けに十島村の中之島と口之島を訪れて運用した。十島村は私が2009年に全国への移動運用を思い立った時に一番最初に訪れたい村(島)で有ったが其の計画段階では九州を南下して鹿児島からフェリーで沖縄に渡り沖縄の全町村の運用後に与論島~沖永良部島~徳之島~奄美大島~十島村(トカラ列島)~三島村~鹿児島~九州各県2箇所以上の移動運用~山口県~島根県の隠岐知夫利島、西ノ島~中ノ島~隠岐の島を巡り四国に帰る過去に誰もが遣った事の無い壮大な計画で有った。達成には日数的に約3ヶ月ほど掛かる予定で此れは何も問題なかったがフェリー代の費用だけでも35万程掛かる事に驚いて踏ん切りが付かず断念する結果と成った。


 其の後に此れ等の計画は分散した形で2011年に沖縄~離島運用~九州本体~隠岐を2013年の三島村(硫黄島)~十島村(中之島、口之島)~九州本体~隠岐方面を行った為に最初に思い立ってから5年遅れの再計画と実行と成り当初に思った全国への5ヵ年で達成する移動運用の総仕上げとも言うべき移動運用と成った。何せ此の島にはコンビ二やガソリン・スタンドも無く日用雑貨店にも生ものや弁当の販売は無い状態、有るのはインスタント食品と自販機で購入出来るジュース類程度のみ民宿に泊まったら食事の心配は無いが車中泊で乗り込む場合はガソリン、食料、水等、生活に必要な物は自分で調達し持ち込まねば成らない。其れと一番驚いた事は島には自動車屋さんが一軒も無く島に滞在中に自動車の故障が発生しようものなら「万事休す」状態に陥る。島内には自動車の修理が出来る人は居るそうだが外部からの人には其の人を見付けるのも大変な状況である。


 私も此の島に上陸した初日に御岳に上る事に成り自動車で上る登山道の途中で不注意にも脇見運転により自動車の後輪を側溝に落としてしまった。此の側溝は可也深かった上に道路も上り勾配になって居て側溝の底から軽自動車に常備のジャッキで車軸を持ち上げたが深さから四辺形のジャッキが一番上がった所でも上げしろが少し足らずジャッキの強度が一番弱い所でグニャと変形してしまい「万事休す!」状態に途方に暮れる大失敗を遣らかしてしまった。自力で長時間に渡り頑張ってみたが如何にも成らず最終的には島に入った時に挨拶に伺った親切な御巡りさんに電話で連絡したら親切にも大型の丈夫なジャッキを現場まで持って来て頂いて其れで如何にか側溝から脱出する事は出来たが一時は如何なる事か?冷汗ものであった。今回テレビで御岳の景色が映った状態で其の時の情景が走馬灯の様に私の頭の中を駆け巡った。


 今回、中之島に移住したコスタリカの御主人と日本人の奥様と男の子と女の子の4人家族は便利で経済的に豊かな生活だったが家族との十分な時間を持てない慌ただしい生活を捨てて中之島での嘗ての生活とは可也違うゆったりとした家族との時間を重視した生活を始める為に移住した生活振りをカメラは追っていた。私も十島村に5日間ほど滞在したが確かに島の人々は明るく非常に親切な人達で有ったが私達が感じる生活の不便さや子供の教育環境や緊急を要する病気に成った時のことを考えると身内で此の話が有ると諸手を上げて賛成出来ない状態は色んな場所で感じたが?何も知らない幼少の頃から此の島で生活を始めたら本当の自然の中ですくすくと育つに違い無いと確信した。島民が100人強の離島での生活振りを見ながら2年前に訪れた時の事を思い出しながら幸せな気分に浸った。
 

コメント (3)
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