私の出発前の1週間は慌しい状態が続いたが全ての機材の準備が出来たところで近くの那賀川の河川敷で最終の発電機と無線機器のテストをやり事前準備は全て終わった。
2010年 5月14日の23:30分に此れから始まる長期の旅行の期待感と少しの不安感が入り交ざった複雑な気持のなか我家を出発、00:05分に鳴門インターから高速道路に乗り鳴門大橋を渡り淡路島に入る其の後淡路島の北端、淡路インターでトイレ休憩を兼ねた時に神戸の夜景の写真を撮った。
明石大橋を渡ると神戸を通過して名神高速に入ると一本道と思っていたら名神で夜間の補修工事が行われており京滋バイパスで迂回をしなければなら無いのに不注意で入口を通過、最終的に京都南で通行止めの為にインターを降りる羽目に、乗り降りは問題ないのだが1000円余分に費用がいる事が痛かった。ナビ任せの走行だったのでコース変更の為に停車しないと駄目かな?と思っていたらさすが本州の高速道路、降りてからの一般道の側帯には50m間隔くらいに標識が並んでおり可也走ったが問題無く再度高速に乗った。
深夜の高速を直走り養老サービス・エリヤでトイレ休憩を兼ねて停車したが本日、長野県の最初の運用が有るので此処で仮眠を取る事とした。駐車場は満杯様態で全ての車がエアコンを動作させているので外気が暑く私も仕方なくエアコンを動かしての仮眠となった。
朝の6時前に目覚め、食事を取らず出発し小牧JCTから中央道へと入り恵那山トンネルを抜ける頃は日もかなり上がり正面に雪を頂いた南アルプスが目の前に飛び込んで来た。何と懐かしい光景だろう。18歳から結婚までは毎年、正月と5月の連休は徳島で過すことは無く信州のスキー場を訪れていた。最期の八方や栂池を訪れてから実に30年の歳月が流れていた。
今回の旅行で信州を通過する目的は無線の移動運用が目的では無く若い頃、スキーに夢中になって訪れていた信州の夏の景色と御世話に成っていた常宿の奥さんに会ったり八方尾根、栂池、志賀高原、木島平、野沢温泉などのスキー場がオリンピック以降どの様に変貌したのか?を此の目で見たかったのだ。特に八方尾根スキー場へは5月の連休は黒菱の山小屋に篭って春スキーを楽しんで粋がっていた青春の日々を思い出したかったのだ。
南国育ちの私にとって其の頃は『周囲が全てが銀世界に成る事など夢の世界で夢中に成っていた。』 勿論其の目的の中に可愛いお姉さんとの出会いを夢見ていた事は言うまでも無い。給料やボーナスは殆んど無線とスキーに つぎ込んでいた技術は二流だったが道具は一流、当時はブランドだったスキーをやった人なら直ぐに解るRマークの板等を生意気に使っていた。当時はスキー技能検定1級を取る事を真剣に考え仕事を辞めて信州での生活(山篭り)を夢見た日も有った。
内容が脱線したが中央道を飯田のインターで降り私の現在の住所と同名の阿南町を訪れた後、天龍村へ、今回の最初の運用場所に正午頃、到着した。仮眠を含め時間的には12時間、走行距離はトリップメーターが640Kmを越していた。