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四国八十八箇所霊場・第六十六番札所「雲辺寺」

2019年12月23日 | 四国88箇所霊場


        



        


 雲辺寺は、徳島県三好市池田町白地ノロウチの雲辺寺山、山頂(標高927m)近くに位置する真言宗御室派の寺院で本尊は千手観世音菩薩である。


 四国八十八箇所霊場・第六十六番札所で、所在地は徳島県(阿波)であるが霊場としては讃岐の札所として扱われ、「涅槃の道場」の始まりで八十八箇所中で最も標高が高い位置(本堂の位置で標高900m付近)にあり、最後の「関所寺」である。夏は、紫陽花が全山一面に咲き、晩秋には紅葉の名所と成り、冬はロープウェイ利用が可能なため、雪の風景となる。


 寺伝に寄れば延暦8年(789年)に佐伯真魚(後の空海、弘法大師)が善通寺建立のための木材を求めて雲辺寺山に登り、此の地を霊山と感得し堂宇を建立した事を起源とする。空海は又、大同2年(807年)には密教灌頂の修法行い、更に弘仁9年(818年)に嵯峨天皇の勅命を受けて本尊を刻んで、七仏供養を行なったという。後に「四国高野」と呼ばれ、僧侶の修行道場と成り、貞観年間(857年~877年)には清和天皇の勅願寺となった。


 承徳2年(1098年)火災で全山焼失するも、其の後に鹿を追って当地に入った猟師の与成は樹上に現れた観音菩薩の威厳にうたれて発心し堂宇の再建を果たした。平安末期の中興の祖と云われるに相応しい願西上人が住職のとき、現存する本尊、千手観音と毘沙門天が造られた。鎌倉時代には阿波守護の佐々木経高(経蓮)の庇護を受け、七堂伽藍が整えられた。応長元年(1311年)には京都西園寺家に寄り寺領が寄進され貞冶2年(1363年)には足利氏より法華経真読を依頼される。



         


 此の札所には香川県側のロープウェイを利用するか徳島県側の池田町白地からの道路を利用して雲辺寺に至るルートがあるが私達は車で徳島県側から道路を登る事にした。私は以前に此の山から無線の移動運用をする為に此の山道を登ったが真冬で在ったので路面が完璧に凍って居てタイヤがスリップして車が真横に成った経験が有り、今回は可也心配しながら車を進めたが前日が可也暖かい天気だったので幸いに路面の凍結は無かったが山を200mHも登らぬ内に寺名の如く車は雲海の中にスッポリ入り視界が悪く少し驚いた。頂上付近の駐車場から数百メートルを歩き山門を潜り階段を上がると右手に鐘楼が、其の正面奥には大師堂があり其の場所に至る石畳の表面上は完全に凍って居て油断すると滑り転倒する様な状態に成って居た。 


 此の日は納経所が開く07時頃に山門前に到着したが(当然一番の納経者と思って居たが)既に10人くらいのお遍路さんが居られ其の熱心さに驚いた。此の場所は可也山深い場所にあるが此の場所に此れだけの寺院を造るのには可也の困難と莫大な費用が掛かったと思うのだが?其れを何らかの形でバックアップする人々の信仰心の厚さに感服し、私の様な俄仕立ての「なんちゃって遍路旅」を大変申し訳なく思った。
  


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